関連出版物

2007年3月

メディア掲載(2007年)

『KEITAI BANDIT'S』4月号(ミリオン出版)及川健二氏インタビュー

現在発売中の『KEITAI BANDIT'S』4月号(ミリオン出版)に、ジャーナリスト・及川健二氏による上祐代表に対するインタビュー記事が掲載されました。 KBhyousi.jpg
以下に全文をご紹介します。

          (※コンビニだけで買うことができます)→

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KBkiji.jpg カリスマの肖像

「私の芸能感覚は山口百恵と沢田研二で止まってしまっています」
宗教団体「アーレフ」代表 上祐史浩

 

撮影 飯田勇
インタビュー・構成 及川健二

 

オウム的な善悪二元論に社会を引きずり込んだ罪――自分達が変わることで、その贖罪を願う上祐氏

宗教を創造する男

―――上祐さんは普段テレビを御覧になりますか? 好きな芸能人・お笑いタレントとかいれば教えてください。

テレビはほとんど見ませんね。ただ、現世を知るためにたまに見ることはあります。一昨年の紅白歌合戦は流行に遅れないために見ました。昔は『ベスト テン』という番組が好きでしたね。私の芸能感覚は山口百恵と沢田研二でとまってしまっています。彼らが引退して、私も引退してしまった。お笑いはビートた けしの時代でとまってしまっています。

―――米国の9・11テロが起きたときは何をしていましたか? また、何を感じましたか。

事件直後からCNNをずっと見ていました。当時は9・11テロが、教団の地下鉄サリン事件と連動しているのではないかと思いました。類似点は4つあ ります。まず、飛行機・地下鉄で異なりますが同時に複数(4つ~5つ)の公共交通機関をつかった。第二に朝8時頃だった。第三に東京とニューヨークという 大都市で起きた。第四に無差別テロだったという点です。彼らはオウムの真似をしたのか、少なくとも、シンクロした現象だった、と思います。

私は旧オウムを離れて新教団をつくります。そこで、テロ組織にいた者も反省して、まっとうになったということを社会に示さなければならないと考えて います。というのは、オウムは自分たちを善、社会を悪として、力でなければ社会は変わらないと考え、大変なテロ事件を起こした上、長らく反省しなかった。 そのため、社会には、「世の中には、(オウムのような)絶対的な悪があり、それは決して変わらないから排除すべき」という物の考え方が強まった。言わば、 オウムの善悪二元論に社会を引きずり込んだ罪があります。自分達が変わることで、その流れを変え、贖罪をしたいのです。

また、イスラムの人達には、オウムもアメリカを悪としてテロを行ったけれど、力対力の戦いでは、何もよくならないから、新たな道を探すべきだ、と呼びかけたいと思います。

―――イラク戦争はどう思いましたか。

オウムもイスラム原理主義も、アメリカを悪と見て、自分たちを善とした、善悪二元論に立っています。そして、大変なテロ被害を受けたため仕方がない のでしょうが、ブッシュ政権も、善であるアメリカ側につくか、悪であるイスラムテロリスト勢力につくか、という選択を世界に迫って、ある意味で、善悪二元 論に陥ったのではないでしょうか。

私のオウム時代の経験でも、善悪二元論に陥ると、敵対する他者を現実以上に悪く見て被害妄想になり、善とした自分たちについては過信・誇大妄想が生じる。イラク戦争は、やり過ぎだったというのが国際世論でしょう。

オウムは、社会から弾圧され、アメリカから毒ガス攻撃を受けている、という一種の被害妄想に陥り、自分たちをキリストの集団だと思って過信し、社会 と戦おうとした。ブッシュ政権は、イラクが大量破壊兵器を持っているとか、テロ組織とつながっていると思い込んだが、アルカイダとの関係も、大量破壊兵器 も存在しなかった。そして、戦争後のイラクの治安のコントロールにおいても、自分たちの力を過信して、失敗した。

こうして、オウムの善悪二元論が日本社会に広がり、オウムのテロがイスラムのテロにつながって、アメリカを含む世界全体に二元論が広がった。言わば、世界のオウム化がおこってしまった。この流れを何とか変える、贖罪をしたいと思います。

宗教は、人々を幸せにする手段であり、宗教のために人が存在するのではない。特定の教祖や神が絶対で、他が悪なのではない。キリストを信じても、マホメットを信じてもいい。こういった、多様性を尊重し、盲信を越えた、宗教・思想が、21世紀には必要だと思います。

メディア掲載(2007年)

月刊『創』 「アーレフ(旧オウム)教団分裂!上祐史浩代表に独占直撃!」

本日(3月7日)発売の月刊『創』(創出版)4月号に、上祐代表のインタビュー記事が掲載されました。
「アーレフ(旧オウム)教団分裂!上祐史浩代表に独占直撃!」と題する10ページにわたる記事で(巻頭グラビア2ページ付)、上祐代表が、アーレフが分裂した原因や経緯、教団の現状、代表派が設立を予定している新団体の理念等を詳しく話しています。

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カラーグラビア
アーレフ(旧オウム)上祐代表語る
教団の分裂と上祐新団体立ち上げ

  祭壇を前に立っているのは、アーレフ(旧オウム真理教)の上祐史浩代表である。代表といっても今はアーレフは分裂状態で、彼はあくまでも代表派と呼ばれる信者たちを束ねているに過ぎない。
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   別行動をとっている非代表派もアーレフを名乗り、こちらは上祐代表を非難してさえいる。千歳烏山のこの教団本部は代表派が押さえているものの、建物の向かいに本拠を構える非代表派には荒木浩広報部長率いる広報部も属しているし、経理部門もそちらにある。
  上祐代表の立っているこの本部は、2月末をもって内部が大幅に改装される。

  tsukurub.jpg 右写真に写っている松本知子さんが描いたとされる絵画も撤去されるばかりか、松本家の名残を残すものは全面的に取り去られる。
  ちなみにこの松本知子さんの絵画というのは、その貸与の見返りという名目で教団から松本家の生活資金が支出されていたことが昨年明らかにされた。松本家との関係をどうするかも、教団分裂の大きな争点だった。

   周知のように松本智津夫元代表は、昨年、死刑が確定した。
tsukuruc.jpg   それをも契機として上祐代表らは、オウム事件を清算して新団体を立ち上げようとしているわけだが、世間はいまだにオウム事件を忘れておらず、本部マンショ ン正面には、住民の抗議の横断幕がかかったままだ。オウム事件から10年以上を経て、果たして教団は、松本死刑囚は、これからどうなるのか。
  今回、本誌は教団関係者に取材を敢行。上祐代表のインタビューを詳しく掲載した。


まもなく新団体立ち上げ!
アーレフ(旧オウム)分裂 上祐史浩代表独占直撃!

 アーレフ(旧オウム真理教)の内部分裂は遂に上祐代表らの新団体立ち上げという局面に至った。分裂の契機となったオウム事件の総括や松本元代表との関係などを訊いた。

●はじめに──編集部

 締切直前、アーレフ(旧オウム真理教)か らこんなFAXが届いた。 


《現在教団は、役員の辞任及び任期切れ、上祐らのグループの分離活動によって混乱した組織機構を再編中であり、しかるべき立場の者から教団側を代表した見解等を発表できるようになるまでには、今しばらく時間を要します》


 当方からの幹部へのインタビュー依頼に対して、もう少し待ってほしいという回答だった。知らない人なら混乱したかもしれないが、今アーレフは2つに分裂しており、それぞれが同じ教団名を名乗っている。

 FAXを送ってきたのは非代表派で、荒木浩部長率いる広報部もそちらに属する。経過について説明した文書では上祐代表は呼び捨てである。


《2004年末頃から、上祐を中心とする信者グループによる分離活動が始まり、2006年6月に、同グループと教団側の会計が分離されるに至って、旧来の役員執行部は全く機能を停止し、教団運営は極めて混乱した状態にありました。

 その後役員の辞任・任期満了及び教団内での会計分離に伴って、2006年7月以降、上祐らのグループを除く教団各部門のリーダーらを中心に定期的な会合が持たれ(「合同会議」)、教団運営上の諸問題について協議・調整が行なわれるようになりました。

 先頃教団内で、上祐らのグループが2月中に教団関連教材を廃棄し、3月中に脱会、4月以降新たに別団体を設立する予定であるとの発表があり、現在教団では、その動きとも並行して、教団組織と運営体制の再編を進めているところです。

 教団としての今後の方針等については、再編の過程で明確にしていく予定ですが、現時点では、
・事件への反省と被害者賠償の継続
・社会との協調を重視した宗教活動
・合議制による教団運営等、従来の方針の継承を前提に議論を重ねています。》



 上祐代表は今まさに新団体を立ち上げるところで、マスコミ取材にも前向きだから、この間、彼の話によって教団の内部事情が伝えられることが多いのだが、本当は反上祐派や松本家の話も聞かないと教団分裂の真相はわからない。

 そのことを踏まえたうえで今回、本誌は上祐代表のインタビューを掲載することにした。もちろん本誌は非公式には反上祐派にも取材を行っており、それも踏まえた解説をここで少しだけしておくことにする。

 上祐代表は2002~3年頃改革路線を教団内で打ち出したのだが、組織拡大がうまく行かなかった事情もあって、中堅幹部である「師」以上が署名した嘆願・要請書を突き付けられ、事実上教団運営から手を引き、2003年10月から修業に入った。
 1年後の04年11月、修業から復帰して再び改革に着手するのだが、その過程で反発した人たちが反上祐の動きを強め、分裂が始まっていく。

 非代表派から見れば、分派活動をているのは上祐代表で、その強引さに多くが反発しているということだ。また上祐代表はインタビューの中で明らかなように、反代表派が松本家に依拠しているという見方をしているのだが、反上祐派に聞くと、それは全くうがった見方だという。

 両派の関係に大きな影響を与えたのが、昨年の四女の家出騒動だった。
 高校に進学した四女は家族とうまくいってない事情もあったようで、家を出て教団に入り、自分の手で分裂した教団をまとめようという思いを、昨年2月頃から村岡達子さんら幹部に持ちかけたという。

 元々上祐代表のやり方に反発していた村岡さんらはそれに賛同し、四女を担いで教団の再建をしようと師以上の幹部を集めて協議をしたが、多くの幹部は「ちょっと待ってよ」という反応だったという。

 四女と村岡さんによる再建計画は頓挫し、そうするうちに悩んだ四女はジャーナリストの江川紹子さんに接触。四女の教団や家族への批判が江川さんの口を通してマスコミで報道される。

 その成り行きに教団は驚愕。
 村岡さんは教団内で立場を失し、沖縄へ修業に赴くことになった。それまで上祐代表批判の急先鋒だった村岡さんはリーダーシップを失い、中間派に転身することになった。その後のリーダー不在が、非代表派がまとまらなくなっている理由のひとつといえる。

 以下、上祐代表のインタビューを掲載する が、かなり踏み込んだインタビューで多くのことがわかる貴重な内容だ。
 ただ、これはあくまでも上祐代表ないし代表派の見解であることをご理解いただきたい。今後、機会があれば反上祐派や松本家の見解も掲載していきたいと考えている。
(篠田博之)

オウム事件にどう向き合うのか

――昨年末から霞ヶ関駅などで慰霊を行っているようですが具体的にどんなことをしているのですか

上祐 慰霊に行くのは幹部というわけではなく、在家信徒から出家修行者まで、まちまちです。事件の反省の一環として、一人で行っても、まとまって行ってもかまわないことにしています。そこは、基本的に信者の自主性に任せています。
私たちは新団体の創設を視野に入れて、代表をはじめ全員が旧団体の反省を深めるために、具体的な行動をするべきだと考えています。

むしろ11年も遅れて、「やっとそういう体制になってきた」といえるのかもしれません。本来は、もっと早くすべきことだったと思います。
「慰霊」といった具体的な行動をしないと、信者も事件の反省が深まらない部分があると思います。事件から11年も経っていますからね。

そして、11年間極力「事件」を見ないで生きてきた信者も多いので、慰霊の前には、事件の記録画像を見て予備知識を得てもらいます。その上で事件現場に行ったり、被害者をケアしているリカバリーサポートセンターの関係者の方にお話を伺ったりしています。

――事件と直接むきあうことは、11年間、なかったのですか?

上祐 きちんと向き合うということはなかったと言ってよいでしょう。
2000年頃から謝罪表明や賠償などは行われました。しかし、それは多分に「教団組織の維持」という面があったから、教団全体が一つにまとまってできたんだと思います。

しかし現在、「事件を引き起こした旧教団の宗教性を本質的に反省し、新しい道を切り開こう」という代表派の考え方と、「形の上では謝罪、賠償を続けても、元代表への信仰は変えず、真の反省はしない」という考え方に分かれてしまいました。
そこから見れば、2000年段階の教団全体の謝罪とは、表面的なところが多分にあったといえるでしょう。

そして99年までは、「事件を起こしたのは教団かどうかわからない」というのが、公式見解でした。それは私がちょうど出所したころなのですが、その当時は「表向き」さえも事件と向き合っていなかったわけです。

99年の末から2000年にかけ、「謝罪・賠償を少なくとも形式上はおこなわないといけない」という方針転換を行う上で、「事件をやった」ことの説明をしました。
ただその当時の幹部の説明は、今から思うとすごく内容が薄く、表向きの謝罪のための手続きといったところでした。
だから信者の中には、これは表向きで、「本当はやっていない」と決めてしまう信者も少なからずいましたね。そして、そういう信者には、無理に事実を直視させなかったのです。

事件と元代表の現実を直視するかしないかを一つの原因として、教団の路線が分かれたのは2003年から4年です。マスコミでは全貌が報道されていませんが、それが、教団の二分裂ないし三分裂の状態を引き起こした一つの要因になっています。

元代表への信仰を最重視する立場からは、事件は「見ざる言わざる聞かざる」の状態になるしかない。つまり「わからない」「総括できない」としておくのが一番いいという考え方があります。
一方、私たちのように、元代表は人であって神ではないから、それを乗り越えなければならないという立場の人間もいる。そして、その中間派もいて、非常に多様化していま
す。決して二つではなく、段階によって三つにも四つにも分かれている状態です。


教団は内部分裂で幾つものグループに

――上祐さんたちと、その他の人たちという見方でいいのですか?

上祐 私の考えに同調する動きと、それに反発する人たちの動きがあって、その間に、中間的な人や、どうしたらいいかわからない人たちがいるという感じです。

  本当は、彼ら信者は事件について大変な関心があると思います。しかし、事件に対する関心を強く持ってしまうと「元代表があの事件を引き起こしたこと」にぶ ちあたります。そこで、事件を反省するためには、現実を直視して、元代表の絶対視をやめて、今までの自分の信仰における問題を見直さなければなりません。

 しかし、ここで、これまでの自分が壊れてしまうと思い、止まってしまう人が大勢いる。もちろん、壊れてこそ、新しいものが生まれるのであり、そこで止まるのは、厳しく言えば、甘えなのですが、私もなかなか越えることができませんでした。

  だから、非代表派の幹部信者は、事件への関心を持たないほうがいいと言っています。幹部達自身がそうですからね。上から下まで、見ない、言わない、考えな いでいる方が、とりあえずは平静でいることができる。でも、本当は見たい、というのがあり、心の中には、葛藤があります。

――正悟師以上の幹部は今どちらの派に属しているのですか?

上祐  現在、正大師、正悟師は6人いますが、二ノ宮耕一正悟師が非代表派で、あとの4人が中間派、つまり、どちら側にも属さない形になっています。中間派の4人 は、麻原彰晃元代表の信仰を完全に超えようとはしていないから、組織的には、非代表派の中にいるのですが、非代表派の活動を主導することはできない状態に なっています。

 そして非代表派は今、正悟師ではなく、その次の"師"クラスが中心になって運営されています。彼らは、私たち代表派を魔 境として、また、4人の中間派の正悟師が私の活動を完全には否定しないこともおかしいとして、私の活動を認めず、4人の中間派の正悟師の活動を制限してい ます。

 その結果、非代表派には、ほとんどの正悟師は参画せず、師の中でも参画しない人がいるので、残り30人くらいの師が、合同で運営する形をとっているようですね。

――彼らは「反代表派」ではないんですか?

上祐 中間派を含めて、代表派以外の全ての人を非代表派と言えば、その中で二ノ宮氏は反代表派、他の4人は中間派ということになりますね。ただ、教団内では代表派、反代表派という言葉はあまり使われなくて、M派・A派ということが多いですね。


村岡達子元代表代行は、反代表派から中間派へ

――Mとはマイトレーヤ正大師つまり上祐さんのこと、Aとはアーチャリー正大師、松本家の三女ですね。一時期代表代行として教団の顔を務めていた村岡さんは、当初から上祐さんとは異なる立場だったのですか?

上祐 当初からではなく、松本家の人たちと接触して考えが変わっていったのだと思います。しかし、去年の1月から3月にかけてまた変わって、私の活動も容認するようになった。

 元代表を越えるということはしないが、かといって、私たちに強い反発をするというわけでもなく、中間派的になりました。その一方、A派からはかなり排斥を受けています。A派は、A派でなければ「異端・魔境」として一蓮托生にする傾向がありますから。

  A派は合議制で運営していると言っても、その本質は、多様な考えの存在や、合議制の否定があり、上の指示を守るべきだということです。上の指示の前では、 中間派の正悟師といえども否定されるのですが、彼らにとっての上というのは、麻原元代表とその家族のことを意味します。

 元代表の家族は、現在、教団の中に入って組織を動かしてはいませんが、A派の荒木広報部長が公に認めているように、彼を含めた、A派の信者が個人的に家族に接触をしています。
A派は表向きこの事実を否定しますが、個人的接触の中で、家族の示唆をもらい、その方針からずれないように運営する形を取っている、と多くの信者が思っています。

 もちろん、この問題は、元代表と家族に依存する反代表派の信者がいることが根本原因であり、松本家の影響力は結果であって、信者側が変わらなければならない、と私は思います。

 私としては2003年の時、元代表のカラーを相対的に薄めようと考えていました。それに対して違和感・反発のある人と、元代表の家族が結びついたように思います。
基本的に、旧教団の教義をそのまま適用すると、元代表が神の化身で、その家族はそれに準ずるのですから信者に対する影響力は非常に大きいと思います。

 しかし代表派、中間派を含めて現実を直視し、「それではいけない」という人もだんだん増えているとは思います。


昨年の松本家四女の事件が大きな転機に

――「家族」という表現をしましたが、具体的には三女ということですか。

上祐 たしかに、三女はA派のシンボル的な存在ですが、私が人から聞く限りでは、実務的な事柄になると、具体的なことまでに対応するのは、むしろ、お母さんの知子さんの方が多いようです。

 そうだとしたら、彼らをアーチャリー(三女)さんの宗教名から、A派と呼ぶのは不適切であり、ごく一部の人ですが、お母さんの宗教名から、むしろY(ヤソーダラー)派と呼ぶべきでは、との声もありますね。

  まだ私がアーチャリーさんと交流があった時に聞いたのですが、知子さんには、「一種の二重意識があるのではないか」と思います。 つまり、まず元代表の未 曾有の大事件や女性問題で傷つき、自分も訴追されて傷つき、元代表への愛だけでなく、憎しみ、怒りもあると思います。その上、自分の長男、次男が旧教団で は、跡取りとされていて、教祖家族としての立場も考えてしまう。
 そうした知子さんの複雑な感情の上に、今、「A派」は土台を置いているんです。ただ、信者はあまりこの構造は分かっていないようです。

 ある意味で、この分裂問題も、こうした極めて複雑な精神状態の結果ではないかと思います。実際に、柔軟な姿勢で話し合って、問題を解決することが難しいような状況があり、話し合いによる妥協がなかなか成立しないところがあります。

 去年3月、村岡さんらが中間派に大きく転じてしまったんですが、その背景には、松本家から家出してきた四女と村岡さんたちが接触したことがあったようです。家庭内の分裂です。
 結局、四女は江川紹子さんのところまで行ってしまって、家族にはこういう問題があると、事実上、内部告発することになってしまいました。その結果、松本家が、公ではないけれど、実質的に教団に影響を与えているということが、明らかとなる状態になってしまったのです。

金銭援助を含めた松本家との関係は?

――教団のお金が松本家に流れているという報道が読売新聞で報道されましたが、今でも教団から松本家へお金は流れているんでしょうか?

上祐 2002年の末、松本知子さんが出所してきた当時、この問題を話し合いました。私と知子さんが、ともに契約書を交わしたんです。

  前科があって働くに働けない、ほとんど未亡人に近い知子さんに、子供が六人にいて(長女は別居)、という事情を考えると、堂々とは支援できないけれど、こ ういう理由なら、後から公になっても理解をえられるんじゃないかと思って、月何十万円かを送ること契約をしたんです。形式的には知子さんが描いた絵画使用 料とか、にしていましたが、本質的には生活援助でした。

 しかし、ここ数年で状況が変わってしまい、教団からの生活援助に加えて、形上は脱会した信者等からのお金が流れもあって、四女が江川さんを通して言うところの〝ぜいたくな暮らし〟をしているという状況になってしまいました。
 去年の5月くらいの段階で、もうこれ以上、公に援助を続けるわけにはいかない、と私から提案したんですが、A派は拒絶しました。

 そして7月に家族やその関係者への強制捜査があって、同時に読売新聞が「教団が知子さんの描いた絵に使用料を支払っている」、「また個人の信者が元信者という形で家族に貢いでいる」と書いて、ますます問題が大きくなってしまいました。

  少なくとも教団から出ている公な援助だけはとめようと、私だけでなく、野田成人君と村岡さんもA派に申し入れたのですが、A派はあくまで「帰依の対象は尊 重したい」として続けたいということでした。結局、代表派が出さなくても、非代表派の会計からお金が出ますから、これを止めるには、彼らの心が変わるしか ありません。

 この背景は、信者に元代表への依存があって、それを背景として、その家族への依存があるからです。ですから、A派では、元代表の復活を期待し、元代表の家族に頼ろう、という考えがあるわけです。
 松本家を巡る問題からも、元代表自体を相対化しようとする代表派と、元代表には思いを残しつつ、家族の言うことをそのままにはできない、という中間派と、元代表の代わりに家族に従う、という三つに、教団が将来分かれるのは、ある意味で、自然ではないか、と思います。

──そもそも現在、教団の信者数はどのくらいなのでしょうか?

上祐 アーレフ全体で出家信者は420人くらいでしょうか。そのほかに在家信者が600人くらいいます。ただ在家信者数の正確な把握は難しい面もあります。年末年始に行うセミナーに参加するなど比較的活発に活動している人たちは300人くらいではないでしょうか?

――各地の活動拠点はA派、M派にどのように色分けされているのですか?

上祐  現在、代表派の活動拠点とA派の活動拠点の二つにわかれています。杉並道場など昔からある場所はA派が押さえ、私たちは新しい道場を開設しています。仙台 と船橋と長野に関しては、道場長がM派(代表派)であったこともあって私たちが維持しています(仙台はその後退去)。これから、新団体が設立され、完全に 分離されることになる、と思います。
 本来は、良い意味で互い切磋琢磨し、競争しあえればいいので、A派が、M派・中間派を単に「魔境だ」として否定するのではなく、自分たちの問題を解決し、自分たちの良さをしっかり出す方がいいと思います。


新団体立ち上げに至る内的・外的背景

――新団体旗揚げに至る経緯には、社会的意味合いと別に、上祐さん自身の宗教家としての思いもあるようですが......。

上祐 私は、魔境と言われたのですが、そう言われても、教団の改革に乗り出そうと考えはじめたのは、旧教団の過去の一連の事件や、元代表の予言の不成就などに加えて、2002年くらいから、自分自身の宗教的な芽生えが出てきたからです。

  それは「教団の存続」といった社会的な問題とは別の話です。まず自分の中で、「元代表というのがどういう存在だったのか」を考え、「元代表は絶対・完全で はなく、自分の性格の投影というか、分かりやすく言えば、信者の生み出した教祖だった」という思いが、瞑想などで強くなっていったのです。

  それは教団ではなく、郊外の自然の中で起こってきたのですが、その中で一度に七つもの虹を見るという不思議な体験もしました。また昨年には、神社仏閣を巡 る中で、現在の教団の内部で経験できる以上に神聖な体験、神聖なエネルギーを経験しました。そこでは、私だけでなく、他の多くの信者も体験しました。さら に自然の中で、自我意識が完全になくなって、自然が溶け合って、意識が、柔らかく明るく広がる経験がありました。

 その結果、徐々に、元代表を絶対として拝む以外の宗教性の存在を感じ始めました。それは、誰か特定の人物ではなく、なんと言えばよいか、大宇宙の流れといったものでしょうか。
 こうして、元代表の生徒・弟子の時代にはなかった、一信仰者、宗教家としての体験というんでしょうか。これが、少しずつですが、ここ数年の間に、積み重なっていきました。それがA派の人たちには受け入れがたかったのでしょうね。

――新教団はオウムとの決別を死守するわけですね。

上祐 新団体の立ち上げは、まさにそういうことです。ヨーガ・仏教というベースはありますが、元代表のオリジナル部分をそのまま受け入れることはしません。自分たちなりに精査して過去の教訓に基づき、さらに、二十一世の今に合わせて、自分たちのものをつくるということです。

 今、祭壇に並んでいる、絵画使用料を口実にした絵も2月末以降は入れ替わることになります。経典に関しても、元代表個人のものは使用しません。幹部を中心に研究して、新たなものができはじめています。いわゆる旧教団独特の食事も新しいものにかわります。

  ここまでに至る前には当然、様々な議論・葛藤がありました。2005年末には、中間派の杉浦実君等が中心となり、A派との妥協点を見出す会議もありまし た。しかし、A派の人たちは、代表派の活動は認めない、という点では、全く妥協はなく、結局折り合いは付きませんでした。

 そして、代表派内でも、元代表の教材を全部なくすか、それとも事件と関係ない、悪くない部分に関しては、何らかの形で残すか、ということに関しても、いろいろな議論がありました。

 結論として、元代表の教材も、元代表への依存を完全に断つ、という意味で、全てなくす、という形を選びました。また、A派と同じ組織である限り、反社会的な団体と思われても仕方ないし、自分たちの甘えを断って新団体として独立することにしました。
 新団体は、元代表を含めた、特定個人への崇拝ではなく、全ての人々、生き物、大自然全体を神の現われと見て尊重する信仰実践を行おうとしていると思います。

――教団名も変わるんですか?

上祐 新団体ですから当然、変わります。三月上旬までには、祭壇から教材まで全てを入れ替えて、その後しばらくして、新団体の発足となります。それとともに、位階制度(ステージ)の変革を行います。

  95年に元代表が決めた位階が、そのまま存続されるのはおかしいという指摘は前々からありましたが、今の教団に情熱を持って実績・功績をあげている人を十 分に処遇するようにしていきたいと考えています。今、師と呼ばれている人たち以外から、新しい指導者が生まれてくることで、組織を流動化させていきます。
 あとは、どう位階を合理的に決めるか、みんなが納得できるように決めるかが問題になるわけです。

  元代表が決めたステージには皆が当惑があります。事件以降、師以上の人が元代表に離反せず、師未満の人が離反していれば矛盾はなかったのですが、実際は上 から真二つに割れ、松本家も長女や四女が離反したりしているなど、この位階制度が絶対ではないと思われても不思議ではない状況になっているわけですから ね。
 新しい団体の名前に関しては、そうした教えとステージが変わって自然に出てくる最後の仕上げだと考えています。

分裂後の各派の勢力バランスは?

――分裂をめぐっては、師以上の信者の勢力でいくと、A派が多数派になるんですか?

上祐 A派は中間派も含んでいるので、確かに多数派ではあります。しかし、「中間派」を広く解釈して、一つのグループと見る場合は、その様相は違って見えくるという考えもありますね。
 なにしろ、A派は上意下達の体制で、異を唱えるのは難しい状況にあります。だから、違和感を感じていても、表には出せない、という人も相当数いるでしょう。

 そういう意味で、2割が積極的なA派、2割が新団体に行くM派、あとは中間派で、A派でもM派でもない、という報道関係者の分析は、あたらずといえども遠からずかもしれません。

  昨年は村岡さんがA派から中間派になりましたが、今年の1月にも、A派の支部道場の会合があった時に、上層部の方針に異を唱えるちょっとした反乱が起こっ たと聞きました。師未満の者が、代表派や中間派の正悟師を排除するのはおかしい、という声をあげて、騒然となったらしいのです。そういう意味では、A派に あった絶対的な上下関係が、段々崩壊してきているのかもしれません。

 6人の正悟師・正大師のうち、二ノ宮しかいないA派ですから、その無理な体制を固めようとすると、「それはやりすぎじゃないか」という意見が上がるほどに、組織が流動化しつつあるのかもしれません。

 そもそも、二ノ宮さん自身は、本来、元代表絶対ではありません。事件直後は逮捕後に、脱会しようとしていましたし、私が出所した後も、事件に関して、元代表に相当な疑問があり、私と話し合ったくらいです。
 同時に、行動においては、結構、割り切って、決めてしまう人でもあります。99年にも、彼が一足早く、テレビ出演して、事件の謝罪をし、謝罪を遅らせる松本家の長女に対する不満を述べたりしたように、本来は、改革的な指向もありました。

――両派の関係の中で暴力的な行為があったりするのか?

上祐 暴力は全くありません。あるのは、私たち代表派が、A派から、宗教的な観念に基づく激しい批判を受けることです。
 またA派の中で、代表派を認めたりすると、おかしくなったとされて、教団の業務から外され、「長期の修行入り」ということになる場合があります。例えば、村岡さんもそうです。ないしは、中間派の正悟師のように、教団内で窓際族的な位置に置かれる、ということです。


一部信者の暴走の恐れはないのか?

――元代表の死刑執行や教団消滅にあたって一部信者が追いつめられる可能性はありませんか?

上祐 徐々にではなく、今の状況が急に壊されて、組織が崩壊した場合は、一部の人が、完全に希望を失い、自暴自棄になるかもしれません。

 その証拠が、元代表の奪還を計画したロシアの「シガチョフ事件」です(未遂に終わる)。
 あの事件は、私が受刑中、ロシアの中心グループが壊れてしまって、シガチョフという分派グループが生まれて始まりました。幸い、日本とロシアの信者の連携と協力で、未然に防止できましたが、彼らは元代表の奪還テロを考えていた、と言われています。

 日本で言えば、テロや殺人ではありませんが、女性信者を無理な修行で死なせてしまった、「ケロヨン事件(傷害致死事件)」も、教団本体ではなく、分派した小グループの問題でした。

 よって、A派という大きな組織が壊されてしまうと、小さなグループの中には今よりも質の悪い指導者が現れて、彼らがラディカルな行動を取る可能性があり、危険性が増大すると思います。

 それでもテロはしないと思いますが、元代表の死刑執行もありますから、精神的な健康を害して、鬱病になったり、自殺願望が出る人が出てくるかもしれません。

 ですから、A派については、徐々に導いていくことを考えないとだめなのではないでしょうか。
 理想は大きな問題が起こらず、徐々に、静かに、消えていくことだと思います。

 単なる社会からの圧力だけでなく、どうやって元代表への依存を越えればよいのか、という宗教的な視点からの導きが必要だと思います。元代表や家族に依存せずとも、精神的、宗教的にやっていける、という導きです。

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