団体総括(テーマ別)

1.麻原の変遷の経緯の総括

『麻原の変遷の経緯の総括』

『オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括』にて、述べてきた麻原の言動の事実関係についてまとめると、おおむね以下の通りとなります(2008年7月作成)。

●(1) 一連の事件のため、過激で、いわゆるヴァジラヤーナ(金剛乗)的な面が顕著に目立つ麻原ではありますが、教団草創当初(85年~87年頃)は、マハーヤーナ(大乗)等に基づく比較的穏健な思想も説いていました。

 例えば、「他人の中に仏陀を見る」、「選民思想の否定」、「カリスマの否定(=グルイズムの否定)」など、当初の麻原には、後の傲慢・独善的な傾向とは違った、ある程度まともな教義があったり、また、救済の方法についても、(宗教には一般に多々見られるように)自己中心的・誇大妄想的ではあっても、少なくとも非合法的ではない「3万人の成就者の力によってハルマゲドンを救う」といったものがありました。

 これが、麻原の本質として存在していたのか、偽善的なものだったかはわかりませんが、特に救済活動については、客観的には誇大妄想的ではありますが、こういった教義に理想・ロマンを感じて入信した信者が多くいたことは確かです。

 しかし、麻原についてよく調べると、①1980年代半ばに、ヒトラー予言の研究を行い、ヒトラーがノストラダムスの予言を成就させるために、あえて戦争を起こして破滅したのではないかという過激な説に共鳴したり、②1985年の段階では、自らに「アビラケツノミコト」という戦いの中心となる者になれとの神の啓示があったとし、③1987年頃までには、「フリーメーソンと戦わなければならない」「核を撃ち込むビジョンを見た」といった話があったことからも、かなり初期から戦闘的な考えがあったことは事実でした。

 ただし、この時期までは、こうした戦闘的な話を語るときも、弟子達にとっては、当時は、まだマンガ・フィクションの話に聞こえたにすぎませんでした。

 よって、この時期は穏健なマハーヤーナ的思想と、過激なヴァジラヤーナ的思想の両方が共存し、説かれていた時期といえます。

●(2) しかし、その後、1988年頃から、①グルイズム、ヴァジラヤーナ、②救済論として、自らの武力行使でハルマゲドンを起こす、という過激な考えが徐々に強まっていきました。

 グルイズム、武力行使思想が強化されていったきっかけは、①ノストラダムス予言、ヨハネの黙示録予言の解釈(真実は定かではないが、シヴァ神から予言をひもとけとの啓示があったとされる)、②真島氏死亡事件(「ヴァジラヤーナへ入れ」というシヴァ神の示唆があったという)が考えられます。

 こうした「神の啓示」「神の示唆」というのは、自分自身が巨大な存在でありたいという願望(妄想)が、自らに見せたものとも考えられます。

 また、1988年後半には、シャクティーパットを終えた後で、「凡夫の救済ではなく、新しい種を残すことが自分の役割と思うようになった」とも述べていることから、周囲の信者のカルマ(闘争的・厭世的傾向)も受けて、そのような考えに傾いた可能性も考えられます。
 
 世間で注目されてきた予言者も、最初のうちは予言を的中させることができますが、後になるにつれて外れてくる傾向があるのは、社会や周囲の影響を受けるからであるとも考えられます。

 そういう意味では、麻原に内在していた妄想的な考えに加えて、こうした思想傾向を持つ日本社会で育った信者達の影が麻原に投影されていったとも考えられます。

 麻原の著書『滅亡の日』の中には、ハルマゲドンに至る人類の悪業の数々が書いてありますが、このような現代社会への疑問や不安、悪い者をやっつけようとする意識の総合だとも考えられるのです。

 ただし、前記の通り、この時期に先立つ1985年には「アビラケツのミコト」の啓示があったように、極端なグルイズム・武力行使の発想は、麻原のもともとの潜在的傾向だったのは明らかです。

 それが上記のような様々なきっかけで顕在化してきたものと思われます。

●(3) 1990年初頭の選挙敗北で、その傾向にさらに拍車がかかり、現実化していきました。

 具体的には、救済のためには武力による破壊も必要であり、神々がやると人類が全部滅びるから我々が(裁きを)やる等と説法した上、ボツリヌス菌の製造が実際に始まり、散布計画が立てられスタートしました(結果は失敗)。つまり単なる妄想にとどまらず、教団武装を現実化していくようになりました。

 まだこの段階では、麻原の中には、完全にヴァジラヤーナ路線で進むという決心はありませんでしたが、国土法事件で弟子らが逮捕されるに至って、「マハーヤーナは間違いだった、やはりヴァジラヤーナでいく」、「戦うしかない」との決意を固めることになったのでした。その後は、揺れることなくヴァジラヤーナ路線を突き進むことになります。

●(4) これらと前後して、グルイズム・武力行使思想の強化によって、必然的に思想傾向が二元的となっていきます。

 そこで、教団外に「外敵」を設定していきます。具体的には、創価学会、フリーメーソン、警察などの国家権力などでした。

 これらは、『サンデー毎日』の報道、坂本弁護士事件の報道、選挙落選、国土法事件等に伴う外部からの圧迫も、きっかけになっていますが、もともとは教団自らの罪から生じたものであり、「身から出た錆」でした。

 その後には、JCIA、アメリカも、外敵として設定されていきます。こうして、外部からの圧迫が強まるとともに、被害妄想が増大していったのがきっかけと思われます。それは、麻原自身の誇大妄想の裏返しだったといえます。

●(5) ただし、1991~92年は、1990年末の国土法事件による捜査をきっかけに、マハーヤーナ路線となり、国内外の社会的評価の形成に注力するようになりました。

 とはいえ、これは内心に決意したヴァジラヤーナ路線を成功させるため、社会をあざむくためのマハーヤーナ路線といえるものでした。この時期は、教団の裏活動(ヴァジラヤーナ活動)は停止し、1990年の国土法事件の打撃を受けて、「裁判を名誉にかけて戦わねばならない」として、組織を立て直す時期と位置づけられたのでした。

 ただし、自己神格化はしっかりと強化されています。1991年末には『キリスト宣言』を行い、神の子として、神格化が最高潮になっていったのでした。

●(6) 社会的評価が高まった1992年の後半からは、それ以前に失敗したボツリヌス菌に代わって炭疽菌の製造計画がスタートし、裏活動が本格再開されました。

 この時期、「マハーヤーナに導こうとする悪魔の誘惑を断ち切る」と述べて、マハーヤーナを悪魔とまで言い切って、ヴァジラヤーナ路線を突き進み始めました。このことからも、社会的な評価を高めるマハーヤーナ路線は、ヴァジラヤーナ計画の強化(ヒト・モノ・カネを集める)のための路線にすぎなかったことがわかります。

 また、教団が将来において軍事力を保有することを公言し、自分は「最後の救世主」であるとまで宣言しました。そして、武装化のための研究開発・実験の対象も、炭疽菌だけではなく、小銃、化学兵器、核兵器にまで範囲を広げていきました。

●(7) ほぼ同時期に、ますます被害妄想も高じていきました。

 これは、信者を戦いに誘導するための戦略という見方も一部にはありますが、麻原自身も被害妄想に陥っていたと考える方が合理的なようです。

 その背景としては、①麻原が幼少の不遇の時代から、被害妄想的な傾向があったとも見られること、②自分たち自身が、密かに様々な違法行為や武装化等の非道な行為を行なっている異常な心理状態であるがゆえに、自分達も密かに攻撃されているのではないかという被害妄想が生じたのではないかと考えられます。

 例えば、すでに1990年には、選挙惨敗が国家による謀略という被害妄想がありましたが、これは、青年時代の生徒会の選挙に落選した際にも見られた麻原の傾向であるとともに、その当時の教団側は、自分たち自身が、坂本弁護士を謀殺したり、選挙活動の中で違法行為をなしたりしていました。そして、自分が違法活動をなしてきたから、国家も違法な謀略に出るのではないかという被害妄想を抱いた可能性が高いのです。

 そして、この時期(92年後半以降)の最大の被害妄想は、毒ガス攻撃を教団が受けているという妄想でしょう。93年6月に毒ガス製造指示を行ってから、わずか4カ月後に、教団が毒ガス攻撃を受けているという説法を行っているのです。

 これも、毒ガスの製造・使用を自らがやっているがゆえに、外部からやられているという被害妄想に陥ったのだと思います(これとは別に、教団の製造実験のカモフラージュだったという見方もできます)。

 そして、ついには、アメリカへの敵愾心によって、アメリカから攻撃を受けているという妄想に陥り、「(アメリカとの)戦いか(戦わずに教団が)破滅か」という世界観に入っていきました。

●(8) 1993年以降は、教団の内部・外部への攻撃(殺人)を本格化させました。

 外部の教団反対者への殺人を、当然のように繰り返すようになりました。キリストであり、最後の救世主であれば、外敵に対しては何をしても許されるという極めて傲慢な意識状態にあったと思われます。

●(9) そして、内部の修行方法も極めて機械的で非人道的なものとなっていきました。
 それは、パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーション(麻原の脳波を信者に打ち込む)→キリストイニシエーション(LSDを用いた瞑想)→ナルコ(麻酔薬を用いたインタビューや洗脳)→ニューナルコ(電気ショックによる記憶消去)という具合に導入されていきました。

 ナルコやニューナルコは、スパイ疑惑(またはスパイであっては不都合な人)や破戒疑惑があった人を中心に行われました。

 つまり、後期になるほど、本人の意思を無視した形での修行(といえるかどうか疑問ですが)となっています。これは、人間を機械やデータと見なすものであり、弟子の仏性を引き出すのではなく、グルのクローン化をもくろんだものとしか考えられません。

 麻原はこの時期、「完全他力本願しかない」と述べて、これらの修行を行わせましたが、これは、弟子をパソコンのハード、自分をソフトに見立てて、弟子を自分のロボット・クローンにしようとした思想があったと考えられます。

 それは同時に、外部のみならず内部の信者に対しても及び、自分は他の人格を自由に支配・コントロールしてよい存在であるという傲慢な思いこみに、麻原が支配されていったことを示しています。

●(10) 最後には当然の結果として、外部の介入を招き、内部でも反発を次々と招いて崩壊しました。

 当然のことながら、妄想に基づく極端な二元的思考は、結局自己を滅ぼすということがわかります。

 しかし、こうした麻原の精神的な傾向は、次に述べるように、その一部において、ないしは、潜在的な意味では、麻原の教えや個性に共鳴した信者らにも内在したものであり、信者らによって増幅されたものと考えることができるのです。

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