指導員・会員の総括

吉田恵子(会員) 「総括」

『総括』(2008年版)

●総括を書くにあたって

 2006年の終わり頃だったと思いますが、上祐代表が事件についてしきりに、私たち教団にいた者の責任ということで、いろんな角度からいろんな場面を通して話をするようになりました。

 私はそれを聞く度に、当時ヴァジラヤーナ活動も知らなかったし、事件に直接関わったわけでもなかったので、事件の反省と言われてもピンときていませんでした。

 もちろん、事件はとんでもないことであり、間違っていたという認識は当然ありましたが、むしろ、私も被害者だと思っていました。なぜなら、出家をして多くの苦しんでいる人たちを救うお手伝いがしたいと思い全てを捨ててきていたからです。

 この20年間一体なんだったのだろう!! 私はこんなことをするために(教団が事件を起こしたこと)出家してきたわけじゃない! という思いで一杯でした。私の人生かえして! という思いでした。ですから事件の私の反省と言われても、という思いがあったのです。

 しかし、何度も何度も事件の真相や被害者の方々の様子や動画等を見たり、上祐代表の話を聞いたりしていくうちに、よくよく考えてみると、私も事件を起こした人たちのように、同じ要素があったことに気づかされていきました。
 
 また、知らなかったとはいえ、事件を引き起こすための間接的なかかわりをもつことになっていたことにも気づかされていきました。

 こういう作業を続けていくうちに被害者の方々のことを強く考えるようになっていきました。

 事件後、私も被害者だと思っていて反省にいたらない13年間を過ごしている間に、被害者の方たちは一体どんな思いで生きてこられたのだろうかと思うと胸が詰まる思いです。

 今年2008年の8月、上祐代表や広末さんたちが松本サリン事件被害者の河野さんのところにお見舞いに行ったことをきき、戻ってきた広末さんから、河野さんの奥さんの様子を聞きました。全く申し訳ない思いで一杯になりました。その数日後、亡くなられたと聞き、言葉もありません。

 この13年間どんな思いで生きてこられたのだろうと思うと言葉もありませんでした。
同じ過ちを二度繰り返さないように、ここで総括をし直す事は、これから私が生きていく上で必ずやらなければならないことだと思いました。

 また、事件後も麻原信仰を続け、世間の人たちにどれほど不安を与えてきたのかを考えるようになりました。社会に不安を与えて、片一方では愛や慈悲とか言っても自分中心の言葉にしか過ぎないことに気づかされていきました。

 そういった意味で、2008年の8月にあたって、この機会に、もう一度総括をし直したいと思いました。つたないものにしかなっていないかもしれませんが、読んでいただければと思います。


●オウム神仙の会との出会い

 1987年頃、私は、当時のオウム神仙の会に出会ったのでした。きっかけは、ある日、私の恋人がヨーガで解脱をした人がいるよと「生死を越える」という本を貸してくれたことから始まりました。

 最初は、「ヨーガで解脱?何それ?」という感じでした。ヨーガというと、テレビでよく見る、体をくねくねよじったりする体操のようなものというイメージしかありませんでした。しかしそこに書かれている内容に、私の心は一気にひきつけられました。

 当時、道場は福岡にはなかったので、通信講座で毎日コツコツ実践していきました。本の中に書かれていた「シャクティーパット」なるものを受けたくて、秩父の青山荘でセミナーが開かれる、ということでしたから初参加してみました。

 また、このとき病気や仕事の悩みの相談のため、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(以下、麻原と表記)のシークレット・ヨーガを受けました。その時、悲しいわけではないのに、不思議と涙が出て泣いてしまったのですが、もう一人の私がどうして泣いているんだろう、と思っていました。

 何年もたった頃に、このときのことを、会いたくて会いたくてずっと昔から探していた人という感じがして泣いたと分かったと感じるようになりましたが、しかし、今思えば、教団の中に入って麻原への愛著や帰依を修習する中で、このように思うことによって自分と麻原の関係が運命的で深いものだと考えたかったのではないかと思います。

 そして、当時の私は、参加したセミナーのすべてが感動といったぐらいに、はまり込んでしまいましたから、それ以前に入っていた阿含宗はすぐさまやめて、恋人にもオウム神仙の会に入会するように勧めたほどでした。

 それからというもの、私の担当は、新実さんや大内さんでしたが、彼らに相談のために電話すると、必ず麻原が出て説明してくれましたが、まさか一個人のために、毎回電話に出て丁寧に指導してくれるとは夢にも思わなかったので、当時の私は、ますます麻原を尊敬する意識状態になっていきました。

 とはいえ、麻原が全ての会員に個人指導をする(できる)訳でもないので、当時の私の心を分析するならば、道場が近くなく修行しにくい中で、自分が特別な扱いを受けて大切にされたことがうれしくて、麻原に愛著し、その結果、尊敬するようになっていったということだと思います。その後の一連の事件のことを考えるならば、こういった麻原への過剰な愛著は、大きな問題をもたらすことになりました。

 また、西洋医学や健康食品の摂取では直らなかった病気が、オウムのインドのアーユルヴェーダの医学と、ヨーガや功徳の理論を学んで実践するうちに、当時の私には、自分の病気が眼にみえてどんどん回復に向かっていき、それは本当に驚くべき効果があるといったように感じられました。

 そして、団体が説く仏教の教えである功徳の理論を学んでからは、私は、熱心に教団に対する奉仕の実践(バクティーヨーガ)に励み、それによってお金では買えない心の安定を得ることができたと感じました。

 しかし、これらについても、今になって冷静に考えてみるならば、アーユルヴェーダやヨーガや仏教の教えは、麻原やオウムのオリジナルでは全くなく、たとえそれらに良い効果があったとしても、麻原やオウムがすごいわけではないのですが、当時の私は、麻原とオウムを通して、初めてそれを知ったこともあって、それらの教えへの信と、麻原とオウムへの信を混同してしまったと思います。

 さらに、こうしたバクティーヨーガに励むうちに、当時の自分としては、自分の心で思ったことが、5分後には叶ってしまった(と思える)体験が頻繁に起きるようになり、本当になんてすごいところに入信したのだろうと思いました。

 今になって冷静に分析すると、こういった思念による願望成就という現象は、精神世界の中では、いわゆる「念の強い人」の場合にはよくあることであり、仏教の悟りの道からすれば決して高等なことではなく、場合によっては戒められることですが、当時の私はそういったことには気づかず、教団を肯定する思考に深くはまり込んでいったのでした。

 こうして、この頃になると、私は、自分の修行の成功の体験談を教団のために書いていましたが、そのことは、初めて麻原に会った際に、麻原が予測していたことだったので、私は、実際に、それが本当になった、予言があたったなどと考えて、本当にすごい人だと感激して、さらに麻原にはまっていきました。

 しかし、今思えば、これは、そうなったら良いなと考えていた私の潜在意識が作り出した自作自演の「予言の成就」だと考えられます。冷静に考えれば、たいしたことではないにもかかわらず、それについて過剰に感動してしまうのは、私の性格の中に、思い込みが激しかったり、好き嫌いの情緒が激しいところがあって、願望がかなったりすると、それに対して過剰な好感を抱く傾向があるからとも分析できます。

 また、当時の私にとっては、仕事の教育現場においても、オウムの説く「真理の法則」や仏教の教えは、どの教育理論よりもすばらしく、子供達をいい方向に変えていくことができるものだと感じられました。子供たちは、生き物に対して優しい心がもてるようになり、その結果クラスからいじめがなくなったほどでした。

 今思えば、その教えは、ハエや蚊といった生き物を殺生しないように戒める一方で、自分達のプライド・虚栄心を増大させて、一連の事件にまで至らせることにある大きな問題があったものだったのですが、当時の私には、そういった教団の教えの問題点には気づくことが出来ず、その良い部分だけを見ていたのだと思います。

 そして、そのオウムの良い部分についても、慈悲を中心とした仏教の教えの素晴らしさは、麻原やオウムだけのものではなく、単に、現代社会の中に埋もれて生きてきた私が、オウム真理教に巡り会うまでは、そういった教えに出会わなかったにすぎなかったのですが、当時の私はこういったことにも気づきませんでした。

 こうして、その当時の私としては、オウムに巡り合うまでは、ずいぶんと苦しんできた病気や心の不安定さや、人間関係(特に母親との関係)などについて、オウムの修行によって、何もかもが、全てが解決したように思えました(正確には、そういう風に思いこんでいったというのが正確かもしれません)。


●出家

 さて、その当時の私は、やさしい恋人もいて、経済的にも安定し、仕事においても、良い評価を得るようになって、他の人間関係も、うまくいくようになり、自分としては、何もいうことなし、という状態になり、「さあ、これから人生で生まれて初めて幸せになれる」と思っていました。

 その時に、麻原から、「出家しましょう」といわれたのでした。私は、まったく出家も解脱も他人事のように思っていたのでこれを聞いたときは大変なショックでした。「さあ、これから生まれて初めて幸せになろうというときになってなんてことなんだ!!」と大変なショックでした。

 麻原からは、1988年の年末までに出家するように言われました。しかし、こんな調子ですから、それから逃げたい気持ちで、何とか言い訳を考えては、先延ばしにしようとしました。

 麻原は、こんな私に出家させるために、たくみな方法を用いました。例えば、「吉田さんは1ヶ月独房に入って、成就して大師(教団の宗教的な指導者の称号)として活躍してもらうから」などと言いました。

 私は、その言葉を聞いて「えー!!! 私が大師???」と思いましたが、やはりプライドを刺激されて、それにうまくのってしまい、出家を約束しました。しかし、その約束した日が近づくと、心が揺れてさらに出家を延ばしたくなりました。

 しかし、その後、私は出家を決意するに至りました。自分の心をよくみつめてみると、自分は、常に自分、自分、自分、自分中心に思っていることに気付いて、「私って自分のことばっかり考えているんだな。今私は幸せになろうとしているけれど、そういうものは永遠には続くものではないし、心は無常だから彼(恋人)のこともあきるときがくるだろうし、そうしたら心は他の人に目うつりするもの。自分のことばかり考えるのはもういい!本当の愛を人に返せるようになりたい!!私をこの真理の流れに導いてくれた人、本当に大切な人なら真の愛を返そう。」というように考えるようになったのです。

 出家を決意した理由は他にもありました。世界中には自分と同じようにいや自分以上に病気や人間関係や、精神的苦悩をかかえている人はたくさんいる。そういう人たちが苦しみから解放されるようにお手伝いしたい!!(教団の説く)真理の法則や徳の理論を布教して、もっと多くの人達を助けたい、真の幸福を得て欲しいそう思ったのでした。

 また、私の様々な相談にのってくれた麻原に対して、恩返しをしたいという思いもつのっていました。だいたいこういった理由・動機で、執着・未練を残しながらも、何とか私も出家しようと心が固まっていったのでした。

 とはいえ、今自分の性格を振り返ってみるならば、他人のためになりたいとは言いながら、つきつめればその心理の背景には、(他人を助けるような)そういった自分になりたい、といった自己存在意義の追求があったのではないかと思います。

 そして、これは教団全体の傾向であって、自分達では他のために救済のためにと言いながら、その内実は、自分達のプライドを満たす面があって、そのために、その後の教団は独善的な方向に流れていきました。しかし、当時の自分は、それに気づくことがなく、他のために、救済のために、真理のために、といった当時の教団の言葉・スローガンにはまり込んでいたのでした。


●どのようにして麻原を神格化していき、同時に自分のおごり高ぶりを増大していったか

 麻原は、私のこういった生い立ちがあるがゆえに、その出会いや、交流の中で、私の中では次第になくてはならない大きな依存の存在になっていきました。

 そして、その中で私は、麻原を『人類を救済する地球規模の救世主』と思い込むようになっていきました。正確に言えば、そのように考えたいので、そのように思いこんでいったと言うことが出来ると思います。

 なぜそう思うようになっていったかについては、全部は到底書ききれませんが、ここでもう少し具体的に述べていきたいと思います。

 まず、神仙の会からの入会だったので麻原との直接の接触が多く、いつも直接指導を受けていました。その中では苦しみを随分ときいてもらい、相談にのってもらいました。病気の相談、阿含宗を辞める時の相談、家を出るときの相談、両親との軋轢の問題等々あげれば切りがないくらい、例えていうならば人生の父親のような感じでした。

 次に、1989年4月10日に出家をしたのですが、数日たって心が揺れていたとき、当時のサクラー(飯田エリ子)正悟師が、私の様子が変だと麻原に伝えてくれたために、食堂の廊下にいた私に通りかかった麻原が呼びとめて、じっくりと話をしたことがありました。

 そして、私をしっかり抱きしめてくれ、頭をなでてくれました。その当時の私は、これを教団でいう「エンパワーメント」(グルの霊的なエネルギーの移入のこと)としてとらえてうれしく思いました。そして、大変多忙な中、一人の出家したての私のために話をきいてくれ、しかもエンパワーメントまでしてくれたという思いが強く残りました。

 また、このとき、私と同じように出家したばかりで、多少揺れている人がたくさんいたので、私と麻原が話している間に、いつの間にか人だかりできていていました。そして、『どうしてあの人だけ尊師(尊師とは麻原の尊称)にあんなことしてもらえるの?!』と言わんばかりの刺すような羨望のまなざしの中にいました。

 私は、恥ずかしかったのですが、その一方で、『こんな大勢の中私だけ尊師はこんなことをやってくれた』という自負心・プライドのようなものが後からだんだん出てきたのでした。そして、「自分こそが」というプライドというものが、その後のオウムという教団の大きな問題となっていくのですが、その当時は、私はそれに気づきませんでした。


●麻原は、超能力で私の苦しみを理解してくれていると思った

 さらに数日たって心がまた揺れて家に帰りたいと申し出たとき、当時の担当大師が、私に独房での修行入りを指示しました。出家して10日後のことでした。

 この独房は、コンテナで中はとても狭くしかも当然電気もない真っ暗な中、1日1回食事を担当の人が夜中2時頃もってきてくれるだけでした。明かりは、懐中電灯が唯一のもので、自分の吐いた息で湿気が溜まり、中はカビだらけ、呼吸法などをやっているので湿気がしずくとしてポタポタ落ちてきました。暑い日は、座法を組んでいることもできず、ハーハーと呼吸をするだけで精一杯な状態でした。

 一時は、このまま死んでしまうのかなと思ったほどで、苦しくなったらいつも心の中で「尊師、尊師」と呼んでいました。そして、「もう限界だ、私は徳(すべての現象を動かす原動力)がないんだ、現世に戻って一からやり直し徳を積みなおそう! 私は基礎からやり直した方がいいんだ」と考えていました。

 そう考えるようになった数日後、夜中の2時に出される食事のトレイに手紙がのっていました。開けてみると、石井久子氏(当時の麻原の一番弟子)の代筆で麻原からのメッセージでした。そこにはこのように書かれていました。「今、君がここで現世に帰ったとしてももう成就するだけの徳はないよ。○○君(私の現世においてきた恋人)も応援してるよ。私は君をここで成就させるつもりでいるから頑張りなさい。」

 この言葉は一人ぼっちで真っ暗中修行している私にとってはとてもうれしいことでした。成就ということではなく尊師はいつも私のことを見守ってくれていたんだ、という思いでした。真っ暗闇の中でたった一人で修行して、もの凄い孤独を感じる中、その当時の私は、これは、麻原が自分の心を読んだ結果だと考え、「尊師の他心痛だ(他の心を読み取る超能力)!尊師の神通力はやはりすごいなあ!」と思い、つくづく感激したのでした。

 今、冷静になって考えてみれば、麻原は、担当の大師から、私が揺れているために独房に入ったことや、独房での修行の状態の辛さは十分承知だったでしょうから、こういったメッセージがあったとしても、不思議ではないのですが、苦しさに追い詰められて、麻原にすがっていた心理状態の私は、これは麻原の超能力であり、麻原はいつも見守ってくれていると強く思いたかった(思うことで自分を支えたかった)のだと思います。

 結局、その秋から、教団が選挙に出るということになり、その準備があるために、独房修行は解体になりました。結局、私は合計105日間、そこで修行をしました。


●麻原が、遠くにいる自分のことを超能力で理解していると思ったこと

 選挙が終わって、子供班が阿蘇の波野村に移動するに伴い子供教育部の担当になった私も一緒に移動することになりました。しかし、ここでの修行生活は大変でした。

 住民の反対運動のさなか、住民票は入らず、まだ工事は完全に完成してない状態でしたから、あっちこっちぬかるみだらけでまるで広い運動場のような檻の中にいるようでした。子供たちも出家したばかりで慣れがなく、こんな生活状態ですから、大変なストレスになっていました。そういう子供たちの勉強をみるわけですから、通常通りにいくわけがありませんでした。

 ストレスがピークに達しはじめていた頃、ある日、生活棟の外の道に立ちつくしていたとき、『ああ。この道をたどっていけば外に出れるかな。家に帰ることができるかな。』とボーッと考えていました。

 そして、しばらくしてから生活棟にもどったとき、石井久子氏(ケイマ正大師と呼ばれた麻原の一番弟子)が、私に「尊師がタントラウッピリー(=私の宗教名で、このときはまだラージャヨーガの成就者とだけ認定されていた)はどうしてるかとおっしゃっていて、状態を聞くようにおっしゃっています。タントラウッピリーさんのことを気にかけていらっしゃいましたよ」と聞きました。

 これを聞いた時、私は、麻原が私の状態を察知しているものと考えて、『尊師はなんてすごいんだろう。私の状態をこんなに離れた距離(私は熊本の阿蘇で麻原は静岡県にいた)にいても一発で状態を見抜いてる。やっぱり尊師はすごい。尊師は私のことを忘れないでくれている。』と、とても辛かったこともあったので思わず泣いてしまいました。

 これについても今思えば、客観的に見れば、超能力とは言えないとは思うのですが、当時の私は、非常に辛かったと言うこともあって、先ほどの事例と同じように、麻原を絶対化して、それに依存することで、自分を支えていくという反応していきました。客観的に判断するのではなく、自分の強い苦しみを和らげるために、対象を神格化していったのだと思います。

 その後、私は、教団における「成就者」となるための極限修行に合計で6回入りましたが、なかなか成就することができませんでした。

 何回目かの極限修行中に、私は疲れて、 『やっぱり私は徳がないんだなあ。どんなに頑張ったって成就と認定がないし。ああ、尊師のお役に立ちたいなあ。徳が積みたいなあ。尊師の秘書なんて到底私にはやらせてもらえないし、それだったら、尊師の洗濯物でも掃除でもいいし尊師のお世話がしたいなあ。でもそれもお付きの人がすでにいるし、私にやらせてもらえないだろうし。そうだ!せめてケイマ正大師の秘書をやりたいなあ。』と心の中で思った翌日のことです。

 修行場にケイマ正大師がやってきて「タントラウッピリーさん明日から私の手伝いをやってもらいます。」と言いにこられたのでした。ここでも、私は、これを麻原が私の心を読んだのだと考えて、その神通力をまざまざと見せつけられたという思いになってしまいした。

 これについても冷静に考えれば、麻原の超能力ではなく、単なる自分の願望の成就だった可能性があります。先ほども書いた通り、麻原とは関係がないところで、出家前から、私は、自分の願望が翌日にも実現するという体験をよくしていました。また、願望成就ではなく、自分の近い未来を直感した可能性もあると思います。

 しかし、こういった冷静な見方は出来ず、こういった出来事を全て麻原を神格化する方向でとらえていました。そして、それは、自分の強い苦しみとセットになっており、神格化によって、苦しい自分を支えたり、自分の願望の実現を強く肯定したり、といった心理的な背景があったのだろうと思います。

 また、極厳修行の時のことですが、その時も、麻原が弟子の心を読んだと思うような体験がありました。具体的には、麻原が修行者を励ます説法があったのですが、その時麻原は、一人一人の修行者について、その食欲だとか、グルへの疑念だとかについて語り、それを聞いた私は、麻原が弟子の状態を言い当てていったと思いました。

 これも冷静に考えれば、麻原を神格化する理由・根拠にはならないものです。しかし、先ほどから述べているような自分や自分達信者の全体的な傾向は、そういったことを過大に評価するものだったのです。

 これらに加えて、麻原の子供の教育係となり自負心が満たされたことも大きな影響があったと思います。それは、麻原の次女の勉強を見るように指示されたことです。

 このときも、当時の私は、『ああ。尊師はここまでして私に徳を積ませて成就をさせようとしてくださっている。ありがたいなあ。』と考え、麻原に愛されているという思いが強まりました。

 しかし、その内実は、麻原が私を愛しているということではなく、私自身が、「私」を愛していて、麻原が私を(他の信者よりも特別に)愛していると思いたかったという心理があったことは間違いないと思います。


●今になって思うこと、グル幻想の形成

 そして、今になってよくよく考えると、これらの麻原を信奉・崇拝していく体験は、その背景として、次の心理が、私の心の中に育っていっていたと思うのです。それは、『グル幻想』です。

 これは何かというと、例えば、『私のグルは世界で一番偉大なグルである。なぜなら、私のグルなのだから。』という思い、考えです。もっと分析するならば、『そうあって欲しい!!私のグルなのだから』という自己のプライドや自己実現欲求を満足させたい、という心の働きです。

 つまり、私は、麻原を崇拝していたというよりも、自分自身を愛しており、その自分が信じた人だから、その自分のグルだから、偉大であって欲しい、偉大なのだと考えていったということです。

 しかし、当時の私は、この自分の幻想に全く気づくことができず、だんだんと幻想が大きくなっていってしまったのです。

 また、麻原を信奉する理由となった他の出来事として、次のことがありました。

 私は、大学をどこにするか探していた時に、部厚い大学の要綱の中からページをめくったとき、自然と指がとまったページがあって、それが、当時の私の条件としては、一番いいように思えたものがありました。

 それは、山梨県など縁もゆかりもない土地だったのですが、私は進学する大学をそこにしました。その場所が、偶然にも麻原が救済の地に選んだところのすぐ近くだったのです。
 
 また、就職してほどなくしてのことですが、後輩の先生に「私もうじき尼さんになるの」と突然言ったり、高校の就学旅行のとき富士山見学で生まれて初めてこの地に足を踏み入れたにもかかわらず、「私、大人になったらここに絶対また来る!!」と思わず興奮して言ったりしたことがありました。

 また、初めて麻原に会ったときにも、「会いたかった!やっと会えた」という感情が出てきたり、また別の時に、修行で恐怖心がでたときに、『親も恋人も関係ない!この人だけ!』という思いが出てきたことがありました。

 そうしたことなどから、『私は、前生から尊師と縁があって、今生救済のお手伝いのために生まれてきたんだ』と思い込んでいくのでした。

 こういった体験がなぜ起こったのか、単なる偶然なのか、いわゆる世の中でいう人と人の縁というものなのかは別にして、大きな問題は、私と麻原は縁があるというだけではなく、前にも書きましたが、「私と縁がある麻原は正しい」と考えていった(考えたくて、そうした)ことだったと思います。麻原に対する愛著が、自分自身への愛著と一つになってしまったのです。

 そして、教団では、麻原が、未来仏マイトレーヤであって、救世主である、という宣伝がどんどんなされましたが、私には、それを安易に受け入れて信じていく積極的に信じたいと思ういろいろな要因があったのでした。

 そして、このグル幻想の中で、やはり私は特別なんだ、救済者なんだというおごり高ぶりが、しっかり育っていったのでした。自分をこのように特別視することで、エゴを喜ばせてきたのでした。


●どのようにして幻想の世界から少しずつ抜け出していったのか

 教団は2004年の終わり頃から2005年にかけて代表派と反代表派が対立するようになり次第に分離していくようになりました。

 私は最初から、代表派につこうと思っていたのではなく、自分が納得いかないものは納得いかないので、反代表派の言っていることがおかしいと教団の中で言っているうちに、自分が反代表派から、修行における落とし穴を意味する「魔境」の烙印を押されるようになったのでした。

 そして、代表派の活動に参加する中で、「真実を語る会」をつくり、勉強会を開く中、今まで全く知らなかった内容が明かされていきました。そして、やっと、一連の事件は、それまで教団が宣伝していたように、教団に対する陰謀でも、弾圧でも何でもなかったということに初めて気づいていきました。

 それまでは、教団では、教団以外の本は読んではいけないということもあって、私はほとんど外部からの情報を入れないようにしていましたが、代表派の活動に参加し始めてから、初めて客観的な正確な情報に基づいて考えるようになりました。

 それまでは、事件の内容すら、しっかりとは知りませんでした。しかし、この代表派の勉強会では、事件に直接かかわって、刑に服して帰ってきた人たちが、生々しい事件の真相を語っていき、私もそれを事実として受け入れるようになりました。

 今思えば全く話にならないことですが、こうして、私が、客観的な情報を受け入れることを長くしなかった背景としては、そうしてはならないという教団の規定があったということもありますが、根本的な理由は、自分が信じた麻原と教団を否定したくないという心が強かったからだと思います。


●麻原の殺人事件の真相を知りショックを受ける

 代表派の勉強会の中では、落田さん殺害事件の真相や、亀戸異臭事件の真実等々について、さまざまな真実を直接的に体験した人達から教えてもらいました。

 そこで語られる内容は、生々しくて聞いているだけで怖い思いでした。その当時の私は、自分が信じている者が壊されるという思いや、その内容の悲惨さからか、できれば聞きたくなかったと思いました。

 新実さんが、麻原から言われて富田さんを拷問した内容などを聞いたときは到底信じられないという驚きとともに、新実さんには、私は信徒時代お世話になっただけにあんなにやさしいかった人がなぜそんな酷いことができるのかと耳を疑いました。

 直接会って、虫も殺してはいけないと言っていたのに、どうしてそんなむごいことができたのか確かめたいという気持ちで一杯でした。新実さんに対しても、なぜそんな拷問ができるんですか!! と問い詰めたい心境でした。信じられない!! そんな思いとショックで胸が一杯でした。


●殺人事件もポアだと考えてしまった

 しかし、私の中には、教団の他の多くの信者と同様に、麻原を生きながらの仏陀だと思い込んでいました。よって、そういった他の信者と同様に、「尊師からポアしてもらえる人は幸せだ」という気持ちも持っていました。

 この点については、教団では、さかんに病気などで亡くなった人が、麻原にポアしてもらったために、高い世界に転生した話が持ち上げられており、私はそれをそのままに信じ込んでいたことなどが背景としてあります。

 特にハルマゲドン思想が説かれだした頃には、自分たちの『グルは世界を救う偉大なグル』であり、悪業多き魂を救うためには、ポアという手段を使ってでも仕方がないということさえ肯定するような考え方をもっていました。

 そして、麻原の説法では、お釈迦様が、過去世において、ある悪党が多くの人を殺して物を盗むことを神通力で見抜いて、その悪党が、大変な人殺しの悪業を積んで、大変長い間地獄に落ちることを哀れみ、それを防ぐために他に方法がないと考えて、自らその悪党を殺して、悪党の代わりに自分が地獄に堕ちることを選んだという仏典上の物語も説かれていました。これは、特に印象に残る説法でした。

 そして、オウムでは、麻原は、生きながらの仏陀であり、お釈迦様の前生談のようなことが、世界でただ一人できる人だ(してよい人だ)という考え方があり、私もそのような考え方を持っていました。

 しかし、これもまた、「自分の信じた人だから、そうあって欲しい、そうなんだ」という心理が背景にあったことは間違いないと思います。麻原が生きながら仏陀であるといった客観的な根拠などない中で、私達信者は、恐ろしい幻想を形成していったのでした。


●今思えば恐ろしいグル幻想だった

 今思えば、これは大変恐ろしいことですが、この頃の私は、『グル幻影』に染まりきっていました。

 私達信者は、誰かがブッダであるとか、世界でただ一人できる人だと判断する能力など全くありません。それができれば、自分自身が仏陀ということになるでしょう。にもかかわらず、私達はそういった幻想に陥ってしまいました。

 どうして、麻原に関するこういった考えが肯定できたのか、今考えると恐ろしい限りです。この点は、『グル幻影』の極致だったと思います。
 
 オウムでは、外部の情報を一切入れてはいけないと言われ、それを守っていたために、すべて教団の言っていることを受け入れて、麻原信仰に突っ込んでしまったという面もありますが、よく考えればこれも言い訳に過ぎません。

 その教団を信じたのは自分であり、私自身が、私自身を愛するがあまり、麻原を絶対視したいと思ってそうしたのです。

 そして、代表派での勉強会や、いろんな人との接触や外部からの情報を入れるにつれて、少しずつ幻影が取れていきました。いや、いかざるを得ない状況でした。


●代表派時代も、以前として麻原への執着で苦しんだ

 なぜこのような表現をあえて使うのか、というと、アーレフの代表派の時代は、まだ私の中に、麻原はすごい人だと思いたいという気持ちがあったからです。つまり、20年間近くどっぷりと染み込んでいる思いを一気に消すことはできなかったのです。

 そのため、代表派の活動をしているときも、代表派の活動は、『尊師の意思だから』と、信徒さんに話して、代表派に加わることを勧めていたようなこともありました。

 なお、私以外の代表派の人達が、どうしていたかというと、それは人それぞれの面があったと思います。私のように麻原への愛著が残って代表派の活動をしていた人と、それが薄れていっていた人と、それぞれがそれぞれの段階にあって、皆が少しずつ脱却していったと思います。

 その中で、代表派の他の人についても、一時的にではあっても、麻原の名前を使い、麻原の言葉として、代表派の活動を認めるようにも解釈できる内容のものを使っていったことがありました。これは、反代表派が、麻原の家族の威光を背景として、代表派の活動を麻原の意思に反していると強く主張したことに対抗する過程でした。

 ただし、そういった代表派の人達の言動は、「反代表派の考え方ではなく、上祐代表や代表派の考え方こそが、麻原の意思にかなう」という主張するものではなく、反代表派が主張するような「代表派の考え方は麻原の意思に全く反しており、反代表派の考え方が唯一正しい」といったことは言えない、と主張することがポイントだったと思います。

 つまり、毒は毒をもって制すというように、反代表派の激しい批判・攻撃を中和するために、麻原を持ち出して中和したに過ぎず、麻原を絶対視する視点から、そうしたのではないと思います。その証拠として、代表派の勉強会では、事件や麻原の実態を直視して、麻原を相対化していく作業が行われていたからです。

 とはいえ、麻原を絶対視する視点からそうしたのではないにせよ、依然として麻原に依存し、麻原を利用していたことは事実ですから、当時の代表派の力量の不足を表しているものだと思います。

 これについては十分に反省しなければならないことだと思いますが、こういったことは一時的なものであって、代表派時代からアーレフを脱会してひかりの輪になっていく過程において、そういった麻原への依存・麻原の利用は無くなっていきました。
 その過程においては、麻原の教材を出家修行者が一切破棄するという作業もありました。去年2007年の3月に、オウム・アーレフを脱会する前後においてですが、団体として、出家者は麻原の教材を全部破棄することになり、私も同意してそうしましたが、その過程では相当に辛いことがありました。

 こうして、率直に言えば、私はこの代表派から、ひかりの輪に移行する中で、麻原への依存・愛著からの脱却のために、ずいぶんと苦しみました。

 その中では、夜一人になったとき、麻原に対して、『(事件なんかを起こして)どうなっているんですか』『私の人生かえして!』と心の中で叫んで、それまでの麻原への依存があるがゆえに、裏切られた思いや恨みが交錯していたこともありました。

 今思えば、被害者の方々や、あの事件で苦しまれた方々等に、全く申し訳ないという思いです。この場をお借りして、改めて心からお詫びしたいと思います。

 そして、長い間培ってきたグル幻想ですから、自分に厳しく謙虚になって、それを完全に脱却し、被害者・遺族の皆さんにお詫びするとともに、一生努力を続けていかなければならないと思います。


●生まれ変わり、再出発する決意

 その後、2007年3月に、オウム・アーレフを脱会し、同年5月に新団体ひかりの輪に参加しました。

 それ以来、ひかりの輪では、オウム時代の反省に基づいて、グル幻想を超えた一元の思想を掲げながら、被害者遺族の方々の賠償をおこなってきました。私は、その役員の一人として、関西を中心とした会員教化の業務に従事していきました。

 そして、2008年に入った最近では、自分を含めた出家の会員だけでなく、自分が面倒を見ている在家会員についても、団体は麻原・旧教団の教材の破棄をできるだけ勧めています。

 幸いにも、自分の担当している地区については、相当数の会員さんの理解が得られ、破棄作業が進み、出家者と在家会員の双方において、旧教団からの脱却・脱皮が進みつつあります。

 そして、今、脱会してから一年以上がたちましたが、この総括を良い機会として、旧教団の事件によって、多くの人たちの生命を奪い、多くの人を苦しめた事実を忘れず、ここでしっかりと自分の心を見つめ直して生まれ変わって再出発していきたいと思っています。


●どこがどのようにおかしかったかについてまとめ

 第一に、すでに書きましたが、私自身がただの人間なのに、神でもないのに、絶対的な力などもっていないにもかかわらず、どうして麻原のことを神や仏陀だと断定することができたのかという問題がありました。科学的な根拠等も何もないにもかかわらず、自分の(個人的、主観的な)体験によって、それを妄信してしまったということがあげられます。

 第二に、私自身が最初に書いたような傾向があったために、このような『グル幻影』にはまりやすかったのだと思います。

 また、教団全体も、信者自らが認めた『権威』であるグルというものには、自分達が思っている以上にことのほか弱く、その『権威』が提示する『正義』の名のもとには、何でもやってしまう団体になっていたのだと思います。もちろん私もその中の一人です。

 ここで、早川紀代秀さんが書いた『私にとってオウムとは何だったのか』の文章が、もっともわかりやすいのでそれをそのまま引用させていただきたいと思います。

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『自らが認める権威が示す正義』に従うという習性は、決して特殊なことではなく、人間誰しも持っている特性ではないかと思います。
それは、世界各地で今も悲惨なテロが後を絶たないのを見ても、テロに対抗するとして多くの民間人を殺している軍隊がいることを見てもわかります。日本という国にしても、戦前・戦中を見れば『権威』に対して、いかに弱かったかがわかるのではないでしょうか。
私たちは、常にそういう『自らが認める権威が示す正義』というものに、あと先も考えず、身を投じてしまう悲しい習性を大部分の人はたぶん持っていると思うのです。
 このことは何も私たちのしたことを正当化したり、しかたがないなどと言っているのではありません。私たちが陥った誤りは誰しも状況さえ整えば、簡単に陥ってしまう危険性があるのではないでしょうか、ということなのです。
 こういった『自らが認める権威』というものは、また一度形成されてしまうと、少々おかしいなと思うようなことがあっても、その権威に従ってしまう、という特徴もあるように思います。それを根本的に疑うということでもない限り、『自らが認める権威』というものに逆らうことは、極めて困難であり、疑問を持ちながらも従ってしまうのではないかと思うのです。
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 第3に、この『グル幻想』の中で、グルを偉大化することによって、自分も救済者であると特別視し、プライド(エゴ)をみたす、という煩悩を増大させていたと思います。もともとプライド(エゴ)という煩悩も滅していくのが修行の目的のはずだったのに、救済という名のもとに自分は選ばれた魂、特別な魂とプライドを増大させていったと思います。


●最後に

 こうして、私は、いろいろな葛藤を経て、人間である限り麻原を含めて誰しもが神ではなく、傲慢によって大きな過ちを犯すものであるということに気づくようになりました。私は、全く宗教において人において無智であったと思います。

 そして、二度とあのような事件がおこらないために、今回で終わりにせず、これからもきちんと総括をしていく必要があると思いました。

 そして、私自身、他よりも優れた魂でありたい、特別な魂でありたい、という潜在的な欲求(自己実現欲求)があったからこそ、この団体にはまっていったのだと思います。
 
 私たちは選ばれた魂だという奢り高ぶりと、宗教的な無智が大きな原因で、このようなことになってしまったのだと今は思っています。

 この反省に立ち返って、自分と他人を強く区別して、自分を特別視したオウムの過ちをしっかりと反省しなければならないと思います。

 そして、大乗仏教が説く、自他の区別を超えた、真に一元的な仏教の悟りを深める努力が必要だと思います。

 それに加えて、自分の優越感を満足させるためではなく、本当の意味で多くの人たちのためになりたいと思った自分の初期の出家の動機に立ち返り、初心に戻ってやり直していきたいと思っています。

 そして、この一元の悟りを深めることができたとき、初めてあのような悲惨な事件を起こしたオウム時代の自分を本当の意味で乗り越え、多少なりとも人のためになる人間になったということができるのだと思います。

 その意味では、まだまだ道のりは長く険しいですが、コツコツ頑張っていくしかないと思います。まだまだ本当に未熟ですが、今後ともよろしくお願い致します。

                               2008年9月2日
吉田恵子

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