上祐史浩個人の総括

2.教団復帰からアレフ脱会までの経緯について(1999~2007)

【9】テレビ出演、アーレフの脱会、新団体の設立へ(2006年の秋~2007年まで)

■新団体の設立を公言する

 2006年の夏が終わり、秋になると、代表派は、ゆっくりとではありますが、新団体の設立の準備に入っていきました。

 そして、夏のセミナーあたりからだと思いますが、少しずつ、代表派の活動がマスコミに注目されるようになってきました。

 それが加速したのは、同年9月に、松本智津夫死刑囚の死刑判決が確定した際に、私が、テレビ生出演をした時だと思います。

 その出演で、私は、麻原と旧教団の一連の事件に関して、このサイトで述べているように総括し、麻原を払拭した新団体を目指すことを明言しました。

■麻原への依存からの脱却の為の葛藤

 その前後にも、聖地・自然でのセミナーを出家信者や在家信徒と繰り返しながら、その機運を徐々に形成していきました。この頃は、幹部の合宿なども行いました。

 もちろん、深く根付いた麻原への依存を脱却することについては、代表派のメンバーの中にも、苦労している者もいました。

 また、麻原への依存は無くなる一方で、宗教的な実践自体に、やる気を失う人も出てきました。

 実際に、2006年から2007年にかけて、この辺の意識転換における様々な問題は、一言では表現しがたいものがありました。

 そして、それは新団体になっても、変わりきるために、依然として、努力し続けなければならない課題です。

■麻原の教材の一切の破棄へ

 さて、10月から11月にかけて、新団体に向けた、旧団体の教材破棄に関する話し合いがなされました。

 話し合いの当初は、新団体において、麻原が作成した教材でも、麻原個人の信仰に結びつくものでない教材でなければ、維持しても問題ないのではないかとか、麻原ではなく、旧教団のスタッフが作成したものならば、問題ないのではないか、といった意見が出ていました。

 しかし、話し合いが進むにつれて、自分たち自身の依存を断ち切るという意味や、自分が変わったことを理解してもらうためには、麻原を初めとする旧教団が作成した教材は一切破棄するべきである、という考え方に、皆がまとまっていきました。

 そして、2007年の2月末を持って、教材を破棄する改革を実行することに決定しました。

 言い換えるならば、この時期より前においては、まだまだ、麻原の教え・教材に依存している面が依然としてありました。これは、アーレフ代表派と、ひかりの輪との違い、ということができるでしょう。

■年末年始のセミナー

 そして、年末年始セミナーが行われ、この際は、出家信者と在家信徒が合同でセミナーを行うことになりました。

 巡礼する聖地には、京都の弥勒菩薩、観音菩薩、釈迦如来などの仏像で有名な寺院と伊勢神宮が選ばれました。

 以前に、弥勒菩薩像に感銘を受けたことを書きましたが、この際に訪れた寺の観音菩薩像や釈迦如来像にも、それぞれの良さを感じました。

 1000体もの観音菩薩像が立ち並ぶ寺院では、神聖で壮大なエネルギーを感じましたし、釈迦如来像にも、透明感のある神聖なエネルギーを感じました。

■新団体の象徴仏:釈迦、弥勒、観音

 なお、ひかりの輪では、釈迦牟尼を中心として、弥勒菩薩と観音菩薩を脇に置いた、釈迦三尊像が、祭壇に飾られていますが、2006年の夏と年末の聖地巡礼を通して、この三仏が、新団体の中心的な象徴仏として、固まっていきました。

 なお、ここで「象徴仏」という特別な言葉を使ったのは、以前述べた、「神聖な象徴物」と言う概念と関係しています。すなわち、象徴仏とは、私たちの中の仏性・慈悲の心を引き出す象徴としての仏、という意味です。

 その意味で、観音とか、弥勒と言った菩薩が、実在しており、それを絶対として信仰している、という意味ではありません。そもそも、それは科学的に証明できることでありません。

 しかし、それが実在していようといまいと、古来、仏教徒をはじめとして、多くの人々にとって、この三仏というものは、人々の仏性・慈悲といった神聖な意識を引き出してきた象徴であるということは事実であり、それをそのまま受け止めたものです。

 最初に、この三仏の概念を思いついたのは、奈良吉野の修験道の総本山である金峯山寺を訪れる前後でした。

 金峯山寺のご本尊は、修験道開祖の感得した金剛蔵王権現と呼ばれる三体の仏像ですが、これは、釈迦、弥勒、観音の三仏の権現(化身)であって、その三仏は、現在、過去、未来の三世の仏陀として位置づけられています。

 すなわち、釈迦を過去に現れた仏、観音を現在に現れた仏、弥勒を未来の仏としたわけですが、これを最初に知ったとき、非常に論理的に美しいものを感じ、自分たちに縁のある仏を見事にまとめ上げた概念だと思いました。

 また、このセミナーでは、日本神道の総本山とも言うべき伊勢神宮に、初めて参拝しました。

 伊勢神宮では、冬至の前後には、その内宮の鳥居の方角から、朝日が昇るという絶景が最近有名になっているのですが、私たちが車で伊勢神宮に到着した時に、ちょうど良い具合に、まさにその現象が起きており、ご来光を拝むことができました。

■2007年3月アーレフを脱会、そして新団体の設立

 さて、年末年始セミナーが終わった段階で、私は、3月頭に脱会して、5月連休セミナーまでに新団体を立ち上げることにしました。

 依然として、教団全体を見れば、万全の準備ができているわけではないものの、2月に教材の破棄を終えることになっていたこと、新団体の早期の立ちあげを待ち望む人が少なくないこと、そして、様々な社会的な状況を勘案したものでした。

 そして、3月7日付けで、代表派の出家信者が集団でアーレフを脱会し、被害者賠償を行う破産管財人や公安調査庁への報告、地域住民への説明会、記者会見などを行いました。また、在家信徒は、その後、集団で脱会を始めました。

 2007年の3月といえば、私が、1987年に出家して以来、ちょうど20年ほど経った、ということになりました。脱会前後の毎日の喧噪のため、特別な感慨を経験する閑もありませんでしたが、今思えば、人生の半分ほどを過ごした教団を脱会した、ということになりました。

 脱会する前後に、私は、アーレフの信者に向けたメッセージの形をとって、旧教団の総括を行なったり(サイトに掲示中)、95年までの旧教団の一連の違法行為の総括を行ったりしました(サイトに掲示中)。また、団体としても、旧団体の総括と反省を行う出家信者の全体会議などを行いました。

 そして、2007年の5月のゴールデンウィークの連休セミナーの際に、新団体「ひかりの輪」の設立の手続きや儀式を行い、今日に至っています。

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