指導員・会員の総括

会員の総括

非専従(在家)会員陳述書 東北、信越、九州

1. T 男性

 この間、ひかりの輪の会員として実際に体験したことの事実を偽らず記載いたします。そして以下の事実から私は、ひかりの輪はオウム真理教とはまったく関係のない団体であることは明瞭ですから団体規制の対象としていただかないようにお願い申し上げるものです。

① 経典、書籍について

 道場において現在オウム真理教の書籍がおいてあることを一切見たことはありません。また、支部長やスタッフの方が道場で行った勉強会等で使う教材はひかりの輪の独自のテキストのみです。

② 教義について

 ひかりの輪の教義はオウム真理教のものとはまったく別のものです。旧オウム真理教信徒の私としても途惑うほどその教えは別のものになっております。

・ 第一にグルイズムを廃していることです。人間は完全な存在ではたりえず誤りを犯すことがある。よって1人の人間である指導者を絶対とみなし盲従することをせず自分の頭で考えてその教えを自分で吟味判断していくことを指導していただいております。

・ 第二にオウム真理教のタントラ・ヴァジラヤーナの教えを明確に誤りとしていることです。

・ 第三に、他宗教や他宗派への態度が全然ちがいます。他宗派からも学ぶべきものはまなぶと言う姿勢で他の神社・仏閣を参拝、巡礼をしたりしております。私自身、長野の善光寺や戸隠の宮への参拝に参加いたしましたがどれも参加者は真剣におこなっており唯我独存のオウムではまったく考えられない修行となっています。

・ 第四に仏教の基本の縁起の法を中心教義としてまなんでおります。オウムでは縁起の法は所謂十二縁起の法のことを指し狭い意味での縁起の法を説いたにすぎませんでした。(仏教に無知な私は当時松本の説いた教えをそのまま鵜呑みにしているだけでした。)しかし、ひかりの輪では現象の全てが他との縁起により生起、存在、消滅しておりどのものもそれ自体として他と独立した実体をもっていないという空の思想を学んでおり オウム真理教の偏った「仏教」を訂正しております。

・ その他書けばきりがないほどにひかりの輪の教義はオウム真理教のそれとは違い、ゆえに松本
の教えを広める団体ではないことはあきらかです。是非ひかりの輪のテキストや上祐代表の説法を聞いていただきたいと思います。

③ さまざまな活動の中から

・ ひかりの輪として会員に強制ではありませんがオウム真理教の書籍を廃棄することをすすめられております。わたくしはまだ100%ではありませんが、かなりの書籍を廃棄いたしました。またわたしの知る仙台の会員は廃棄をしております。

・ サリン事件等の総括と賠償を行っていること。

 わたしは恥ずかしいことですが、ひかりの輪に入るまでは あのサリン事件等については直視することができず「事件はひとまずおいといて、修行は価値があるので教団で修行するんだ。」という、いわば判断停止・判断保留の状態でおりました。しかし、殺人事件までおかした教団のあり方について、自分は事件に関わってはおりませんが自分なりに反省し二度とこのようなことがおきないようにするにはどうしたらいいのか。それから被害者の方への補償をどうしたらいいのか。ひかりの輪の中で考えることができるようになりました。

 以上



2.H 男性

 私は、仙台道場に所属する、ひかりの輪の在家の会員です。今回の観察処分の更新請求に関して、以下のように述べさせていただきます。

 私には、ひかりの輪が、その前身であるアーレフにおいて、M派(代表派)と呼ばれていた当時において、松本氏の説いた教えを、本来の仏教に照らし合わせる作業が、行なわれていたように思います。

 そして、その後、その中で、オウム真理教の事件と教えとの関連について、検証が進められ、事件の総括が行われました。

 事件に関しては、情報遮断が当時の教団からの指示でしたから、仙台道場の川口支部長のように、実際に事件に加わり、刑を終えた人達の証言は、初めて聞くものでした。

 私は、事件の発覚当時は、教団が言う陰謀論を信じていましたが、代表派の勉強会を通して、これは、宗教弾圧などではなく、自分達が、サリンなどの一連のオウム真理教事件の加害者側にあることを、知らされたことになります。

 そして、当時のアーレフのM派・代表派の指導者達は、オウム真理教が犯した事件を私達に示しながら、同じ事を繰り返さないための、宗教的な教えについて、検討していたように思います。

 この総括作業によって、私達は、オウム・アーレフの教義から離れて行き、アーレフを脱会して、ひかりの輪の結成に至りました。

 また、ひかりの輪がアーレフ(現Aleph)と裏でつながっていると主張するニュースを見ましたが、松本氏を絶対とするアーレフの教えと、ひかりの輪で上祐代表が説いている、すべての人の仏性に帰依をするという教えは、本質的に相容れるものではないと思います。

 そして、ひかりの輪では、オウム、アーレフで使用していた教材の破棄作業を勧めています。そして、破棄を完了した会員には、仏画や数珠をプレゼントしたり、教材を破棄する意義を説明していました。

 私の場合は、長年親しんだ教材を手放すことに、最初は、抵抗がありましたが、その後、破棄の意義を理解し、全て破棄し、その後は、破棄作業のお手伝いもしました。破棄した教材の中には、当時のオウム真理教においては、入手するのに、30万から100万円もしたものもありましたが、オウム真理教の事件の反省のためにと考え、全て破棄しました。

 この団体には、松本氏の影響による危険を私は感じません。まだまだ、未熟な私達ですが、オウム真理教の事件を自分のこととして反省し、傲慢な心から離れ、社会に貢献できるようになりたいと思っています。

 望める立場ではありませんが、あたたかな目で見守っていただければと思います。

 以上



3. Y 男性

 ひかりの輪の活動は、純粋に仏教の教えを実践していると思います。

 オウム真理教前教祖の間違いを指摘し、本質的にいかに本来の仏教と違うかをよく上祐代表や支部の方々から聞きます。

 ましてやその教義を広めようだとか、崇拝しているようなことは一切ありません。
 むしろ過去に犯した過ちを反省し、するどく反省し、心の本質や命の尊厳に基づいた教えを説いていると思います。

 以 上



4. S

 私は、ひかりの輪の長野道場に所属するひかりの輪の在家の会員です。今回の観察処分の更新請求に際して、以下のように陳述します。

 私は、一連のオウム事件が発覚したときには、当時の私が知るオウム真理教の教義の内容からして、教団が関与したということは、絶対に間違いだ(起こすはずがない)と思っていました。

 私は、オウム真理教を通して、仏教を学びましたが、仏教が説く、「すべては心の現われ」という教えは、自分にとって、生きていく上で、とても必要な考え方でした。そして、常に、妥協が先行する傾向のある自分にとっては、オウム真理教は、必要な修行だと思い、事件に関与した疑惑がある中で、団体から離れずにいました。

 そういった事情ですから、代表から、一連の事件に教団が関与したことが、本当だったことを聞いて、本当にびっくりしました。その後は、自分たちが、それまでに、どんな心の働きを背景として、今までのオウム真理教の信仰を続けて来たかについて、よく考えさせられるようになりました。

 その中で思い知ったことは、それが、自分で気づかないうちに、自分のプライド・虚栄心を満足させるためのものだったことや、さらには、依存心によるものであってり、本当のことを見抜く力がなかったためであったことも、思い知りました。

 私は、オウム真理教の時代に、家族から、「信仰など弱いものがやることだ」と言われた時に、「私は、こんなに大変な修行をしているんだから、そんなことはない」と思っていました。

 しかし、今思えば、それは、単に自己満足でしかなく、社会で普通に働くようになって、いかに自分の世界が狭かったかを知って、オウム真理教での修行のために生じた、空白の10余年間を埋めるべく、今現在も努力を続ける毎日を送っています。

 オウム真理教は、自分で選んだ道だったのですから、その責任は自分にあると思いますが、かつてなしたお布施も、殺人のために使って欲しいと思ってして、そうしてきたわけではありませんから、今は、全く、元の団体(現在のAleph)に心を向けることはありません。

 そして、今まで、10年以上、大切だと思い続けようとしてきた、オウム真理教の経典・教本についても、既に愛着がなくなり、ひかりの輪が推奨するように、それを破棄することにも、全く抵抗感がなくなりました。

 現在は、自分と周りを区別することなく、生きていけるようになることが目標であり、その目的に導いてくださる、ひかりの輪を含めた方々とともに、過ごす時間が、大切だと思っています。

 私は、宗教戦争というのが起こらない宗教はないのか?と、若い頃から悶々としていましたが、今、「自分と周りを区別しない」という教えを受けて、非常に納得しています。これは、非常に深い教えであり、なかなか実際にそうなることは出来ませんが、少しでも、それに近い自分になれるように日々を過ごす事が、私の今の願いです。

 以上



5. K

 私は、長野道場に所属するひかりの輪の在家の会員です。今回の観察処分の更新請求について、以下のように陳述します。

 私は一連のオウム事件よりも後の2003年に入会しました。入信という言葉にはかなり抵抗があります。それは以下のような理由からです。

 私が他の会員と異なる点は、入会当初より教団や団体幹部、松本死刑囚に対する信仰心が全く無かったことでしょう。

 当時、鬱病だった私は、アレフ教団の熱心な勧誘を断ることができずに入会しました。
入会してからは取り返しのつかないことをしたと、かなり悩みましたが、かといって、やめるとなると、鬱病でしたから、それはそれでかなりの気力と体力が必要になるであろうと思い、ずるずると続けることとなりました。

 出家スタッフが隠れて松本死刑囚を信仰しているのは当初から気付いていましたが、嫌だなぁとは思いつつも見て見ぬふりをしていました。

 徐々に隠すことすらしなくなりましたが、それでも揉め事が嫌なので、気を遣ってあえて否定はせず、話を合わせるようにしました。

 しかし鬱病も完治し、冷静に考えることができるようになって、これ以上、松本死刑囚や事件を肯定する人たちとは行動を共にするわけには行かないと思い、現在、ひかりの輪に参加しています。

 ちなみに鬱病が完治したのは悩みの原因となっていた仕事を辞めて、ゆっくり休養したせいだったと思うのですが、教団は信仰のおかげと解釈して宣伝にも利用したので、私は宗教の後だしジャンケンのようなずるさと、何でも神秘的な力に結び付けて解釈する危険性を感じました。

 以上のような私の優柔不断な態度は非難されるべきであり、今だに松本死刑囚とその教えを信奉するアレフ教団を少額ながらも経済的に支えてきたこと、宣伝活動に加担したことは、ただただ反省するばかりです。

 現在、ひかりの輪では、一連のオウム事件、松本死刑囚やその教えは完全に否定しています。

 特定の人間を神とすることの危険性、オウム事件を始め、宗教が原因で起こる事件や戦争について勉強し、どうしたらそのようなことが起きないか考えることに多くの時間を割いています。

 アレフ教団では、自分の考えを持たずに松本死刑囚のコピーになることが重視され、自分の意見を言ったり、幹部に反論したりという雰囲気はありませんでした。信仰心というより依存心を培っているようでした。

 この依存心というものが最も危険で、上の命令に無分別に従うという一連のオウム事件の最大の原因とも言えると思います。

 ひかりの輪では、自分の意見を言うことは自由です。特定の神や人物を信仰することを強制されることはおろか、奨められもしません。

 この教えは絶対という教えもありません。我々が正しくて相手が間違っているという論理もありません。

 私は他の宗教を知りませんが、このような団体は珍しいのではないでしょうか。例えば、私は、代表の上祐に対して神秘性も感じないし、特別優れた人間だとも思っていません。

 多少勉強が進んでいる先輩だから勉強を教えてもらったり相談にのってもらおう、くらいの感覚です。

 普通の宗教団体で、教祖に対して信が無いと公言すれば、それは間違っているとお説教されそうなものです。一部の団体では暴力とまではいかなくとも、激しく叱責され再教育される恐れもあるでしょう。

 ひかりの輪にはそれが全くありませんし、今のような雰囲気では、将来もそのようなことはないと言い切れます。

 他を認めない、自分と他人は違うのだ、自分が正しくて他人が間違っているという考え方こそが、自分達を理解してくれない社会や外の世界の人々への攻撃へとつながり、それが一連のオウム事件や宗教戦争の原因となっているのだと思います。

 そのような考えを否定し、二度とオウムのような団体を生み出さないことを設立の原点としたひかりの輪だからこそ、私のような会員でも、この先どうなるか見てみたいと思い、籍を置いている次第です。

 以上



6. O 40代男性

1  自分が、松本とVヤーナ教義を否定するに至った経緯

 出家信徒のように松本と直接的に師弟関係がなく、個人的な会話や交流の経験もない在家信徒としては、オウム・アーレフ時代ともに、松本への帰依があったと想定しても抽象的観念的なものに止まる。
松本への帰依よりも、仏教・ヨーガの教え自体に関心があった信徒にとって、その帰依の観念も自発的でなく、教団関連のメディアや出家者から教化されるものであった。

 ヴァジラヤーナ教義について1994年当時、殺人肯定の教えに疑問を持ち出家者に質問したが、「高度な喩えである」との返答で、まさか実践に結びつく類のものとは想像できなかった。

 とくに教団関連事件以降は、アーレフ幹部による松本帰依の固執や教義には疑念が生じていたが、それを表明することは難しい雰囲気があった。

 代表派、そしてひかりの輪となり、それらの疑念は上祐代表や出家者スタッフが積極的に表明し、以前の帰依やヴァジラヤーナ教義を明確に否定したことは、むしろ喜ばしい変化として、松本の影響力の払拭を自然と受け入れた。


2 自分が体験した、新団体での松本否定の状況

 上祐代表や出家スタッフがオウム時代の総括を克明に真摯に行っているようすが、ひかりの輪サイト上や日頃の言動に伺うことができた。
 かつて出家してまで信仰したものを否定する作業は、相当の苦悩を要する自己否定であったと推測されるが、それを乗り越えて、新しい教えを創造する過程が現在の団体の姿である。

 スタッフもオウム時代のように、あくまで固定された松本の教えを在家に降ろす形でなく、共に経典に立ち返って学んでいく雰囲気にある。

 また、仏教やヨーガに止まらず、日本の伝統的な宗教文化を学び直す聖地巡礼などの試みは、それらを魔境として厳しく批判していたアーレフと比較しても、ひかりの輪が松本否定に至った明確な現れである。


3 自分が体験した、ひかりの輪とアーレフの分裂状況

 私がひかりの輪とアーレフの掛け持ち状態の時、ひかりの輪は個々人の判断に任せるとして、とくに干渉しなかったが、アーレフは二者択一を厳しく迫り、ひかりの輪との連絡を絶つように迫った。

 信仰の自由に対する考え方が全く異なる2団体である。アーレフが掛け持ちを許さずに、私はアーレフ脱会を求められた。脱会後はアーレフから一切の接触もない。
 よって、ひかりの輪がオウムの内部組織であったり、なんらかの役割分担があることはあり得ず、両者は明確に分裂している。

 以上



7. K 60代男性

 私は、ひかりの輪の在家の会員ですが、今回の観察処分の更新請求に関して、大阪支部長である吉田部長と会ってから、アーレフをやめることを決意した経緯を中心にして、以下のとおりお話ししたいと思います。

 私は吉田部長に会うまでは、まだ事件は陰謀であり、弾圧だと思い込んでいたところがありました。

 あるときからアーレフの中が分裂し、福岡の勉強会や説法会などは参加はしていましたが、内実はだんだん面白くなくなっていたころでした。ちょうどその頃吉田部長から連絡がありました。時期としては2007年の初め頃だったと思います。

 今からお話しする内容は時期としては2007年の3月頃だったと思います。まだ少し寒くて車にヒーターを入れて話したことを覚えています。吉田部長は大阪からハイエースに乗ってきていました。このハイエースの中部座席に座って話したのを覚えています。
場所は北九州のJR小倉駅から車で数分のところにある港でした。

 吉田部長は、私に事件のことはどう思っているかといろいろ質問をしてきました。私がいつものように事件は陰謀だとか、弾圧を受けていると答えていたら、「違いますよ!事件は陰謀でも策略でもないし、弾圧でもないですよ。」と話しはじめました。その吉田部長が話す内容はとてもすぐには信じられずにいました。

 こんな調子でしたから何度も何度も事件の一つ一つの真相を話していってくれました。落田君殺害事件では5人がかりでどのように一人を殺したか具体的に話してくれました。またそのときにどのように麻原さんが指示をだしたかも教えてくれました。あまりに生々しかったので今でもその話はしっかり覚えています。

 柔道の締め技をかけたがなかなか死ななかったことや彼の脈をはかったらまだかすかに脈があり、麻原さんに報告したら「そうか、それならまだ続けなさい。」と麻原さんが指示を出し、再び締め技をかけたことなど詳しく話してもらいました。

 また富田君殺害事件もそこまでしないといけないかとぞっとしました。新実さんが麻原さんの指示で無実だと叫んでいる富田君を拷問をかけて殺したことなど聞くに堪えない内容でした。

 また松本サリン事件や地下鉄サリン事件のことも詳しく教えてもらいました。本当に沢山の人を殺害し犠牲者をだした事件でした。地下鉄サリン事件では私たちが知らない間に、多くの方々の大変な救出作業がどのようになされ、医者や看護婦さんたちの大変な努力があったか、また、地下鉄職員の方の命がけの救出活動など詳しく話してもらいました。

 私たちが知らない間にこんなにも多くの人たちの命を奪ったことや、被害者の方がその後どのような苦労や苦しみがあったかなど詳しく話してくれました。なかなかマインドコントロールが解けない私に吉田部長は根気強く何度も何度も事件の話をしてくれました。

 すでに3~4時間はたっていたと思いますが、やっと私は間違っていたのかとだんだん認識できるようになり、もうアーレフをやめようと思いました。仏教を長年実践する人たちがこんなことをするなんて、とても信じがたい思いでした。またこのような事実を長い間知らなかったという罪悪感を感じるようになりました。なんということをした団体に所属していたんだろうと思いました。

 もしこのように熱心に吉田部長が話してくれなかったら、まだまだ事件と向き合うことはできなかったと思います。
 吉田部長が少しでも麻原さんに帰依していたら、このような話は絶対にできません。なぜならこのような話をすれば、麻原さんに対しての信が大きく揺らぐからです。アーレフではこんなことしようものなら、大悪業だ、無間地獄だと罵倒されることでしょう。

 吉田部長もここまで変わったということは、やはり心の中での大変な変革があったに違いありません。私はこれ以来アーレフをやめることにしたのであちらにはいかないようにしました。

 これ以来教材破棄もすすみ最終的には教材もすべて捨ててしまいました。

 事件のことは知らなかったとはいえこんなに多くの犠牲をだしたことは決して忘れてはならず、一生かけても心から懺悔の意味を込めて被害者賠償を実践していかなければならないと思いました。

 以上


(2010/02/25 上記は、オウムの教訓ウェブサイトへの掲載にあたり、改行調整、誤字脱字修正をしています。※提出時文章からの内容・意味の変更はありません。) 

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