団体総括(本編)

2.『アーレフ時代(2000~2007年)の総括』

【7】「2006年初頭~夏、新団体構想の発表へ」

 2006年になると、その1月に、観察処分の更新が決定されました。これは、教団の中で、いわゆる反代表派を中心とした麻原回帰と言われる現象が進んでいましたので、当然の結果だったと思います。

 教団内部では、経済状態の悪化を一因とした代表派と反代表派の話し合いは、結果として不調に終わり、教団の分裂が決定的となっていました。そして、反代表派は、代表派を組織的・経済的に切り離すために、世田谷烏山の物件を解約して、別の物件に移ることを検討したりしていました。

 さて、この年の3月は、様々な意味で、大きな変化が起こった時期でしたが、まず、上祐代表自身の宗教性に大きく影響を与えることが起こりました。

■聖徳太子ゆかりの寺を巡って

 上祐代表ら、代表派のリーダーの一部は、以前から、聖徳太子に関心があり、この時期に、京都や奈良の太子ゆかりの仏閣を巡りました。

 最初は、聖徳太子の伝説で、聖徳太子が空を駆ける馬に乗って行ったところが、上祐代表らが訪れた聖地と偶然にもよく一致していたことなどから、関心が高まりましたが、その後、より深く調べる中で、太子の宗教・思想に共鳴していきました。

 それは、①太子が、神道が中心だった日本に仏教を重視して、導入した立役者の一人であり、神仏習合という異宗教の融合が生まれる始まりとなったこと、②和を持って尊しとなす、という教えを説いたことなどです。

 ひかりの輪では、「和を持って尊しとなす」とは、単に、人々の和合を説くに限らず、釈迦の説いた悟りの道である中道に関係するものと解釈しています。

 和という言葉は、平和という意味に限らず、中庸という意味がありますが、釈迦の中道とは、快楽にも苦行にも偏らない中道(中庸)の道を意味します。また、「和」は、(ひかりの輪の)「輪」にも通じ、全てが輪のようにつながり、一体である、という仏教的な思想とも関連します。

 他にも、太子の教えの中で共鳴したことは、「人を神として祭ってはいけない」と説いたことがあります(とはいえ、後世の人は太子を神格化していますが)。 また、前に述べた戸隠近くある、日本最古の秘仏を祭る善光寺にも、太子ゆかりの伝説があり、代表派が重視する神社仏閣には、太子との縁がよく見られ、親近感を感じるようになっていきました。

■弥勒菩薩像との出会い

 さて、この2006年3月に、代表派のリーダー達は、奈良や京都の太子ゆかりの寺を訪ねました。そして、上祐代表をはじめとする代表派のリーダーの中で、少なからぬ人たちが、その寺の一つに安置された、有名な国宝の弥勒菩薩像を見たときに、大きな感銘を受けるということがありました。

 これは、精神世界に慣れていない一般の人には、わかりにくい表現になってしまうかもしれませんが、私達なりの表現をするならば、その仏像に、神聖なエネルギーを感じたということです。

 この体験は、上祐代表らにとって、非常に重要なものとなりました。というのは、オウムの修行者の多くは、精神世界や宗教の体験のない一般の人にはわかりにくいかもしれませんが、いわゆる「神聖な霊的エネルギー」というものに対するとらわれがあります。

 そのため、麻原やオウム以外のものに神聖なエネルギーを体験するということがなければ、それらに対する依存から抜け出す上での障害となるからです。この霊的なエネルギーとは、理論ではなく、一種の生理的な感覚であり、密教やヨーガの修行者になると、こういった神秘的な体験を重視する(悪く言えばこだわる)面があります。

 そして、時には、自分が神聖なエネルギーを感じると、それだけで、その対象を神聖なものだと思いこんでしまう場合もあります。実際に、オウムの信者の中には、一連の事件があっても、麻原のエネルギーは神聖であるから、元教祖は間違っていないと考える人が少なからずいます。

 霊的な修行の体験・経験がない方は、こういった話には当惑されたり、ばかばかしく思われたりするかもしれません。確かに、冷静に考え見ると、それは全く信者の個人的・主観的な体験であって、麻原に神聖なエネルギーを感じない人が、信者のように感じる人よりも、この世の中には多いのですが、教団にはそれを感じた(感じてしまった)人が多く集まっていました。

■霊的な体験を絶対視しない原則を学んだこと

 そうした個人的・主観的な体験で、殺人事件を起こした人物の善悪を判断してしまうことは、冷静に客観的に考えれば全く不合理なことです。しかし、人間は誰しも自分が第一という心理がありますから、自分自身が、普通はなかなかできないとされる霊的な経験をすれば、自己のプライドも相まって、教祖に関する霊的な体験を過大視・絶対視する傾向が生じたのではないかと思います。

 そういうタイプの人たちに重要なことは、麻原やオウム教団以外において、この世の中には神聖なものが少なからず存在するという実体験である場合が多いのです。実際に、反代表派は、麻原に対する帰依がなくなれば、彼らが信じるところの神聖なエネルギーのラインが断たれてしまうと、よく主張していました。無智によるものとはいえ、こういった現実があります。

 なお、ここで誤解がないように申し上げますが、信者の中で麻原に関連して霊的な体験をしたという事実を持ち出すことで、麻原を肯定する趣旨は全くありません。私たちの趣旨は、こういった霊的な体験は、世の中にままあるにもかかわらず、免疫がない人が多いため、そういった体験を過大視・絶対視してしまう傾向があるので、注意するべきだ、というものです。

 そして、この考えを世間に広く伝え、私たちのような過ちを犯す人が少なくなるように努力することが真の贖罪につながり、逆に、これらの事実を隠蔽してしまうと、一定の霊能力や超能力を発揮するタイプの人たちを過大視・絶対視して、過ちを犯す人たちが、後を絶たないのではないか、と心配しています。

■オウムの霊的な体験は仮の体験であったと思われること

 時系列的な総括からは脱線してしまいますが、ここで、麻原と旧教団が得意とした、クンダリニーヨーガを中心とした、霊的な体験についても総括しておきたいと思います。

 代表派の総括のための調査・研究の中では、麻原の修行の指導をしたインドヨーガのグルにも、麻原やオウムについて質問することがありましたが、彼によれば、

①完全な解脱に至っていなくても、(ヨーガの専門用語でいう、アナハタ・チァクラのレベルでも)、いわゆる超能力が身につくことがある。麻原は、このレベルであった。

②ヨーガの身体操作の行法を実践した場合、その人の精神が、本質的には浄化されていなくても、一時的には浄化された状態となり、サマディを含めた深い瞑想体験が生じる場合がある。これによって傲慢になる恐れがある。麻原は、この行法に非常に熱心であったが、その意味で、行法に偏っていた。

 実際に、オウムが、相当に激しいヨーガ行法を使って、信者に霊的な体験をさせていった経緯があるため、この指摘が当てはまる可能性があると思われます。そして、実際に、そういった霊的な体験は、激しい行法を行なう集中修行の時が最高潮であり、それから離れると低減していくものでした。

 そして、日本の宗教界においては、麻原とオウム真理教は、霊的な体験をさせる点において、非常に目立っており、簡単に海外には行けない多く人たちにとって、麻原やオウム以外は見えてこなかった面もあると思います。ヨーガ・密教の本場であるチベットやインドならば、違ったのだろうと思われますが、1980年代前後の日本では、霊的体験に免疫のない人たちが、麻原とその霊的体験を過大視・絶対視し、麻原を絶対神の化身として受け入れてしまったのだと思います。

■弥勒菩薩像から学び取った真の救済者の姿勢

 さて、上祐代表らは、弥勒菩薩像に接しながら、単に神聖なエネルギーだけではなく、重要な思想・教えを学び取りました。

 それを具体的に言えば、弥勒菩薩像は、麻原と様々な意味で対称的な性格を持っていました。麻原は、人間であり、闘争的で、自己を神の化身、キリスト・王と位置づけ、武力によって20世紀のうちにも自分の真理の国を作ることを救済としました。

 一方、弥勒菩薩像は、人間ではなく、自然の木から作られたもので、1000年以上も何も語らず、静かに参拝する人を見守り、見た人に平和のイメージを与えています。そして、そのお寺での説明に感じたことですが、自己を未完と自覚し、天界で修行しているという謙虚さや、56億7千万年という時を待って、人々を救済するといった忍耐を有したものです。

 そして、この対称性は、救済者とは何か、救済者とはどうあるべきかという重要な問題に関係しており、結論としては、麻原の現したマイトレーヤ=救世主には、真実の救済者としては、著しい偏りがあって、それを改めてバランスをとるものが、弥勒菩薩像が与えるマイトレーヤのイメージである、というものでした。

 具体的に言えば、

1. 歴史を見ても、人が理想を掲げて世直しを目指す場合には、麻原に限らず、自分が善であり世の中が悪と見えることがあるが、その考え方は、傲慢の罠に陥る危険があり、麻原のように、(自分が社会に弾圧されているといった)被害妄想や、(自分は全くの正義であり救世主であるといった)誇大妄想に陥り、暴力・闘争を悪を正すための唯一の解決手段と誤って考える状態に至る可能性があり、その結果は、大きな破滅・自滅が待っている。

2. そうではなく、他人や世の中が悪く見えたとしても、一元論的な思想に基づいて、その悪は自分にもあると考え、他人を反面教師として、まずは、自己を改める努力をなすべきであり、こうして率先して自分を変える努力をしてこそ、自分と繋がっている他人を導くことができるようになり、こうした辛抱強い努力こそが、暴力・武力に勝る、大いなる力となる、

 というものでした。

 上記の考え方は、上祐代表らが、様々な聖者・宗教家の教えを検討した結果の部分もありますが、それだけでなく、弥勒菩薩像や、その材料となった大自然について、思索・瞑想しているうちに考えついたことでした。

 弥勒菩薩像は、1300年もの間、じっと動かず、辛抱強く衆生を見守り続けており、その仏像の材料となった木々を含めた大自然は、人類の営みをじっと見守り続け、その成長を見守っているとも解釈できると考えたのです。

■反代表派の中にも、大きな変化が始まる

 さて、2006年3月には、もう一つ別の大きな変化がありました。それは、村岡達子氏や村松孝子氏といった反代表派の幹部が、反代表派を離脱して、中間派に転じるという事態でした。

 これによって、反代表派は、中堅の幹部(師)においては多数であるものの、最高幹部(正悟師)については、二ノ宮氏1人だけとなりました。逆に言えば、野田成人氏、杉浦実氏、杉浦茂氏、村岡達子氏の4人は、その後は、教団の中で、中間派と位置づけられ、中間派は、反上祐派が支配している主だった教団活動からは、実質上、排除される結果になります。

 さて、村岡氏等が離脱した背景には、その後、表面化していく麻原の家族の中での意見の対立がありました。それは、麻原の四女(識華氏)と、三女(麗華氏)や母親の知子氏の間の対立でした。

 当時17歳の識華氏は、社会への融和を重視する考えを持っており、反上祐派の考えを持つ三女や母親の行動に反発して、松本家を出て、村岡氏らと個人的に接触したところ、村岡氏らも、それに共鳴して、反上祐派を離脱した、ということです。

 すなわち、教団の中で反上祐派が分裂を始めたわけですが、その背景として、松本家の中でも分裂が始まった、ということです。

■松本識華氏について

 この2006年3月の時期に限って言えば、松本識華氏は、反代表派を批判し、代表派に好意的であり、代表派のメンバーも、少なからず、彼女と接触したことがあります。その時点では、まだ麻原への愛著を残しつつも、やはり社会性を最も重視するという点で、代表派の考えと似ているように見えました。

 その後、識華氏は、2006年の夏頃に、松本家から自立するために、江川紹子氏の助けを求め、家族に対する裁判を起こして、翌年の2007年に入って勝訴し、正式に、江川氏が彼女の後見人になります。

 ところが、その前後から、識華氏の考え方は、非常に不安定なものになったようです。未成年の個人の問題ですから、詳細を述べるのは控えますが、江川氏もホームページで述べているように、彼女は、その母親や姉に反発する姿勢においては一貫しているものの、それと父親の麻原自身に対する愛著・信仰を乗り越えているかは別の問題でした。

 代表派のメンバーの一部を含めて、一時期、いろいろな人が彼女を説得しようとしたことがありましたが、功を奏さず、2007年の夏頃に、彼女は、江川氏のもとを去り、江川氏は後見人を降りる事態となりました。

 なお、ごく最近(2008年3月)になって、一人になった彼女が麻原と家族を批判する内容の記事が週刊誌に掲載されました。未成年のことですから、非常に激しく心が揺れることは不思議ではありません。これで、ついに麻原を乗り越えたのだ、と信じたいところです。

■2006年の半ば、反代表派が代表派を切り離し始める

 さて、2006年の3月から4月には、反代表派と代表派の代表者の間で、悪化が続く経済問題を話し合う会合が開かれました。この会合には上祐代表も出席が認められました。

 反代表派は、代表派を教団内のグループとしては認める代わりに、代表派グループを経済的に切り離して(反代表派グループが支配する教団の経理から代表派を切り離して)、自分たちの経済状態の回復を図ろうとしていました。

 また、これよりも前から、反代表派の信者の一部には、魔境である代表派とは一緒の施設に住みたくないとか、代表派が含まれている教団の活動のためには布施したくないという要望もある、と反代表派の幹部は主張していました。

■代表派の新団体の構想

 一方、代表派の方では、反代表派との接点が見いだせない中で、アーレフ教団から離れて、麻原から脱却した新たな団体を作り、独自の道を歩くことを考え始めていました。

 その背景としては、代表派の宗教活動は、段階的にではありますが、麻原から自立していく傾向のものとなっていたことがありました。また、代表派から見ると、一連の事件を総括・反省しないなど、相当に反社会的な面のある反代表派の教団運営の方針が変わるためには、少なくとも相当な時間が必要だろうという認識が固まっていきました。

 このような反代表派と代表派の考えから、反代表派(中間派含む)と代表派の居住区域を分別し(住み分け)、さらには、代表派の会計を独立させる(経済分離)を行うことで合意し、それを7月までに完了することになりました。

 そして、その合意と前後して、2006年5月半ばには、上祐代表が、教団内の出家信者(反代表派含む)に対して、直接、新団体を設立する構想や趣旨について、説明しました。

■教団と松本家の関係について

 なお、この頃、上祐代表は、会議において、教団による松本家に対する多額の援助(松本知子氏の描いた宗教画に対する使用料の支払い)については、現在の状況を考えると、社会の理解を得られず、問題になるだろうと考えました。

 そこで、反代表派に対して、繰り返してその取りやめ、ないしは、経済的な理由によって取りやめることができない場合には、松本家からその事情の説明を受けるように求めましたが、麻原とその家族に対する帰依を背景として、反代表派の理解は得られませんでした。

 しかし、7月には、警視庁が、松本家および周辺関係者を強制捜査する事態が発生し、それに伴う報道において、反代表派の教団から松本家に多額のお金が流れていることが公に報道されて、批判される事態となりました。
 
 その中で、松本家への絵画使用料の支払いの問題も批判されたので、今度は、中間派の野田氏や村岡氏が、反代表派の執行部に再考を求めましたが、それも受け入れられることはなく、依然として、彼らは、松本家への支払いを続けている状態にあるようです。

 そうしているうちに、8月になると、松本家から家出をしていた四女の識華氏が、麻原から正式に自立するために、江川紹子氏を後見人とする裁判を提起し、「家族は教団と関係ないと嘘をついて、教団を支配しており、信者に貢がせて贅沢な生活をしている」等と述べ、事態は悪化し続けていきました。

■代表派の新しいセミナー

 さて、代表派は、2006年のゴールデンウィークと夏休みの大型の連休に、恒例のセミナーを行いました。こうしたセミナーを繰り返す中で、代表派は、段階的に、麻原からの自立するための諸条件を固めていきました。

 例えば、2006年のゴールデンウィークのセミナーでは、旧教団が重視していた、麻原の唱えた真言(マントラ)や、麻原のエネルギーが込められたとされる「甘露水」と呼ばれる水などに替わる、新しい真言や聖水が生まれました。

 具体的には、チベット密教などの儀式などで伝統的に用いられている神聖な音を出す法具を大々的に使用し始めました。様々な法具があり、それぞれ違った音を奏でますが、聴いて心地よいもの、心を静めるもの、深い瞑想状態に導くものなどがあります。新団体では、この神聖な音を出すとされる密教の法具を「聖音法具」と呼んで、様々な儀式や瞑想修行の際に用いています。

 また、最近は、合計すると数十種類にも及ぶ法具の音や波動を用いて、心身を浄化する「聖音波動」と呼ばれる儀式や、録音した聖音をサラウンド再生環境で回転させたり、シンセサイザーによる効果音とミックスさせたりして、それを聞く人の心身を浄化する「聖音法輪」と呼ばれる儀式も、行ない始めました。

 そして、密教の聖音法具を使って、心身を浄化することを「密教ヒーリング」と呼んでいることは、サイトの別のテキストにもある通りです。この結果として、麻原の真言・マントラは全て破棄しています。

 さらに、密教の聖音法具の聖音によって浄化された水を聖音水と呼んで使用しています。そして、オウム時代の甘露水は一切破棄しています。

■夏のセミナーで、聖地巡礼を行なう

 さて、2006年の夏休みのセミナーは、聖地巡礼ツァーと銘打って行われ、団体始まって以来、日本の聖地や神社仏閣を巡る旅となりました。代表派のリーダー達が、それまでの数年の間に訪れて、色々な体験や勉強した縁のある聖地を選びました。

 最初は、長野の諏訪・戸隠・善光寺に行き、その後、乗鞍を経て、京都・奈良を回りました。乗鞍では3000メーターの高地からご来光を見て、大自然に投影された如来の慈悲の光を感じました。京都は弥勒菩薩像を皆で参拝しました。そして、最後が、奈良の吉野山(修験道の総本山で有名)でした。

 さて、新団体のシンボルマークには、虹色が使われているように、上祐代表の宗教的な転機となった2002年の7つの虹の体験をはじめとして、代表派・新団体のメンバーは、聖地などで、不思議と虹を見る機会が多くありました。

 そして、上記の聖地巡礼でも、その最後に訪れた奈良・吉野において、セミナーを終了した直後に、虹が現れるという体験をしました。解散直後というタイミングの良さに、皆が大喜びでした一幕がありました。

 なお、聖水の話のところでも書きましたが、新団体は、いわゆる神秘的な体験や、偶然の一致にしては不思議な体験をしたとしても、旧団体のように、それを安直に教祖の神格化や絶対視に結びつけることはしません。それは、人は条件が整えば、体験することがあり得る、人間としての自然な現象の一部と位置づけています。

 また、そういった体験が現実として存在するにもかかわらず、その存在自体をはなから無視する傾向がある旧来的な物質主義、物心二元論、古典的な科学などにも賛成しないというスタンスを取っています。
 
 虹のような現象は、今のところ、精神医学者であるカール・ユングなどが唱えた、シンクロニシティ(意識と外界の出来事が共鳴する現象で、意味のある偶然の一致とも言われる)の範疇に属するものだ、と考えています。

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