上祐史浩個人の総括

1.オウム真理教の違法行為・ヴァジラヤーナ活動について(1984~1995)

【5】1990年 第一期のヴァジラヤーナ活動(2)

 選挙が終わってまもなく、90年の3月頃から、教団をあげてヴァジラヤーナの活動を本格化させることになりました。

 しかし、実際には、選挙が終わる前の89年12月頃には、その活動の中心地となる上九一色村の土地を購入しているので、麻原としては選挙前からヴァジラヤーナ活動を念頭に置いていたと思います。

 それはともかく、3月頃から始まったヴァジラヤーナ活動は、いわゆるボツリヌス菌の製造と散布実験です。ボツリヌス菌は、生物兵器の中で最強ともいわれる猛毒であり、これを教団内で製造し散布する実験をするということです。

 
 この計画は、麻原を筆頭に、技術者としては村井秀夫、遠藤誠一、中川智正などが中心となって進めました。しかし、製造現場の作業員としては、女性の高弟も含まれており、全ての高弟たちはこの計画の概要は知っていたと記憶しています。

 私自身は、計画の概要は麻原などから聞いていましたが、製造や散布実践自体にはタッチしていませんでした。そのため、この菌の製造についてはよく分かりません。

 私が知っていたことは、大まかに言えば、上九一色村の施設に培養タンクがあって、そこで製造していたこと、ネズミなどで動物実験していたこと、明確に有毒な菌は製造できなかったこと、などです。

 私が推察するところでは、ボツリヌス菌の製造に関して技術的にもっと詳しいのは、生物工学の専門家の遠藤誠一ですから、彼が麻原と話し合って製造作業の中心になっていたと思います。

 なぜ有毒なものができなかったかというと、当時の私は知識もないし実際の製造にも携わっていなかったので、分かりませんでした。

 しかし、一つだけ推察できることがあるのですが、それは、ボツリヌス菌ではなく1993年に行なった炭疽菌の製造に関して遠藤誠一からかなり後になって聞いたことです。

 それは、遠藤が麻原と炭疽菌の製造に関して話し合った時に、麻原からワクチン株というものを使って製造実験をするように言われたものの、遠藤自身はワクチン株では有毒な菌はできないと考えて、そのように麻原に意見したところ、麻原は「それは(固定)観念だ」と強く言い、その結果としてワクチン株を培養することになったそうです。

 遠藤によれば、これが原因で有毒な菌ができなかったのであり、そのため遠藤は、炭疽菌の製造事件は麻原のいわゆるマハームドラーだと考えているということでした。

 だとすると、遠藤に聞いていないのでわかりませんが、このボツリヌス菌の製造の時も、いわゆるワクチン株というものを使ったので有毒なものができなかったのではないかという推測が成り立ちます。ワクチン株は手に入っても、本当の有毒な株は手に入らないと思うからです。ただし、これについては、遠藤に確認してみないことには正しいかどうかわかりません。
 
 なお、炭疽菌の製造においてワクチン株を使っていたということは、相当後になって米国の研究家によって確認されて、それが報道されたことがありました。しかし、その報道の時まで、私はワクチン株という言葉・名前さえ知りませんでした。

 その結果、その米国の研究家は、ある意味で、遠藤と同じように、その製造実験をある種のシミュレーションではないかと推察していました。そして、私が実際に弁護士を通して遠藤から上記の話を聞きだしたのは、その報道の後のことです。

 麻原のハルマゲドンの預言は1997年以降ですから、それより早いこの90年の時点において、麻原が本当にハルマゲドンを起こそうとしていたのか、それとも、これは一種の準備訓練、シミュレーションであればよいといった考えを腹の中には持っていたかについては、遠藤の見解でさえ推察の域を出ないのですから、厳密に言えば麻原以外にはわからない、と思います。

 一方、麻原や遠藤ではなく、その下で作業していた人たちについては、私自身が直接タッチしていないので正確にはわかりませんが、ボツリヌス菌であるということを知らされていたかどうかはわかりませんが、何か危険なものを作っているという認識は持っており、それに対する防護措置をとりながら作業に従事していたと思います。

 しかし、彼らは専門知識はほどんとないし、さらには一体何が行われているのかについても具体的なところは知らされずに、単に指示されたことをやるように言われていた人も多いと思います。

 一方、私が担当していたことは、この菌の製造ではなく、散布におけるシミュレーションでした。もし製造できた場合に日本のどこに散布するかの検討です。

 しかし検討とはいっても、それは地図を広げて、ここら辺はどうかと候補地をあげて、地図上にプロットして、その中のごく一部の場所に他の出家者が下見に行くということでしたが、これは後で述べる石垣島セミナーや波野村の騒動のことで立ち消えたと思います。

 他に、私が麻原から指示されて担当したことは、ボツリヌス菌を散布する風船爆弾の製作の試みでした。

 風船爆弾とは、第二次世界大戦で日本が米国に対して使ったもので、風船につるされた爆弾が気流に乗って遠くに運ばれ、それから地表に落ちて爆発するというものです。この爆弾の替わりにボツリヌス菌を乗せて運ぼうという考えでした。

 なお、これを発想したのが麻原だったのかどうかは、今となっては記憶が定かでないのですが、第二次世界大戦でも、この風船爆弾はほとんど効果を上げなかった失敗作であり、その意味では当初から幼稚な発想でした。

 しかも、実際に行なったことは、近所の原っぱで、特殊なビニールで作った大きな風船にガスを入れて数百メートル上昇させたことと、もう一つは、数千メーターの上空の超低温の条件でも作動する特殊な電池とタイマーの実験でした。

 実験した風船は、木にひっかかったり、ロープが切れてはるか彼方に飛んでいってしまったりしました。超低温での電池とタイマーの作動実験も何回か行いましたが、まもなくして、風船爆弾の計画自体が非現実的・非効率的であるために、立ち消えとなるとともに、使われることはありませんでした。

 一方、この時期に私が行った最も大きな仕事は、石垣島セミナーと呼ばれる大規模なセミナーでした。

 このセミナーの趣旨は、教団がボツリヌス菌を散布する計画に合わせて、信徒や出家者を巻き込まないように、沖縄県の石垣島に退避させるということでした。厳密に言えば、退避させることだと私は理解していました。

 一方、ほとんどの信者に対しては、このセミナーは麻原の預言として、オースチン彗星が地球に接近してハルマゲドンが起こるかもしれない、ということを理由として行われました。

 しかし、実際には、教団のボツリヌス菌の散布の計画が、ちょうどオースチン彗星の接近と同じ時期なので、オースチン彗星を使って計画をカモフラージュして信者を退避させようということでした。

 記憶が定かではありませんが、このセミナーによる退避計画は、私が提案して麻原の合意を得たのではないかと思います。私の気持ちとしては、ボツリヌス菌の製造についてはタッチしておらずわからないものの、万が一にも信者に危害が加わらないようにという気持ちだったと思います。

 このような趣旨で石垣島セミナーは行われましたが、実際に、その時までにはとうていボツリヌス菌は製造されず、石垣島セミナーは退避行動としては全く空振りとなりました。

 実際に、3月から製造を初めて4月中旬までに結果を出すということは不可能だと思いますが、麻原の指示でこのような短期的な目標が設定されて、弟子達はグルへの帰依と考えて、それを目標に作業を進めました。しかし、実際に有毒な菌は全く製造されなかったと聞いています。

 そして、石垣島セミナー後も、ボツリヌス菌の製造実験は続きました。とはいえ、私は製造自体には関与していなかったので、具体的にどのような実験が行われたのかの詳細はわかりません。その一方で、教団では、特殊なビニールで気密性を持たせた施設、いわゆるシェルターなどを作っていました。

 さて、5月になると、教団は熊本県波野村に土地を取得しました。私自身は、この土地取得の件はよく知らなかったのですが、その目的の一つとしては、そこにヴァジラヤーナ活動の施設を作ることがあったと思います。

 しかし、波野村・熊本県で、教団の土地取得の問題が大きな反発を呼び、政治問題化する中で、最終的にはヴァジラヤーナの施設建設は立ち消えとなり、代わりに石垣島セミナー後に出家した多くの信者が生活する場所となりました。

 そして、6月中旬になると、一つの事件が起こります。村井や新実が、製造したボツリヌス菌を川に放流して実験していたところ、警察(おそらくは山梨県警)に発見されて、検挙されたのです。
 
 警察は、それがボツリヌス菌であるということは知りませんから、何か汚物を川に放流しているという軽犯罪容疑で検挙したのだと思いますが、放流していた液体を押収した後は、信者は解放され、教団に戻りました。

 この結果を受けて、教団では、ボツリヌス菌の製造実験は全面中止となり、自分自身は詳しくはわかりませんが、全ての施設が解体されたと思います。

 なお、押収されたボツリヌス菌は、先ほども述べたように毒性のないもので、ある意味で雑菌であるためか、その後、県警の方からは全く問題にされることはありませんでした。

 さて、こうしていったんボツリヌス菌の製造実験は終わりましたが、波野村における問題が徐々に激化する中で、別の製造実験が始まりました。

 その製造実験においては、私は全体の進行管理の一部を担当しました。

 技術的な部分は専門家の村井らの科学班の人たちが中心だったので、詳細をよく記憶していませんが、実験対象として検討されたのは、ホスゲンと呼ばれるガスや、塩素ガスの製造でした。これは、いわゆる毒ガス=化学兵器です。
 
 製造の場所は、上九一色ではなく、富士山総本部道場の第一サティアンと呼ばれる場所の一階の倉庫やその前の敷地が中心でした。そして、具体的な製造実験が行われたのは塩素ガスが中心だったと記憶しています。

 技術的なことはよくわからないために、記憶が曖昧ですが、まず小規模で準備段階的な初期的な実験が行なわれたものの、何か具体的な結果が出たことはなかったと思います。

 次に、10月にかけて製造装置を作成しようとしましたが、その時期にちょうど波野村の土地取得に関する国土法違反事件によって、教団施設に対する全国一斉の強制捜査が行われ、その結果として全ての製造装置を解体し、実験は一切中止となりました。
 
 また、自分は担当していませんのでよくわかりませんが、一部波野村でおこなわれていたヴァジラヤーナ活動があれば、それも同時に解体したはずだと思います。

 こうして、国土法違反事件によって、教団は、全てのヴァジラヤーナ関係の施設の解体に追い込まれ、さらには、石井久子など多くの高弟・幹部が逮捕されるなどして、人・物・金の全ての面で、大きな打撃を受けました。

 その結果、しばらく、ヴァジラヤーナ活動は休止状態となりました。

 その後は、青山も逮捕されて法律部門の担当者がいなくなってしまったため、私はその部分を替わって担当し、弁護士を探したり、弁護士とともに石井ら逮捕された幹部を保釈するための資料作りなどに奔走したりすることになりました。

 結果として、年末までに石井らは保釈されましたが、教団が国土法事件の摘発で大きな打撃を受けたため、麻原の指示を受けて、私はその事件における裁判闘争に従事することになりました。

 とはいえ、教団の国土法違反は事実としては明白で、そのため私の行った裁判闘争というのは偽証や偽造といった違法行為を含むものであり、これによって95年に私は逮捕されることになります。

 こうして、この強制捜査と幹部信者の逮捕によって、ヴァジラヤーナ活動がいったん休止状態になるのですが、その意味で、この90年までが第一期のヴァジラヤーナ活動ということができると思います。 

カテゴリアーカイブ