広報部について

2.ひかりの輪の沿革

2.ひかりの輪の沿革

【1】アーレフ脱会と、「ひかりの輪」設立の経緯

 当団体の主要構成員がアーレフ(現Aleph)から脱退するまでの経緯を簡単に記します。

(1)上祐代表を支持した者たちは激しい批判にさらされてアーレフ脱退に至ったこと

 上祐代表や役員・指導員をはじめとする当団体の主要構成員は、アーレフから脱退してきた者たちによって構成されていますが、アーレフ在籍時は、当時のアーレフ上祐代表を支持する者達という意味で「代表派」と自称していました。
 そもそもは、2003年に、上祐代表が、オウム事件の過ちを認め、麻原死刑囚の絶対性を否定し、同死刑囚を観想(イメージ)しない修行法を採り入れる等の教団改革をアーレフ内部で始めたことにさかのぼります。
 この改革に対して、同死刑囚の絶対視を維持しようとする同死刑囚の家族(松本家)や大多数の保守的な信者らは、猛烈に反発し、上祐代表を「グル(麻原死刑囚)を外そうとした魔境」と位置付け、上祐代表を教団運営から排除しました。
 しかし2004年末になって、「上祐代表の改革は正しかった。オウム事件を直視してその誤りを認め、麻原死刑囚への絶対視をやめ、社会と融和していこう」という考えを持つ少数の信者らが集まって、「代表派」を形成しました。
 この代表派の動きに対して、上祐代表に反対する大多数の信者ら(反代表派またはA派と称する)は、さらに反発し、上祐のみならず代表派の信者らに対しても「魔境」呼ばわりし、教団の活動から排除していきました。
 そして、2005年から2006年にかけて、オウム事件を反省し麻原死刑囚の絶対性を否定する代表派と、オウム事件を内心において宗教的に肯定し同死刑囚の絶対視を続けようとする反代表派との間で、激しい論戦が繰り広げられました。やがて、2006年夏、アーレフ教団の大勢を占めていた反代表派は、代表派の会計を教団本体から切り離すとともに、居住する場所も分離するようにと圧力を加えてきました。
 その結果、代表派は、アーレフからの脱退を決め、2007年3月に脱退、同年5月に新団体「ひかりの輪」を結成するに至りました。
 このように、「ひかりの輪」の前身となったアーレフ代表派は、アーレフの指導部(反代表派)との間で激しい意見の対立があり、批判にさらされて、脱退してきたものですから、「両者は裏でつながっている」という一部の主張は全くの誤解であって、真実でないことをご理解いただきたく思います。

(2)アーレフ脱退に至る過渡期に麻原死刑囚への依存が一部に残っていたこと

 代表派が上記のような激しい論戦を反代表派と展開した際、代表派側が麻原死刑囚の教えの穏健な部分を引用しながら、「代表派の活動は麻原氏の教えに必ずしも反していない」と主張したことがありました。
 これは、反代表派が麻原死刑囚を否定できないことを利用しての主張でしたが、これが一部において行きすぎて、反省がまだまだ不足していたごく一部の者たちによって、「代表派の活動こそ麻原氏の意思に基づくものだ」という主張にまでエスカレートしたことがありました。
 昨年1月の公安審査委員会の決定において、当団体が麻原死刑囚の教えから脱却できていないと指摘された根拠の一つはここにありました。しかし、代表派は2007年のアーレフ脱退に至るまでに、さらに反省総括を進めた上、「ひかりの輪」設立後は、その動きを徹底して加速し、後に詳述するような総括文書群を完成させました。
 この過程において、遅れを見せていた一部の者たちの反省・総括が進み、現時点では、当団体は麻原死刑囚の教えから完全に脱却したということができます。


【2】オウム真理教・麻原関連教材の破棄

 当団体では、麻原死刑囚やオウム関連の教材(以下、旧教材という)は全て破棄し、一切使用していません。
 旧教材の扱いに関する方針は、アーレフ代表派の時代にスタッフ全員が集まって議論を繰り返してきましたが、アーレフ脱退直前の2006年11月の会合において、旧教材は、その内容を問わず一切破棄することで、最終的に決定しました。
 理由は、麻原死刑囚への依存を断ち切るためでした。
 それまでの間、代表派において、オウム事件の詳細を研究したり、その原因を議論したり、事件が社会にもたらした惨禍を直視したりする勉強会を繰り返してきた結果、特定の人間を特別視・神格化するというオウム真理教の誤った実践を決して繰り返してはならないという意識を皆が確定的に共有できるようになっていきました。
 その結果、旧教材を使用したり、たとえ使用はしなくても保持したりし続けることは、同死刑囚への依存を維持・強化することにつながりかねず、個人崇拝から脱却し、すべての人々の中に等しく仏性を見ていこうという新たな実践に反することになると考え、旧教材の全面破棄を決めたのでした。
 現在、その破棄が全面的に完了していることは、度重なる公安調査庁の立入検査の結果によっても、客観的に証明されています。


【3】ひかりの輪の新教義の沿革

 ひかりの輪は、麻原死刑囚の生み出したオウム真理教の教義ではなく、上祐代表らを中心として生み出された新しい宗教・思想に基づいて生み出された団体です。そしてそれは、オウム真理教での大きな挫折を負った上祐代表らが、それを乗り越えようとする中で、自然豊かな聖地や、神聖な神社仏閣や古来の仏像などとまみえる中で、古来の経典・聖典の教えや、巡り会ったさまざまな人たちとの交流の助けも借りながら、少しずつ育み、生み出していったものでした。
 そこには、道を求めた古来の修行者、宗教宗派の開祖と同じような葛藤、模索、出会い、感動があり、ひかりの輪が、オウム出身の者が作った宗教ではあっても、麻原死刑囚の作ったオウム真理教とは別の、それ自身の歴史・沿革・物語があったのです。
 ひかりの輪創設の中心となった上祐代表を、最終的にオウム・アーレフを脱会させ、新宗教・新団体であるひかりの輪を創設するに至らしめた要因の一つは、2002年以降、聖地や神社仏閣で起こっていった宗教体験でした。
 上祐代表の原初的な宗教体験としては、自然の中での七つの虹や、太陽の周りを取り囲む円周の虹などを見ているときに、麻原死刑囚を絶対視することの過ちや、すべての人の中に仏性があり、それに対して奉仕することの重要性への気づきなどが生じたことがはじまりで、2006年に、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を参拝したときに、それは確定的なものとなっていきました。
 上祐代表らには、その仏像が、非常に神聖なエネルギーを発し、微細な智慧、宇宙大、無限大の広大で深い慈悲を有している、たいへん大切なものであると感じられ、それはかつてのオウム真理教や麻原死刑囚への信仰を超えるものだと感じられるものでした。
 これは、仏像が神・仏であるということではなく、仏像とそれを見た人の相互作業によって、見た人の中に眠っていた神聖な意識、仏性が引き出されたのではないかと思われ、人が神ではないように、物である仏像も神ではなく、あくまでもすべての人の中に存在する仏性を引き出す象徴物・シンボルであると思われました。そして、そのような、古来人々が大切にしてきた神社仏閣、聖地、自然などを、同じように大切にしていく信仰実践へと変化していったのでした。


【4】2009年1月の公安審査委員会における審査の結果

 観察処分更新決定を受けて、当団体公式サイト上で発表した、当団体の見解を掲載いたします。

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                               2009年1月23日
報道関係各位
                               ひかりの輪 広報部

             本日の観察処分更新決定について

 本日、公安審査委員会は、当団体を処分対象に含める形で観察処分更新決定をしました。これに対する当団体の見解は下記の通りです。

                   記

1,本決定の中のひかりの輪に関する主たる指摘

「ひかりの輪」は、被請求団体とは別個の団体であって被請求団体には含まれないという今回の主たる論点について、公安審査委員会は、
「「ひかりの輪」が被請求団体とは別個の団体であって被請求団体には含まれないとの主張に理由がないことは前記第4・1で認定したとおりである。」
としました。

 その上で、公安審査委員会は、
「なお、「ひかりの輪」は、松本および同人の説くオウム真理教の教義からの脱却を目指して活動を行っている旨主張している。当委員会としては、「ひかりの輪」の設立経緯等に照らし、未だ脱却が行われたものと認めることはできないが、今後の「ひかりの輪」の活動が、両サリン事件等に対する真の反省に基づき実施されるものであると認めることができるか、また、被害者や周辺住民等の理解を得られるものであると認めることができるかを注視していくことにしたい。」
としました。

 なお、ここでの前記第4・1(ひかりの輪が被請求団体に含まれる理由)とは、以下の通りです。

「この「ひかりの輪」については、「アーレフ」の代表を務めていた上祐を始めとした被請求団体の構成員を中心に組織されており、設立表明時から現在までその参加者のほとんどは被請求団体の構成員として長年活動してきた者であること、代表役員として活動する上祐をはじめとして、その幹部は主に被請求団体において上位の位階を有する者によって構成されていること、「Aleph」及び「ひかりの輪」の双方の活動に参加する構成員が認められること、現在もその参加者がいわゆる「松本サリン事件」及び「地下鉄サリン事件」(以下、両事件を併せて「両サリン事件」という。)の関与者の支援活動に参加していること、その中心的活動場所は以前から被請求団体の主たる事務所として用いられていた場所であることなどの事実が認められる。
 それに加え、上祐を始めとした「ひかりの輪」で中心的に活動する者については、その設立の前後に、その設立目的等について、組織維持のため組織を二つに分けるべきだなどとする松本の言動やタントラ・ヴァジラヤーナに関する松本の言動等を引用しつつ、観察処分を免れて、松本の意思を実現するためである旨を繰り返し述べていたことなどの事実も認められる。
 これらの事実を総合すると、「ひかりの輪」は、松本に対して帰依し、松本の説くオウム真理教の教義に従う者によって、観察処分を免れ、松本の意思を実現することを目的として組織されたものであると認められ、その後の活動状況等を考慮しても、「ひかりの輪」は、依然として、松本及び同人の説くオウム真理教の教義を共通の基盤としつつ、被請求団体の重要な一部を構成しているものと認められる。」


2,本決定に対するひかりの輪の改善努力

 当団体は、これらの見解をしっかりと受け止めて、公安審査委員会ならびに国民の皆さんに安心していただけるような教団づくりのため、以下のような今後の活動改善に努めます。

 まず、今後の課題として指摘された2点については、

①両サリン事件等に対する真の反省に基づき実施されるものであると認めることができるか、という点について、今後以下の点に努めます

  1 団体ならびの個人の反省・総括を更に深め、問題の解決策を実行する
  2 反省・総括の文書をHPや出版を通して一般に公開する
  3 賠償の継続的な実行に努める
  4 宗教テロの抑止のための社会貢献に努める

②また、被害者や周辺住民等の理解を得られるものであると認めることができるか、という点について、今後以下の点に努めます。

  1 被害者遺族の方々への謝罪と賠償の継続
  2 地域住民への情報提供や迷惑防止等の融和努力
  3 開かれた教団作り
Ⅰ 観察処分や情報提供における公安当局への協力
   Ⅱ 団体の教義・活動の大半をHPを通して一般公開
   Ⅲ 外部監査役の設置による団体活動の透明化
   Ⅳ 外部の識者・他団体との交流・学習の推進

 次に、同一の団体と認定された根拠となった問題点については、

①その参加者のほとんどは被請求団体の構成員として長年活動してきた者であること、その幹部は主に被請求団体において上位の位階を有する者によって構成されていること、について

   これまでも進めてきたが、今後、当団体において、有能な者であれば、上位の位階を有していなかった者でも、役員・部長・指導員に採用する。

②「Aleph」及び「ひかりの輪」の双方の活動に参加する構成員が認められること、について

   ひかりの輪は、たとえAlephに参加する信者であっても、麻原からの脱却を行うひかりの輪に関心を持つ者は、長期的な視点から、麻原からの脱却を支援するために、最初からAleph脱会を強制しない方針をとってきており、これらの中に麻原の教材を一部破棄した者もいるので、今後とも彼らの麻原からの脱却にいっそう努力したい。

③現在もその参加者がいわゆる「松本サリン事件」及び「地下鉄サリン事件」(以下、両事件を併せて「両サリン事件」という。)の関与者の支援活動に参加していること、について

   これは、一人の出家者の個人的な活動であるが、誤解を招く行為は速やかに解消するように努めたい。

④その中心的活動場所は以前から被請求団体の主たる事務所として用いられていた場所であることなどの事実が認められる、ということについて

   これまでも適地への転居の可能性を探してきたが、主に団体を取り巻く社会状況のために実現しなかったものであるが、今後とも努力したい。

⑤その設立の前後に、その設立目的等について、...松本の意思を実現するためである旨を繰り返し述べていたことなどの事実も認められる、ということについて。

   これらの発言は以前のものであって、設立後にはなく、現在は団体の活動規定をもって禁じているが、今後とも、そのような誤解を招く発言・教化活動がないように、厳に努めるとともに、上記のように、真の反省・総括を繰り返し深め、一般に公開し、賠償に努め、テロの抑止に協力したい。
                                      以 上