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メディア掲載(2007年)

「麻原の神格化は大きな過ちだった」 (神保哲生・宮台真司氏のゲスト)『月刊サイゾー』2007年1月号

『月刊サイゾー』(2007年1月号)より転載

saizo102.jpgビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
TALK ON DIMAND
〔マル激トーク・オン・デマンド〕

神保哲生×宮台真司
〔ビデオジャーナリスト〕〔社会学者〕
 

今月のゲスト
上祐史浩

 
麻原の神格化は大きな過ちだった

9月15日、オウム真理教(現・アーレフ)の元教祖・麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑が確定、10年以上続いた裁判に終止符が打たれた。
当時、教団の顔として立ち振る舞った上祐氏は、現在アーレフを率いるが、現在は3派の分裂状態にあるという......。
なぜ上祐氏は、この期に及んで宗教に身を置くのか?
ビデオジャーナリストと社会学者による、鼎談トークバトル新連載!

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神保 今日のゲストは、アーレフ代表の上祐史浩さんです。
上祐さんには1995年くらい、オウム騒動のさなか、毎日のように取材をさせていただきました。
その後、上祐さんが偽証罪などで逮捕される直前くらいまでは結構取材もしてきたんだけど、考えてみるともう11年ぶりになるんですね。今日はその間に上祐さんに起こったいろいろな変化と、今オウムに何が起きているのか、ぜひそういう話をしてほしいと思っています。
も うひとつは、こんなことを言うとけしからんと言われるかもしれないけれど、オウム問題は、「変な人たちが変な事件を起こした」単発の事件ではなく、実は日 本のいろいろな問題の反映という面も多分にあったと思うんです。しかし、オウム事件自体がもう、単に極悪集団がとんでもないことをした事件として過去に葬 られているというか、日本人の多くがあの事件をそういう形で葬ってしまいたいという願望のようなものを持っているように思うんです。その意味で、オウム事 件を再考してみることには意味があると考えています。

宮台 今日は第一に、麻原元代表が何をしたかでなく、元代表の周りにいた人々が何を求めていたのかを伺いましょう。麻原氏に帰属できる問題もあるけど、話が小さい。
オウム信者に限らず日本の若い世代が持ちがちなメンタリティやコミュニケーション傾向について見通しを付けたいんです。
第二に、宗教教団のレジテマシー(正統性)をどう引き継ぐのか。
宗 教には「人に帰依する宗教」と「教義に帰依する宗教」があります。祖の死後に教団を継続すべく、前者から後者に移行することはよくあること。イエス死して キリストとなりしがごとく、死ゆえに神格化された開祖に帰依する場合もある。オウム信者は明白に「麻原元代表という人に帰依」しました。
上祐さんは教団を割って出てまで「麻原元代表への帰依」を中和し、M派と呼ばれる動きを新興しようとされる。そこでは何が正統性を与えるのか。他方、麻原氏に帰依するA派は何を正統性の源泉として教団を生き残らせるのか。これを伺いましょう。

神保  アーレフはA派、M派(元教祖の三女のホーリーネーム「アーチャリー」のAと上祐氏のホーリーネーム「マイトレーヤのMのそれぞれの頭文字を取ったもの」)などに分かれていて、一部の週刊誌では上祐さん軟禁状態なんて記事まであった。
まずオウムが今どういう状態になっているのか、説明していただけますか?

上祐 最近はM派も多少公式化しまして、私が代表なので、形上は「代表派」と言っています。それからA派、これを代表派に反対するもとのして「反代表派」といいます。あとは中間的な人。実際はもう少し多様ですが、この3つのグループと表現するのがわかりやすいでしょう。
実 際にグループもできていて、在家信徒さんに対して行うセミナーも、2つに分かれて行っています。人数的には出家信者が420人弱、在家信徒は、公安調査庁 に報告してるもので600人を超えると思います。割合は、代表派が出家修行者においてはだいたい2割弱かと思います。

神保 80人くらい?

上祐  そうですね。そして、非代表派の中には、いわゆるA派的な人(反代表的な人)、それに中立的な人がいます。これは、会計で分けています。昔からのアーレフ の会計があるのですが、反代表派がそれを支配下に置いている状態です。そして、その会計に属している人の中には中間派の人も含まれている。
私が一旦教団運営から身を引く形になった03年頃に動きがあった関係上、代表派の会計は06年7月にできたものなんです。

神保 上祐さんは99年に拘置所から出てきて代表に就いたわけですよね? なのに、その後一時教団を離れています。これは自ら、それとも離れさせられたのですか?

上祐  解釈によりますけど、自分の意思で状況を受け入れました。

神保 一応自分から降りたわけですね。でもそれは、周りが「上祐さんでは駄目だ」という状況になったということ でしょ? でも、上祐さんはオウムのステージでは麻原一家を別にするといちばん偉い正大師じゃないですか。にもかかわらず、それを降ろすっていうのは、昔 のオウムでは考えられなかったと思う。
その点においても、元教祖の時代とは、教団が変わってきているということですか?

上祐  むしろ、変わっていないからそうなってるんです。03年から1年ほど運営から離れたのですが、自分の中で一種の宗教的芽生えがあり、「元代表を超えていこう」という考えが出てきたんです。
なので、元代表に対する帰依が強い人たちは、強い違和感を覚えたのではないでしょうか。

神保 現時点で、代表派はその部分は乗り超えた、いわゆる「脱麻原」という前提の人たちがついてきているということですか?

上祐 少なくとも反代表派の人たちが持っている、元代表や松本家の人たちに対する遠慮があればできませんから、 そこは踏み越えている、と。(これから設立する)新団体が元代表を崇拝しないということを明確にしてますから、近い将来その方向に向かうことは受け入れて いる人たちですね。

宮台 元代表への帰依から離れていくのはオウム真理教の性格を考えればとてつもないことです。
何を契機にして帰依から離れていけるのでしょう。先ほど申し上げた正統性問題も絡みます。ヒントがあれば教えてください。 

上祐  新団体を視野に入れたときに、「新しい宗教」ということをテーマにして、特定の人を帰依の対象とするのではなく、教義を帰依の対象にしていこう、と。
きっ かけは「97年くらいにハルマゲドンがある」という予言があって、予言に宗教生命を賭けてもいいと言い切った元代表が、まさに97年くらいから不規則発言 を始め、信者を含めた現実の世界とコミュニケートしなくなった。現在、反代表派的な信仰を続けている人は、その予言はグル(指導者)の方便だった、と自分 で解釈して通りすぎようとします。
しかし、私は入会してしばらく、この教団は予言に基づいて世界を救済するという認識がありました。97年の予言 が成就せず、すぐ変わったわけではないんですけど、考えるうちに、やはり元代表を予言上の救世主として絶対化していくのはおかしいと思いました。それが刑 務所から戻ってきて00年頃、つまり団体規制法が導入された直後でしたね。

神保 でも、4年近く拘置所や刑務所で過ごしていた期間は、まだ元代表に対する帰依は残っていたわけですよね。

上祐 そうです。終末思想に基づく予言の救世主ということを完全には信じていませんけど、むしろ信じる信じないではなくて、それを自分たちの軍事的活動で計画的に成就させるんだ、という考え方でしたから。
95 年に現実的な逮捕、教団は破綻しましたが、「ハルマゲドンが起こるのでは」という信仰は、非常に根強かった。私は95~96年以降、まだ97年、99年に ハルマゲドンの予言があるんではないかと、期待するようなところがありました。現実逃避かもしれませんが、予言に期待するというところもあったと思いま す。それを加速させたのが、元代表が拘置所から弁護士を通じて出した「予言を信じるべきである」というメッセージです。自分の「信じたい」気持ちと、「帰 依しなきゃいけない」気持ちが相まって、「まだ信じるべきだ」という意識が97年、99年に続いていきました。

教団=善、社会=邪という
善悪二元論への懐疑

神保 ということは、刑務所の中で瞑想するときは、まだ元代表を拝んでいたということ?

上祐 単純に言うとそうですね。拝んでいたっていうより、「麻原元代表をグルとした、グルに帰依します」というマントラを唱えて。それは出所した以降もしばらく続きました。

神保 どのあたりで変化が?

上祐 まだ刑務所にいたとき、あることに気づいたんです。それまでは、教団が聖で社会が邪だという終末思想の善悪二元論でしたが、どうも予言は当たらない。

おかしいなと思っていたある日、ふと気づいたのは、その予言は日本社会じゃなくて、教団において成就していないか、と。その予言の中には、日本がまた天皇制的体制になって、日米決戦を行う、とか書いてある。
ただ実際には、教団こそ元代表を神とした天皇制的体制になり、アメリカを仮想敵国として、毒ガス攻撃されているという主張をし、アメリカの属国とみなした日本と戦った形しか起こっていない。
だから、その元代表の予言は、日本や世界じゃなくて、教団自体に当てはまると思うようになりました。そこで、元代表を神として、神に従う信者とそうでない非信者という対立で、教団と日本社会を見ることがなくなった。
自分たちが日本社会を悪魔としたのに、実際には、その日本社会の過去の暗部である大日本帝国をあたかもどこか真似した形で自分たちの教団が生まれているんじゃないか、という、一元的な考え方になり始めた。
それが明確になってきたのは02年くらい。元代表は、いい部分もあったけど、自分の悪い部分を投影した部分があったんじゃないか、とも思うようになり、心が晴れたときがあったんです。
不思議なことですが、心が晴れた当日、自分が行ったところにたくさんの虹が出たんです。これは宗教的な体験ですね。

神保 瞑想の中で?

上祐 いや、ある郊外の自然の中で、現実に。それで宗教的な感化を受けました。
そこで瞑想の結果という のは、教団と社会が別だとか、私と教祖は別だ、とかいうのではなく、「自分たちの生み出した教祖」という感じが出てきて、人に帰依するのではなくて、全部 がつながって一体なんだ、という考え方、それがブッダの最初に説いた法則なのではと思うようになってきました。

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神保 その結果、元代表という人は、上祐さんにとって今はどういう存在なの?

上祐 やっぱり「人」として見ます。ただ、確かに元代表には霊的能力を含めた宗教的な力があった。それで私も惹き付けられ、多くの信者ができたので、そこまで否定したら嘘になります。

神保 上祐さんがオウム真理教に入ったのは、もともと元代表への帰依がきっかけだったんですよね。彼は上祐さんにとっては信仰のすべてだった。それが今は相対化されて、「あの人は霊的な力はあったけど、あくまで人間だよね」という。
 ならば、オウムなんて辞めてもいいと思うんですが、アーレフと名を変えて宗教団体を続けてる動機はなんなのですか?

上祐 私が元代表に惹かれたのは、元代表がすべてというよりも、提示していた救済ビジョンや自己開発、スーパーマン的願望や超能力にあったと思うんです。

宮台 補足すると、精神分析家ユングは超常現象という言い方を否定。超常体験と言います。超常現象の有無を括弧にくくり、存在することが確かなのは超常体験だけだと言う。
UFOの有無を議論せず、空に浮かんだ円盤が見えるという体験に潜む集団無意識を明らかにした業績が代表的です。

神保 霊的な力が見えた、ということ?

宮台 そう。「ある」と「見える」は違うと。そこからユング心理学が組み立てられました。ユングは「そういう体験」が生じる理由を外ではなく内に探る。内というのは上祐さんの言う「つながり合い」。ユングでは集合無意識。それによって超常体験を説明します。
 こ れには模範があります。アテナイがペロポネソス戦争でスパルタに負けるまで、初期ギリシャの人々が「世の中で起きるあらゆる理不尽をどう考えればよいか」 を悩んで獲得した世界観です。彼らはセム族系宗教の世界観に対抗しました。苦難の歴史を超越神に帰属する世界観です。
たとえば、超越神ヤハウエとの契約(戒律)を守ることが超越神の怒りがもたらす苦難を回避する唯一の道だとするユダヤ教。ソクラテスはこの種の発想を「エジプト的」と呼んで忌避します。
代 わりに推奨されるのが「世の摂理は人知を超える」「人間万事塞翁が馬」という感受性。超越神への「依存」を却け、〈世界〉(あらゆる全体)の根源的未規定 性へと開かれた態度を「自立」として推奨する。「超越神は依存心の産物」という発想が、「UFOは無意識の産物」というユングの見本になりました。
上祐さんの仰る「つながり合い」は、超越ないし超越神という発想の対極です。
仏 教の世界では原始仏教が宗教なのかどうかが大問題であることに関係します。もともと仏教者とは「ブッダはおそらく悟った」との前提を共有し自らも悟りに至 ろうとする修行者の集まりです。ブッダは先覚者だけど超越者じゃない。ところが伝播を通じた変遷のせいで、イエス死してキリストとなるのとはまた別の仕方 で、ブッダが超越者に昇格します。
それを踏まえると上祐さんはこう変わったんじゃありませんか。かつて上祐さんにとって麻原氏は超越的存在だった。ところが上祐さんが超越への依存から脱却するにつれて、麻原氏は一修行者になった。
代わりに上祐さん自身は原始仏教や初期ギリシャが推奨する「決して超えられない不条理や根源的未規定性へと開かれた態度」へと向かった。どうでしょうか?

上祐 かなり近いと思います。元代表は「自分を拝め」と言いましたが、釈迦自身は「己亡き後は法に帰依せよ」と言われたように、仏教は法への信仰、ダルマ信仰だった。それがブッダという人格を神格化していき、ブッダ崇拝になっていったということに気づいて。
こ れからつくる新団体は、原点回帰なのかもしれないが、すべてを受け入れようという考え方にも行き着きました。川の流れ、海の雄大さ、空の広さが、そのまま ブッダの教えを表現してるんじゃないかと思うようになり、ある特定の人格がブッダなんだとする必要はないんじゃないか、と。
そう思って瞑想すると、今までと違った、より優れた境地が得られる感覚を受けるんです。

宮台 だとすると伺わなければいけない問題があります。前期プラトンはソクラテスの言動録を通じて、初期ギリ シャ的宗教性すなわち〈世界〉の根源的未規定性に開かれるがゆえに内発的な在り方を推奨し、セム族的宗教性すなわち未規定性を超越神に帰属して安心する依 存的な在り方を批判します。
ところが後期プラトンは態度を変えます。敗戦後のアテナイが貨幣経済の浸透で統一性を失うからです。かつて根源的未規定性に開かれた態度はファランクス(集団密集戦法)における「戦いこそがエクスタシー」的トランスと結合し、皆戦士たる市民(≠奴隷)の名誉を支えた。
ところが市民がばらばらになると、根源的未規定性へと開かれた態度を推奨するだけじゃ社会が回らなくなる。かくして後期プラトンは、かつてセム的だと批判したはずの超越的真理(イデア)を持ち出す。崩れつつある社会の中で人々を救おうと思ったのですね。
僕はここに、宗教者の重要な分岐点を見出します。自分が信じる世界観をありのまま伝えても人々は救われない。でも救われるべき人々はたくさんいる。ゆえに敢えて超越的形象を持ち出す。
上祐さんは麻原彰晃に帰依された契機は救済のビジョンへの評価だと仰った。この「他者を救済したい」という感情。これをどう表現するべきなのでしょうか。嘘でも超越神を打ち立てることで救われる人がたくさんいる。ならば超越神を打ち立てるべきでしょうか。

上祐 86年に私が出家する直前には、元代表自身が「私はカリスマにはならない。自分は君たちの先輩として修行 が先に終わったものであって、組織もあまり好きじゃない」と言っていたが、変わっていった。 そこで宮台さんが仰ったことが起こったのでしょう。「自分がカリスマになり組織を回したほうが、人はもっと修行するのでは」という気持ちがあったと思いま す。
ただ、一方で負の部分もあった。人を神としたら、信じるものが正しく、信じないものは神に背いているという形になる。現在そんな宗教の悪い部分が世界を滅ぼすかも、というところまできて、これを放置することはできない。
そこで自分は、バランスが必要だと思うんです。絶対神を信仰することで救われることはあっても、自分たちが絶対神の化身などとなり、神と同等と考えるような信仰になるのは危険です。
そして、何かひとつの考え方が絶対的に正しいとするのはおかしい。絶対神信仰しかないんだ、あるいは絶対神信仰は駄目だから初期ギリシャや釈迦のようにすべきだ、とするのもおかしい。
その中間の第三の道をいかないといけない。宮台さんが仰るように宗教は釈迦の最初の道では救えないから、こっちの道に来たが、結果、今や宗教テロリズムと対テロ戦争で、世の中が崩壊するかもしれない所まで来た。
だから、バランスを考えた第三の道を行く新しい宗教ないし思想、新しい団体なんです。今までの宗教でいいなら、既存宗教に行って雑巾がけでもしようと思いますよ。

宮台 とすると、上祐さんがプライオリティの上位に置くのが、アーレフ信者の善導なのか、アーレフ信者に限らず今仰った内容を広めることなのか。それが問題になります。
もし後者なら、オウム教団がさまざまな反社会的な振舞いをしたせいで、上祐さんがお作りになる新教団が中庸な「第三の道」を目指しても、世間が許しません。「羊の皮をかぶった狼」あるいは「反省なき存在」だと受け止められるからです。
まさに因果応報ですが、ご自分の立場をどう受け止められますか?

上祐 因果応報ですから、一生受け止め続けていくと思います。ですから、信者の数は目標ではない。
今後自分たちがどんな考え方で、どんな変化をしていくかを伝えていくことはしても、人を神と悪魔の軍勢に分け、神の軍勢を増やして支配することが目的ではない。
変わらないと思われている絶対悪が変わっていくのを自分で実践して、見ていただくのも、奉仕なのかと思います。それが贖罪だし、奉仕だし、救済だと思うんです。

社会組織の摩擦がもたらした教団先鋭化

神保 なるほど。上祐さんとの宗教論はとても興味深いけれど、やっぱり事件の話もしなければならないと思います。裁判や報道などで事件や教団の全体的なあらましが明らかになってきた中で、一連の事件をどう総括していますか?

上祐 元代表や修行の世界の神秘的な現象を、唯一の絶対神に由来するものだと錯覚し、それに従う聖なるものと従わない邪なるものに分ける考え方が終末思想と結びついた結果、それを自己実現しようとした過程で起こったものだと思います。

神保 ただ、多くの宗教が似たようなことは言ってるわけですよね。聖・邪とか、終末思想だとか。にもかかわらず、オウムだけが地下鉄サリン事件のような前代未聞の事件を起こし、世界中を驚愕させました。なぜオウムがそこまで先鋭化したのだと思いますか?

上祐 内部の要因が第一にありますが、社会との摩擦の中で、より先鋭化していったんだと思います。今でもそう で、たとえばA派と呼ばれている人は、公安調査庁が、「教団は全然変わっていない」とか、「代表派も反代表派も変わらない」と批判するのを聞いて、「実際 は変わっている部分もあるのに、やはり社会は認めない。それは、やっぱり(社会は悪とした)元代表の言う通り」という感じになる。
つまり「社会は悪だ」という見方を元代表が立てて、教団がラディカルなことをすると、社会はそれに対して激しい反応をする。それを見て、「やっぱり悪だ」と相互に増幅していく。
最初はある意味、不安だけなんです。でも不安を持った行動が相手の反発を招く。その反発が不安を正当化し、双方が不安の自己増殖していくプロセスがあった。
20世紀、21世紀には、あらゆる分野でそれがあるんじゃなでしょうか。

神保 もう一度同じ質問になるけど、上祐さんはこれだけの事件を起した教団で、ある時期には幹部として、また広報部長として所属し、「事件は一切でっち上げである」という主張を言い続けたわけです。
だから社会的には、刑務所で刑期を終え、すべてが清算できたわけではないと思いませんか?

上祐 やはり、元代表の責任とすることはできないと思いますね。刑事責任は別にして、宗教的には信者がああいう教祖を作ったという意味で、幹部信者を中心として同罪の部分があると思います。

神保 元代表の死刑確定については、どう受け止めていますか?

上祐 なした犯罪からして、こういう結果が出るのは当然だと思います。
問題は、これが元代表に対する裁きであって、ほかの信者は無関係かというとそうではない。この流れを信者全体が作り出したということを考えないといけない。
逆に言うと、神秘的な現象に対する免疫のなさ、それを絶対化してしまうような、誰かに依存したい、誰かを神としたいという心理構造が変わらなかったら、元代表が裁かれても、また別のところで同じことをするかもしれない。
だから、人格を進化させない限り、われわれの贖罪は終わらないと思います。元代表が悪かったという総括では、到底済まない。

宮台 元代表の来るべき死がもたらし得る影響について伺います。麻原氏が精神的に荒廃したまま生き続ける場合と、処刑される場合とでは、麻原氏に帰依する反代表派の人々に与える影響はどう異なると思いますか?

神保 死刑になることで、逆に神様に祭り上げられることは?

上祐 まず、ああいう状態で生き続ける場合、反代表のほうは今の妄信の状態が良くも悪くも変わらないでしょう。死刑執行の前に、精神的防御をしていくと思います。
もっ ともあり得るパターンは「肉体存在を超えた、超越した存在だから、お亡くなりになっても大丈夫なんだ」という考え方。しかし、反代表派の中には、事件を直 視することも避けたり、一部であっても「本当にオウムだけがやったんだろうか」と思う人、「祈れば元代表が無罪になるんじゃないか」「長く生きてくれるん じゃないか」という現実逃避型の妄信をしている人がいる。
すると、社会的危険性というよりも、弱さみたいなものが出てくる。彼らが現実に直面した場合、それをどうフォローしたらいいのか。そこで依存していかなくても生きていける道を、新団体につくりたいと思っています。

神保 今はある程度相対化ができたとはいえ、上祐さんにとって元代表は10年以上心底心酔し、完全に帰依していた対象ですよね。それが死刑になる。それは、もう上祐さんにとって消化できているのですか?

上祐 私自身は、できてると思います。過去においては、ある意味では父親のような人だったわけで、息子っていうのは必ず父親とその死を越えなければならない。そういうものとして受け止めています。

神保 上祐さんとしては、宗教家以外の生き方は考えられない?

上祐 自分は、それが自然なんだと思いますね。個人の立場以外にも縁のある人々がいて、そういう人たちは精神的 に路頭に迷っていますので、これを自分と彼らの協力によって乗り越えていく。そして、乗り越えたことをもって贖罪として、社会に対する奉仕とする、という ところが自然だと思います。

神保 それは「自然」と言いながらも、ここまでいろんな人を引き込んだ自分としては、自分だけ抜けることはできないって意味もあるのですか?

上祐 当然そうですよね。今は迷妄の世界の中にいますから、新たなものが見つからなければ、今までの破綻するかもしれないものを続けていくことになります。
しかも、社会に対して「無条件に絶対悪としていい存在があるんだ」という認識を植えつけてしまった立場でもあるから、「戦後史上最も悪い存在も、変わるんだ」ということを示しておかないと死ねません。宗教も悪いだけじゃないんだと示しておかなければいけない。

神保 わかりました。宮台さん、今日のやりとりに対する世の中の反応はどうでしょうか? 少し前は、テレビで上祐さんの発言を少しでも放送すると、「なんであんな殺人集団の言い分を流すんだ」と抗議の電話が殺到してものです。二年たって、世の 中もオウム問題を多少は冷静に見られるようになっているでしょうか。

宮台 僕らは9・11以降、「繁栄がもたらす怨念の蓄積を放置したアメリカも悪い」と発言して当初ずいぶん批判されたけど、上祐さんにまとまった発言機会を与えたことで今回も似た立場になるかもしれない。まあ僕らは百も承知でやっているから、すべて想定内ですが。


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