団体総括(テーマ別)

3.心理学の「影の投影の理論」に基づくオウム真理教と日本社会

【6】最後に――敵対する両者は、自分の暗部を相手に見る

オウムのような問題を二度と繰り返さないために、オウム真理教と、オウム真理教を生み出した日本社会との関係に着目して、それを心理学の「影と投影の理論」を軸に見てきました。

 ある時代に生じたものは、決して単独で他との関係なく、突然現れ出るものではなく、その時代の他の要素と「不可分」に関係し、さらに、過去とのつながりの中で生じた要素であったり、持ち越されたりした要素もあって、何重にも関係し合って、一つのものを生み出すのではないか、と思います。

 オウムとその事件も、日本社会が有している「大日本帝国の過去」や、社会不安などから流行した「ハルマゲドン予言ブーム」、それらを背景として、『宇宙戦艦ヤマト』『滅亡のシナリオ』などといったアニメ・映画・書籍といった情報が背景にあり、さらに、幼少時・青年時代の不遇もあって「ゆがんだ麻原の人格」と、日本社会の中で育った「弟子たちの潜在的な欲求」などが、縦横に関連し合った中から生まれてきたものです。

 そして、日本社会の過去の「暗部=影」として、「教団」が生み出され、教団が批判した日本社会は、教団の「影」でありました。このように、多くの場合は、「敵対する両者」は、実際には、自分の「影」を相手に見ており、それがゆえに激しく敵対する、という認識は、非常に重要ではないか、と思います。

 「敵対する両者」、あるいは自分が嫌悪するものは、自分の「影」を投影したものです。自分が忘れて見ようとしない本質、自分の償っていない過去、完全に清算されていない過去、この「投影」として他者は存在しています。

 または、自分が「未来」に犯す過ち、その潜在的な可能性の「投影」として、他人の問題があるという考え方。これは、「ひかりの輪」に当てはめなければいけません。

 教団と社会という、オウム真理教において最も大きな区別の対象であったものを、完璧に区切られた別のものと見るのでなく、「つながって」いる、「影の投影」をし合っているという見方をしていかなければなりません。それは善悪二元論を超えるものです。

 しかし、自分と他人が互いにつながっていて、似た者同士だという認識がなく、相手を悪魔のように冷酷で自分たちに危害を加えてくる、と思えば、そこに「戦争」が始まります

 アメリカがイラクと戦争をはじめたのも同じようなものではないでしょうか。また、ヒトラーがユダヤ人を「悪魔」と見ていたことも同じだと思います。善悪二元論は「被害妄想」になります。自分とは「別の」恐るべき他人、悪魔というものが設定されます。

 しかし、一元論の場合、自分の中の小さな「悪」の投影として他人を見ます。悪魔は自分の中にも他人の中にもいます。この見方によって、予言のシナリオの解釈も変わります。『ヨハネの黙示録』も『ノストラダムスの予言』も見方が変わります。

 『ヨハネの黙示録』の中の「獣」というのは、自分の中にいるのだと。「キリスト」というものも自分の中にいるのだと。「獣」に「キリスト」が打ち勝つというのは、自分の中の「自他の区別をする悪魔」に、自分の中の「自他を超越する智慧と慈悲」が打ち勝つということ、これが、本当に価値のある予言の解釈ではないでしょうか。

 こうして、この「予言のシナリオ」というのは、実際の世界における自分と他人の関係での戦い、ではなくて、「自分の内的な戦い」「仏性と煩悩の戦い」に昇華されてこそ、正しく解釈されたといえます。それが、一元論的な『ヨハネの黙示録』と『ノストラダムスの予言』の解釈であり、自分の「心の中」の描写として解釈します。

 そもそも、ヨハネが脱魂状態に入って、この善と悪の戦いのヴィジョンを見たのですから、それは、彼の「心の中」の戦いであって、外側の戦いと錯覚してはならないというのが、一元論的な予言解釈の考え方ではないかと思います。

 この点において、オウムは、仏教を説いているようで、仏教的ではなかった面がありました。自分の「悪」を見ず、他に「投影」して他が「悪い」とすることは、仏教が説いている「すべては自己の心の現れ」あるいは「すべては自己のカルマ(業)の現れ」という教え、カルマの法則とは違った考え方です。

 さらに、仏教的な見地から言えば、問題を他人のせいばかりにすることは、自分たち側の、自分たちの内部の問題点の理解を阻み、それが将来の苦しみを生み出すことにしかなりません。それは、自他ともに苦しめることになります。

 にもかかわらず、私たちは、自分を「正当化」し、他を「悪」に仕立て上げることを繰り返しています。稚拙な分析ではありましたが、ナチスをはじめ、大日本帝国、日本社会、オウムが、「その」過ちにより、悲劇を生み出したことの認識を深めるべきだと思います。

 そして、「ひかりの輪」では、こうした誇大妄想と被害妄想、善悪二元論に陥らずに、現実世界をありのままに見つめるように努めようとしています。過去の償いの意味も含めて、今後の社会に微力ながら貢献できれば、と考えております。

 仏教の根本の教えである縁起の法、すなわち「すべては、それぞれの心の要素を投影し合い、相互に関連し合い、生成し消滅している」いう現象の真実のありようを理解して、善悪二元論でものを見るのではなく、自分の中の悪と他人の中の悪の「共通性」を認識していくべきではないか、と思います。

 そして、この総括もそのための一部ととらえて、オウム信者や元信者の反省と、悲劇の再発の防止に貢献できるものとなれば、と願っております。

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