参考資料室

麻原彰晃

『麻原彰晃の誕生』 高山文彦

birth_a.jpg『麻原彰晃の誕生』 高山文彦
文藝春秋 (2006/2/20)

 「BOOK」データベースより
数々の犯罪を生んだオウム真理教。
その教祖・麻原彰晃に宿った「狂気」の本質とは何か?
熊本時代の言動、上京後の逮捕、宗教団体への執着...
徹底取材でさびしい怪物の核心に迫る 
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 この書籍は、当サイト上の文書、『心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析』を行った際、たいへん参考になりました。

 著者であるジャーナリストの高山文彦氏が、麻原の盲学校の教師などから、当時の麻原の言動などのエピソードなどを調査したもので、幼少期から解決されなかった心の問題が、麻原をオウム真理教の教祖へと駆り立て、しまいには一連の事件を起こすことへとつながっていったことや、家族や社会への激しい不満、怒り、恨みなどから、親や社会に対する復讐としてオウム事件を起こすに至った可能性を示唆する内容です。

 元オウム信者にとっては、かつて「神の化身」とまで仰いだ麻原が、自分たちと何ら変わらない「人間」であることを知る意味でも、盲信から脱却するために役立ちました。
◎以下本文(p.24)より抜粋
 けれども(松本)智津夫から見たとき、盲学校への転校の事情はかなりちがってくる。のちに「彰晃」という名をさずけてもらうことになる社団法人「社会総合解析協会」会長の西山祥雲に、27歳の智津夫は赤裸々にそのころのことを打ち明けている。

「親父はその子と親のいる前で、私をぶん殴りましたよ。人まえで殴られたことが、悔しくてたまりませんでした。おふくろは、恥ずかしくてもう表を歩けん、と叫ぶし、親父は親父で、こいつ捨ててしまおうか、いや捨てるわけにはいかんだろうからどっかにあずけようか、と怒鳴っていました。兄は私より、もっと目が悪いんです。兄が盲学校に行くのはわかります。どうして目の見える私を盲学校にいれなきゃならないんですか。私は親に捨てられたんですよ。(以上麻原自身の言葉)

 親への恨みつらみを述べたてながら、最後には涙を浮かべていた。幼児期に刻印された傷は、大人になっても消えるどころか増幅されていったようだ。自分のしでかしたことについては蓋をしたまま、傷つけられた悔しさばかりが智津夫の胸を蝕んでいる。

 智津夫が西山祥雲に話したことは、それだけではない。
「スイカなんか盗んでいないのに、親父は私をスイカ泥棒だと決めつけたことがありました。おまえがやったんだと言われて、こてんぱんに殴られたあげく、もうおまえはこの家には置いとけん、どこかにあずけるしかないと言われたんです。そうやって私を家から追い出す理由を、親父はつくっていったんですよ」

 智津夫の話の内容が事実なのかどうか、そのまま信じるわけにはいかないが、ひとつだけはっきり言えることは、幼くして親に捨てられたという意識を強く懐いたということである。