上祐史浩個人の総括

2.教団復帰からアレフ脱会までの経緯について(1999~2007)

【6】葛藤・模索しつつ、代表派(上祐派)の形成へ(2003年末~2004年末まで)

■低迷する教団と元教祖の死刑判決を見て

 こうして、2003年の10月末に、私は、いったん、完全に教団活動から離れました(離れざるを得なくなった)が、結果的に言えば、その後、約一年後の2004年の11月に、事実上、教団活動に復帰することができました。

 私が教団活動から離れている間に、教団にいくつかの変化がありました。一つめは、麻原元教祖に、一審の死刑判決が下ったことです。

 次に、おそらくは教団の将来に希望を見いだせなくなったためだと思いますが、教団を脱会していく出家修行者が徐々に増え始めたことです。

 なお、私が教団の活動から離れる前は、アーレフの出家信者は500人ほどいたと思いますが、それから5年ほど経った今現在は、300人を切っているかも知れません。このように、アーレフ教団の衰退の始まりがこの時期だったと言うことになります。

 なお、ひかりの輪として独立するために、アーレフを脱会した人は、60名弱ですから、上祐派=ひかりの輪にも、反上祐派・中間派=アーレフにも属さず、個人として脱会した人が、150人くらいと、非常に多くいたことが分かります。そして、2008年の今現在も、この流れは続いていると聞いています。

 また、在家信徒の方も、減り始め、それによる布施収入も低下を始めました。これも、予想されたことです。

 さらに、麻原に対する死刑判決が下った時期というのは、よく考えてみると、麻原の最後の予言ともいうべきものが、実現しなかった時期、ということもできるのではないかと思います。そして、それほど多くはないにしても、この予言に期待し、失望し、考え方が変わっていった人や、やめた人も一部にはいました。

■元教祖の最後の予言の不成就

 ここで、元教祖のハルマゲドンとキリスト登場の予言について、総括しておきたいと思います。

 教祖が終末預言をなし、信者を巻き込んで、実際には的中しないということは、人類の宗教史のなかで、少なくとも、1000年以上も、繰り返されてきた問題でもあり、その分析の一助になればと思います。

 元教祖は、『亡国日本の悲しみ』という最後の著書で、「2003年までに日本に核が落ちる......そうでなければ私の予言は外れたことになる」と語っていますから、2003年が終わって、2004年になった段階で、元教祖の考えとしても、この予言は外れたという結論になると思います。

 また、元教祖が、1996年頃に、獄中から予言したこととして、彼が、最大8年で、陽神と呼ばれる、不死の霊的な身体を得て、あたかもイエスのように復活するとも解釈できるものがありましたが、その予言の期限も、この2004年の初頭であって、それも成就しなかった、という結論になると思います。

■予言を信じる信者の心理について

 とはいえ、反上祐派の一部では、この後も、まだハルマゲドン予言を信じている人がるそうですが、教祖の言葉として、外れたことになるというものがある以上、もはや、教祖への帰依というより、自分が信じたいから信じるという心理状態だと、言わざるを得ないと思います。

 しかし、これは、反上祐派だけの問題ではなく、自分自身も、95年に教団が破綻し、逮捕された後も、元教祖の獄中からのメッセージを信じて、ハルマゲドンが起こることを信じようとしたことがありました。元教祖の逮捕で、一端は信じなくなったのですが、元教祖の獄中からメッセージで、自分も考えを変えました。

 自分が予言から徐々に覚めたのは、97年から99年ごろであり、実際に97年や99年に予言されたハルマゲドンが成就せず、変わりに、元教祖が不規則発言を始めて、その中で、ハルマゲドンが既に起こった、などと語り始めた時くらいからでした。

 今から思えば、自分たちに対して厳しく客観的に分析するならば、元教祖の予言に対する信仰に限らず、元教祖を神の化身とする信仰自体が、そう信じるに十分な客観的・普遍的・絶対的な根拠があるからではなく、主観的・相対的な体験に基づいたものに過ぎないものでした。

■絶対視・過大視した背景要因

 その主観的・相対的な体験とは、例えば、元教祖の超能力などが一例で、信者が、これによって、元教祖を神の化身と信じる面がありました。

 しかし、予言が外れるのを待たずして、元教祖の身近にいた高弟の1人として、その超能力は、決して絶対的ではなく、限度のあるもので、外れることもままあることは、体験していました。

 ただし、元教祖のような霊的な能力は、元教祖以外にも、少なからぬ人が持っているという事実は、かなり長い間、体験していませんでしたから、こういった霊的能力に関する未熟が、元教祖の位置づけを過大評価した原因の一つかも知れません。

 よって、霊的能力を持つ人たちに対する幅広い十分な知識が、同様の問題の再発を防ぐには有効だと思います。

 また、信者がよく元教祖への帰依の根拠とするのが、元教祖に与えられた(と信者が感じる)霊的体験です。

 これも、元教祖の超能力と同じように、冷静に、客観的に考えるならば、教祖を神の化身と位置づけ、殺人の権能を与える根拠には到底なり得ませんが、超能力と同様に、人が、普通はできない神秘的な体験に、とても弱いことを示していると思います。

 実際には、それが、いかに仏典・ヨーガ経典にある体験と同じ(か、それと似た)内容と感じられるものだったとしても、元教祖やオウムだけでしか、得られない体験ではなく、他宗派にもあるものです。

 そして、そもそも、他宗派の体験事例も含め、それらは、あくまでも、主観的な体験であり、実際の世界の殺人を正当化できる能力を身につけた証拠では全くないはずでした。

 こうしてみると、やはり、自分を評価してくれた元教祖や教団への愛著や、解脱するために元教祖に安直に依存した甘え・怠惰、さらには、所属した組織の中で評価されたい欲求などが、バランスの取れた判断を妨げたのではないかと思います。

 また、自分が満足・信奉できない社会に対する元教祖の批判的な見方への共感・愛著などが、相まって、元教祖と自分たちの信仰を絶対視・過大視したのではないかと思います。このあたりについては、総括の他の項にも書きました。

■元教祖の予言は、逆成就する皮肉

 ところで、元教祖の予言は、他の場合も、逆の方向に成就するという皮肉な傾向があります。

 まず、97年にハルマゲドンが起こるとか、奇跡が起こるという予言がありましたが、実際に、97年に起こったのは、元教祖の精神状態の急変(崩壊?)であり、不規則発言の始まりでした。

 その不規則発言の中で、元教祖は、ハルマゲドン(第三次世界大戦)が既に起こった、などと語りましたが、これは精神医学的・心理学的に言って、元教祖が、自分の過ちを受け入れるよりも、現実からの逃避を選択した結果ではないかと私は思います。現実より、(良い意味ではなく)自分の信仰を信じた、ということでしょう。

 99年のハルマゲドンの予言も、それが、的中しないどころか、地域住民、マスコミ、捜査当局からの厳しい対応に加え、団体規制法などの新法の導入までなされ、まさに、教団がつぶれかけた状態になりました。ハルマゲドンは、日本・世界にではなく、教団に起こったという感じです。

 これは、ハルマゲドン予言を信じて、地域住民と対立しても、その避難場所を確保するために各地の不動産を取得したり、被害者賠償をせずに、パソコンショップで多額の収益をあげたりするなどしたことが原因ですから、自業自得ですが、予言の盲信の結果、現実を冷静に見ることが出来なかった、と言うことができると思います。

 そして、先ほど書いたように、2003年のハルマゲドン予言についても、それが的中しないどころか、私が教団活動から退いて、教団の分裂と衰退の事実上の始まりの年となりました。

 これもまた、先ほど書きましたが、2004年の陽神の予言についても、それが成就しないだけでなく、ちょうどその頃、元教祖に死刑判決が下りました。

 さらには、元教祖を真似て、陽神を作る修行を行っていた中堅幹部が、冬の富士山で、無理な修行を行って、遭難死する、という事態に至りました。つまり、不死の身体を得て復活どころか、死刑判決と死亡事故が起こる、という逆の事態が発生しました。

 元教祖には、2006年前後にも、ハルマゲドンが起こる、という予言がありましたが、その年は、元教祖の死刑判決が確定して、上祐派が独立して、新団体を設立する構想を発表した年ですから(実際の独立は翌年)、これもまた、教団にハルマゲドンが起こった、ということができると思います。

■予言の逆成就から学んだこと

 こうして、予言の年に、教団に悪いことが起こってきた理由を分析すると、97年や99年は、予言の成就を信じ込み(ないし信じようとするため)、現実に受け入れることが出来ず、冷静で合理的な思考や行動ができなかったことでしょう。

 次に、2003年や2006年は、上祐派と反上祐派の間で、予言や元教祖を現実的に解釈しようとする人と、そうしない人の間での意見対立が生じた、というように解釈することができると考えています。

 これらの経験から学ぶべきだと思ったことは、まず、オウムの予言の性質として、それが大変な破局の予言であるにもかかわらず、自分たちキリストの聖徒は生き残るという内容のものだったことによる問題です。

 この予言を信じる背景の心理として、信者が気づかないうちに、世の中が破滅して、他人は滅びるが、自分たちは、その中で、生き残り、その後の世界の特別な存在になるのだ、という意識があったのではないかと思います。

 このために、私が教団の信者を観察する中では、それが大変悲惨な事態を意味するにもかかわらず、預言が成就してほしい、ハルマゲドンが起こってほしい、という意識さえ形成した面があったと思います。

 特に、95年の一連の事件の発覚の後は、社会に包囲された教団の信者にとっては、ハルマゲドンが、唯一、自分たちを解放し、その正当性を証明してくれるものだったと思います。

 その意味で、この予言を信じる者は、自分では気づかなくても、自分だけは生き残る自己中心的な意識があって、さらには、いつしか、他人の不幸を願っている状態になったと思います。99年に信者がハルマゲドンの避難地を求めて各地に不動産物件を取得した際も、この心理、自分たちだけは生き残るという意識が働いていたと思います。

 そして、結論としては、オウム教団の予言とは、潜在的に、他人を呪うような面を持ち、そして、その結果として、予言が逆に成就して、自分たちも教団側が破綻し、自分が不幸になったということは、仏陀の説いた、自業自得そのものだと考えます。

■オウム信者を生んだ社会的な背景と、未来への懸念

 この背景として、自分が多くの信者を見た経験では、全てではないですが、一部の信者には、オウムと巡り合う前から、ある意味で、彼らを取り巻く既存の社会・学校・家族・会社に対して、不満・否定的な感情があったとも思います。

 それに対して、元教祖や教団は、信者となった人々を社会が評価する以上に評価しました。オウムでは、教団を訪ねてきた人に対して、真理に巡り会った大きな功徳のある人と称賛する習慣・教義がありました。さらには、唯一絶対の救世主である、キリストの弟子と評価されていくのです。

 これが、一部の信者にとっては、社会を否定し、教団の方が正しいと思う(思いたい)背景要因になったのだろうと思います。

 そして、今現在の競争社会では、勝ち組より負け組が圧倒的に多く、その中で、自己の存在意義を感じられない人が、それを自分の能力・努力・徳の不足と考えきれず、他人・社会のせいにしてしまう可能性は多分にあると思います。

 こういった自己中心的で被害妄想的な人格は、麻原の予言世界観と非常に良くマッチします。麻原は、教団は、社会から、いわれなき弾圧を受けているとしましたが、彼を信じた信者は、彼と巡り合う前から、そういったものの考え方、見方をする傾向を持っていたのではないかと思います。

 そして、自分が思うには、社会に対して否定的で、被害妄想的な傾向を持つ人は、今でも存在すると思います。というよりも、オウムの全盛期であった20年前よりも、むしろ、今の方が、競争社会の強まりなどによって、そういった傾向を持つ人は、ずっと多くなっているのではないかと心配します。

 実際に、今でも、様々な破滅予言が、ブームになっています。元教祖の予言は、世紀末のハルマゲドンの予言のため、教団は、ノストラダムスの予言を自分たちの予言の確からしさを宣伝するために使いました。今は、ノストラダムスは下火ですが、他の予言が色々出ています。

 私は、こういった破滅予言が注目され、人気を集める背景として、単に、それを宣伝するマスコミが、人々の恐怖心を巧みに煽った結果である、というだけではなくて、人々の深層心理の中に、先ほども述べましたが、自分の凡庸な生活に、十分に満足できず、取り巻く環境・社会に対する愛の欠如があるのではないかと思います。

 「宇宙戦艦ヤマト」「エヴァンゲリオン」「機動戦士ガンダム」「風の谷のナウシカ」といった、ハルマゲドン世界を背景とした、テレビアニメやSFなどが人気を博す理由も、その平凡な日常が、一気に変わって、その中で、自分がヒーローになる、といった妄想的な願望があるからではないかと思います。元教祖も、「宇宙戦艦ヤマト」をいろいろと利用していました。

 そして、もし仮に、元教祖だけが、ハルマゲドンの予言をしていれば、それほど多くの信者は惹き付けられなかったかもしれません。実際に、私自身が、そうだったろうと思うからです。

 しかし、実際には、ノストラダムスなどの破滅予言や、上記のSF・アニメといった情報が、教団とは関係なく、70年代、80年代の日本社会では、大ブームとなっており、オウムの信者となった、その時代の若者に、洪水のように注がれていました。元教祖の予言は、教祖のオリジナルというより、そういった世の中の流れを使った、それに乗った面があります。

■予言自体ではなく、予言ブームの存在に注目するべきでは

 そして、今も、様々な予言がブームである、ということは、私が思うには、今も、社会全体の心理が、あまり変わっていない、ないしは、先ほども書いたように、ある面では、以前よりむしろ、相当に悪化しているからではないかと思います。

 そして、こういった世の中に広く知られている予言が、特定集団によって利用される可能性があると思います。

 すなわち、予言自体は的中しなくても(しないでしょうが)、予言を好む社会心理があることが、重要な事実なのだ、と思います。すなわち、予言が成就する危険性ではなく、予言ブームの存在の危険性です。

 そして、オウム真理教に限らず、ある宗教集団が、予言をその生命線とする場合は、その予言自体は的中しなくても、その予言の時期に、その集団には、大きな異変が起こり、社会に影響を与える可能性があると思います。

 オウムの場合、それが、ハルマゲドンを起こそうとした教団武装化の流れの中で行われた95年のサリン事件や、ハルマゲドンが起こると盲信したことによる、99年の地域住民との対立・摩擦です。これについては、注意を要すると思います。

 なお、オウムに限って言えば、もはや、予言の結果として、過去のような事件は繰り返されないと思います。

 しかし、アーレフ教団の内部では、2003年や2006年などに起きたような、一定の組織の変化が起こる可能性はある、と思います。元教祖が予言したハルマゲドンが起きる時期は、まだあって、2010年代前半の予言などもありました。

 これらの時期が、もし、それまでに教団が残っていればですが、それ以前に予想されている、元教祖の死刑執行の時期と共に、アーレフ教団の変化の可能性がある時期かもしれません。

■従来の宗教の持つ無責任・甘えの問題を超えて

 元教祖の説法の中には、ハルマゲドン予言を強調して、それに自分の宗教生命をかけてもいい、という内容までありますが、信者としては、その予言を信じて、散々世の中を騒がせる一方で、予言が外れる事態になっても、何の責任も取りませんし、そもそも取ることが出来ない精神状態にあります。

 実際に、予言が成就しなくても、元教祖を絶対とする(反上祐派の)信者は、予言の不成就はおろか、一連の事件についてさえも、元教祖を相対化する根拠にすることが出来ません。すなわち、公正・冷静に考えるのではなく、客観的に見れば、自分の信仰を保全・維持するために、都合の良い考え方をしたり、全く考えなかったりします。

 しかし、こうして、宗教が、自分が信じて社会に主張したことが明らかに間違っていたとしても、何の責任も取らなくて済む、という体質を続けていると、その中では、真の叡智は育まれないことは明らかだと思います。

 オウム真理教に限らず、ハルマゲドン予言をして、実際に当たらなくても、自分の力で止めたからであると主張する教祖がいることは、皆さんの中にも、ご存じの方は少なくないでしょう。

 科学や実業の世界では、絶えず、自身の理論や実践の是非が、実験や現実に基づいて厳しく判断されますので、これは、宗教界の独特のいい加減さ・甘えの構造ではないかと思います。

 この背景には、自己の教祖・教義を絶対視するなどして、現実に合わせて、柔軟に自己を改善や進化させることが苦手である、という宗教の特性がある、と思いますが、21世紀に新しい宗教・思想の志す者としては、こういった問題は乗り越えて行かなくてはと考えています。

■元教祖の影響を払拭できず、精神的な葛藤が続く

 話を元に戻すと、外的な現象としては、教団の活動が低迷を始め、元教祖の死刑判決や予言の不成就といった事態が生じていく中で、元教祖を絶対する松本家や反上祐派の圧力の結果として、教団活動を離れた私は、今後の自分の宗教的な方向性について、内面で葛藤をしていました。

 前にも書きましたが、第一に、その頃の私は、依然として、自分自身が、麻原の影響を脱却することは出来ていませんでした。

 それに加えて、周囲からは、麻原を絶対視して、昔のような教団に戻るように、強い圧力がかかっていました。要するに、そうならなければ、教団活動に戻れない、戻さない、という圧力です。

 この自分の中と外の二つの要因のため、私も、そのようにすることがいいのか、と思って、祭壇に麻原の写真を飾ったり、麻原に対する帰依のマントラを唱えていたりしました。2004年のこの時期でさえ、この状態ですから、脱却には、非常に長い時間がかかったことになります。

 しかしながら、私の中では、以前から芽生え始めた、自分の新しい宗教性が、消えることはありませんでした。

 ただし、その新しい宗教性は、その時点においては、麻原に対する信仰と混ざっており、麻原信仰を脱却する力とはなっていませんでした。とはいえ、私の麻原に対する解釈を以前と比べると相当に変えるものにはなっていました。

 私は、それについて、新尊師教などと言っていました。それは、麻原を直接的に否定せず、一定の肯定をしながらも、これまでの人間としての麻原に対する信仰よりも、麻原の本質は、仏教・ヨーガで説くような大宇宙に遍在する思考の意識として位置づけて、その抽象的なものを信仰の中核に置くような内容でした。

 これは、実際の人間としての麻原の言動を絶対視せず、あくまでも、自分たち信者の悪業の現れとして、麻原の言動や指示にも過ちがあり、過去の一連の事件を否定することにも、結びつくものであり、自分の新しい宗教性を取り込んで、社会の現実にも、従来の教義よりは、適合した考え方でした。

 一方、事件の否定というだけでなく、全面的な意味で、自分が、麻原の影響を脱却し始めたのは、脱却の定義にもよりますが、2006年の前半に、新団体の設立の構想を発表した以降ではないかと思います。

 そして、厳密に言えば、2007年の脱会の時だと思います。というのは、オウム、アーレフに所属し、信徒の教化のために、元教祖の教材を一部でも使っている限りにおいては、客観的に見れば、脱却できていない、依存している、と言われても仕方がないと思うからです。

■最高幹部らの変化で、教団活動に復帰する

 こうしているうちに、2004年の後半になると、それまでは、松本家の方針に従っていた最高幹部達が、徐々に、従わなくなっていきました。そして、彼らの中で、私の教団活動への復帰を求める人たちが出てきました。なお、この頃は、最高幹部の1人の野田氏は、薬事法違反の事件で逮捕され、教団には不在でした。

 こうした変化の理由としては、そもそも、松本家の方針にあまり納得がいかなかったところ、時期が来て、それが表面化した面や、松本家の方針に従った後、教団が低迷を始めたので、疑問が拡大した面、そして、松本家の最高幹部に対する扱いが不適切である、という人もいました。

 また、その中には、私の方に賛同をしたと思えば、松本家の方に戻ったりと、スタンスの定まらない人もいました。実際に、最高幹部の動きも、すぐに固まったのではなく、2006年から2007年くらいまでの間に、一人ひとりが徐々に進むべき道を定めていったように思います。

 現在は、杉浦兄弟が脱会し、野田氏と村岡氏が教団に残り、反上祐派とは対立した中間派、そして、二宮氏が反上祐派となっています。なお、すでに、私たちが、アーレフを脱会した以上は、反上祐派という表現をするのはおかしい面がありますが、他に適切な呼び名が確立されていません。

 反上祐派は、一時期、正統派という言葉を使い、上祐派が代表派という呼び名を使っていましたが、反上祐派というのは、そのグループの性質を見れば、原理派とでも言った方がいいかもしれません。それに対して、私たちひかりの輪にも、一定の理解があり、考え方も柔軟である、アーレフの人たちは、中間派と呼ばれてきました。

■反対の中で、教団活動に復帰し、代表派(上祐派)を形成する

 これに対して、反上祐派のリーダー達が、それは認められない、と主張する書面を提出しましたが、今回は、私は、その反対に対して、退きませんでした。

 そして、私を支持する出家信者達が、私の改革は間違っていなかった、と訴える会合を開催するなどしました。

 なお、この当時、私は、少なくとも形の上では、アーレフの代表にとどまっていましたから、私のグループは、上祐派ではなく、いわゆる「代表派」と呼ばれることになります。

 そして、12月頃から、私が活動を再開したのに合わせて、反上祐派の荒木広報部長などが、私を批判する内容の会合を繰り返し、開催したと聞いています。

 また、反代表派(反上祐派)は、代表派の存在を認めないところから、しばらくの間は、教団内の派閥の存在を認めなかったりしました。もしくは、麻原の家族に繋がっている、という意味で、正統派などと自称していました。

 彼らは、代表派は、魔境のグループであるなどと批判し、その活動をする信者を批判したり、彼らを教団活動から排斥したりしましたが、代表派の方も、その理解者を増やすために、出家信者を対象にした、会合を開きはじめました。

 以上が、2004年末までの教団内の様子です。

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