上祐氏が語る「刺殺の動機」と「麻原の正体」(『FRIDAY(フライデー)』2010年12月3日号)
2010年12月03日
オウム真理教・村井刺殺事件(95年4月23日発生)上祐氏が語る「刺殺の動機」と「麻原の正体」
阪神・淡路大震災から約2ヶ月後の95年3月20日。東京で地下鉄サリン事件が発生した。直後に警視庁が麻原彰晃(55)を教祖とするオウム真理教の強制捜査に着手。メディアは連日、オウムを取材し、東京・南青山の教団本部前にも取材陣が24時間態勢で張り付いた。
サ リン事件から約1ヶ月後の4月23日、取材陣の前で再び衝撃の事件が起きた。サリン製造の中心人物だった教団幹部・村井秀夫(当時36)が、暴力団の準構 成員のA(当時23)に刺殺されたのだ。13cmにもおよぶ右脇腹からは腸が飛び出し、腎臓と大動脈は完全に切断されていた。死因は出血性ショックによる 急性循環不全だった。
「テレビを見ていて犯行を思いついた」Aは逮捕直後にこう供述したが、公判前には「暴力団幹部Bの命令によるもの」と変転した。Bは「事件にまったく関係はない」と全面否認し、裁判で無罪判決を受けている。懲役12年の実景判決を受けたAもすでに刑期を終え出所している。
誰が何の目的で村井氏殺害を指示したのか、2人の供述からは明らかにされず、オウム事件の「謎」の一つである。
これまでに挙げられた説はいくつかある。覚せい剤取引などで関係の深かった暴力団が刺殺した口封じ説。村井氏が生きていれば第2、第3のサリン事件が起きる可能性があったために、当局が起こした謀略説などだ。
当時、教団幹部で、オウムの広報担当だった上祐史浩氏(47・現ひかりの輪代表)が語る。
「ど の説も確たる証拠があるわけではないが、私はオウム真理教による自作自演説の可能性があると感じている。教祖だった麻原はサリン事件の3日後、このような 予言をしています。『神々が、この教団の弾圧は1ヶ月後に終わる(と言っている)』。この予言の1ヶ月後に刺殺事件が起きている。麻原の求心力は予言の的 中などで支えられていました。
予言を実現させるために事件が起きた可能性もあると思います。事実、この事件の直後、教団に同情する声も起き、弾圧もやわらぎましたから」
自作自演だとしたら、麻原はこの予言の時点ですでに村井氏をターゲットとしていたのか。それについては上祐氏は首をかしげる。
「実はこの予言後、4月に入って早川(紀代秀死刑囚)が、『村井が施設に残したビニール袋が強制捜査で発見され、サリン製造の証拠となった』と麻原に告げています。このことによって村井さんが狙われた可能性も考えられます」
上祐氏は07年に麻原の呪縛から脱却し、別教団「ひかりの輪」を設立した。
「麻原は人の心を読む感受性は強かった。いわば超能力のようなものは確かにあった。その頃の私は、ムーやトワイライト・ゾーンなど不思議なものへ憧れる気持ちがあり、惹かれていった。
しかし足が早い人が人格も優れているとは限らない、超能力も人格とは別。麻原は能力と人格が一致しない人物だったのです。麻原の根源は、逆恨みと被害妄想。弱視だった子供時代からの逆恨みを社会に広げた人物なのです。
私はサリン製造も知っていたし、教団がおかしいとは思っていた。しかし、批判できなかったのは、麻原に『ポア』されるのが恐ろしかったからです」
ハルマゲドンを説き、時代の暗部の寵児だった麻原影晃は、死刑判決を受けた現在、正気を失っている。
(麻原彰晃は「第3次世界大戦が起こる」「最終的には米国と戦争になる」などと予言。終末思想を説き若者の信者を獲得した。その予言を実現させるためにサリンなどを撒いて、社会を混乱に陥れた)