【8】独自の宗教性の探求と、新団体構想の発表(2006年の初めから夏まで)
2006年になると、その1月に、観察処分の更新が決定されました。これは、教団の中で、いわゆる反代表派を中心とした麻原回帰と言われる現象が進んでいましたので、当然の結果だったと思います。教団内部では、経済状態の悪化を一因とした代表派と反代表派の話し合いは、結果として不調に終わり、教団の分裂が決定的となっていました。
そして、反代表派は、代表派を組織的・経済的に切り離すために、世田谷烏山の物件を解約して、別の物件に移ることを検討したりしていました。
さて、この年の3月は、様々な意味で、大きな変化が起こった時期でしたが、まず、私自身の宗教性に大きく影響を与えることが起こりました。
■聖徳太子ゆかりの寺を巡って
それは、以前から、聖徳太子に関心があったため、京都や奈良の太子ゆかりの仏閣を巡っていた時のことでした。
聖徳太子のことは、2003年頃から関心があり、調べ始めていました。最初は、聖徳太子の伝説で、聖徳太子が空を懸ける馬に乗って行ったところが、自分が訪れた聖地と偶然にもよく一致していたことを喜んでいました。
そして、その後、より深く調べる中では、以下のように、聖徳太子の宗教・思想に共鳴するところを見つけました。
まず、太子は、神道が中心だった日本に、仏教を重視して、導入した立役者の一人であり、それが、神仏習合という日本の誇る異宗教の融合が生まれる始まりとなったことです。
私も、釈迦・仏教が好きであることに加え、さらには、異なる宗教や文明による対立・紛争が激化する21世紀において、異なる宗教の融合・統合を非常に重要なことだと考えています。
そして、民族宗教の神道と、世界宗教の仏教が、融合した神仏習合というのは、ある意味では、ユダヤ教と仏教を融合したようなものですから、日本が、世界に誇ることができる精神的な遺産であると思っています。
■和をもって尊しとなす
次に、太子が示した「和をもって尊しとなす」という教えに共鳴しました。
これは、抽象的な教えですが、私は、単に、人々の和合を説いたという以上に、非常に深い意味を持っていると考えています。
ま ず、この和という言葉は、釈迦の説いた仏教思想の精髄である中道に関係します。
和という言葉は、和合や平和といった意味だけでなく、中庸という意味がありますが、
釈迦が説いた修行の道は、快楽(左道)にも、苦行(右道)にも偏らない、中道(中庸)の道であるとされています。
釈迦の説いた中核の教えである縁起の法も、この世界の全ての事物は、バラバラのように見えて、本質的には、相互に依存し合い、つながって存在しているとしますが、それを考える、特定のものに偏ったり、絶対視したりするのではなく、様々なものの調和・バランスを重視する思想が生まれてきます。
また、和は、ひかりの輪の「輪」にも通じるところがあると考えており、和と輪を合わせれば、全てが輪のようにつながり、一体である中で、その間にはバランスがある、ないしは、バランスを保つべきである、という意味合いがあると考えています。
他にも、太子の教えの中で、代表派並びに新団体が共有する思想としては、例えば、「人を神として祭ってはいけない」と説いたことがあります。これは、松本元教祖を神の化身としたことが、旧団体の問題の中核にあったと考える私たちの考えと、よくマッチしたものでした。
その他にも、前に述べた戸隠近くある、日本最古の秘仏を祭る善光寺にも、太子ゆかりの伝説があるなど、代表派が訪れ、重視する神社仏閣には、太子との縁がよく見られることなどもあって、太子に対する親近感を感じることが多くありました。
■弥勒菩薩像との出会い
さて、話を元に戻すと、この3月に、代表派のリーダー達をつれて、私は、奈良や京都の太子ゆかりの寺を訪ねました(具体的なお寺の名前はご迷惑がかかると思うので省略させていただきます)。
そして、その寺の一つにあった、有名な弥勒菩薩像を見たときは、非常に大きな感銘を受けました。
これは、精神世界に慣れていない一般の人には、わかりにくい表現になってしまうかも知れませんが、私なりの表現をするならば、その仏像に、かつて無いほど(ないしは、そうではなくても、今まで感じたことがある中で最高のレベルの)神聖なエネルギーを私は感じました。
■神聖な象徴物という概念について
なお、誤解がないように、言い換えますと、私は、この仏像そのものが仏であると考えているのではありません。
この仏像を含めて、古来、霊験あらたかとされている仏像は、その仏像と縁のある人にとっては、その仏像が、自分の中の神聖な意識、仏教で言えば仏性・慈悲といったものを引き出す働きをするものだと思います。
これを私は、神聖な象徴物(ホーリーシンボル)と呼んでいます。神聖な象徴物は、唯一絶対のものがあるのではなく、人によって違いますし、厳密には、人の数ほどあると言うこともできます。ただ、相対的に多くの人にとって、神聖な意識を生じさせやすいものが、一般には崇められる対象となるということだと思います。
この象徴物には、厳密に言えば、人も含まれます。キリスト教では、イエスが、キリスト教徒にとってはシンボルなのだと思います。オウム真理教の信者にとっては、グル=松本元教祖がそうだったということができます。
しかし、私の言っている、象徴物、シンボルというのは、繰り返しになりますが、あくまでも象徴なのであって、そのもの自体が、絶対であるとか、神仏であるというものでは全くありません。
イエスを意識するキリスト教徒が、神聖な気持ちになるのは、その人達の個性・好き好きの範疇の問題であり、その意味では、一般の方には全く理解できないセンスでしょうが、松本元教祖を見た信者が、神聖な気持ちになるとすれば、それは、その信者の個性・好き好きであるということだと思います。
重要なことは、そういった主観的な体験があっても、松本元教祖が神の化身であるという証明では全くないということを、理解することだと思います。
もし、人や物を神仏とするならば、それは、偶像崇拝ということになると思いますが、なお、ひかりの輪においては、人を神としませんので、現存する人間を象徴物として提示することはしていません。
また、仏像などの物そのものを神仏として絶対視することもせず、あくまでも、その人の内部の神聖な意識を引き出す、神聖な象徴物であるという位置づけにしています。
■弥勒菩薩像の前で感じたこと
その意味で、私が弥勒菩薩像に感じたこと、というように表現すると、分かりやすくても、正確には、語弊があるかもしれません。正確には、弥勒菩薩像の前にいった私が、そこで感じ体験したこと、ということが適切だと思います。
その体験をもう少し詳しくお話しすれば、全ての衆生を見守る微細・繊細な智慧や、単純に透明なだけではない味わい深い暖かみ、そして、無限大の慈悲といったものを感じました。そこには、弥勒の宇宙=コスモスがあるようにも感じました。
そして、この感覚は、私だけではなく、私がその仏像を紹介した多くの法友達の中にも、全てではないですが、同じような体験をした人が多く出ました。
それは、非常に不思議なことでしたが、私に起こった現実でした。その後幾度となく、訪れましたが、そのたびごとに感じ方が違いますが、最近訪れたときも、依然として、その神聖な感覚を体験しました。
この体験は、私にとって非常に重要なものでした。というのは、それまでの私は、率直に言えば、頭では、麻原が説いた教えは間違っていると考えていましたが、麻原やオウムの修行において、(自分が神聖であると感じた)霊的なエネルギーというものにとらわれていました。
というのは、私は、麻原やオウム以外のものにおいて、それに類するものや、それ以上に神聖なエネルギーを、体験するということがなかったからです。
■オウム信者の「霊的なエネルギー」という概念について
そして、この霊的なエネルギーとは、理論ではなく、一種の生理的な感覚であり、密教やヨーガの修行者になると、こういった神秘的な体験を重視する(悪く言えばこだわる)面があります。
そして、時には、自分が神聖なエネルギーを感じると、それだけで、その対象を神聖なものと考える場合もあります。オウムの信者には、一連の事件があっても、松本元教祖のエネルギーは神聖であるから、元教祖は間違っていない、と考える人が少なからずいます。
霊的な修行の体験・経験がない方は、こういった話には当惑されたり、ばかばかしく思われたりするかも知れませんが、生まれつきや、修行の結果として、霊的なエネルギーを感じるタイプの人にとっては、現実として、その人格・価値観・言動に、非常に大きな影響を与えるものだと思います。
そして、麻原や旧教団のエネルギーが神聖に感じられたり、それによって霊的・神秘的な体験があって、それ以上のものが他にない以上は、麻原を否定できず、麻原に執着したりする、という心理構造が続く場合があるのです。
実際に、反代表派は、麻原に対する帰依がなくなれば、彼らが信じるところの神聖なエネルギーのラインが断たれてしまう、とよく主張していました。
これは、オウムの信者の多くにとって、霊的なエネルギーというものが非常に重要な価値観となっていることを示します。これは、場合によって、他の多くの者を犠牲にしても、重視するべき価値となるのです。
一般の方にとってみると、無差別殺人を犯した冷酷非道な凶悪犯であり、多くの女性と関係を持った俗物である麻原が、なぜ、これほどまで多くの信者を獲得し、その信者に神聖なエネルギーの源として、グルとして、崇められているかは、全く理解できないことだと思いますし、ある意味で、憤懣やるかたないことだと思います。
しかしながら、この点について、誤解を恐れずに言わなければならないこととして、私が体験した限りでは、麻原が、単に、嘘の教義や薬物などで、信者を騙した、マインドコントロールした、という見解は、オウムをあまりに単純化した見方であって、オウムに対する生理的な嫌悪から、一般の方が陥りやすいことだと思います。
しかし、一般の方が、そう考えてしまうと、自分たちの体験に基づいて、その考え方を受け入れない信者とは、全く対話不能となってしまいます。
信者は、一般の人は、自分の体験した麻原・教団の真実を知らない、だから、麻原の方が正しいと考えてしまいます。それは、麻原から自立させるのとは、逆の方向に作用し、ますます、麻原への傾倒と社会からの離脱を招きます。
もちろん、元教祖には、預言のように、全く妄想的な教義があったり、薬物の使用もあったりしましたが、信者の中には、預言には、あまり興味がなかった人もいますし、薬物使用は、旧教団の最後期である94年頃に行なわれたにすぎず、それらだけで、多くの信者が、麻原に帰依したわけではありません。
そうではなく、多くの信者が麻原に帰依したのは、彼らなりに、麻原の霊的な修行の指導の元で、ヨーガやチベット密教の経典などに出てくる(ものと同じであると感じられる)霊的な体験、神秘的な体験をしたり、信者なりに、自分の心身が向上した体験をすることが出来たり、一定の霊的な能力が開発されたということがあったと思います。
■霊的な体験と人格の違い
誤解がないように申し上げますが、今現在の私の見解としては、当時の麻原の教えや、修行の指導を肯定するものでは全くありません。
具体的に言うならば、まず、第一に、ものの考え方、世界観などに、大きな問題があり、信者の人格をゆがめるものだったと思います。
特に、その預言の教義は、修行者として世俗を捨断し、同時に、異常な虚栄心・権力欲・誇大妄想を形成したり、被害妄想的な、他に対する嫌悪・怒りを助長したりする性質がありました。
それは、仏教本来の一元論的な世界観に基づいた悟りとは、逆方向の面があって、精神の分裂を招く面があり、それが、とりもなおさず、現在の麻原の精神的な異常の原因にもなった面があると思います
■オウムの霊的な体験は仮の体験であったと思われること
次に、麻原と旧教団が得意とした、クンダリニー・ヨーガを中心とした、霊的な体験についても、真の精神の向上の結果として、体験したとは言えない面があると考えています。
ある高名なインドヨーガのグルによれば、ある種のヨーガの行法を実践した場合、その人の精神が、本質的には浄化されていないにもかかわらず、一時的には、浄化された状態となり、そのために、様々な霊的な体験、瞑想体験が生じる可能性があると聞いています。
私は、オウムが、相当に激しいヨーガ行法を使って、信者に、霊的な体験をさせていった経緯があるため、この指摘が当てはまるのではないかと思います。実際に、そういった霊的な体験は、激しい行法、集中修行を行っている時が、最高潮であって、その行から離れると低減していくものでした。
そして、オウムの霊的なエネルギーについて言えば、それを好む信者にとっては、強く透明な感覚を与えるものだったと思いますが、しかしながら、自分や自分の周囲の見解としても、そのエネルギーは、大きな広がりや、微細さ・繊細さについては、欠けていたものだったと思います。
■オウム以上の霊的な体験がなかった信者達
しかし、著名な宗教学者も認めていることですが、事件発生前までの日本の宗教界、ヨーガや密教の団体においては、麻原とそのオウム真理教は、その霊的な体験をさせる力において、相当に秀でていたと思います。
そして、少なくない信者にとって、オウムのような団体は、極めて少なく、麻原以外のグルは見えず、そのために、麻原とオウムの元に集まったということは、少なくとも、一面の真実だと思います。
これが、密教の本場のチベットや、ヨーガの本場のインドであれば、話が違ったのでしょうが、麻原とオウムが台頭した日本の80年代から90年代においては、人々は、ヨーガや密教などの霊的な世界に対して、非常に未熟で、ある意味で、免疫がない状態だったのではないかと思います。
その結果、一定の霊的な体験をした信者は、その体験がよくあるものであると考えたり、それを与える麻原を、バランスよく冷静に見たりすることが出来なかったと思います。
すなわち、自己の霊的な体験や、麻原を過大評価して、その体験を根拠に、麻原を絶対神の化身として受け入れてしまったのだと思います。その背景には、多くの人が、滅多に起こらないこと、神秘的なことには免疫が乏しく、非常に弱い、という傾向があるのではないかと思います。
■弥勒菩薩像の体験後に残った迷い
さて、話が途中でそれましたが、こういった意味で、麻原やオウム真理教以外に、神聖なエネルギーを体験することが出来たことは、私が麻原やオウム真理教について、単に理論的に否定するだけでなく、生理的・感覚的な意味でも、唯一絶対視することを超える手助けの一つとなりました。
ここで、手助けの一つと表現したのは、残念ながら、このような体験をしても、それが完全な決め手になったわけではなかった、と言うことです。この体験以降も、完全には、断ち切れない麻原への何かがありました。
その一つの理由が、その仏像に最初に巡り会った日が、偶然にも、3月2日という麻原の誕生日であったために、私の中には、ひょっとすると、この仏像との巡り会いも、麻原の与える祝福ではないかという見方が、ほんの少しではあっても、よぎることがあったからです。
さらに、オウムに詳しい方はご存じの通り、弥勒菩薩とは、サンスクリット語で、マイトレーヤと言われ、それは、私のオウムでの宗教名である、と共に、麻原自身が、自分をマイトレーヤ(の化身)である、と位置づけていましたことがありました。
一般の方から見れば、このような考え方にとらわれて、麻原から完全に離れきれない信者を見ると、ある意味で、馬鹿らしく、または、じれったいと思われるのではないかと思います。
しかし、恐らくは私だけではなく、一度は麻原を絶対視した者、そして、霊的な世界に多大な価値を置く者にとっては、こういったことが、非常に気になってしまうものなのです。
■二つのマイトレーヤ
しかしながら、私は、長い時間を費やしながらも、このわずかながらも残った迷いを払拭することができました。
まず、私は、本当に、あらゆる意味で、弥勒菩薩像は、麻原と、対称的な性格を持っている、ということに気づきました。両者が、どのように対称的であったかと言えば、以下の通りです。
まず、麻原は、
1.人間であり、よく語り、よく行動し、暴力行為をも含めて、激しく闘争し、
2.自己を神の化身であり、世界を統治するキリスト・王と位置づけ、地道な布教をするのではなく、武力によって、20世紀中にも、自分の真理の国を作ることを救済とし、
3.一般にはグロテスクな印象を与える風貌の人でした。
一方、私が弥勒菩薩像から感じ取ったマイトレーヤは、以下の通り、麻原とは全く正反対のイメージであり、
1.(当然のことですが)人間ではなく、自然の木から作られたもので、1000年以上も何も語らず、静かに参拝する人を見守り、見た人に平和のイメージを与え、
2.(仏典やその寺の説明にもありましたが)自己を未完成の菩薩と自覚し、天界で修行に励んでいる謙虚なイメージがあり、また、56億7千万年という巨大な時を待って降誕し、人々を救済するといった忍耐を有しており、
3.国宝であり、最も美しい仏像の一つとして、海外にまで有名なものでした。
そして、この対称性は、私にとっては、非常に奥深い、哲学的な問題を意味していました。それは、救済者とは何か、救済者とはどうあるべきか、という問題でした。
そして、私の到達した結論としては、麻原の現したマイトレーヤ=救世主には、真実の救済者としては、著しい偏りがあって、それを改めて、バランスをとるものが、弥勒菩薩像が与えるマイトレーヤのイメージである、というものでした。
そう考えた理由としては、麻原の救済活動が、一連の事件にいたって破綻した、ということもありましたが、単に、それだけではなく、もっと重要な哲学的な、思想的な意味合いを含んでいました。
■真の救済、真の智恵と力とは
その結論だけを言えば、
1.歴史を見ても、人が、理想を掲げて、世直しを目指す場合には、麻原に限らず、自分が善であり、世の中が悪と見えることがあるが、
2.その考え方は、傲慢の罠に陥る危険があり、その傲慢に陥る中で、麻原のように、(自分が社会に弾圧されているといった)被害妄想や、(自分は全くの正義であり救世主であるといった)誇大妄想に陥ることがあり、
3.場合によっては、暴力・闘争を、悪を正すための唯一の解決手段と誤って考える状態にも至り、その結果は、大きな破滅・自滅が待っている。
4.一方、仏教的な一元論の思想に基づいて考えるならば、他人や世の中が悪く見えたとしても、自分は、他人と全く別の存在ではなく、両者はつながっていると考え、自分を善として、他人を悪とする、傲慢の考え方を控えて、単純に批判・攻撃せず、
5.その逆に、他人の悪を見た場合は、他人を自分の反面教師として考えて、自己を改める努力をなし、
6.こうして、自分が変わる努力をするならば、その結果として、自分と繋がっている他人も良い方向に変わっていくものと信じて、それを待つべきであり、
7.信じて待つ上では、忍耐と努力の継続を要するが、この忍耐力・継続力こそが、多くの場合において、暴力・武力に勝る、大いなる力となる、
というものでした。
上記の考え方は、様々な聖者・宗教家の教えを検討した結果の部分もあります。
しかし、それだけでなく、弥勒菩薩像や、その材料となった大自然について、思索・瞑想しているうちに考えついたことでした。
弥勒菩薩像は、1300年もの間、じっと動かず、深く思慮し、衆生を見守り続け、これからも辛抱強くそうしていきます。そして、その仏像の材料となった木を含めた大自然も、同様に人類の営みをじっと見守り続けています。
例えば、自然の木や石で作られた仏像や、日本人が伝統的に尊重してきたご神木やご神体の石や山といったものは、無知な人間の闘争を静かに見守り、その成長・進化を辛抱強く待っているように、私には感じられるのです。
■世界中の善悪二元論と武力行使への偏り
また、この思想とは反対に、上記に書いたように、自分達が正しいと思い込む中で、暴力・武力を行使して、大きな間違いを犯すパターンは、オウムに限らず、今現在の世界の中に、少なからず起こっていることだと思います。
例えば、最近の事例について、誤解を恐れずに言うならば、アメリカは、対テロ戦争の中で、自国を善として、イラクなどをテロを支援する国家として悪と位置づけました。
そして、イラクに、大量破壊兵器があるとか、アルカイダと関係がある、という誤情報=被害妄想や、自国の武力行使でイラクの状態が良くなるという思い込み=過信(誇大妄想)によって、イラク戦争を行ない、大変な泥沼にはまりました。
そして、麻原に帰依していた時代の私も、他人の悪について、力をもって裁くことが正しい、と考える面が強くなっていました。そして、その力こそ、救済のために必要だ、と考えて、教団武装化の流れを経験していました。
■真に必要な力とは何かを考える
しかし、色々な経験や思索の結果として、自分と他人を安直に区別して、批判・攻撃するのではなくて、極力冷静さを保って、深い智慧をもって、自分と他人の関係を正しく理解するべきである、と考えるようになりました。
そして、他人と自分のつながりを意識して、自分を改善しながら、他人の変化を信じて待つ、という心構えが重要で、それが、真の救済のために必要な力であると考えるようになりました。
傲慢と無智に基づく拙速な闘争ではなく、謙虚さと智慧に基づく努力と忍耐こそが、真の力であり、智慧であり、慈悲であろうということです。
この考えにおいては、自分が他を「救済」する、という表現自体も、一面で傲慢である、と言うことも出来ると思います。
自分と他人がつながっているとするならば、自分を良い方向に変えることで、他人がよい方向に変わるように「奉仕」する、と言う表現の方が適切ではないかと思います。
■失敗から成功に至ること
こう考える中で、私に残っていた最後の迷いが晴れていきました。
先ほど述べたように、せっかく、麻原やオウムを超える神聖な体験をしたにもかかわらず、それが、偶然にも、3月2日という麻原の誕生日であって、麻原が自称したマイトレーヤの仏像によるものだったために生じた多少の迷いがありました。
これは、わずかですが、麻原からの脱却における障害となっていました。私は、そのころ、麻原を乗り越える何かを欲していましたから、自分にとっての新しい真実の象徴、神聖な象徴である弥勒菩薩像は、麻原と完全に無関係なところで現れてくれれば、と思ったものでした。
しかし、この問題についても、色々と思索する内に、自分の中で、麻原へのとらわれの理由とならないように、しっかりと心の整理をつけることが出来ました。その思索の内容とは以下の通りです。
今から思えば、麻原は、真実のマイトレーヤではありませんでした。ましてや、麻原の下での自分は、マイトレーヤという宗教名をもらいつつ、真実のマイトレーヤとかけ離れていました。
しかし、自分にとっては、麻原をマイトレーヤとした過ち・失敗の経験を通過した後に、初めて、弥勒菩薩像が示す、真実のマイトレーヤに巡り会うことになりました。
仏教的に言えば、私の業・カルマのため、私の精神的な未熟さ故に、最初から真実のマイトレーヤに巡り会うことが出来ず、大きな失敗を犯して、その失敗の反省から、真実のマイトレーヤに、ようやくたどり着きました。
「成功は失敗から生まれる」という考え方がありますが、私ほどではないにしても、世の中には、大きな失敗をして、その失敗を成功のもとにすべく、努力されている方が、大勢いらっしゃると思います。
ある意味では、多かれ少なかれ、失敗しなければ、成功しないのが人間であるかも知れません。歴史を見ても、平和への取り組みも、悲惨な戦争から生まれてきた面があります。その意味では、成功と失敗は、セットだと言うことができると思います。
■一元的な世界観によって、ついに迷いが晴れる
そして、これは、あらゆる事物が、本質的にはつながっている、とする仏教的な一元思想と共通することがあります。
具体的には、大乗仏教では、自と他、生と死、苦と楽、成功と失敗、善と悪、仏陀と凡夫、輪廻と涅槃、煩悩と慈悲、といった様々な両極は、全く別々に存在するのではなく、つながりを持って存在している、という教えがあります。
自分と他人にはつながりがある、という教えは、私の場合においては、麻原の過ちを麻原だけのせいにせず、自分達につながりのあるもの、自分たちの心の投影されたものと見ることだ、と自分は思いました。
そして、常に麻原を反面教師として、自分の反省を深め続けてこそ、真実のマイトレーヤに近づく道を歩むことが出来るのだと考えました。
こうして、全ての事物につながりを認める仏教的な一元論に基づいて考えることによって、新たな真実である弥勒菩薩像の体験が、わずかばかりではあっても、麻原に絡んで生じたことによる心の迷いというものが、ついに払拭され、麻原を十分に乗り越えるベースができていきました。
■反代表派の中の大きな変化が始まる
さて、3月には、もう一つ別の大きな変化がありました。
それは、村岡達子氏や村松孝子氏といった反代表派の幹部が、反代表派を離脱して、中間派に転じるという事態でした。
これによって、反代表派は、中堅の幹部(師)においては、多数であるものの、最高幹部(正悟師)については、二宮氏1人だけとなりました。
逆に言えば、野田成人氏、杉浦実氏、杉浦茂氏、村岡達子氏の4人は、その後は、教団の中で、中間派と位置づけられることになっていきます。そして、転向した村岡氏らは、反代表派から裏切り者扱いを受けることになり、反上祐派が支配している主だった教団活動からは、実質上、排除される結果になります。
さて、村岡氏等が離脱した背景には、その後、表面化していく、麻原の家族の中での意見の対立がありました。
それは、麻原の四女(識華氏)と、三女(麗華氏)や母親の知子氏の間の対立であり、当時17歳の識華氏は、社会への融和を重視する考えを持っており、反上祐派の考えを持つ三女や母親の行動に反発して、松本家を出て、村岡氏らと個人的に接触したところ、村岡氏らも、それに共鳴して、反上祐派を離脱したということです。
すなわち、教団の中で反上祐派が分裂を始めたわけですが、その背景として、松本家の中でも分裂が始まったということです。
そして、私は、この反上祐派と中間派、そして、麻原の家族の中の分裂は、私が脱会した後のアーレフにおいて、今後も大きな影響を与えるのではないかと考えています。
■反代表派が代表派を切り離し始める
さて、当初は、反代表派は、代表派を押さえ込もう(代表派の形成を妨げよう)としていましたが、2005年から2006年にかけては、それを諦めて、代表派を(自分たちの)教団活動から切り離そう、とする方針に転じていったように思います。
さて、3月から4月には、反代表派と代表派の代表者の間で、悪化が続く経済問題を話し合う会合が開かれました。この会合には私も出席が認められました。
反代表派は、代表派を教団内のグループとしては認める代わりに、代表派グループを経済的に切り離して(反代表派グループが支配する教団の経理から代表派を切り離して)、自分たちの経済状態の回復を図ろうとしていました。
また、これよりも前から、反代表派の信者の一部には、魔境である代表派とは一緒の施設に住みたくないとか、代表派が含まれている教団の活動のためには、布施したくない、という要望もある、と反代表派の幹部は主張していました。
■代表派の新団体の構想
一方、私をはじめとする代表派の方では、反代表派との接点が見いだせない中で、アーレフ教団から離れて、麻原から脱却した、新たな団体を作り、独自の道を歩くことを考え始めていました。
その背景としては、先ほども、その一部を書きましたが、弥勒菩薩像に限ることなく、代表派の宗教活動は、段階的にではありますが、麻原から自立していく傾向のものとなっていました。
また、代表派から見ると、一連の事件を総括・反省しないなど、相当に反社会的な面のある反代表派の教団運営の方針が変わるためには、もうしばらく時間が必要であろう、という認識が固まっていきました。
このような反代表派・代表派の考えから、反代表派(中間派含む)と反代表派の居住区域を分別し(住み分け)、さらには、代表派の会計を独立させる(経済分離)を行うことで合意し、それを7月までに完了することになりました。
そして、その合意と前後して、5月半ばには、私が、教団内の出家信者(反代表派含む)に対して、直接、新団体を設立する構想や主旨について、説明しました。
■教団と松本家の関係について
なお、この頃、私は、会議において、教団による松本家に対する多額の援助(松本知子氏の描いた宗教画に対する使用料の支払い)については、現在の状況を考えると、社会の理解を得られず、問題になるだろうと考えました。
そこで、反代表派に対して、繰り返してその取りやめ、ないしは、経済的な理由によって取りやめることが出来ない場合には、松本家からのその事情の説明を受けるように求めましたが、麻原とその家族に対する帰依を背景として、反代表派の理解は得られませんでした。
しかし、7月には、警視庁が、松本家および周辺関係者を強制捜査する事態が発生し、それに伴う報道において、反代表派の教団から松本家に多額のお金が流れていることが公に報道されて、批判される事態となりました。
その中で、松本家への絵画使用料の支払いの問題も批判されたので、今後は、私だけではなく、中間派の野田氏や村岡氏が、反代表派の執行部に再考を求めましたが、それも受け入れられることはなく、依然として、彼らは、松本家への支払いを続けている状態にあります。
そうしている内に、8月になると、松本家から家出をしていた四女の識華氏が、麻原から正式に自立するために、江川紹子氏を後見人とするための裁判を提起し、その中で、「家族は教団と関係ないと嘘をついて、教団を支配しており、信者に貢がせて贅沢な生活をしている」等と述べ、事態は悪化して続けています。
しかしながら、反代表派は、識華氏についても私と同様に、信者に対して、魔境等と位置づけて説明しており、このような状況が変わるには、今しばらく時間がかかるのではないかと思います。
■代表派の新しいセミナー
さて、代表派は、2006年のゴールデンウィークと夏休みの大型の連休に、恒例のセミナー行いました。
そして、これらのセミナーから、将来の新団体設立を意識して、在家信徒を相手にした支部道場での活動においては、麻原やその教材を使った教化は、ほとんど無くなっていったと思います(ただし、出家教団が、麻原の教材を破棄するのは、翌年の2007年を待つことになります)。
そして、こうしたセミナーを繰り返す中で、代表派は、段階的に麻原からの自立を固めていきました。
例えば、2006年のゴールデンウィークのセミナーでは、旧教団が重視していた、麻原の唱えた真言(マントラ)や、麻原のエネルギーが込められた甘露水に替わる物が生まれました。
他の宗教・宗派でも、真言などといった、宗教的に神聖な音や、聖水といった神聖な水を重視する習慣がありますが、オウムでもそうでした。
そこで、新団体になるために、麻原から独立して、新団体独自の聖なる音や、聖なる水を生み出す必要があったのですが、それは、ある意味で、偶然に与えられることになりました。
■密教の聖音法具について
それは、代表派のリーダーの一人が、チベット密教などの儀式などで、伝統的に用いられている、神聖な音を出す法具を皆に紹介し始めたことがきっかけでした。その法具の中には、日本のお寺にもあるようなお椀(わん)型のものや、鈴や鐘の形をしたようなものや、小さなシンバルのようなものもあります。
様々な法具があり、それぞれ違った音を奏でますが、聴いて心地よいもの、心を静めるもの、深い瞑想状態に導くものなどがあります。一般には、その効用について、それを聞いた人の脳波を図るなどして検証している人もいるようです。
新団体では、この神聖な音を出すとされる密教の法具を「聖音法具」と呼んで、様々な儀式や瞑想修行の際に用いています。
また、最近は、合計すると数十種類にも及ぶ法具の音や波動を用いて、心身を浄化する「聖音波動」と呼ばれる儀式や、録音した聖音にエフェクターをかけたり、回転させたりして、それを聞く人の心身を浄化する「聖音法輪」と呼ばれる儀式も、行ない始めました。
そして、密教の聖音法具を使って、心身を浄化することを「密教ヒーリング」と呼んでいることは、サイトの別のテキストにもある通りです。この結果として、麻原の真言・マントラは全て破棄しています。
■聖音水の誕生
また、聖水としては、オウム・アーレフでは、麻原のエネルギーが込められたとされた、甘露水というものが有名でした。
ただし、麻原が直接に水にエネルギーを込めたというのは、甘露水が登場した最初の頃だけの話で、その後は、麻原の真言の電気波動を通した水を甘露水と呼んでいました。
そして、この甘露水に代わるものは、偶然に見つかりました。それは、上記の密教の聖音法具の中で、お椀型をしたものの中に水を入れて、聖音を鳴らし、水に聖音のヴァイブレーションを加えてみました。
そして、鳴らした後の水は、飲んでみたところ、味が変わって、非常にまろやかになり、従来の甘露水以上に、霊的なエネルギーが込められているように感じられました。
水の味が変わる、というのは、精神世界に不慣れな方には、本当だろうかと疑われるかも知れませんが、新団体においては、このような不思議なことがあっても、それをもって、何かを安直に絶対視したり、神格化したりすることはありません。
何の心配もありませんから、ご関心があれば、一度ご自身で経験して見られるとよいと思います。
■夏のセミナーで、聖地巡礼を行なう
さて、その後の代表派の動きに大きな影響を与えたのが、2006年の夏休みのセミナーだったと思います。そのセミナーは、聖地巡礼ツアーと銘打って行われ、団体始まって以来、日本の聖地や神社仏閣を巡る旅となりました。
日本の聖地や神社仏閣を巡ると言っても、それは、一般の神社仏閣の観光地を巡ったのではなく、私を初めとする代表派のリーダー達が、それまでの数年の間に訪れて、色々な体験や勉強した縁のある場所を選んだものです。
最初は、長野の諏訪・戸隠・善光寺に行き、その後、乗鞍を経て、京都・奈良を回りました。乗鞍では3000メーターの高地からご来光を見て、大自然に投影された如来の慈悲の光を感じました。京都は弥勒菩薩像を皆で参拝しました。そして、最後が、奈良の吉野山(修験道の総本山で有名)でした。
さて、新団体のシンボルマークには、虹色が使われているように、私の宗教的な転機となった2002年の7つの虹の体験を初めとして、代表派・新団体のメンバーは、聖地などで、不思議と虹を見る機会が多くありました。上記の聖地巡礼の場所についても、最後に訪れた奈良・吉野を除いては、過去の訪問において、私たちは、虹を見ていました。
■聖地での虹のシンクロ現象
そして、このセミナーの最後の訪問地として、奈良・吉野に出向いて、そこで、首尾良く、セミナーの全プログラムが終了した時のことでした。
皆が解散となった直後という非常に良いタイミングの時に、遠くの山から立ち上る形の虹が現れました。それを見た信者達は、あまりの偶然の一致に皆が、大喜びでした。
なお、聖水の話のところでも書きましたが、新団体は、いわゆる神秘的な体験や、偶然の一致にしては不思議な体験をしたとしても、旧団体のように、それを安直に教祖の神格化や絶対視に結びつけることはしません。
それは、人は条件が整えば、体験することがあり得る、人間としての自然な現象の一部と位置づけています。
また、そういった体験が現実として存在するにもかかわらず、その存在自体をはなから無視する傾向がある、旧来的な物質主義、物心二元論、古典的な科学などにも賛成しない、というスタンスを取っています。
虹のような現象は、今のところ、精神医学者であるカール・ユングなどが唱えた、シンクロニシティ(意識と外界の出来事が共鳴する現象で、意味のある偶然の一致とも言われる)の範疇に属するものだと考えています。