オウム信仰からの脱却

5.新教義の構築

ひかりの輪の新教義の構築

 ひかりの輪は、麻原死刑囚の生み出したオウム真理教の教義ではなく、上祐代表らを中心として生み出された新しい宗教・思想に基づいて生み出された団体です。

 わたしたちはこれまで、あまりに残虐な数々の犯罪行為を起こすに至った、麻原・オウムの教義の問題点・過ちを探り続けてきました。そして、二度と 同じ過ちが繰り返されることのないよう、オウムの教義の過ちを明確に指摘し、否定し、それを乗り越えるために必要な思想を教義としました。

 また、上祐代表らが、オウム真理教の失敗を乗り越えようとする中で、自然豊かな日本の聖地を巡礼し、神聖な神社仏閣や古来の仏像などとまみえる中で、古来の経典・聖典の教えや、巡り会ったさまざまな人たちとの交流の助けも借りながら、新教義を少しずつ育み、生み出していったものでもあります。
 
 
1.ひかりの輪の新教義の沿革


 ひかりの輪の教義が生まれるまでには、道を求めた古来の修行者、宗教宗派の開祖と同じような葛藤、模索、出会い、感動があり、ひかりの輪が、オウム出身の者が作った宗教ではあっても、麻原死刑囚の作ったオウム真理教とは別の、それ自身の歴史・沿革・物語がありました。

 ひかりの輪創設の中心となった上祐代表を、最終的にオウム・アーレフを脱会させ、新宗教・新団体であるひかりの輪を創設するに至らしめた要因の一つは、2002年以降、聖地や神社仏閣で起こっていった宗教体験でした。>>こちらのページへ


2.オウム真理教の教義の反省に基づく、新教義の確立 

 ひかりの輪と、オウム真理教の教義には、多数の「本質的な相違点」があります。
 二度と同じ過ちが繰り返されることのないよう、オウムの教義の過ちを明確に指摘し、否定し、それを乗り越えるために必要な思想を教義として、日々学んでいます。
 内容が膨大で、13項目あるために、以下のようにまとめました。

(1)事件の原因となった教義について

 ①崇拝・帰依の対象とそのあり方

  オウムは麻原死刑囚やシヴァ神でしたが、わたしたちは、特定の崇拝対象を設けず、特定の神・人間を絶対視しないと定めました。

 ②仏教の三乗の扱い(タントラ・ヴァジラヤーナの扱い)

  オウムにおいて「解脱者ならば殺人をすることも肯定される」とされたタントラ・ヴァジラヤーナという教えを、わたしたちは明確に否定し、どんな人であっても、人が他人を殺す権利はないと定めました。

 ③師と弟子の関係(マハームドラーの修行の扱い)

  オウムでは、弟子は自己の意志を捨て、麻原死刑囚に無思考に従うことをよしとする関係でしたが、わたしたちは、その関係を否定し、釈迦牟尼の教えにある通り、人から何かを学ぶ場合、自らで、教えの是非をよく検討し、必要なら批判もなすという態度をとるべきであると定めました。

 ④肉親との関係について

  オウムでは、出家にあたり、肉親との関係を断絶することを重視し、肉親と連絡することを悪として極端に禁じる教義を持っていたために、親族側の相談を受け、「オウム真理教被害者の会」を結成し尽力されていた故坂本堤弁護士を、「真理を妨害する悪」として敵対視し、坂本弁護士ご一家を殺害するという事件を起こしました。
  ひかりの輪では、現在共同生活を営んでいますが、特に2009年になってから、先の「内観」などを通して、親の多大な恩に気づき、感謝する気持ちを取り戻すことの重要性を説き、実践しています。親族との連絡や行き来を禁じることはなく、現在、その人なりの肉親との関係の修復が、加速されています。

(2)一連の事件の主たる原因ではなくとも、関連する事項

 ①教義・団体の創始者

  オウムは麻原死刑囚が創始者ですが、わたしたちはわたしたちが創始者であり、麻原死刑囚ではありません。

 ②団体・教義の創始の縁起(沿革)

  オウムは、麻原死刑囚が最終解脱したと自称した結果、できた団体でしたが、ひかりの輪は、上祐らわたしたちが、日本各地の聖地・神社仏閣を多数巡ったときに得た宗教的な体験や、その中での先達の宗教家・思想家・宗教学者との巡り会いに導かれ、国内外の様々な宗教・宗教家の思想を含めた、様々な研究・思索をすすめていった過程でできたものです。

 ③祭壇とその意味合いの相違

  オウムは、シヴァ神などのインドの神さまや、麻原死刑囚などとなっていましたが、ひかりの輪は、全ての人々の仏の要素を引き出す象徴的な仏として、日本人にゆかりのある、釈迦牟尼・観音菩薩・弥勒菩薩としています。

 ④人の見方

  オウムは、麻原死刑囚だけが仏の化身で、麻原死刑囚の敵対者は悪魔の手先ととらえていましたが、ひかりの輪では、その考え方を否定し、誰というのではなく、全ての人の中に、神・仏の要素があり、それぞれの人から学ぶ姿勢が重要と考えています。

 ⑤社会・世界の見方

  オウムでは、社会は悪、教団を善として闘争を挑んでいましたが、ひかりの輪では、この社会を悪とするのではなく、よいところを見つめ融合したり、社会のためになれるようになることを目指しています。

 ⑥最も参考にしたと思われる外部の思想

オウムは、チベット密教のグルイズムの思想でしたが、ひかりの輪は、一元論的な大乗仏教の思想を中心に参考にしています。

 ⑦修行上の最終的な目的

  オウムでは、衆生を輪廻から救済して、この世でない、あの世のマハーニルヴァーナ(涅槃)の境地に導くというものでしたが、ひかりの輪では、この現実の世界こそが、涅槃であると悟る、大乗仏教の悟りを目的としています。

 ⑧真我説の扱い

  オウムでは、自分の中に永久不変な「真我」があるとする説を絶対視していましたが、わたしたちは、これによる麻原的な魔境といえる、自己を神であると自己過大視する危険性を指摘し、伝統仏教にならい、自己を特別視しない無我説を重視しています。

 ⑨輪廻説の扱い

  オウムでは、輪廻の考え方を絶対視して、来世の幸福を重視したために、現実世界を軽視して破壊活動を行いましたが、ひかりの輪では、輪廻を絶対視せず相対化し、今生と来世の双方の幸福を重視しています。

 ⑩仏教の縁起の法の解釈

  ひかりの輪では、オウムで全く説かれなかった、自分は他人に支えられて生かされているとする、人との相互の関連性の離れがたい深さを理解し、他に感謝して生きる実践を重視しています。

 このように、ひかりの輪は、オウムと明確に違う教義を持ち、実践しています。
 今後も、分析を深め、世界中から学んでいきたいと考えています。

(1)ひかりの輪の教義の沿革

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 また、上祐代表らが、オウム真理教の失敗を乗り越えようとする中で、自然豊かな日本の聖地を巡礼し、神聖な神社仏閣や古来の仏像などとまみえる中で、古来の経典・聖典の教えや、巡り会ったさまざまな人たちとの交流の助けも借りながら、新教義を少しずつ育み、生み出していきました。

 上祐代表の原初的な宗教体験としては、自然の中での七つの虹や、太陽の周りを取り囲む円周の虹などを見ているときに、麻原死刑囚を絶対視することの過ちや、すべての人の中に仏性があり、それに対して奉仕することの重要性への気づきなどが生じたことがはじまりで、2006年に、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を参拝したときに、それは確定的なものとなっていきました。

 上祐代表らには、その仏像が、非常に神聖なエネルギーを発し、微細な智慧、宇宙大、無限大の広大で深い慈悲を有している、たいへん大切なものであると感じられ、それはかつてのオウム真理教や麻原死刑囚への信仰を超えるものだと感じられるものでした。

 これは、仏像が神・仏であるということではなく、仏像とそれを見た人の相互作業によって、見た人の中に眠っていた神聖な意識、仏性が引き出されたのではないかと思われ、人が神ではないように、物である仏像も神ではなく、あくまでもすべての人の中に存在する仏性を引き出す象徴物・シンボルであると思われました。そして、そのような、古来人々が大切にしてきた神社仏閣、聖地、自然などを、同じように大切にしていく信仰実践へと変化していったのでした。
 

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