指導員・会員の総括

田渕智子 「オウム・アーレフの総括と反省」

『オウム・アーレフの総括と反省』

                                  2017年2月改訂

 私のオウム・アーレフの総括と反省を以下に綴っていきたいと思います。


■1,総括・反省の概要


●麻原に対する見方について

 まず、はじめに、これまでの総括と反省により、麻原に対する見方がどのようになったのかを述べます。
 麻原は、霊的能力を利用してオウム真理教の教祖になり、グルイズムを楯にとって、弟子をマインドコントロールして支配していました(なお、霊的能力は、後述するように、麻原だけではなく、多くの動物や人間に本来備わっているものであり、麻原の場合は視覚障害のハンディがあった分、普通の人よりもそうした能力が鋭敏に生じていた部分があると思われ、また、生じていたとしても不完全なものでした)。
 そして、あげくのはてには、自分が国のトップになろうとした支配欲や権力欲の強い人だと思います。
 そのためには国も敵視したり、被害妄想的なところもありました。
 やっていることが、アニメの世界のようで、現実性に欠けていました。
 その生い立ちがそのような性格を形成したとは思いますが、自己顕示欲が強く自己中心的な感じがします。


●オウムの教義に対する見方について

 また、オウムの教義に関しては、仏教やヨガをもとに組み立てた内容ですが、麻原の都合のいいように解釈しており、グルイズムが強く、グルのためなら違法行為も行う非常にあぶない盲信型の教義だと考えるようになりました。
 グルのためなら何でもするというのは問題があり、非常に危険をはらんでいます。
 仏教の十二縁起の解釈も自分本位のもので、麻原独自の解釈であるし、輪廻転生も肯定し、地獄に落ちるなどというのは非科学的で脅しの宗教です。
 また、自分たちの教えが絶対正しくて、他は外道と否定しており、他の良さを認めない固い教義であり、プライドを満足させ、自他の区別を超える一元の意識にはかえって遠くなるような教えでした。


●会員等への麻原とオウムの教義の説明について

 そして、会員等への麻原とオウムの教義についての説明は、以下のようになります。
 麻原は、多少の超能力とかはありましたが、それに騙されてはいけないと思います。
 そのような力のある人は世の中にいくらでもいますし、たとえばオーストラリアの原住民のアボリジニーは、もっとすごい力をもっています。
 しかし、彼らは教祖にはなっていません。
 そのような神秘的な力に惹かれて来た人が多かったのですが、人格はまた別問題で、権力欲や支配欲が強く、グルイズムを楯に弟子や信者をマインドコントロールしてみんな操られてしまいました。
 人は神ではなく、盲信はよいことではありません。
 完璧な人などいないのです。

 また、オウムの教義は麻原をグルとしたグルイズムの盲信型宗教で、人を神としているところに問題があります。
 仏教やヨガを麻原の都合のいいように解釈して、信者に説き、グルイズムを背景に弟子や信者を支配している危険な教義です。
 自分たちの教えは絶対で他は外道と説き、プライドを満足させて存在価値を与え、他より優れていることに価値を見出しています。
 本来の目的である、自他を区別を超える一元の意識からは遠くなっていく教えです。


■2,過去を振り返っての総括・反省


 なぜオウム真理教が、地下鉄サリン事件を含めた一連の事件を起こすに至ったのか?

 私は、これらの事件自体には、全くかかわっていませんでしたが、この事件を起こした教団に属していたものとして、過去を振り返り、その総括をしていきたいと思います(なお、より詳細な内容は、参考資料として別に添付しています)。

 私は、自分としては、真剣に自己の成長を求めるために、オウムの修行を始めたつもりでした。
 オウム真理教の教えの中には、利他の実践とか四無量心を説き、多くの魂を救済するということが説かれており、そのための教団のはずでした。

 それがいったいなぜ、このような一連の事件を起こすことになったのか・・・
 そして、より重要なこととして、私自身が、なぜ、95年にそれらの事件が発覚した後も、2000年まで、謝罪の表明や賠償をしない団体で活動を続け、それ以降も、ひかりの輪として独立するに至るまでは、本当の意味での反省をすることができずにいたのか。

 その中で、私は、大学時代に心理学を勉強していたこともあり、自分の分析において、心理学的な面からも合わせて、分析していきたいと思います。


●オウム真理教に入るまでの経緯

 まず最初に、私がオウム真理教に入るまでの経緯を簡単に述べると以下のとおりとなります。

 小さい頃は学校では成績もよく、友達も多く、活発な子供でした。いわゆる優等生の部類だったと思います。家では父は口を開くと勉強しろとしか言わないような感じでしたので、家族の暖かさとかをあまり感じなかったかもしれません。

 受験戦争という時代で、勉強して、いい大学に入って、いいところに就職するというのがすばらしいという価値観が家族によって植え付けられていました。

 親としては子供に立派な人になってほしいと思うのは当然ですから、しょうがないのですが、子供にとっては結構なプレッシャーになっていました。先生や親や人のいうことはよく聞くようにと教育されていたので、一生懸命勉強しなくてはと思っていました。

 中学の頃友達に借りて読んだ「ノストラダムスの大予言」という本があります。これが結構印象が強くて、世界の破滅の日がくるのではないかという不安がよぎりました。

 だんだん私は家族の期待とかがプレッシャーになってきました。
 自分の将来も決められて、家族の期待に応えることが自分の人生であることが重荷になってきたのです。自分とはいったいなんだろうか。
 何のために生きているのだろうか。
 そんな悩みが生じてきたのです。
 友達とそんな悩みを話しあったこともありました。内面ではいろいろ悩みや葛藤がありましたが、学校ではスポーツに勉強にとがんばっていました。

 高校に入ったころから、悩みや苦しみが多くなりました。
 私は父や祖母の期待にそうための人形ではないと思いました。
 反面期待にそえなくて申し訳ないという気持もあり、葛藤が生じました。

 親に相談もせず、自分で決めた関東の私立の大学を受験し、その中で一番勉強したかった心理学の勉強できる大学に受かりました。

 大学で心理学を勉強するにつれて、家庭環境が性格形成に影響を及ぼすようなことを学ぶと、自分の家庭や親が悪いんだ、という思いが生じてきたのです。
 その頃から私の性格が暗くなっていきました。人と話すのも苦手になっていきました。

 相手のいうことは聞いてあげなくてはいけないという気持が強く、自分の気持を抑圧してしまう性格でした。いいたいこともあまり言えないのでストレスがたまり、人間関係にも悩むようになりました。人とつきあうのがおっくうで学校もさぼりがちでした。

 それがひどくなり、2年の春休みにはついに何もできなくなり、精神的に鬱状態になってしまったのです。
 そこで心理学の本を読んで治そうと思いました。ちょうどその頃ユングに興味をもっていたのでユング派の本を読んだり、交流分析の本を読んだりして自分の心を変えようとしました。

 そのとき、読んだ本ですごくショックを受けたのは、自分にすべて責任があるという言葉でした。交流分析の本だったと思いますが、自分の行動のすべては自分に責任があるのだということは当然のことのようですが、当時の私にとっては受け入れがたいことでした。

 それまで学んだ心理学で、悪いのは家庭や環境のせいにしてきたのですが、責任は自分にあるという言葉は重く私にのしかかってきました。人のいうことを聞いていればいいという環境で育ってきたので、自分のことは主張せず、人のいうがままに行動する傾向が強く、自分の行動はすべて他人のせいにしてきたのです。

 自分の行動に自分で責任をとるということ、他人のせいにしないということは、私の大きな自己改革の指針となりました。またユングの影の理論なども参考になりました。その過程で徐々に動けるようになり、人とも話せるようになりました。

 こうして、精神的危機状況をなんとか乗り越えた感じでした。それまでの私は他人のいうことを聞くロボットのような感じで自分がなくなってしまった感覚があったのです。そして悪いのはすべて他人のせいにしていたのです。自分で何かするということができず、自分で何かしようとすれば他人に非難されるような気がしていました。

 ある教授が授業で、ユングのいう自己実現を実際体験するにはどうしたらいいかと、アメリカに留学したときに先生に聞いたところ、それはヨガでもやるしかないといわれたという話があり、そのときヨガに興味をもちました。ヨガには何かあると。

 大学をなんとか卒業すると普通の会社に就職し、OLをしながら心理学の勉強をしようと思いました。
 そのころから一人暮らしもはじめ、自由を謳歌していました。
 しかし、空しさもありました。遊んだり、楽しいことをしても空しさが残るのです。

 心理学の勉強の方は細々と続けていました。

 また、精神世界の本にも興味を持ち、本屋で探しては読んでいました。とにかく心や精神的なものに対する興味があったのです。自分とはいったい何なのか。何のために生きているのか知りたかったし、自分が苦しみが多かったというのもあります。この苦しみを取り除くにはどうしたらいいのか、どう生きていったらいいのかということを探求したかったのです。

 そして心身健康になりたいという気持からヨガに興味を持つようになりました。
また以前大学の教授が言っていた、ユングのいう自己実現を体験するにはヨガでもやるしかないという言葉が焼き付いていたので、ヨガが習いたいと思っていました。巷の短期のヨガ教室に通ったりもしました。資料を取り寄せたりしていましたが、なかなかこれといったいいところがありませんでした。

 そんなとき、ある書店で麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(以下、麻原と表記)の「超能力秘密のカリキュラム」という本を見つけ購入しました。人が空中浮揚していて、ガンも治るという見出しに惹かれて買ったのですが、当時の未熟な私は、世の中にはすごい人がいるものだと思っていました。

 数ヶ月後に、渋谷で精神世界の本を物色していたところ、マハーヤーナという本を見つけました。そこに石井久子さんの美しい写真と成就記事が載っていて、思わず立ち読みしてしまいました。そこでは解脱とか悟りができるとか書いてあり、その時の私は、これこそが私が求めていたものだと思い込んでしまいました。その後「生死を超える」とか、「イニシエーション」や「超能力秘密のカリキュラム」やマハーヤーナを買いそろえて何度も読みました。

 読んだ結果、私は、教団が説く修行して解脱がしたくなりました。そうすれば苦しみがなくなると思ったのです。これがユングのいう自己実現ではないかと、人生の最終目的はこれしかないと思い込んだのです。オウムの教えはヨーガや仏教などのよいところを取り入れたような内容であり、心理学にはない世界が広がっていたと感じたのです。
 
 そして、オウムの書籍には、麻原は、神通という超能力がすごくて、人の心を読んだり、霊視をしてその人の状態をあてたり、空中浮揚をしたりと人間を超えた能力をたくさん持っていると書かれていました(当時の私は空中浮揚の話も鵜呑みにしました)。

 その書籍の記載をそのまま信じた私は、麻原は、神様のような人であり、人を救済することに命をかけているような人だ、と思いこんでいきました。当時の私が知っている中では、こんな人はいない、と感じさせるものでした。

 当時は、若くて純粋で人を疑うことを知らない自分だったと思います。本に書いてあることは、ある程度いいことばかり書いて宣伝効果を狙うということは、まったく浮かんできませんでした。ですから、書籍に書いてあることを全て信じ込んでいきました。


 1987年の3月末日に私はひとりで東京道場に行き、入信しました。

 このような経緯で私はオウム真理教に入信するにいたりました。

 こうして、入信のきっかけは、人生に苦しみを感じたこと、その苦しみをなくすためにはどうしたらいいかということが根本となっています。それが故、心理療法にその解決法を求め、そしてヨガに出会い、オウムに出会ったという経緯です。

 新興宗教なんて信用していなかった私が入信したのも、解脱者がいたと(思いこんだ)ということ、自分でも解脱できて、苦しみがなくなるのではないか、ということでした。そして、ユングのいう自己実現が実際体験できるのではないかという期待がありました。


●入信してから出家するまで=霊的な体験を過大視したこと

 入信してからはじめて勉強会に参加したとき、はじめて麻原を見ました。黄色にクルタを着てマハーヤーナスートラの本を解説していました。世田谷道場の2階にところせましと信徒が集まって一心に説法を聞いていました。

 最後に麻原の母印を押したポスターを配布するので、どこかに貼るようにといわれたときは、大変驚きました。しかもみんな喜んでそれを持ち帰っているのです。さすがに私はいきなりそのモードにはついていけませんでした。麻原が神格化されている感じでした。外から見ると確かに異様な世界だったと思います。しかし、やがて自分もそのモードにはまっていったのでした。これが宗教の怖いところです。
 
 自宅では奥義書にそってヨガのアーサナをやるようにしました。1ヶ月ほどたつと浄化がはじまりました。そして睡眠時間がだんだん短くなっていきました。

 また、修行をなまけていると、どこからか起きろという声が聞こえたり、美しい音楽が聴こえたりしたこともありました。今思えば、一種の幻聴の可能性もありますが、このような体験は、本にも書いてあり、当時の私は修行が進んでいることを示すものだと思いました。

 また、やめられなかったタバコが、スパッとやめられたことにも、驚きました。その結果、私の生活は、ずいぶん健康的なものになっていきました。

 しかし、こうした神秘的な体験や体調の改善は、一定のヨーガの修行を行えば、多くの人に起こるものであり、それを過大視してはいけないのです。そのために、例えば、禅の修行においては、このようなヴィジョンを一切魔の現われとみて、無視するという考え方があります。

 しかし、当時の私は、そういった知識や智恵が全くなく、これらの体験を過大視して、オウムの修行が本物だと感じていった(感じていってしまった)のでした。

 また、そして、そういった霊的な体験として、次のようなものもありました。

 87年の5月には富士で水中エアータイトサマディというイベントがあり、特別なおまんじゅうが一人5個づつ配られ、それを全部食べるようにいわれたのですが、あまりおいしくないので私は3つくらいしか食べれませんでした。

 そのあとひとりひとりに麻原の「イニシエーション」が行われましたが、私の順番がきて、頭頂に手をのせて、いわゆる「エンパワーメント」といわれるものを行ったあとに、いきなり「まんじゅうちゃんと食えよ」と注意されました。

 これを聞いて、私は驚くとともに恐くなり、この人には隠しごとできないんだと思いました。この一件があって以来、私は麻原の対する信をもちました。そして、とても恐い存在ともなりました。

 今から思えば、このときの体験が、私の麻原の見方を偏ったものにしたと思います。麻原に近い人の話を聞いても、麻原の預言などを見ても、麻原の霊的な能力というか、超能力というのは、決して完全なものではなく、間違うことも少なくないということが分かります。

 また、だいぶ後になってから、私は、自分の体験を通して、こういった霊能力を発揮する人は、世の中に他にもたくさんいることを知りました。そして、それを持っていたとしても、その人の人格が完全であって、神の化身である訳ではありません。

 わかりやすい例としては、神の化身どころか、その反対の動物には、例えば、近づく天災を察知するような予知能力があります。いわゆる動物的な直感というものです。また、視覚障害を負っていた麻原のように、何かの障害を負っている人が、それを補うために、直感、第6感が発達する、という例は良くあることだとも聞きました。

 実際に、だいぶ後になってからですが、私自身も、教団の外に、外国の人ですが、高い霊的な能力を持っている修行者がいることを体験しました。その人は、外国の人でしたが、麻原を知らないにもかかわらず、麻原が人を殺したことを見抜いて死刑になると予見しました。実際、その人の人を見抜く力は麻原よりもすごかったかもしれません。

 しかし、当時の若い私は、ある意味で、霊的な能力を持っている人や、霊的な能力といったもの自体に対する、冷静なバランスのとれた見方ができておらず、こうした麻原との体験の結果、麻原を過大視・絶対視していく結果となってしまったのです。超能力や神秘的な力に免疫がなく、そういう力をもっている人を絶対視し、依存する傾向があったのです。

 
●出家へ

 私はできれば出家がしたいと思っていました。教団では、出家したほうが早く解脱できるということもいわれていましたので、出家者に対するあこがれがありました。

 その頃の教団は、多くの出家者が極限修行に入り、成就者と認定される人が続出していました。クンダリニーヨーガの成就が、出家してわずか1年くらいでできるように思われました。

 そして、当時の私の未熟な考えでは、オウムの修行は、実践すれば必ず結果もでるし、実際何人も成就者がでており、解脱への道筋ができていると思われました。また、その当時の日本では、解脱者がでた、と主張しているところは、他に知りませんでしたし、ここで修行するしかない、と思うようになったのです。

 今から思えば、「結果が出る」ということも、一定の霊的な体験やエネルギーの強化といったことであり、真の解脱に至ることではなかったのですが、当時の私は、教団の世界に相当に没入しており、そこで説かれる価値観に基づいて、自分の修行の結果の価値を判断していたのだと思います。そして心理学的にも正しいという裏付けを感じたがためにさらにオウムの修行は正しいと思いこんだのです。

 そして、出家をしたいと申し出ると、許可が出ました。そして、私は、87年の11月下旬に出家しました。入信してからわずか8ヶ月でした。


●出家してからサリン事件まで
 
 出家してからは、睡眠時間4時間くらいでワークという奉仕活動をやるのですが、成就をめざすということで、辛くともがんばれました。
そのころは出家すると戒律があり、それを守るようにいわれました。睡眠時間は短く、食事も少なく、このような煩悩を滅する方が修行が進むといわれてましたので、みんな自分の煩悩と戦いながら、煩悩滅尽をめざしていました。

 出家してすぐ成就する人もいて、とにかく私も早く成就したいと思っていました。そのためにはグルに帰依し、どんな辛いこともがんばろうと思っていました。もともと負けん気は強かったし、スポーツで培った根性はある方でしたので厳しいワークにも耐えていきました。

 麻原は、早く成就するためには、グルに対する帰依というのが弟子として重要なポイントだと説いていました。グルが白と言ったものはたとえそれが黒だとしても白というのが帰依だということまでいっていたのです。

 エゴを滅する修行として、そこまでしなくてはいけないのでした。これがやがてサリン事件にもつながっていったのだと思います。麻原の言ったことは絶対で、麻原が言ったといえば、誰しもがいうことを聞いていました。麻原の言葉は印籠のようなものでした。グルがこういったからというのが私たちの言動の元になっていました。逆らうことはできなかったのです。

 しかし、その当時は、まさかグルが違法行為、しかも殺人を指示するなどとは夢にも思いませんでした。利他の実践、四無量心を解く宗教団体が殺人を犯すなどとは思えなかったのです。


●選挙活動、坂本弁護士事件

 その後選挙活動に入ることになりました。麻原が救済のためには政治家になることが必要だということで、衆議院議員に立候補することになったのです。ずいぶん思い切ったことをするのだなあと思いました。

 当選するかどうかわかりませんが、とにかくやるだけやるしかないという感じでこれも修行だと思ってやりました。グルの意志を実現することが修行を進めることにつながると常日頃からいわれていたのです。当時の教団は、グルの意志といえば、なんでもそのまままかり通る状態になっていました。

 選挙活動は東京に拠点をいくつか設け、全国の出家者が集められ、そこに振り分けられました。私も名古屋から東京の拠点に移動しました。信徒も長期バクティということで参加した人います。私は中野や杉並の拠点でポスターを貼ったり、チラシを配ったり、電話かけをしていました。

 この頃、坂本弁護士事件が起きました。テレビでも話題になり、オウムのプルシャが落ちていたことから、オウムが犯人ではないかといわれていました。それに対して麻原は富士に集めた出家者の前でオウムがやったわけではないが、殺されてもしかたないようなことをいっていたような気がします。オウムに対していろいろ不利益なことをやっていたからです。このとき私は、麻原が結構怖いことをいう人だと、ひそかに感じていました。

 しかし、テレビでの取材では、教団は事件の関与を否定していましたし、グルのいうことは絶対でしたので、オウムはやってないと信じてました。今思えば、このような盲信は本当に怖いものです。事実をねじまげ、現実を直視できなくなります。


●成就修行でラージャヨーガの成就を認められる

 選挙活動の間にいよいよ成就修行の順番がまわってきました。何十人もの人が富士の道場に集められ、成就のための極限修行が始まりました。私は成就したいという強い気持で修行にのぞみました。麻原は1週間で成就させるという意気込みで、2つのグループに別れて成就修行が行われました。

 たくさんの成就者が半月の間にでました。ラージャ・ヨーガの人が多かったのですが、クンダリニー・ヨーガの人もいました。このようにわずか1週間で大量成就というのにも驚きました。

 しかし、この成就認定も、オウムでの認定であって、ヨガの本などに書かれている成就は、もっと超能力がつくといわれているものです。教団の成就認定は、三グナという3つの色の光を霊視したらラージャ・ヨーガの成就というきわめて安易な認定でした。

 また、クンダリニー・ヨーガにいたっては、光を霊視してダルドリー・シッディが起き、麻原が心の変化を見抜いて決めるといったものでした。教団では、クンダリニーヨーガによって、仏教で説かれる六神通などのさまざまな超能力がつくと宣伝していましたが、そういった超能力に関しては、人によっては、一定の体験をすることはあったと思いますが、教団の宣伝は明らかに誇大宣伝でした。

 成就修行のあとはまた選挙のワークにもどりました。


 選挙は結局落選しました。そのときには投票のあと落選するように操作されたという話がありました。前調べでは当選確実ではないかと噂されていたということでした。

 私はすっかりそれを信じて、選挙管理委員会は不当なことをするのだと思っていました。そういえば投票のとき、立ち会っていた人が不気味な笑いを浮かべていたと思ったのです。
 
 しかし、今思えば、教団や私の見方の方がおかしかったのであり、当時は、そういった被害妄想をいだくほどに、麻原と教団を盲信していたのでした。
 
その後もいろいろなワークをしていき、極限修行などにも10か月はいりましたが、そのときには成就できませんでした。


●LSDのイニシエーションと成就の認定

 94年頃から、ヴァジラヤーナの教えが麻原の説法で頻繁に説かれるようになりました。聖・科・武というような話があり、科学を研究したり、武道もやることが必要だというようなことが話されました。ヴァジラヤーナ教学システムというのもできたりして、教団全体がヴァジラヤーナに流れていきました。武の実践として、気功の修行もとりいれられ、それを毎日やっていました。

 その頃は秘密ワークと称されるものが多く、富士で何かやっているのは感じていましたが、何をしているのかはさっぱり知りませんでした。古い師の人が次々と秘密ワークと呼ばれるものにまわっていき、あまり表には出てこなくなったように感じます。

 94年6月に松本サリン事件が起きたのですが、それにオウムがかかわっているなどとは知りませんでした。

 94年の7月にキリストのイニシエーションというのがありました。このとき上九で受けたのですが、ものすごい体験をしました。まさかLSDという薬物が使われていたとは全く知りませんでした。
 このときの体験をひとりひとり麻原に報告しました。そして麻原の判断によりクンダニー・ヨーガの成就の判定をもらいました。やっと成就できたと思いたいへんうれしかったのを覚えています。

 なお、後から聞いたことでは、この際の成就認定は、麻原への帰依や、麻原の救済のお手伝いといったヴィジョンを見たかどうかが基準となっていたそうで、だとすると、麻原の思惑にあった人間に選ばれたということになります。

 しかし、こういった薬物による体験は、例えばグロフという心理学者も研究しており、何もオウムでなくともLSDでいろいろな神秘的な体験はするのです。その中では、過去生の体験や空の体験、地球や何かと合一する体験など、修行していなくてもほとんどの人はLSDで体験するようです。グロフは、LSDによる数千人の体験を研究しています。

 そういった効果がこのキリストのイニシエーションに利用されたのであり、神秘体験をしたからといってそれほど驚くことでもなく、ましてこれで成就の判定がくだされたのですから、極めて安易なことです。

 しかも、LSDは一歩使い方をまちがえると廃人にもなりますから、危険なものです。何も知らないものにとっては、このイニシエーションで麻原がすごい体験をさせたと思い込んでしまっていますが、実際はそうではなく、薬物の影響だったのでした。

 成就すると師となり、部署のリーダーを任されます。出版のワークにもどり、また新たな気持でワークをはじめました。
 
 その頃、第6サティアンでは、「シールドルーム」という特別な密閉された部屋のがたくさん作られ、そこで修行をする人が増えてきました。特別な個室で外の影響を受けにくいということでした。私もしばらく修行に入ることになったのですが、そのとき記憶を消す「ニューナルコ」を受けました。


●毒ガスが撒かれているという噂や説法

 また、この頃教団に毒ガスが撒かれているといううわさが流れ、麻原はその被害を受けているというような説法もありました。麻原の家族も被害を受けていて、米軍の攻撃を受けているのではないかという噂もありました。 

 各施設には毒ガスを防ぐために、コスモクリナーというものが科学技術省によって作られ、設置されました。富士・上九の施設には何個もその機会が置かれ、動いていました。

 だんだん教団が危険な雰囲気になってきたのを感じました。

 当時出版関係の仕事をしていたため、書籍の買い物を頼まれることが多かったのですが、その頃、軍事関係の本を大量に頼まれたことがありました。一体何をしているのだろうと思いましたが、まさか本気で武器を作っているなどとは思いもしませんでした。

 95年の正月くらいから、お食事会とよばれる会が開かれるようになりました。麻原と出家者がお食事をしながら話すというもので、数回にわたってグループにわかれて行いました。私は最後に参加したように思います。

 このときの説法テープを聞くと、ヴァジラヤーナ的な話がなされていて、予言を成就させるために、ハルマゲドンを起こすのだくらいのことを言っていたように思います。それを聞いて私はそんな大それたことができるのだろうかと思っていました。またずいぶん危険なことを言っているとも思いました。麻原があぶない危険な人のようにも思えました。この話をまともに受け取れば、教団が破壊活動をすることは予想されます。

 その頃正悟師に昇格になった人が何人かいました。また、何ヶ月後かに昇格になる予定の人が、期限に分かれて発表されました。たくさんの人がマハームドラーを成就する予定であるとされていました。


●地下鉄サリン事件が起こる

 そして、95年3月20日、地下鉄サリン事件が起きました。まさかオウムがやっているとは思いませんから、大変なことが起きたのだなくらいにしか思っていませんでした。テレビでその様子を見ていたのですが、地下鉄で何かがまかれて、人がたくさん倒れていて、大惨事のようでした。霞ヶ関のあたりには救急車が走っていて、目が見えなくなるという人がたくさんいたとのことでした。

 そして、2,3日後に突然朝早く、強制捜査だということで警察がやってきました。刈谷さんの拉致事件が容疑だったように思います。私は何が何だかわけがわからず、どうせ濡れ衣でやってきているにちがいないと思って対応していました。

 松本剛という容疑者の名前も初めて聞くし、刈谷拉致事件もはじめて聞くし、いったいどうなっているのだろう、宗教弾圧もいいところだと思っていました。表ワークしかしていなかった私にとっては、晴天の霹靂といった感じでした。

 全国のオウムの施設に強制捜査が入ったらしく、上九の施設には迷彩服やガスマスクをつけた警官が入ってきたようです。テレビではカナリアを持った人までいました。まるでサリンをまいたのがオウムだといわんばかりではないかと私は思いました(私が知らないだけで、実際にまさにそうだったのですが)。

 幸福の科学の人らしき人たちが、駅前で地下鉄サリン事件はオウムがやったというビラをまいているといううわさを聞き、また幸福の科学の人がオウムを弾圧をしているとも思いました。とにかくひどい宗教弾圧が始まったと思っていました。


●事件後から2000年まで

 それからテレビには毎日のようにサリン事件の報道が取りあげられていました。私はテレビと新聞のチェックをするワークもはじめ、毎日のようにテレビと新聞を見ていました。新聞には毎日のようにトップ記事としてサリン事件のことと、オウムのことが載っていました。

 この頃、上祐氏がロシアから戻り、青山にあった東京総本部に緊急対策本部をおき、警察操作やマスコミ取材に対応することになりました。そして連日、テレビに出演しては事件はやってないことを主張していました。

 サリン事件のあとに、大きな事件が続出しました。3月30日には国松長官狙撃事件もそのひとつです。これもオウムの仕業ではないかと疑われました。4月23日には村井氏が青山で刺殺されるという、悲惨な事件も起こりました。当時はとても信じられませんでした。身近な人が殺されるという経験がなかったのでそのショックは大きいものでした。ニュースに青山総本部が映り、刺殺場面まで放送されていて、生々しいものでした。

 また、第7サティサンのことが話題になり、そこでサリンが作られていたのではないか、という疑惑を払うために、農薬を作っていたとか、サリンを作るのは無理だという説明をしていました。それをそのまま私は信じていました。まさか教団がサリンを撒いたなんて思ってもみませんでした。濡れ衣もいいところで、国家の謀略でオウムを潰そうとしているのだと思っていました。これもオウムが正しいと思い込みたいがゆえに現実を見ようとしなかったという点があげられます。


●麻原をはじめ相次ぐ逮捕と教団の崩壊

 事件後は、警察の人が施設の前に24時間張り付いていて、出かけるたびにチェックをしていました。車の荷物チェックなどもしていました。もっとすごいのは車で出かけると必ずどこかの道路で、警察に止まるようにいわれ、チェックされるのです。

 教団は事件をやっていないと考えていた当時の私は、わずらわしいと思いながらも、このような弾圧に耐えなければと思っていました。どこかにでかけると必ずわからないように後をつけられていました。常に監視されているという感じです。

 その頃、幹部の人たちが次々と別件で逮捕されていきました。これも弾圧だと思っていました。微罪で逮捕されていたからです。なぜ、こんなことが起きるのだろうかとわけがわかりませんでした。不殺生を説くオウムが人を殺すはずはないと信じてました。

 その中で5月に林被告がサリン事件はオウムがやったと自供したと報じられ、15日には麻原も逮捕されました。そのときの報道はすごいものがありました。特番で麻原が逮捕されてから移動する様子をずっと追って撮影しているのです。

 麻原逮捕後、教団がガタついてきました。それでもみんなまだ事件はオウムがやってないと思っていました。上祐氏が教団をまとめるような形でした。石井さんも、飯田さんも、松本智子さんも、新実さんも早川さんも、主な人たちはみんな逮捕されました。そして、10月には、上祐氏も逮捕されたのです。

 何十人もの人が逮捕されました。それでもみんなまだ弾圧で事件はやっていないと思っていました。マスコミの情報は入れないように指導されていたのです。獄中の麻原からのメッセージが弁護士をとおして届き、それに従ってみな動いていました。

 村岡氏が代表代行となり、正悟師が数人で話し合っての教団運営がはじまりました。破防法が適用されるのではということで、弁明手続きが行われていました。また、被害者の賠償のために、破産手続きがとられ、教団の資産が破産管財人のもとに置かれ、処分されていくことになりました。富士、上九の教団施設から出て行かなくてはならなくなったのです。


●教団が事件をやったと聞いた後も続いた信仰

 私はあるとき一緒に出版のワークをしていたAさんから、「事件は教団がやったんだよ」と聞かされ、大きなショックを受けました。その当時の私は、まさかと思いました。嘘だと思いました。100%まだ信じられませんでした。

 しかし、もしかりに万が一やったとしても、グルのやることには何か意味があるに違いないと思っていました。その当時の私は、グルのやることは絶対だという信仰にはまっていたので、グルがまちがったことをやるはずがなく、事件をやったとしても、それは、いわゆるヴァジラヤーナの救済のためにやったのだ、という考えに陥っていました。

 具体的に言えば、たとえば、日本人のカルマが相当重くなったので、そのカルマを落とすためにやったとか、また、弟子にマハームドラーをかけたとか、事件を正当化する理由を自分で勝手に妄想して考えて、仮に麻原が事件に関与していたとしても、一連の事件と麻原、そして、麻原を信仰する自分を正当化していたのです。

 どうしてこういう思考パターンにはまったのかというと、①まず、私は、自分が麻原をグルとして受け入れ、②そして、次に、グルは絶対である、という密教的な教えを受け入れ、その結果として、グルである麻原は絶対である、という思考パターンが出来てしまっていたのです。

 しかし、今になって冷静に考えれば、麻原をグルとしたのは、私を含めたオウム信者だけですから、それは、自分達がグルとした麻原は絶対である、という考えなのです。

 この点を突き詰めて考えれば、私は、自分が気づかないうちに、自分に、誰かを絶対に間違うことのない人であるかどうかを判断する能力がある、と思いこんでいたことになります。

 今から思えば、その人について、私が経験したような、多少の神秘的な体験をしたからといって、その人が絶対であるかどうかなど、自分には判断できないことです。

 しかし、当時の私は、こういった自分自身に対する客観的な分析はできず、気づかないうちに、(ある意味では宗教をする人の多くがはまりこむ)、第三者から見れば、自分(達)が信じたものは正しい、という、非常に傲慢な考えにはまりこんでいました。

 また、グルは絶対である、という密教の教義については、密教には確かにそういった印象を与える教えがあり、その教えと共に、1000年位も昔の時代に、神のような力を発揮したグル達の物語があります。

 しかし、その教えを現代の現実にあてはめていいのか、ないしは、オウムでの解釈と、例えばチベット密教での解釈は同じなのか、といった点については、私たちは全く考えませんでした。

 これは、(チベット)密教などの世界を信じ込んでいない第三者の人から見るならば、昔の伝説・神話の世界をそのまま現代の現実にあてはめる、という非科学的な行為ですが、その当時の私は、その(密教の)世界の中にどっぷりと浸っていたので、それを現実に合わせて解釈することをしませんでした。

 この点については、今では、ダライ・ラマ法王などが、密教の経典については、例えば、「仏陀を殺せ、そうすれば解脱する」などと書いてある過激な物もあり、その言葉通りに受け入れてはならず、自分でしっかりと思索し、論理をもって正しく再解釈しなければならない、としていることを知りました。

 しかし、オウム以外の世界を知らない当時の私は、そういったことには無智でした。経典の教えの正しい解釈が出来なかったのです。

 
 こうして、その当時の私は、仮に事件をオウムがやっていたとしても、何か正当なわけがあると考えていたのです。

 もう少し加えると、それは、私たちの修行を進めるためにグルが仕掛けたマハームドラーなのだと自分勝手に考えていました。教団では、グルが弟子を成長させる一種の宗教的な試練をマハー・ムドラーと呼んでいました。

 そして、グルというのは、マハームドラーを成就させるためには、教団をつぶしてもかまわないと思っている、というような説法を以前に聞いたことがありました。グルは、救済のことしか考えていない、というのが、常日ごろの麻原の口癖でしたから、それを信じていました。

 そして、これは私たちに対するカルマ落とし(=悪業を精算する苦しみの体験)であり、これに耐えれば、修行が進み、グルはいつか必ず(拘置所から)戻ってくる、と信じていました。

 これも、今になって冷静に考えるならば、自分たち弟子が成長するためには、一般の人を巻き込んで、その人たちの生命を奪ってもいい、という非常に傲慢な考え方だと思います。当時の私は、こういった自分たちの問題には気づくことが出来ませんでした。

 その世界にはまりこむと現実認識があまくなり、自分たちの考えがすべてになってしまっていたのです。宗教の怖さはそのあたりにあると思います。信じたもののためには何でもやってしまう怖さがあります


●麻原の家族の崇拝へ

 その後教団運営は、長老部を構成し、行うようにという麻原のメッセージがありました。その構成員は三女がリーダーとなり、麻原の子息と正悟師以上の人の参加ということでした。

 また、麻原のエネルギーは長男、次男を通して流れるというメッセージがあり、「リンポチェ猊下」と敬称をつけて呼ぶようになり、グルのかわりに観想もするようにという指示がでました。祭壇には長男や次男の写真も掲げられ神格化されていきました。私もいわれたとおり、長男、次男を観想するように努力しました。

 ワークの方は出版の仕事が次第になくなり、縮小することになりました。私一人でやるようになったのです。上町はからサティアン識華とよばれる杉並のビルに移りました。そこでほそぼそと出版営業などをしていました。

 96年の夏ごろには三女によって観念崩壊セミナーというのが開かれました。自己啓発セミナーのような内容でしたが、より激しいものでした。最初はそうでもなかったのですが、だんだんきびしくなっていったようです。

 やがて、富士、上九の施設からみな出て行き、東京などに移動し、一部の人は外に働きにでることになりました。そうしないと生活ができないからです。事業も立ち上げたりしました。オウムと隠して事業を行っていました。

 私は名古屋支部に配属されて、しばらく支部活動をしていたのですが、事件後やめた信徒も多く、道場は閑散としたものでした。しかし、道場を新しく借り直し、勉強会などを開いたり、勧誘活動などを始めていました。しかし、そこは数ヶ月で移動になり、東京で事業の手伝いをやることになりました。


●ハルマゲドンの予言を信じていたこと

 麻原の予言で、ハルマゲドンは99年に必ず起きるといわれていましたから、みなそれを信じて、修行をして功徳を積んでいました。私も中学の頃読んだノストラダムスの大予言の本を信じている部分もあり、ハルマゲドンは来ると思っていました。

 97年に奇跡的に破防法が棄却になり、みんなやはり、神々の守護を感じていました。真理は絶対だと思っていました。守られていると。そして、この97年は、教団では、真理元年といわれ、「麻原の空」が広がったのだ、という解釈がされていました。

 教団は99年のハルマゲドンに向けて、サバイバル準備をしていたようです。さまざまなものが配られました。 しかし、結局ハルマゲドンは起こりませんでした。グルの予言ははずれたのですが、みな現実を直視しようとはしませんでした。盲信しているので現実が見れないのです。

 長老部はそのころ、麻原の子息と正悟師が対立していてうまくまとまっていませんでした。私自身ある正悟師が三女や長女に対して怒っていたのを聞いたことがあります。上層部がまとまってなく、このままでは教団はあぶないなあと感じていました。

 そして99年12月に教団は社会に対して、正式に謝罪し、記者会見を開きました。しかし、上層部はバラバラだという雰囲気が強く、捕まっていた上祐氏が出所して、ようやくまとまるきざしが見えてきました。


●2000年以降、上祐氏の復帰で社会融和路線へ

 しかし、オウム新法がかかり、教団は観察処分を受けることになりました。立ち入り調査という検査を定期的に受けるようになり、協力しなかったりすると、活動が停止されることになったのです。

 上祐氏が復帰して、麻原の予言ははずれたのだという発言があり、ショックを受けました。絶対だと思っていたグルが間違っていたというのは、なかなか受け入れがたいものでした。そういう人は多かったように思います。

 そして、観察処分のもと、社会融和路線が徐々に引かれていきました。賠償金も支払う契約を破産管財人と交わしました。麻原の写真は祭壇からはずし、こっそり隠して持つようになりました。表向きは麻原信仰は隠し、見せないようにしました。その実、裏では、写真を持っていたり、説法を聞いたり、ビデオを見たりしていました。まだ心から麻原をはずすことは無理でした。

 私は外の仕事をやめ、内ワークに戻りました。しばらく修行したあと、MIROKUと呼ばれる本部で総務のワークをやるようになりました。上祐氏は分裂しそうな教団を建て直し、アーレフという新教団を立ち上げ、支部活動も活性化してきました。説法会を毎月開き、セミナーも定期的に行い、宗教団体としてなんとか動きはじめました。

 しかし、支部活動にはどうしても限界がありました。事件の影響でやめた信徒も多く、新しく入信する人も昔に比べたら、ごくわすかでした。あれだけのテロ事件を起こしたのですから、当然のことといえば当然ですが。本当なら解散するべきところです。


●麻原の現実を直視する辛さに悩む

 上祐氏は徐々に方針を変えようとしていました。
 麻原から自立する説法を何回も繰り返してみんなの前で行いました。

 麻原はいずれ死刑になり、もう戻ってこない、自立しないといけないと力説しました。私は麻原がいずれ帰ってきてくれて、みんなを救ってくれると心のどこかで思っていましたので、その発言はショックでした。やはり盲信と妄想の世界にどっぷりはまっていました。

 私の中には麻原に対する依存心がまだまだ残っていました。グルを意識してグルの意思を100%実行することが成就への決めてと刷り込まれてきましたから、グルがいなくなることのショックというのは、ものすごいものがありました。次の成就もできなくなるし、これからどうしていったらいいのだろうかという思いで苦しみました。

 グルがすべてという人にとってはグルをはずすことは、自分をなくすことにもつながります。それゆえ、みんなが麻原から脱却し、自立していくことは、ものすごい困難な作業でした。


●麻原の家族が、上祐氏の改革を止める

 信徒にも説明が行われました。そうして教団が方針を転換していこうとしたときでした。突然上祐氏が修行に入ることになりました。その背後には麻原の家族の存在がありました。捕まっていた麻原の妻の知子氏が出所してから、何やら裏で動ききがあったようなのです。正悟師が裏で麻原の家族とひそかに会い、上祐氏がグルはずしをしているからおかしいと話していたらしいです。

 ふたたび教団は麻原を信仰するようになりました。麻原の写真が個人祭壇には置かれるようになりました。そして、荒木浩氏を中心にお話会なるものがはじまり、いかに上祐氏がグルはずしをして悪業を積んだかをあちこちで話してまわりました。

その背景には麻原の家族の存在があったようです。家族は教団とは表だってかかわれないので、裏で指示をして、教団を支配していました。

とにかく、極端なその考えについていけませんでした。荒木氏は過去の麻原の言葉をあげては上祐氏は間違っていると批判し続けました。グルの意思というのが何なのかをグルのお言葉に基づいて、解釈して正当性を主張していました。それが本質より枝葉を重視している感じで何か違和感を覚えました。


●事件の原因について探求する

 私はお話会とかにうんざりしてしまい、批判をしてもしょうがないのにと思ってました。やがて体の調子が悪くなり、肝臓が痛むようになり、療養もかねて修行に入りました。

 そして、そのときに時間がとれたので、心理学と宗教について勉強し、まとめていきました。というのは、事件以外の部分のオウムの教え、すなわち、仏教の教えは、心理学的にもまちがってはいないということを検証したかったからです。

 そこで、トランスパーソナル心理学や心理学者のユングの本を読み直し、心理学と仏教との接点を検証していきました。すると、心理学と仏教は、やはり通じるものがあることがわかりました。心理学的にも、仏教の教えは正しいと考えられると思いました。そして、これは、(ひかりの輪において)今でも私が、仏教の修行を続けている理由の一つになっています。

 しかし、オウムでの仏教の教えについては、特に密教的な教えの解釈になると、麻原の都合のいいように解釈されてしまったと思います。また、密教の教えに限らず、釈迦牟尼が説いた初期の仏教の教えについても、その一部の解釈には、大きな問題があったのと思います。


●麻原の事件も、自分たちの心の現れだと考えるに至る

 また、この期間に、オウム真理教の事件がなぜ起きたのかも、心理学的に検討してみました。

 その結果として、一連の事件も、それを知らなかった私たちと全く無関係ではなく、私達信者の潜在意識の働きと関係しているのではないか、と考えるようになりました。

 もちろん、麻原の責任は最も重いと思いますが、しかし、麻原を中心としたあの教団の全体の流れは、私達信者の潜在意識の働きが作り出しており、言い換えれば、信者には、刑事責任はない物の、精神的・宗教的な責任があるのではないか、と思います。これについては、わかりにくいかと思いますので、以下に説明します。

 私が読んだユング関係の本では、ドイツが第2次世界大戦に入っていった原因が分析されていました。それによると、その原因は、単純にヒトラー・ナチスが悪いというのではなく、その当時のドイツ国民全体の潜在意識の中に、戦いを挑みながら、最終的には自滅に至るような要素があった、と分析されていました。

 実は、ユングは、第2次世界大戦がはじまるより前に、約十年間の間、ドイツ人の精神病患者の多くを治療する中で、その人達の夢に、「ラグナロック」という、ある北欧神話と共通する要素を多分に満たしているという事実を発見していました。このラグナロックと呼ばれる北欧神話では、世界の終末において、神々と巨人族の壮絶な戦いが起こり、その中で、巨人族だけではなく、神々も滅びるという内容です。

 この夢分析に基づいて、ユングは、今後、ドイツ人が、大きな世界的な破局を呼び、最終的には、自己破壊に終わるだろうと予言しました。そして、それが、ナチスドイツによる世界大戦の勃発とその破滅という形で、見事に的中したのでした。わかりやすく言えば、ドイツ人の深い潜在意識の中にある闘争による自己破滅の欲求が、現実に、表面化したと言うことです。

 この例から考えられることは、この戦争は、ヒトラー(とナチス)の狂気によって起きたというのではなく、当時のドイツ国民全体の潜在的な欲求が表面化して生じたものであり、仏教的に言えば、業(カルマ)として起こったものだと思います(仏教では、業とは、ある時期まで潜在しているものの、時期が満ちる、表面化して、何らかの結果を生じさせる潜在的な力を言います)。

 これを学んだ私は、オウムの一連の事件も、それを知らなかった私達信者と無関係ではなく、私たち信者全体の集団の業(カルマ)、すなわち、潜在意識にあった自己破滅に至る闘争の欲求が現象化したものではないかと考えるようになりました。

 実際に、一連の事件は知らなくても、教団の信者は、皆、麻原と共に、89年頃からは、教団の主張を信じ、社会との摩擦・闘争状態の中にあり、また、事件発覚前の93年頃から始まった、より闘争的で破局的な、きな臭い雰囲気の中にあっても、その教団に疑問を持ってやめることなく、むしろ逆に出家したり、より積極的に活動していたからです

 こうした意味で、その意味では、刑事責任はなくても、信者みんなの心・意識は、一連の事件とつながっている部分があって、その意味での責任があるのではないかと思うようになりました。これを具体的に言えば、実際に事件を実行した人だけでなく、まわりにいた私たちの心の中にも、事件を実行した人と同じ精神的要素があったと思うのです。

 例えば、あの当時の教団の中にあっては、皆が、麻原を神の化身で、絶対であると信じ込んでおり、社会・国家権力は、教団に毒ガスを撒くなど、恐ろしく不当な弾圧をいしている悪魔の集団と信じ、加えて、ハルマゲドンが起こると信じていました。ですから、実際に事件を実行した信者でなくとも、麻原に指示されたならば、事件を実行していた可能性があると思います。

 このことを私はユングのこの事例を読んで実感しました。

 こうして、自分の中にも、麻原やその指示を受けて事件を実行した人達の要素があるということを認識するのは、事件を知らなかった信者にとっては困難なことではありますが、直接事件にかかわっていなくても、同じ集団に属し、同じ思想・信条を共有していた点では、宗教的には同罪である一面があり、それを自覚した私は、自分達なりに、この罪を一生償っていく必要がある、と思いました。

 そして、麻原の言動についても、私達信者の潜在的な要素を投影したものとして、自分の問題として、反省しなくてはいけないと思いました。実際に、私個人について考えても、私の潜在意識の中には、麻原と似た要素があると思います。

 例えば、若いころに陥った、自分の欠点・暗部を見ることなく、自分の問題・不遇をすべて他人のせいにしてしまうといった性格的な傾向です。私も、麻原と同じように、自分の苦しみの原因を家族のせいにしたり、周りの人のせいにして、自己を正当化しようとしていた面がありました。

 そして、大人になっても、麻原は、悪いのは社会で、自分や教団ではなく、全ての問題を社会のせいにして、事件を起こしてしまいました。そして、私も、その麻原の社会観をそのままに信じ込んでしまいました。この部分は、しっかり反省しないといけないと思いました。

 そしてよく考えてみると、麻原の「自分の教えが一番正しい」という傲慢さ・独善性が、私自身の中にもあるのだと思いました。「自分は、救済を考えて、修行しているすばらしい人なんだ」というプライドを肥大化させていたのではないかと思いました。

 こうして、妄想的なまでに、「自分は他人より優れている」という意識を形成し、傲慢になって、その結果として、「自分達は救済のためなら何をしても許される」という考えにもはまってしまいました。

 これは、私が、子供の頃から、他より良い成績を取ろうとするなどして培ってきた闘争心などにも通じる面があると思います。自分が他より優れた存在であることによって、プライドを満足させるという傾向が強かったと思います。特に、若い頃は他の人を称賛するのがとでも苦手でした。

 そして、まだまだ明確に自覚できていない部分としては、自分も、麻原が陥ったような特殊な精神状態・立場・条件に置かれた場合は、その傲慢・狂気によって、場合によっては、殺人を犯すような攻撃性、暴力性、自分に敵対する物存在は許さないという支配欲求が生じうるかもしれない、ということです。

 今後とも、自分の中のこのような要素を厳しく客観的に認識するように努め、決して以前のような悪い方向にはいかないようにコントロールしてくことを決意しています。


●上祐氏が教団活動に復帰する

 私が、こういった検討をしている間に、教団では、正悟師と麻原の家族の間にも溝ができていったようでした。

 その頃は麻原の家族の息のかかった人を中心に運営がなされていました。正悟師もいうことをきかない人は長期修行に入れられていました。師の人が中心になっていった部分もあります。

 上祐氏は教団運営にかかわれない中で、縁のある人を集めて話をしていきました。一部の有士で真実を考える会を作り、会合を開き、上祐氏を擁護する話もしました。

 上祐氏はこのままでは教団が行き詰ると、外の会場を借りて勉強会を開き始めました。各支部の信徒にも勉強会を始めました。そこに集まった人で話を聞いて賛同した人は上祐氏に協力的になっていきました


●はまったグルイズムからの脱却に苦闘する

 しかし、アーレフ代表派の時代には、グルイズムにはまった人の考えを変えるのは思った以上に難しく、最初のうちは、グルをはずすことがグルの意思だ、という方便が用いられたこともありました。

 もちろん、こういった方便は、しばらくした後、代表派の成長と共に、行わなくなり、ついには、麻原に対する依存から完全に脱却することを皆で話し合って決意し、具体的には、全ての麻原の教材を破棄することにしました。そして、その後、アーレフからの脱会に至りました。

 また、脱会して、ひかりの輪を設立した後も、決して後戻りしないように、団体として総括の作業を行ったり、個人の総括についても、それを皆で分析しながら、繰り返すなどして、努力を継続的に続けています。

 しかし、その当時は、私自身も完全にグルイズムから脱却できているわけではなく、その過程にありましたから、麻原から自立するのは大変でした。長年培ってきた思考を変えなくてはいけないので時間がかかりました。

 世間から考えるとただの恐ろしいテロ集団でしかないのに、そのような客観的事実を直視することなく、自分たちの世界に閉じこもって他をかえりみないという性質を変えていくのは、容易ではなく、時間のかかる作業でした。

 よって、最初の頃は、自分達の反省を直接的にするのではなく、他のことを考えるということから、私は始めていきました。

 それは、本当の四無量心(仏教で言う愛)は、自分のことより、他のことを考えるという実践です。それを考えると、世間に不安を与えている自分たちを変えていく必要があると考えました。

 私が執着していた麻原は、客観的には殺人者でしかありませんでした。私が、それを正しいと信じているならば、それは一般の人にとっては、私達が怖い団体としか思えないのは当然のことである、と考えるように努めました。

 これまで、客観的に見れば、自分たちの世界しか見ようとしなかった私にとって、これは、一番必要な利他の実践ではないかと考えました。

 今から思えば、自分達の罪を反省し、麻原の信仰をやめるのが当然のことであるのに、それを利他の実践などと言うことは、あまりにも偉そうなことですが、当時の私達としては、自分の(存在意義の)全てでもあった麻原をはずすために、このように考えた次第である、と理解していただきければと思います、


●その後、どのように自分の間違いに気づき、脱却していったか

 その後、私は、麻原のことを絶対視したということが、そもそもの間違いだったのではないかと思うようになりました。単純に言えば、完全な人間などいないのだということに気づいたのです。

 なぜ、麻原を絶対視したかというと、その原因は、前にも書いたように、神秘的な現象に対する理解が未熟・うぶで、それに弱かったというのもありますし、加えて、何か依存できる絶対的な存在を求めていたのではないかとも思います。そういう人に依存していれば、自分は楽なのです。自分で考えなくてもその人に従っていればいのです。

 しかし、色々と考えている内に、麻原は完全な人間ではなく、神でもなく、絶対者としてはいけなかったと思うようになりました。私達は、あまりにもその力を過大評価しすぎたのではないかと思うようになりました。そして、盲信しすぎた自分を反省していきました。

 どんな人間であっても、違法行為やらせるというのは、あまりにもおかしいことであり、完全に逸脱した行為であり、それを信者が肯定したということは、非常に恐ろしいことだと思いました。そして、自分の愚かさを反省しつつ、徐々に、麻原の呪縛から解き放たれていきました。


●教団が分裂し、新団体ひかりの輪に参加する

 その後教団はA派(麻原を絶対視する守旧派)とM(上祐)派に分裂し、97年の3月にはM派の人は全員アーレフを脱会しました。記者会見を行い、その旨を社会にもお知らせしました。
 そして5月には新団体「ひかりの輪」を設立し、私は役員の一人となりました。

 そして、このひかりの輪では事件を深く真剣に反省し、自分達は直接的には事件に関与していないものの、同じ教祖・思想を信じたものとして、謝罪・賠償をしていくこととしています。そして、このような事件を二度とおかさないような、新しい思想・実践をつくることを決意しています。

 この点については、一般の方の中で、団体を解散しないことに批判があることは証智しておりますが、私としては、このようにすることが、私たちの責任でもあり義務だと考えました。

 大きな問題を起こしたからこそ、その問題の原因を追究して、2度と問題が起こらないように改善することが、本当の意味での責任の取り方ではないか、と思います。なにとぞご理解いただけるようお願い申し上げます。


●宗教の分裂について

 さて、教団が分裂にいたり、新団体をつくるという経緯を経験する中で、私は、これらの出来事は、これまでの宗教の歴史が繰り返してきたことと同じだと痛感しました。

 同じ宗教団体でありながらも、その教えの解釈のちがいによって、争いが起きることを身をもって体験したのです。それは、自分でも信じられないことでした。同じ宗教団体で争うなんて、想像もしていなかったことです。宗教家なら仲良くやっていけるはずだと思ったのが間違いでした。

 しかし、この経験を通して、オウム真理教のような妄信的な傾向が強い宗教の場合は、自分がこうと思ったら、かたくなに自分の信じるものを守ろうとする傾向がある、ということがわかりました。ある段階までは、話合えばわかるはずだと思っていたのですが、お互い平行線で歩み寄ることは難しいものでした。宗教的な考え方の相違というのは、解決が難しいと思いました。

 世界の宗教でも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教ももとは、同じ旧約聖書から派生してきたものですが、とくにこれらの宗教は多くの戦いを行ってきました。自分たちの宗教が唯一正しいものとしていました。旧約聖書自体、選民思想的な色が濃く、自分たちは選ばれた民だとしています。


●私が選民思想だった事に気づいた

 そして、この選民思想は、オウムにも通じるものがあります。

 麻原は自分をキリストだとたとえていましたし、自分たちはキリストの弟子として選ばれた魂で、真理の実践をしているんだというプライドがありました。他の宗教は外道で、修行をしていない凡夫よりは偉いんだという自負心がありました。麻原はまたそういうことを説法でも言っていました。

 このような自分たちの宗教が唯一正しいという考えは、結局それ以外のものを認めず、ひどい場合には争いになることに、私は、自分の体験を通して、気づきました。そして、今後の宗教のことを考えると、こういった点は、完全に捨て去らないといけないと考えています。そして、お互いのよい部分は認めていく必要があります。

 しかし、その前にそもそも宗教とは何かということを考えていかないといけないと思いました。そもそも、宗教というものが、その全体ではありませんが、人間をおかしくしている部分もあるのではないかと思うようになりました。

 それは、自分たちが正しいと思い込んでいるからこそ、なおさらある意味で難しい問題ではないかと思います。自分たちが悪いと思っていれば、改心しようと思いますが、正しいと思っていれば、ないしは、信仰上、そう思わなければならない状況であれば、なかなか改心はできません。私も、オウムの中で、その一人でした。

 その時、以前読んだ心理学者のケン・ウイルバーの著作(科学と宗教の統合)の内容を思い出しました。彼は、その著作の中で、今後、科学と宗教が歩みよる上では、本物の宗教に、その資格があると語っています。

 彼によると、宗教の本質的・根本的な目的は、それを信じる人々が、自と他の区別を超えた(自と他を平等に尊重する)「非二元」、「一元」の意識・世界観にいたることであるとして、その上で、それに至る方法・手段を多くの宗教の創始者は提示していたはずだが、時代を経るにつれて、その本質的目的よりも、手段・枝葉の違いに捕らわれるようになってしまたった宗教が多くなった、ということです。

 わかりやすく言えば、教祖が、方便・手段としたことを絶対だと思ってしまい、それをすべてにあてはめてしまう傾向がありますが、これは、本質を見失って、本来の目的からはずれてしまう危険性があります。その辺をしっかりと見極めることが、とても重要になってくると思いました。


●宗教を見直す必要があるのではないかと思うこと

 こうして、私は、あらゆる宗教について、根本から見直しをしないといけないのでは、と思うようになりました。そもそもの宗教の目的はななんなのか。そもそもは、自と他を平等に尊重し、全てを愛するという「一元」の意識に至るための方法・手段としてできたものであり、そのためのいろいろな修行法が創始者によって作られたのが宗教の本来のあり方だと思います。

 そして、自分たちの方法が唯一絶対の道だと思うのは、自分の経験からしても、とても危険なことだと思います。なぜなら、自分たち以外のものを排除したり、弾圧したり、攻撃したりするからです。それがひどくなると殺人や戦争にまでなります。

 オウムの事件も同じように、麻原が社会から弾圧を受けていると考え、自分たちが一番正しく、真理の実践をできる国にするのだと、あのようなテロ事件が起きてしまったのだと思います。

 麻原はオウムの教えこそが真理であり、それ以外の宗教は外道だとしていました。私もそれを信じていました。教団以外の本は一切読んではいけなかったし、情報も捨断するようにいわれていました。

 ですから、出家してからはオウムの教えのことしかしらず、ある意味他の宗教がどんなものなのかはわからないのです。自分たちの教えこそが真理と信じ込んでいますから、他の宗教と比較のしようもありません。麻原を常に観想することこそが大切と教えられてきたのです。

 また、社会はオウムを弾圧しているということをよく麻原は話していましたが、今思うと麻原は被害妄想気味のところがあったのではないか思います。そして、宗教弾圧ということばが良く使われていましたが、そこから社会を敵視するようない、特に選挙で負けたことも票の操作が行われたと考え、そのころからヴァジラヤーナ的になっていったと思います。そして、当時の私は、麻原にそういわれると、自分も、そういうものだと思い込んでしまいました。

 これに身近に感じたのも、A派のM派に対する排除のやり方でした。本当に自分たちのグルを外そうとするものは、批判、攻撃、排除ということをしていました。実際自分で体験して怖いことだと思いました。でもそれは、かつての自分が社会に対して行ったことであり、自分の過去の姿を映したものでした。

 そして、オウムは結局自分たちの教えが一番正しく、あとは外道だといって一切受け付けませんでした。それによりプライドが高くなっていったと思います。傲慢でした。

 そして自分たちの教えを世界に広めることが救済だということにつながり、そのためにはどんな手段でも使うというような危険思想に走っていきました。ヴァジラヤーナの教えは本当に危険です。救済のためなら、違法行為もやってもいいという解釈をしてしまう教えです。


●自分の過去としてのA派の人たちの問題

 A派の人たちについては、かつての自分の姿ですから、ある意味で、その気持ち=意識状態については、よくわかります。

 彼らはかたくなに麻原信仰を続けようとしています。その背景には、麻原を否定してしまったら、転生がこわいとか、来世一緒に転生したいとか、地獄に落ちたくないとかいろいろな気持ちがあるようでした。麻原をはずすことは、それまでの自分を否定することにもなり、精神のバランスを失うと恐れている面があると思います。

 しかし、これは、本来の目的である愛の獲得(仏教的には四無量心・慈悲など)と、それを実現する手段(=修行法)ということを考えることがなくなり、目的を見失って、手段にとらわれてしまっている状態だと思います。

 そのため本来の目的の四無量心から外れて、社会と対立したり、人を批判したり、自分たちだけが選ばれた修行者だとプライドを満足させていたり、麻原の枝葉の言葉にとらわれて、修行の本来の目的から遠ざかっているような感じでした。

 自分たちの世界に閉じこもって、現実を見ようとせず、事件も直視せず、麻原信仰をすることで世間に恐怖を与えるということも考えていません。むしろ、自分たちは選ばれた魂だという誇りをもって修行しているのです。


●グルイズムの間違いと気づいたこと
 
 こうして、グルイズム(麻原などのグルとされる人間を神の化身として信仰するタイプの信仰実践のこと)がすべてになってしまった呪縛から解き放たれるのは、結構大変なことだとは思います。

 私自身も、このプロセスは、なかなか大変でした。その過程では、上祐氏の話などを聞いて、自分なりに考えて、ショックを受けながらも、乗り越えてきました。

 その過程においては、当時の私にとっては、グルイズムは、解脱に至るためのひとつの手段に過ぎず、他にも修行のしかたはあるのだということを受け入れるのが、容易ではありませんでいた。

 というのは、オウム真理教の私たちには、グルイズム以外にも修行の道がある、という考え方が少なすぎて、グルがすべてだという教えしかなかったのです。そして、麻原以外のグルを見いだせなかった私達にとっては、麻原をグルとして否定するということは、修行の道が全くなくなることだと思いこんでしまっていたのです。

 しかし、アーレフ代表派の中で学んだこととして、例えば、仏教開祖の釈迦牟尼は、グルイズムを説いていないということがありました。釈迦牟尼は、信者が、釈迦牟尼を拝むことを禁じた人でした。そして自分自身と教えを根本とするように説きました。仏教の開祖が、グルイズムを否定していたのでした。

 こういったプロセスを経て、私の中で、グルイズムが絶対、麻原だけがグル、といった考え方が解消されていきました。


●霊的な現象に対する無智に気づいたこと

 そして、こういった検討の中で、私は、麻原を神格化してグルとしてあがめた大きな要因として、その霊的な現象に安易にはまってしまったということに気づきました。

 つまり、麻原に、霊的な力があると感じて、それを過大評価し、すごい人だと思ってしまい、この人のいうことは、全部正しい、何ひとつ間違っていることはない、と思い込んでしまったのです。

 しかし、客観的に見れば、霊的な力を持っている人は世の中にいくらでもいます。前述したように、例えば、自然と調和して生きているオーストラリアのアボリジニーも持っていると言われていますが、彼らは決して自分達を神の化身とか、絶対者の化身とは考えません。

 さらに言えば、動物も、動物的な感と言われるように、人間から見れば、超能力を持っています。そういった力があっても、それが神の化身の証明では全くないのです。特に、霊的な能力と、心の成熟とは違うものであり、それにとらわれると、とんでもないことになるということに私は気づきました。

 また、麻原の霊的な能力の程度も、客観的に見るならば、それほどすごいものではないと思います。教団の誇大な宣伝や、信者一人一人の依存心・期待感が、それを過大評価したこともあると思います。しかし私自身、この神秘力にはまってしまったということができます。書籍の言葉をそのまま鵜呑みにして盲信していました。

 しかし、それにはまってしまった個人は、それを冷静に考えられなくなってしまいます。
場合によっては、むしろ考えたくない、すごい人が自分のグルなんだという喜びにしたいという気持ちに圧倒される場合もあったと思います。
 
 こうして、人を判断するときに、霊的な力を持っているから、神のような絶対者だと考えて、安易に依存していくのは、大きな間違いでした。また、信者も、自分たちはそのようなすごい力を持っている集団だということで、プライドも生じ、傲慢になっていたように思います。本当の悟りとは、そのような霊的な能力にとらわれてはいけないものでした。

 この点における自分達の無知を深く反省して、依存から脱却していかないといけないと思いました。


●オウムが敵対したのは、自分の投影であったこと

 また、検討の中で、自分達には、被害妄想と誇大妄想の傾向、そして、その背景として、自分達の妄想的なまでの支配欲求・闘争心といった問題があることに気づきました。

 例えば、教団側が、麻原をキリストとして、世界を支配するという欲求を持っていました。そういった欲求を背景として、自分達は、現実に世界を支配している米国や、日本の国家権力、そして、闇の支配者とされるユダヤ・フリーメーソンといった(架空の)存在に、弾圧されるのではないか、という被害妄想が生じたのだと思います。

 すなわち、自分達側の支配欲求、闘争心といったものが、作り出した幻影の弾圧だったのです。いわゆる「自分達の影」におびえたに過ぎなかったのです。

 これは、私が調べた心理学でよく指摘されている問題であり、心理学的いえば、こういった現象は、自分の中の影の要素を自分で直視したくないために、まわりが悪いことにしてしまう、という問題です。すなわち、教団は、自分の影を社会に投影してしまったのでした。

 具体的には、日本におけるユング心理学の第一人者であって、前文化庁長官である故河合隼雄氏は、次のように述べていました。

「影を認知し同化することのむずかしさは、われわれに投影の機制をフルにもちいさせることになる。自分の内部にある認めがたい影を他人に投影し、とかく悪いのは他人で、自分はよしとするのである。このような傾向が一般化し、一つの民族や一つの国民が、その全体としての影を何ものかに投影するような現象も、全世界を通じてしばしば認められるのである。たとえば、ある国によっては、他の一つの国民を全く馬鹿にするとか、悪人であるときめつけて考えるようなことが非常に多い。
  (中略)
 内部にあるはずの悪を他にあるように信じることは、何と便利なことか。このことを知っている狡猾為政者は、適当に影を投影する方法を探し出すことによって、全体の団結を高める。その顕著な例として、ヒットラーによるユダヤ人の排斥をあげることができるだろう。」
                     (「ユング心理学入門」河合隼雄著)

 そして、この教団の被害妄想的な傾向は、単に教団の問題ではなく、若いときに、悪いのはすべてまわりのせいにしてきた自分自身の姿でした。私自身は事件には直接かかわってはいませんが、私の中にあるこのような心の穢れが教団に投影され、事件にもつながったのだと思います。

 今後は、自分の中にあるこういった被害妄想や誇大妄想、プライドや闘争心などの心の歪みを徹底的に修正して、周囲・社会を敵視することなく、すべての人々に奉仕するつもりでがんばっていきたいと思います。

 そして、被害者・遺族の方々には、本当に申し訳ないことをしました。
 心からお詫びした上で、償いとしてできることや、できるだけの賠償に努めたいと思います。

 
●償いとしてのアレフ脱却支援について

 これまでに、ひかりの輪の具体的な償いとして、アレフの脱却支援を始めたということがあります。
危険なオウムの教義をいまだに受け継いでいるアレフに入信して苦しんでいる人や、覆面ヨーガ教室で騙されている人を救うためにブログやネットで活動しています。

 アレフの脱却支援をはじめて、私がかかわった一つの例としてアレフからなかなか離れられなかった人が、ようやく二度と行かないというまでになりました。

 仮にBさんとしておきます。Bさんは40代前半の男性で事件後にオウムに入信した人です。出家はしていませんでしたが、アレフでも数年前までは活動していました。Bさんは、ひかりの輪に出入りしていましたが、アレフにもたまに行くということをしていました。友人がいるということがその理由でした。

 Bさんとはこの2年くらいの間に何度もアレフの問題点について話しました。早く脱却するように勧めてきましたが、なかなか大変でした。

 ひかりの輪の総括を渡して読んでもらったことで少し変わりました。その後もアレフが事件について関係ないといっていることや、見ようとしていないことについて助言し、事件は関係なくはなく、自分の心の現われであり、それを見ようとしないのは問題であると話しました。

 そういう要素が自分の中にもあり、それを変えていかないとまた同じことを繰り返していうということを話しました。Bさんは話していく中で、自分にもそのような要素があったと気づき、アレフが事件を見ようとしていないことの問題点に気づき、アレフを離れようという気持ちが除々に固まってきました。

 もともとひかりの輪に出入りしていたので、アレフからは出入り禁止にされたそうですが、友人がアレフでやりなおしたらと進めていたらしく、キリスト教はやってもひかりの輪だけはやらないでとまでいわれたそうです。

 しかし、アレフに行ったときに、あまりにも対応が傲慢でひどいので二度と行かないと決めたとのことでした。師の人が偉そうにして、Bさんを見下した感じでもう一度入れてやるみたいな感じでいわれ、お布施も要求されたそうです。

 Bさんはまだ、ひかりの輪に入会しているわけではありませんが、アレフからは脱却したようです。


●オウムの傲慢さにあらためて気づく

 また、Bさんからアレフの人たちのことを聞いたりするうちに、かつての自分の姿だったと反省させられ、本当にオウムのときは傲慢だったと思いました。自分たちが一番すばらしい教えで、他は凡夫・外道という風に洗脳され、プライドを満足させていた日々。感謝とか融和という気持ちはあまりありませんでした。

 自分たちは救済者でみんなを救うのだという気持ちが優位で、他を見下していたのだと思います。ひかりの輪の教えである与えられているものに感謝し、すべての人に仏性を見て奉仕するということはオウム時代の教えからは考えられないことでした。

 ひかりの輪になって、謙虚さと感謝の気持ちが培われてきように思います。教えがオウムとは本当に変わってきたと思います。修行者だから偉いとも思いませんし、世の中にはもっと大変なことをしている人もいますし、それぞれ役割分担であり、平等な存在価値があるといえます。

 オウムのときから比べると、グルイズムもなくなり、人を神として絶対化することもありません。誰しも仏性をもっているのだから、自分たちが選ばれた魂だということもありません。みんな繋がっていてひとつなのです。

 また、被害者の親族の方で年配の保護司の女性の方や大学教授で内観の専門家の方のご配慮で、内観を体験させていただいたことでも大きな気づきがありました。
 自分がこれまで人からしていただいたことをふりかえり、してあげたことが少ないか振り返ることができました。親の苦労もわかりました。

 私は長い間親に対していろいろ不満をもっていたのですが、子供を育てる、というあたりまえのことが、いかに大変なことかわかりました。
 1日三回の食事や洗濯をしてもらうことさえよく考えてみれば大変なことなのに、感謝のひとつもしないで、不満ばかりもっていました。大学に行かすことさえ大変なのに、親だから当然のことのように思っていました。 自分がもし同じことができるのかと考えたらなかなか難しいのではと思います。

 いかに自分がひとりでは生きていけず、多くの人の支えがあって生きているのか、多くの人にいろいろなことをしていただいて存在できているということが実感できました。
 生まれたときから、両親や家族に支えられ、学校の先生や友人、会社の人たちと実に多くの方のお世話になって生きてこられたのです。

 考えてみれば、電気やガスや水道というあたりまえだと思っていることが、実はいろいろな人が陰で支えていたり、社会というのは多くの人の支えでなりたっていることに気づかされました。

 オウムでは社会や親は敵のような雰囲気がありました。感謝のかけらすらなかったように思います。
 本当に傲慢でした。

 ひかりの輪の教えですべてはつながっていて相互に依存しているということがありますが、まさにそのとおりです。だれも一人では生きていけず支え合ってしか生きていけないのです。それに感謝するのは当然のことです。このあたりまえのことがオウムではできていませんでした。


●二度と間違いを犯さない教えを打ち立てるために

 また、ひかりの輪の償いとして、二度と間違いを犯さない教えを打ち立てていくということがあげられます。
これについては私自身でも日々考えています。

 根本的に宗教というものがいったいどういうものなのかを考えると、宗教をもっと科学的に捉えていかなくてはいけないと思っています。盲信というのはやはり問題だと思っています。なぜ人を救うはずの宗教で争いが起きるのか。宗教が戦争を起こし、人の命を奪ってしまうのはなぜか。この問題を解決していかないといけないと思っています。

 本来は仏陀とか宇宙意識とか一元の意識に到達するのが目的で、その手段としていろいろな宗教があると思うのですが、各宗教で自分たちの教えが一番正しく、他を認めないというのがそもそも争いの原因なのだと思います。それぞれが自分にあった方法があり、お互いに認め合えばいいのですが、盲信しているとそれができないのです。

 その背景には精神というものが科学的に解明されていないということがあげられます。宗教がうさんくさいと思われるのもそのあたりではないでしょうか。私は宗教を科学的に考えていこうと探求しています。それは心理学や量子力学などからのアプローチです。
 これは今後も続けていきたいと思っています。


●聖地巡り

 ひかりの輪ではたびたび聖地巡りを行ってきました。日本のいにしえの聖地といわれる場所や神社仏閣を訪れ、その神聖な雰囲気触れることで心身を浄化するようになりました。これはオウム時代には考えられなかったことです。
 神社に行っただけで、外道呼ばわりされ、ダブー視されるくらいですので、そうとうな変化です。
 自分でもよく平気で神社仏閣に行けるようになったと思います。以前なら絶対に考えられなかったことです。

 そして、各聖地のことをいろいろ調べていくうちに、日本といういう国がいかに宗教的な国なのかがよくわかりました。もともと神道国家であり、神道が国の宗教となっていますから当然のことなのですが、いろいろと奥が深いと感じました。かつては仏教と神道が習合していて共存していたことで、宗教はお互い認め合うことができるのだという事実にも驚きました。

 自分たちの教えが一番であとはすべて外道という、かつてのオウムの考えがいかに偏っていたのかがわかりました。神道や、他の仏教にも学ぶべきところがあり、参考にすべきところがありました。

 また、聖地の神聖な波動はとても心身を浄化する力があり、麻原の力だけが絶対ではないことも感じました。聖地に行くだけでも浄化されている体験がよくありました。
 自然の聖地もそうなのですが、善光寺の秘仏の御開帳のときには、たくさんの参拝者人が集まっているのにすばらしい空間だったことをよく覚えています。オウム時代は人がたくさんいるとカルマを受けて調子悪くなるといった観念があったのですが、その善光寺での体験はオウム以外の場所でも、信仰心のある人が集まっていれば、 むしろ気が上昇するということがわかりました。
 この体験にはちょっと驚きました。

 聖地巡りに行くことで、オウムという小さな宗教の世界に閉じこもっていた自分が恥ずかしくなりました。日本には他にもすばらしい宗教があり、昔から修行してきた人たちがたくさんいて、すばらしい力をもっているのは何も麻原だけではないことがわかりました。視野が広がった感じがします。

 以上で私の総括を終わらせていただきます。
 今後も反省、謝罪、賠償を続け、より社会に貢献できるように努めていきたいと思います。

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