上祐史浩個人の総括

1.オウム真理教の違法行為・ヴァジラヤーナ活動について(1984~1995)

【3】1990年 選挙の惨敗と落選の陰謀論

 この年は、非常に大きな転換期となりました。まず、1月7日に「真理党」の設立と衆議院選挙出馬を発表して選挙に臨んだものの、惨敗という結果でした。そしてその後に、教団はいわゆるヴァジラヤーナ活動を本格化させていくため、これは一つのターニングポイントになります。

 それはなぜかというと、麻原は、「選挙はヴァジラヤーナではなく、(合法的な活動である)マハーヤーナ活動によって、教団の救済活動を進めることができるかどうかのテストであり、それが失敗したということは、(マハーヤーナではダメで)、ヴァジラヤーナが救済の唯一の道である」と主張したからです。

 もちろん麻原は、選挙の前から、上九色村の土地を購入したり、村井と話し合うなどしたりして、選挙と共にヴァジラヤーナ活動の準備を少しずつしていました。よって、選挙に当選していたら、ヴァジラヤーナ活動がなかったかというと、それは分かりません。
 しかし、選挙に惨敗したため、ヴァジラヤーナ活動しかないという気持ちになったのはたぶん確かだと思います。

 そして麻原は、選挙の惨敗の原因について、「(本来は選管発表より多くの得票をしていたが)投票票操作による陰謀があった」と主張をしました。
 これは、「自らの力不足で惨敗したのではなく、国家権力によって陥れられた結果として敗北した」ということであり、これは麻原の終末思想の預言と合致する内容であるとともに、「マハーヤーナ活動ではどんなに自分たちが努力したとしても、国家権力によって妨害されるために救済はできない」という論理を構成することになりました。

 では、教団が、陰謀があったと考えた根拠は何かというと、

(1)麻原によれば、「麻原自身がそう考えた、唖然とした」ということ。また、麻原がその霊性を認める自分の子が「おかしい」と主張したこと。

(2)選挙後に、選挙期間中に投票を依頼していた有権者を回って確認したが、選管発表の数以上の人たちが「麻原に投票した」と言ったこと。

(3)開票日の前夜か未明、テレビ局のクルーが東京の道場施設に来ていたので、教団関係者が理由を聞くと、「麻原が当選したとの情報があったから」と答えたこと。また、道場に電話してきたマスコミ(と名乗る人)が、類似の内容を語ったこと。

などでした。

 ところで、私自身は、この主張をただちには納得できませんでした。

 よって、麻原が陰謀であると説法した席で、「陰謀ではない」と考えて、大勢の出家修行者の前で反論しました。

 私は、自分自身で部下の信者に命じて、テレビ局と同じように、一つの投票場で百人以上の投票者にアンケートを取る調査を行なったものの、麻原に投票したという人は一人もいなかったことも、その反論の中で説明しました。

 しかし、当時の教団では、麻原の主張に反論することは難しく、皆が、帰依の実践として、麻原の主張をそのまま受け入れる風潮が強くありました。

 実を言うと、私は89年の夏に出馬を決めるときも、最初は、現実的に当選できないだろうと思って、麻原の出馬の意向に反対しました。そのときも、反対者は私を含めごくわずかでした。とはいえ、その後色々な議論を経て、私も賛成するようになっていきます。

 そして、落選後の陰謀論に対して反対したときも、私に同調した人は、ごくわずかでした。何百人かの中の、確か一人だけだったと思います。

 しかし、私の反論に対して麻原は当然受け入れませんでしたが、ただし私が男性の一番弟子の立場であるということを重視して、教団は、選挙前に接触していた有権者に対して、麻原に投票したかを事後的に確認する調査を行うことになりました。

 その結果が、上記の(2)であって、選管発表より多くの有権者が、事後の調査において「麻原に投票した」と言ったという調査結果です。

 ただし、これは単に「投票したと言った」ということであり、その主旨の念書を書いてくれるように依頼したものの、念書を書いてくれた人は選管発表の数を下回っていました。

 よって、私にとっては、この調査は「選管発表を上回る人が投票した」という証拠にはならないため、納得はいきませんでしたが、これに対して、調査を担当した幹部信者は、非常に実感を込めた口調で、「実際に自分たちが有権者と直に接して、関係を形成してきたのだから、その人たちが嘘をついているのかどうかなんか分かりますよ。念書を書く人が少ないのは、教団が選挙無効の裁判などを起こした場合に、関わりあいになるのが嫌なのは当然ですよ」と主張したので、それに対しては、当時の私は、反論することができませんでした。

 また、私が一般の有権者に対して行なったアンケート調査の結果に対しては、「一般の人は、(マスコミでたたかれている麻原に)投票したとは言いにくく、(麻原に)投票した人は、投票したとは言わないものですよ」と言う幹部信者がいました。
 それについても、当然納得はできませんでしたが、その話を聞いた周りの人は、「そうそう」という人もいて、反論に困りました。

 ともかく、麻原の考えに同調することが、帰依の実践として求められる教団の中では、麻原の陰謀論を疑う私は、全くの少数派であって、「麻原が考えるように考えるべきだ」という有形無形の圧力の中にいて、自分の中でも、麻原に従った方が楽だという気持ちはあったと思います。

 また、自分の願望からか、開票の前の夜に、私は、麻原が当選したかのような夢を見ていた(見てしまっていた)ので、そのことを知っている麻原は、さもありなんと言う感じで、私が「自分の夢=ヴィジョンを信じればいい」というような様子でした。

 さて、「マスコミに麻原が当選したという情報がある」という話も、信者の中では、陰謀の非常に強力な証拠と受け止められました。その話を聞いた、ある女性の最高幹部は、それが決定的な証拠だという感じで、「それで決まりじゃない」と言いました。

 私自身も、結局は、陰謀論を最初から信じようとしている人たちと、どこかに共通点があったのだと思いますが、今から思うと、まともな思考はできていなかったのではないかと思います。

 というのは、今から思えば、選挙では、方方から投票を依頼される有権者は八方美人になる可能性があると思います。実際に、この話を聞いた人の中には「選挙を知らない」と笑っていた人もいます。そういえば、当時の私たちは、皆が20代から30代の若者で、選挙も初めてでした。

 また、今から思えば、「当選したという情報がある」と言ったマスコミについても、実際は、当選者としての取材ではなく、疑惑の渦中にあった教団を取材しに来ており、そのため嘘をついたとも考えるのが自然でしょう。開票前の深夜に、教団施設近くに陣取るのも不自然です。

 言い訳になりますが、当時の私は、人生で初めて選挙やマスコミの取材を経験している、学生上がりの人間である未熟さがありました。それと、陰謀論一辺倒の教団の中にあって、自分もそれに従う方が楽だという気持ちがどこかにあったのかもしれないとも思います。

 そういうこともあって、今から思えば、陰謀論の根拠を示す幹部信者たちに対して、十分な反論ができたとは言いがたいと思います。

 そして、結果として、幹部信者たちは、「本来は8万票ほど取って当選していたところ、開票操作で落選した」という結論を機関誌で発表しました。

 その一方で、青山吉伸元弁護士の意見で、公職選挙法に基づいて選挙が無効だと訴えることは取りやめることになりました。その理由は、訴えが有効なのは、選挙結果が変わる程の重大性がある場合であり、教団はそれを証明できないからでした。

 ただし、青山の意見が出る前から、麻原は、訴訟にはあまり熱心ではなかったと記憶しています。たぶん、「もはやヴァジラヤーナの時代である」と考えていたからかもしれません。

 私は、幹部信者が展開した8万票獲得したかのような主張は、いくら何でもおかしいと思って、悩んでいました。一方、そう主張する幹部信者は、仲間うちからは「帰依がある」と称賛されていました。

 そうした中で、悩む私に対して、麻原が、「(8万票ではなくても)せめて2、3万ということなら納得いくんだけれどな」と漏らしたときには、麻原の言うことの方が、幹部信者よりもまだ現実的だったので、妙にそれに納得してしまったという記憶があります。

 これは、上記のいくつかの陰謀論の根拠なるものに対して、未熟なために十分な反論ができずにいた私にとっては、自分を納得させることのできる、唯一の落としどころだったかも知れません。

 さらに、そもそも、当時の教団の中では、弟子が教祖に反論し、教団をあげて確認のための調査・検討をさせたのは、特例中の特例であり、それ以上、その状況に一人であらがうことは私の精神力では不可能でした。いや、というよりは、結局は、私も組織の中での自己保全を優先させたということだと思います。

 結果として、教団は、「落選は陰謀であった」という認識の元で、次なる活動、すなわちヴァジラヤーナ活動に入っていくことになります。

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