上祐史浩インタビュー「宗教は世界を救えるか?」(「実話ミステリーX-デイ 地獄篇」晋遊舎ムック 2009年8月27日発売号)
2009年08月27日
上祐史浩インタビュー「宗教は世界を救えるか?」 (「実話ミステリーX-デイ 地獄篇」晋遊舎ムック 2009年8月27日発売号)
X-Day "Save the Earth" Interview
宗教は世界を救えるか?
世紀末ブームは終わりを告げたが、人の心から終末のイメージは消えない。救いを求める人々は増え続け、地上から争いはなくならず、不穏な空気はあのころ以上かもしれない。宗教の存在が際立っているいま、果たして宗教は救世主となりえるのだろうか?
ひかりの輪代表 上祐史浩
1962年12月17日生まれ。福岡県出身。宗教団体「ひかりの輪」代表。元アーレフ(旧オウム真理教)代表。オウム真理教では外報部長の職にあり、マスコミと渡り合ったことでも知られる。オフィシャルサイト⇒http://www.joyus.jp/
写真 菊池茂夫 / 聞き手 左文字右京
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上祐史浩が語る「宗教の可能性と危険性」
「社会によって生まれたもの、特に歪みを癒すために生まれたのが宗教なんです」
Subject.1 宗教は社会の歪みから生まれる「必要悪」か?
――「ひかりの輪」ではどのような活動をされているのですか?
「仏教を中心に、神道や自然信仰を組み合わせた信仰実践です。修行という側面が強いですね」
――布教活動はしないんですか。
「HPくらいです。オウム真理教からの自己改革を通して生まれ変わっていこうとしているところなので、まだ時期ではないと考えています」
――しかし、他人を救済しようとするのなら布教は必要でしょう?
「確かに救済のためには布教が必要ですが、人を丁寧に導くには限界があります。そこで存在意義や宗教家としての地位を求めてしまうと『無限に拡大したい』ということになります。そして、自分の教えですべて救われるという『嘘』をつくことになり、それが魅力的に思えれば依存する信者はどんどん増える。支配したい欲求と安易な依存心で集まった集団は、肥大化した癌のように破滅に向かってしまいます」
――宗教団体は身の丈にあったものでなくてはならないということですね。しかし、宗教団体自体が肥大化しようとしていませんか。政治を目指したり、社会的地位を得ようとするように。
「各宗教、宗派の教えに優劣はないとは言いませんが、やはり拡大欲求があると他の宗教を排除しようとします。その裏には『自分こそが一番でありたい』という欲望があり、それを優先する余りに真実から離れ、他人のことを考えなくなっていく。しかしこれは宗教だけの問題ではなく、今、社会全体が混乱しているのと同じです。実際、宗教は社会の一部として生まれるものですから」
――現在、新興宗教の勢いはスゴイものがありますからね。
「伝統的な日本の宗教は老衰気味ですが、オウム真理教など過去一部の新興宗教はある意味狂い咲いてきた状態です。私には今の宗教が全面的に良いとは到底思えませんが、宗教は社会と完全に連動していると思います。入信する人は宗教以外で満たされなかった欲求を宗教に求めます。信者は脱社会して自分が特別な存在になったと思いたい、信者ではない人たちは宗教を自分たちの社会が生み出したものとは思いたくない。両者は互いに反発します」
――必要悪のようなものですか?
「そう表現できるかもしれません。逆に宗教家には、自分では純粋にやっていると思っていても、実際にはどこか闇のようなものから生まれているんじゃないかと考える謙虚さがあってこそ宗教的真理に近付けるのではないでしょうか。宗教が変でも、それが社会の病理から発生したものなら、根源的な問題から切り離して宗教だけを批判しても問題は解決しません」
――オウム真理教にもそういう側面はありましたか?
「いろいろ調べましたが、不遇な教祖がヨーガの才能からブレークした裏には、社会へのリベンジ精神があったように思えます。その究極が自らがこの世のキリストのような存在になるという誇大妄想。そして競争社会から逸れたエリートはさらに上を目指し、そうではない人も挽回したいと真剣に願い、オウム真理教に吸収されていったんです。今なら、広がった格差に満たされない人たちが同じような歪んだ自己向上の道に陥ることが心配です」
――ニーズは社会が作ってしまっているということですね。
「言わば隙間産業のように宗教がある。そこに行く人たちがいるということは、社会から押し出そうとする圧力を弱めない限り、本質的には解決しない」
Subject.2 宗教は世界を救うか?または戦乱の元凶か?
――ポジティブに考えて、宗教は世界を救えるのでしょうか?
「まずそのためには、宗教は権力に近付くのは極めて慎重であるべき。釈迦牟尼が良い見本です。自分達の宗教的理想だけを目指すと、自らの理解や器の足りなさを省みずに、『自分の考え方が広まらないのは政治のせいだ』と考える。だから麻原彰晃も出馬して失敗したんです。そこからどんどん批判的になっていった。『教えが広まらないような国民は力で説き伏せるしかない』という風に。それは一種の責任転嫁です。
宗教が世界を救うには国民1人1人の人格的資質を向上させる手助けをしなければならないはずです。そこを飛び越えて政治権力を目指しても、まず社会から拒絶されるだけでしょう。そうなると『社会が悪い』と考えるようになる。特に純粋に選挙運動に取り組んだ人たちの中で芽生えた社会に対する憎悪とギャップは大きい。落選後の反動で、その認識が活動の中心に来てしまったのがオウム真理教だったんです」
――逆に宗教が争いを生んでいる例も多くありませんか?
「そうですね。例えばイスラム教対キリスト教で言うと、片方だけが攻撃的なわけではなく、どちらも同じような精神構造を持ってます。保守主義、原理主義、カルトというのは世界的ブームだと思いますが、社会全体が資本主義の中で激しい競争を強いられ、その結果、満たされない人々を原理主義が吸収していくというのは十分あるでしょう。
さらにインターネットで得られる情報が増えるほど不平等を知ることになり、憎悪の連鎖が拡大していきます。嫌なことを知れば友愛の方には進まない。やはり、この格差から生まれたテロリズムの発生原因を考えないといけないと思います。
宗教は自分たちの神を唯一絶対視すると他宗教=悪になってしまう。信者たちは神秘体験を通してそう錯覚することが多いのですが、神秘体験はどの宗派にもあると知れば、つまり人間の一部として起きるということを理解すれば、自分たちの信仰だけが特別じゃないことが分かります」
――双方歩み寄るということは難しいのでしょうか?
「宗教は基本的に何が正しいかを自分たちの中で決めてしまう。客観的な基準もなく、統一されたルールもない。それは競争社会全体と同じで、どちらも同じ人間がやっていること。ここにヒントがあるような気がします。宗教と宗教、社会と宗教の摩擦の中で、互いに相手とどこかで繫がっていると感じることが必要でしょう。対立はオウム真理教のように同じ日本人の中でも起きうる、と。そういう見方をすると分かりやすいんじゃないのかな」
Subject.3 終わらない「世紀末」と宗教の未来
――世紀末待望論というのが消えないのは何故でしょう。
「オウム真理教は世紀末ブームの中で成長しました。『宇宙戦艦ヤマト』や『風の谷のナウシカ』、『エヴァンゲリオン』なんかを観ると、どれもハルマゲドン的な混乱した世界を背景に、それまで平凡だった若者がヒーローになっていく物語です。これは誰しも隠し持っている潜在的な欲求だと思うんです。これを現実にあるかのように見せたのが麻原彰晃。だから、教団内部に古代進や碇シンジになろうとした人が続出した。麻原1人の力だけじゃ絶対にああいった現象にはなりません。私自身もハマってしまった1人ですから」
――人間が本質的に持っているモノなんでしょうか?
「最近でも2012年にフォトンベルトに突入するという説がありますが、やはり単に滅びるというのではなくて、自分たちは特別な存在になるというエッセンスが含まれています。その裏側には現状の自分や社会に対する不満があるのだと思います。
今のこの社会がなにかダルい感じで、本当はその中で自分なりにコツコツやらなければならないことを見つけないといけないが、誇大妄想の世界にはまってしまう。それは厳しく言えば甘え。でも、そこに実際に強いニーズがあることは、最近の創作物などが本質的に変わらない事からも分かるとおりです。単にみんな滅びてしまえばいいというのではなく、やはり自己存在意義に対する狂おしい欲求を満たしたいと願っている表れでしょう。」
――世紀末待望論は拡大再生産されている?
「製作者に悪気はないが、破壊とともに刺激的な活躍の舞台が訪れるというシチュエーションは創作物の定番になっています。そして社会全体が現状を逆転する一発に期待を募らせている。世紀末待望論は情報環境や社会的雰囲気が作った必然的な結果として存在しているのではないでしょうか」
――世紀末待望論も社会が求めているということですか?
「やはり自己存在意義が満たされないという苦しみが宗教団体側にも信者にも、宗教とは無関係な人にも、社会全体に広まっていて、捌け口を探している、そんな気がしますね」
――そんな中で宗教はどうなっていくのでしょう。
「理想を言えば、宗教が乾いた心を癒して解放する、高度な知的エンターテインメントのようなものになって、信者はそれを妄信するのではなく、真剣に楽しむ熱烈なファンというようになれば、と思います。つまり、自分の信仰には熱心でも、他の宗教や考え方にもゆとりを持って受け入れ、宗教を真剣に楽しむといった感じ。この一線の微妙な違いが大きな問題です」
(※晋遊舎転載許可済)