指導員・会員の総括

水野愛子 「オウム・アーレフの総括」

『オウム真理教・アーレフの総括』

                                 2017年2月改訂

■1,現時点での麻原・オウムに対する見方のまとめ


 まず、現在の時点での麻原とオウム真理教に関する私見を簡潔に述べさせていただき、その後に、それに至る経緯を詳しく述べたいと思います。


1)現在の麻原に対する見方

 麻原は、幼少期からの人格形成における歪みから、被害妄想・誇大妄想の人格障害を持っている人だと思います。行者としての資質があったためか、周りに人が集まるようになって次第に慢心が生じて誇大妄想的になり、予言や陰謀論を巧みに利用して、自己を救世主と錯覚しました。そして、グル(自分)への絶対的な帰依やグルとの縁を最重要とする教義を悪用する形で、数々の犯罪を主謀し、多くの弟子を巻き込み、事件の犠牲にかった方々や遺族の方々や関わった人々に一生癒えない傷を与えてしまいました。


2)現在のオウム教義に対する見方

 オウム教義は、麻原に帰依し縁があれば救済される魂であり、そうでない者は救済されない側の魂という善悪二元論的な教えです。団体やそこに所属する人に高い価値を見いだすために、コンプレックスを持った人が、入信すると一転してプライドと自己存在価値を見いだすことも多々あり、実際に、そういう仲間を何人も知っています。そのため、社会にうまく適応できず、いわゆる落ちこぼれ的な状態でも、オウムの成就者と認められれば、権力・プライド・名誉・称賛が与えられました。そういう傾向がある人がオウムをやめたり、麻原信仰をやめると、引きこもりやうつなどの精神疾患的になることも多いのが現状です。

 こうして、オウムの修行で煩悩がなくなったりするわけではなく、プライドなどの煩悩を利用しているため、以前よりもっと酷い状態になる危険性も高いということだと思います。また、ともすれば危険を伴うクンダリニーヨーガの修行を、安易に広く行わせました。実際クンダリニーをコントロールできずに精神異常になった人もいました。こうしてクンダリニーヨーガ偏重の傾向がありました。このため、事件によって、日本のヨーガ業界に、ヨーガ=オウム=危険という大きなダメージを与えてしまい、廃業に追い込まれた方もいらっしゃり、こうした打撃からの回復に何年もかかりました。

 また、密教の行法に関しても、それを行じる資質がない人や、未だ未熟な人達に対して、安易に広く教えてしまいました。その際には、他の伝統的な密教宗派の修行法を麻原が自己流で安易にアレンジしていた(いわゆるパックった)ものも、多かったと思います。その一方で、オウム独自の教義の部分は、麻原が自分で勝手に考えたものであり、仏教や他の宗教にはなく、それを最高無比の教義としていたことは、遺憾です。こうして、仏教・密教界にも少なからぬダメージを与え、オウムが関わった団体の名誉を傷つけ、不振を与えました。

 なお、麻原自身が、誇大妄想・被害妄想だったことが、オウム真理教の教義や修行法に色濃く反映していたと思います。例えば、社会が陰謀に満ちており、救済の団体や救世主(オウムと自分自身)は弾圧されるという予言を信じさせたことは、その典型だと思います。その結果、教団は、ハルマゲドン予言が成就すると世の中がめちゃめちゃになるとして、信者に多額の借金をさせた上で教団に布施させたり、「1997年にはまもなく予言が成就する」と言って、多くの信者を避難させたりして混乱を招きました。結果として、何も起こりませんでしたが、その度に、「現象化が遅れているだけだ(将来成就する)」という言い訳を何度も聞きました。こうした中で、多くの信者の信頼を失っていったと思います。


3)現在の会員等への麻原とオウム教義の説明のあり方

 現在私は、麻原に関して問われた場合は、1.幼少から弱視で養護学校に通い、両親との人間関係からか人格形成に難があるなどしたためか、2、被害妄想・誇大妄想、自己愛的な人格障害を持っており、オウム真理教教団が宣伝していたような完璧な聖者などではなく、最終解脱はしておらず、3.密教を資格のない者に伝授し、ヴァジラヤーナの法則として殺人等の、手段を選ばない凶悪な犯罪に手を染めた、一連のオウム事件の首謀者である、と説明しています。

 また、出家した私と違って、オウム真理教在家の信徒(だった人)であり、麻原と直に接する機会が少なかった人に対しては、上記の様な会員が知り得ない麻原の実態に関する様々な事実を含めて話すようにしています。その際には、自分が感じている上記の事実をそのまま伝え、危険え、多くの間違い・逸脱がある教義であったことを具体的にお話しています。



■2,幼少期からオウム(アーレフ)脱会までの経緯のまとめ

 次に、これまでの私の人生を簡潔に振り返って、私の生い立ちとオウムに入信し今に至るまでのあらましを簡潔に記したいと思います。詳しい内容は最後に「参照」として掲載しておりますので、ご興味ある方はこちらもご一読ください。


●幼少期から小学校時代・・・無常観と家族の死
 
 幼少期から小学校時代において、身近な人たちの死に接することで、死に対する意識が芽生えました。たとえば、幼稚園の友達がお風呂で溺死したこと、小学2年の時に祖父がガンで亡くなったことなどから、「人は生まれた時から死に向かっている」という事実を意識し、死生観の探求に向かっていきました。

●高校時代

 生物部の活動に没入して、生命の循環にも興味を持ちました。そして、元々好きだった歴史探求にむかいました。 特に古代エジプト文明などの死後の世界の思想に興味をもちました。こうして、歴史の学習から宗教の問題に触れるようになりました。歴史上、宗教が大きな影響力を持った事実、特に中世後期ヨーロッパの宗教改革前の堕落した聖職者から宗教改革までに関心を持ちました。

●大学で歴史と宗教を勉強

 大学では、世界史専攻をし、卒論はルターやフスの宗教改革について研究しました。古今東西、これはオウム真理教にも通じる面があり、宗教の問題は、本質は同じだと思います。その根幹には、人間の欲望や利益と信条(つきつめれば宗教)があり、その問題を今後も考えていきたいと思うようになりました。

●結婚からオウム真理教入信の前まで

 大卒後、結婚して商家に嫁ぎました。接客、経理、事務など一つ一つ覚えていきました。精神的な探求は本を読むことで満たしていました。一日の大半を仕事に費やすほど熱心に働きましたが、虚しさもありました。その中で、仙道系の団体に興味を持ち入会し、仙人伝説への憧れました。心身ともの健康と悟りを目指しました。

●オウム真理教への入信

 そうした中で、書店でオウム真理教の月刊誌「マハーヤーナ」を見つけて、説かれていた「解脱」に惹かれました。特に、煩悩捨断の厳しい教えと悟りの修行に興味を持ち、1989年12月に、オウム真理教に入信しました(なお、最初は道場に通わない雑誌会員でした)。

●オウム真理教、在家信徒時代

 そして、自宅修行の日々から、徐々にオウム真理教の修行にのめりこんでいく。そして、年に数回、道場にいったり、イベントに参加するようになりました。91年に初めて、麻原の妻のシャクティーパット(オウム真理教でクンダリニーを覚醒させるとされる宗教的儀礼)を受けました。

 そうした修行の結果として、背骨の歪みが治ったり、エネルギッシュになったり、悩みが解消することで信仰が強まっていきました。団体の出版物などを熱心に読み、麻原が聖者であると思い込んでいきました。

 その結果、だんだん家庭に波風が立つようになり、ついには離婚を決意しましたが、その後、離婚は回避され、夫も入信しました。そして、インド巡礼ツアーに夫婦で参加しましたが、自分は(夫から離れて)出家したい思いが高まりました。そして、教団への布施も積極的に実践しました。

 そして、92年末から93年始の「狂気の集中修行」と呼ばれる長期間の集中修行に夫の反対を押し切って参加し、麻原から、ラージャヨーガを成就したと認定されました。それと同時に、麻原から出家の許可が出ました。その後、「出家はグル(麻原)の意思」ということで、私は、出家の方向に向かい、家族との関係は最悪の状態になりました。


●オウム真理教 出家時代

 そして、家族の反対の中で、ついに離婚し、1993年4月に出家しました。最初は横浜支部に配属されました。その後、93年10月から集中修行に入りました。なお、この際に麻原の配属替えの指示が、自分の起こっていた心の変化と偶然にも重なったのですが、それを麻原の神通力と思い込むこともありました。

 その後、教団運営のスーパー・京都「M24」でのワークを命じられました。それは、常軌を逸した指示の下で、人員削減のために人手が足りず、寝る間もなくワークをこなしました。こうした状況も、グル(麻原)が与えた「マハームドラー」(修行上の試練)と思いこんで頑張っていました。

 94年には、覚せい剤を使用したイニシエーションを受けると共に、クンダリニーヨーガを成就したと認定されました。


●95年の地下鉄サリン事件の発生後

 95年3月に地下鉄サリン事件が発生し、5月に麻原が逮捕されるなどし、M24は強制捜査などによって売上が激減しました。そのため、店に見切りをつけて、青山総本部に移動(M24は8月で閉店)。そして、財施部(外に働きにでる出家信者の部署)を立ち上げました。
 その後、オウム真理教の破産管財人によって、施設の返還が進みました。また破防法手続きが浮上し、麻原の子供たちが神格化されるようになりました。97年~99年には、在家会員を強化する支部活動に異動となりました。99年以降は、支部活動を離れ、京都で教団のダミーサークルを作って、新たな勧誘活動を行ないました。その中で、社会的な圧力を受けた教団は、活動の休眠宣言を行い、私の勧誘活動も解散し、その後は、教団活動から独立した経済活動を行い、自活を目指しました。

 
●1999年末以降:上祐が団体に復帰

 99年末に上祐が団体に復帰すると、2000年1月に団体に観察処分が適用されました。2001年から、一般人対象のヨーガ教室を開きましたが、それが教団の者だと発覚するなどして、一つ目の教室はあっけなく終わりました。その後、二つ目のヨーガ教室立ち上げました。いずれも内心では麻原信仰を保ちながら、それを隠した教室の運営でした。しかし、2003年には、その教室にマスコミが潜入して暴露され、教室を閉めざるをえなくなりました。そしてこうした教室の運営に限界を感じるようになりました。


●2003年3月:上祐の教団改革

 2003年になると、上祐が教団の改革を試みましたが、麻原家族の先導によって、上祐が失脚し、改革は中止され、上祐は幽閉されることになりました。私は上祐の改革に賛成したため、魔境と言われ、監視付きの修行に入れられました。その中で、度重なる上層部の指示の変更によって、ワークに出されたり、作り上げたものが無にきす出来事などが重なり、心の中では上層部に対する不信感が募りました。2004年には、上長とぶつかって左遷が決まり、京都における活動から事実上撤退させられることになりました。


●2005年:上祐派の活動を開始、脱会してひかりの輪の設立へ

 2005年には、幽閉から脱却して活動を再開した上祐グループの一員となり、反上祐派からの批判を受け、「M派」「上祐派」などと呼ばれながらその活動を行いました。2006年には、上祐と意見を異にする信者たちとは別の施設に住むことなりました。また、最高幹部(正悟師)の 村岡氏などが脱会する事態もありました。そして、2007年3月に私を含めた上祐らのグループは、アーレフを集団脱会して5月には「ひかりの輪」を設立して独立することになりました。



■3,オウム信仰から脱却していった経緯のまとめ

 オウムにはまっていった経緯は巻末に「参考資料」に詳しく載せましたが、オウム信仰からどのようにして脱却していったかにつきましては次のようになります。

 まず、出家後、同僚の成就者(幹部信者)の人間的な部分や欠点なども見えるようになり、そのため、麻原やその高弟達が、教団が宣伝していた「人を超えた神」ではないのだということがわかってきました。

 そして、地下鉄サリン事件後、オウム真理教の事件犯罪の裁判の情報が入るようになり、教団起こした事件の詳細がわかるようになると、最初は、事件に全く関与していなかった私は、教団によるものではなく、何者かの陰謀と思っていましたが、事件に関わった人達の具体的な証言を聞くにつれて、オウム(麻原)がやったのだと理解するようになりました。

 さらに、97年以降、信徒や一般の方々とまみえる支部活動に従事するようになって、内ワーク(教団の中だけの仕事)の時には知り得なかった様々な体験をし、教団の事件が、社会にどれほどの影響を与えているか、世間の人々が事件や教団、教祖をどのようにとらえているかを身を以て理解しました。その時期は、ヨガ=オウムというレッテルまでもありました。

 教団の考え方と世間一般のとらえ方には、天と地ほどの差があることを理解しました。オウム真理教のサマナ(出家者)の考え方である、事件を「グルに何かのお考えがあって」とか「相手を救済するための手段」などととらえる人は、当然のことですが誰一人なく、そういう論理は、到底受け入れられませんでした。

 それは、99年から始めた独自の経済活動の一環の「ヨーガ教室」(教団であることを隠したもの)でも顕著に体験しました。二度目のヨーガ教室は、なかなか人が集まったのですが、来る人からよく聞かれたのが「(あなたたちは)オウムではないですよね?」ということでした。そこでは、東洋思想の学習も行いましたが、仏教、ヨガ、密教などの話になると、オウムが引き合いに出されることもあり、そこで聞く一般の人の意見から、一般の方々が事件を受け入れることは到底できないものであるという事実が身に沁みました。

 こうしたことから、徐々に、麻原・教団・自分の現実を直視することができるようになって、自分達の在り方、教団のやり方が間違っているのではないかという意識が生じて、それまでの信仰との間で葛藤が生じていきました。私たちのヨーガ教室を経てアーレフに入った若者達がいましたが、彼らが麻原とその事件に引っかかり続けることや、麻原を受け入れることができない事実もありました。その中で、二つ目のヨーガ教室も、マスコミによって、オウムと暴露されて潰すことになって、三つ目の教室を立ち上げる時に、このように自分達の立場を隠して行うものは無理があることがよくわかりました。その結果、(上層部に指示されても)三度目の立ち上げには気力が湧かず、今度の教室がだめになったら、自分は(そうした活動からは)引こうと決心しました。

 そのころ、上祐の改革案が持ち上がり、事件を反省し賠償もしていくという方針が提示されました。これには大賛成でした。導きやヨーガ教室の運営で、今までのやり方では受け入れられることは難しいと感じていたからです。しかし、2003年の改革案のあと、麻原の家族(妻と三女)の主導で、上祐の改革案が「魔境」だとされ、上祐が失脚すると、改革に賛成した人達も魔境とされ、私も監視付きの修行に入れられました。部下のサマナに監視され、今まで信頼を得ていた上長から魔境として扱われるようになりました。しかし、その上長こそは、上祐改革に大賛成しており、私たちのグループは、その方針でいくことを聞いていましたので、非常に疑念が募りました。その後は、先ほども述べましたが、上の指示が変わるたびに、信徒にまで迷惑をかけて、後始末だけは頼まれるという理不尽なことも起こり、これによって更に不信感が募りました。

 その結果、上長とぶつかって東京の方に左遷されました。これを一つのきっかけとして、徐々に麻原に対する絶対的な信仰を保つグループとの溝が広がりました。その後、上祐が幽閉状態を抜け出し、独自の活動を開始し、事件の真実を事細かく勉強する会が頻繁に開くようになり、それを通してそれまで知り得なかったたくさんの事実を知りました。事件の裏にあった教祖や家族、教団の問題・実態を認識するようになりました。こうした事実を知ることで、客観的にオウムを見ることができるようになり、自分達の思い込みの深さと教えの間違いも分かるようになりました。
 
 その後、2007年になって、アーレフを脱会して、ひかりの輪を立ち上げてからは、更に広く、他宗教や日本古来の信仰なども勉強するようになりました。さらに、心理学も取り入れることで、麻原や過去の私たちの精神的傾向の分析などもすることによって、より客観的に自分を知ることができるようになりました。また、2008年ごろから始まった聖地巡りでは、自然に浸って、自然のあり方から循環(=相互の繋がり)を意識できるようになりました。その中で、人も自然の一部であるという当たり前のことに改めて気づきました(人を神としていたオウムの時には考えなくなっていました)。



■4,ひかりの輪を立ち上げた際の今後の活動に関する決意

 なお、少し話が前後しますが、私たちは、2004年末以降、麻原・オウム真理教の過ちを認めて、事件総括や麻原信仰の払拭に努めていきました。ただし、麻原を絶対視するグループと分裂した初期のころには、私たち自身も、オウム真理教を抜け切れていない部分があり、そのことを真摯に反省して、ひかりの輪を立ち上げる際には、二度と事件が起こらないように、以下のような点に気を付けて、努力を続けていくことを決心しました。


1.麻原を含め、いかなる人をも神としない。

 事件の過ちに鑑み、人は不完全な存在であり、過ちを犯す可能性があるため、釈迦牟尼が自分を崇拝することを諫めたように、聖者を完全に否定はしないが絶対者とはしません。

2.いかなる違法行為も否定します

 麻原が犯罪行為を正当化するために悪用した「ヴァジラヤーナ」の思想は捨てさり、いかなる違法行為も肯定しません

3.反省・贖罪として賠償の努力を行います

 オウム真理教時代の自己の過ちを正し、反省を深めるために、賠償努力を続けます

4.つながりの思想(輪の思想)を重視します

 予言の解釈を通して、自分たちは救済する側で善、社会は悪業多き悪であるという、オウム真理教の二元的な思想を捨てて、仏教の縁起の法が説く、すべての事象は相互に関連しあって存在しているという思想を実践します。また、事件を起こしたのは、私たちではありませんが、深層心理ではどこかつながっている面があり、自分も事件に無関係ではないと意識し、自己の反省につなげていきます。

5.自然から学び自然と融合すること

 私たちのオウムの信仰の脱却を助けた、自然から学び自然と融合する修行を推進します。団体として定期的な聖地巡りを行いその体験を深めてまいります。

6.後進国の援助により、極端な思想を予防すること

 イスラム社会などを中心として、後進国で貧しいがゆえに、バランスのとれた満足な教育が受けられないために、原理主義的な偏った教育を受け、極端な宗教的な実践に至る人が少なくないという事実がありますので、そうした途上国の経済的な支援などにも協力していきたいと思います。



■5,ひかりの輪発足以降の努力に関して


 ひかりの輪の指導員は2008年に「オウムの反省・総括」を書きましたが、その後の約3年の間も反省・総括の深化と、オウム信仰からの脱却と新たな教えの習得に努力してまいりましたので、その具合的取り組みについてご報告したいと思います。

 前回の総括では、オウム時代からの変遷と反省が主となりましたが、今回はひかりの輪の教えの深まりによる、オウム信仰からのさらなる脱却の推進と自己の体験などが中心となりました。


1.教義的な取り組みと自己の変化

(1)内観の導入

 2005年以降、改革路線をかかげる上祐がアレフ内部から非難、排斥されるようになり、独自に神社・仏閣や聖地めぐりを始めたのは、他の宗教・宗派などからも幅広く学び、間違った教えからの脱却を目指すためでした。その流れのなかで「内観」にめぐり会いました。

 内観とは、医学、学校教育、人材養成などに広く取り入れられている仏教ベースの心理療法です。父母などの自分に近い人達に「していただいたこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を調べることにより、周りへの感謝と内省を深めていく方法ですが、この道の大家である◎◎大学の◎◎先生の直接のご指導をいただき、修行に取り入れることになりました。

 私も3日間の集中内観に入りました。内観では、自分に近い親族から順に、三つの項目、
    1. してもらったこと
    2. して返したこと
    3. 迷惑かけたこと

 について思い出すのですが、生まれた時から、365日の三度の食事、身の回りの世話、学校に通わせてくれたことなど、考え始めると尽きることなく出てきました。それに対して、返したことといえばあまりにも少なく、迷惑かけたことといえば一番のものはオウムへの出家と事件による苦しみでした。

 オウムでは家族への情は断ち切るものとされていましたので、出家の際は家族を捨てて強引に出てきてしまいました。出家はグルの意思だから、どんなことをしてでも成し遂げなければならない、引き留めた者は大悪業になるということから、周りの苦しみや悲しみは見ないようにして出家したのですが、出家後ほどなく地下鉄サリン事件が起き、その後の家族は周囲からの偏見や非難にもあい、たいへん苦しんだということでした。

 よってこの内観では、両親はじめ私を育んでくれたことに対する深い感謝が湧きました。また、出家や事件によっては、いかに周りを苦しめてきたかを痛感させられ、自責の念が生じました。

 この内観と仏教の一元の教えと融合させ、感謝と恩返しをすべての衆生、万物へと広げていくことにより慈悲を培い、オウムの過ちであった自他の区別をなくしていくことに専心しました。そして多くのスタッフ、会員が集中的に内観を行い、内省修行を深めて行きました。この結果、長年疎遠だった親族に詫び、心を通わせることができた者もおります。

(2)循環の法則

 大宇宙や大自然との合一のことを仙道では大周天といいます。まずは人体のエネルギーを循環させ、その後、宇宙と自分のエネルギーを一体化させ循環させるのですが、私は小さい頃から様々なものの循環(例えば水、人の生死、食物連鎖、生態系など)に興味があり、後に仙道を志しました。

 2009年中盤からは循環の法則が詳しく説かれはじめました。様々なものが循環してつながっているという事実は誰にでもわかりやすいものですが、釈迦牟尼が説かれた縁起(えんぎ)の法や無常も、まさに循環の法そのもので、私がたいへん憂いていた地球環境問題にもつながる真理でありました。

 苦と楽、善と悪、幸福と不幸も表裏一体であるという一元の教えと、それらが循環していることに着眼することが悟りへの意識改革の第一歩でありすべてとも言えるということを詳しく学ぶことで、仏教と長年断絶していた仙道が一つに繋がりました。

 かつてオウム真理教に入信後、仙道修行も続けていたところ、異質だからきっぱりやめるように言われ辞めてしまったのですが、一元の教えは仙道と相容れないものではなく、その教えの中核は同じなのだということを再認識し、ばらばらだったものが一つにつながった体験をいたしました。

 同じように、2009年後半ころからは道教の陰陽太極思想の研究が進み、何度も訪れている長野県の諏訪と戸隠が太極思想を基に社殿を配置していたり、神職が執り行う儀式にそれらの思想が色濃く反映されている事実が判明しました。

 私は仙道を志していた頃から、太極陰陽思想にはたいへん興味を持っておりましたので、教義研究において、仙道や道教の教えと再会し、そこから学び返せたことで加速度的に教えの吸収が進んだと感じています。

(3)聖地自然修行の意義と体験

 上記の内観を発展させると、大宇宙・大自然への感謝と一体感に行き着き、発展的内観修行として、聖地自然修行の重要性が増してきました。一連のオウム事件は麻原が自己の絶対性を肯定し神としたことが大きな過ちでした。ですから、ひかりの輪では人を神としない教えを繰り返し説いて来ました。

 その一環として、危険性を伴う修行については教本の中や説法で詳細に解説してきました。

 密教修行の瞑想における危険性についてはチベット密教ゲルク派、ツルティム・ケサン氏の見解などを紹介し解説し、オウム真理教で多数の成就者が認定されたクンダリニーヨーガの危険性についても教本、講話、公式サイトで紹介しました。

 そして、それらを回避し安全に修行するためにも、大自然の神聖なエネルギーの中での修行を積極的に行っています。

 自然界の動植物がバランスを保ちながら見事に共存している様から学び、人の汚れを吸収し自然に還元してくれるようなすばらしい精気に浸って心身を浄化しています。

 現代は100万人以上の人が精神病的状態にあるという精神不安定な時代で、オウムの妄想的な信仰が崩れた後の会員などにもその傾向が強く感じられます。

 それを乗り越えるために、一元法則、特に「大自然の源」との再融合が不可欠と思われ、古来からの原初的宗教の研究も行っています。その典型例は「大地母神(ガイア)」であり、大地、自然、地球全体が生命を育む「母なる神」であるという信仰です。

 このガイア思想は私が数年前、瞑想していて直感的に浮かんだ「受容と共生」というイメージにピッタリと合致するもので、循環思想とともに生涯の瞑想の糧にしようと思っているものです。

 仏教にも似通った思想「胎蔵界曼荼羅」がありますが、この宇宙が仏の母胎であって、その中で生きているすべての衆生を、等しく仏が慈悲の心で育んでいるというものです。これにつきましては自分の体験がありましたのでご紹介させていただきます。
 
・聖地巡礼での体験

◎2009年5月 善光寺の巡礼にて

 7年に一度の秘仏のご開帳の年に聖地巡りとして参拝に赴き、本堂の中で瞑想していると、何かに包まれているような安心感と暖かい感覚があり、思いを巡らせていると「仏の胎内」という直感がわいてきました。その頃は、「すべての衆生に仏性があり、等しく尊い存在であり、すべての衆生は仏の胎児(子)である」という説法がよくなされていましたが、それを追体験したように思います。教学するだけではなく、実際にそれを追体験すると、法の理解が格段に深まり、心の深い部分に染みとおっていくように感じます。

 教えを学んでは体験までおろして、自分なりに考えられるようにしていき、それを繰り返すことで、実生活にそれを活かせるようになり、生きた法を実践できるため、聖地巡りは修行の大きな柱だと思います。

◎長野県 分杭峠にて

 ゼロ磁場地帯といわれる場所で意識を広げる瞑想していると、白っぽい巨大な筒型の棒のようなものが大地と天空に真っすぐ延びていて、天と地が繋がって自分がその中に溶け込んで一部になっているような感覚が生じました。大地や自然との一体感を感じ、心身がたいへん清々しい状態になりました。

◎長野県 上高地にて
 
 エゴがなく、あるがままを受け入れて調和の上にバランスしている生態系(=循環)、川・雲・山などの水の循環と水の有りようから学ぶことができ、最も瞑想しやすい聖地の一つだと感じています。日本有数の山岳景勝地だけあって、神々しいまでの美しさに加えて、自分と自然とが対峙する存在ではなく、自分が自然に近づいて溶け込んで一つになっていくような感覚が生じてきます。

(4)現代人のための一元法則:実生活にあてはめた法の咀嚼と効果的な修行
 
 自己愛が強く精神不安定な現代。ひかりの輪では、比較・優劣から来る慢心、卑屈、妬みなどを取り除くための一元の法則をわかりやすく解説しています。インド主流哲学であるヴェーダーンタの不二一元論、道教に見られる陰陽太極思想、ユング心理学と唯識思想の共通点などの研究から、オウム事件に至った深因である自他を区別する間違った教えが浮き彫りになってきたと思います。

 この世の万物は多種多様なあり方をしていますが、この個々の存在間に差異や優劣をつけるのではなく、万物は宇宙の根源である神仏の平等な現れ、ないしは神の一部であるという一元の法則は、救済者麻原とそれ以外の人々を分けるオウムの教義との大きな相違点です。

 また欠点・長所のとらえ方に例をとりますと、比較優劣で見るのではなく、相対的なもの、個性としてとらえ、対極的な要素のバランスを取ることが肝心という中道の教えが説かれています。

 現代は長所と欠点、善と悪を強く二分化する傾向が強いと思いますが、欠点を見ないようにして潜在意識の奥にしまい込み、仮面の自分を作っているのが、ユングが訴えた現代人の心の危機といえます。これは麻原の人格障害にも見られる傾向ですから、それらを乗り越えるために、以下のような修行をすすめています。

 
・苦楽・善悪・自他の区別をこえる三仏の法則などを繰り返し学ぶ
・すべてを神仏の現れと見、感謝の実践をする(これは上述の内観にも通じます)
・心と密接な関連がある身体を整える行法(ヨーガや気功など)
・自他の区別が生じにくく安全な聖地自然修行 
・法具と呼ばれる修行道具を使った聖音波動ヒーリング

 オウム・アレフの教えを染みつかせていた私たちが、深い部分まで一元の教えに転換するには、かなりの時間と密度を有すると思うのですが、自分にしっくりくる学び口が見つかると、実際に体験して深める作業もたいへんやり易いものになります。
 
 私の場合は、かねてから修習してきた瞑想(循環思想)や修行法(仙道や道教、陰陽太極思想)との合致点や聖地での体験がそれでした。それを今度は多くの方々に還元していきたいと思っております。


2.対外的な活動

(1)公式ホームページで活動をお知らせ

 団体の教義や活動につきましては、ひかりの輪の公式ホームページで詳しく情報発信しております。特に、説法動画の充実、活動内容の詳細なお知らせ、ネット道場の充実などで、道場に来ることができない遠方の方々にも学んでいただけるように改善しています。

 私は、「ネット道場」という通信販売のカテゴリーの中の「法具」のコーナーを担当しており、修行で使う密教法具や、ブレスレット、数珠、お香など、物品のネット販売を促進しています。

(2)講話会、懇親会(一般の方々の集い)、聖地巡礼などの一般公開

 講話会やセミナーでの講話、聖地巡りでの生中継などを一般公開しています。私はすべての上祐の講話会に同行し、中継では司会を行っており、時折、法具やイベント、写真入りの聖地巡礼レポートなどの紹介をしています。中継を通じての紹介は、サイトで伝えきれないものをカバーでき、ネット先と会場との一体感、同時性などのメリットがあり、たいへん好評です。

 懇親会(オフ会)は毎月各地で行っていますが、講話会は敷居が高いという方にも気軽にご参加いただきたいため、自分のブログで紹介し広く呼びかけ、多くの方々との交友を深めています。 

 実際、事件の真相や私たちの今までの経緯、ひかりの輪の活動に興味を持たれる方々が参加されます。報道されてこなかったことや素朴な疑問、団体活動や上祐個人への質問など、多種多様な話題がつきませんが、私たちの話を聞いて、事件やひかりの輪への認識が変わったという方も多くいらっしゃいます。

 いろいろな方々とお話すると、事件後、20年以上を経てもなお、知られていないことや誤解を招いていることがとても多いのに気づきます。また、アレフとひかりの輪の違いも明確に知られていないため、このような活動を通して、真実を正しく知っていただきたいと思っています。

(3)個人面談や相談

 指導員もしくは上祐が随時個人面談を受け付けています。私は、講話会では個人面談のお手伝いをいたします。個人的な悩みや教えをかみ砕いた実践方法など、その人にあった指導ができるのが魅力です。

(4)個人ブログなどで活動を紹介
 
 ブログでは、日々の活動を紹介したり、イベントや聖地巡りなどの写真をアップして、活動をよりわかりやすく身近に感じてもらえるように工夫しています。

 それに対しては、様々な感想、ご意見、ご質問がきますが、それらのやりとりを通して個々の方々のニーズにあった対応をさせていただいております。

 多くの方々に、真の幸福にいたる教えを学んでいただくために、これからも、日々進歩している情報通信を最大限活用していきたいと思っています。
 

3.被害者賠償などの実践

 2009年7月6日 ひかりの輪は、オウム真理教犯罪被害者支援機構との間で新たな被害者賠償契約を締結いたしました。これに基づき、講話会や定期的な慰霊行事で会員やスタッフに賠償金への寄附の呼びかけを行っております。
 

4.地下鉄サリン事件被害者の親族との交流

 ひかりの輪がオウム事件への反省・総括を行っていることを知り、反省・総括を深めるための一助として、上記の「内観」の実践を勧め、また内観に詳しい先生を当団体に紹介してくださったのは、地下鉄サリン事件被害者の奥様・◎◎さんでした。

 また、地下鉄サリン事件の被害者を母に持つ◎◎さんは、私たちがオウムの過去を反省して出直していることに共感し、団体の活動に見学・参加されるようにもなっています。


5.そのほかの活動について

(1)オウム信仰脱却支援

 アレフや元オウムの信者が事件や団体運営などに疑問を持って相談を寄せてこられることがあります。ひかりの輪の教えや私たちが事件や麻原をどうとらえているかに興味を持ってくるのですが、中には何時間も何回もかけてそれらの疑問に答え続けて、少しづつオウム信仰から脱却していくケースもあります。

 強固なグルイズム、麻原絶対を信じている場合はその呪縛から解き放たれるには相当の時間がかかるかもしれませんが、粘り強く努力していくつもりです。

(2)人事や役割の柔軟性(アレフとの違い):過去のステージ制にとらわれない活動

・ひかりの輪の役員、指導員は一元法則をよく理解し、一定の修行を収め、心の安定という一元法則を一定以上体現している者が選ばれており、オウム・アレフ時代に成就者と呼ばれた者以外が複数含まれています。また、修行が退行した場合や大きな問題があった場合、病気等の理由で業務の遂行が滞るようになった場合は役職を変更しています。

・やる気があり、技術・能力がある在家会員には積極的に活動に参加してもらい、デザイン、サイトの運営、対外活動などのお手伝いをお願いしています。それにより、斬新なアイデアや仕事の効率化、技術の勉強などもすすみ、中継やサイトの運営における技術などに格段の進歩が見られました。

 以上、簡単ではありますが、総括とともに、ご報告させていただきます。

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