1.ひかりの輪とは
2010年03月18日
はじめにひかりの輪は、1980年代末から95年にかけて発生した一連のオウム事件が、当時のオウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の指示のもと行われた組織的犯罪であったことを明確に認め、その反省を土台とした活動を行うために、2007年5月に新たに設立された団体です。
オウム真理教事件を償い、その過ちを繰り返さず、超えていくために必要なことは何かということを、試行錯誤しながら、さまざまな団体活動を行ってきました。
まずは、事件被害者への直接の償いの実践として、賠償金のお支払いをさせていただいてきました。
さらに、なぜオウム真理教事件が起こったのか、その原因を究明するために、時系列を追ってオウム真理教の問題点を分析する総括作業を行ってきました。その中で、本来人を救うはずの「宗教」が事件を起こしたという問題の解決のために、その宗教教義の過ちについての分析と、それを超える思想と実践とは何かということを模索し続けてきました。
一昨年は、これまで続けていた総括作業の一つの形として、団体および個人として一定の事件総括をまとめるに至り、その結果、松本死刑囚の神格化や善悪二元論的な世界観等の教義の過ちを認識するとともに、個々の信者が教祖を安直に絶対化した原因である愚かさ・虚栄心・依存心などを深く反省いたしました。
そして現在、こうした反省・総括に基づき、長い間培ってきてしまった自らの"オウム的人格"を変えていくための、さまざまな取り組みを行っています。
そのわたしたちの2年弱の活動に対し、昨年1月、公安審査委員会は、当団体に対する観察処分更新決定において、以下のようにコメントしました。
「ひかりの輪」は、松本および同人の説くオウム真理教の教義からの脱却を目指して活動を行っている旨主張している。当委員会としては、「ひかりの輪」の設立経緯等に照らし、未だ脱却が行われたものと認めることはできないが、今後の「ひかりの輪」の活動が、両サリン事件等に対する真の反省に基づき実施されるものであると認めることができるか、また、被害者や周辺住民等の理解を得られるものであると認めることができるかを注視していくことにしたい。
このような前向きなコメントをいただくことができましたので、当団体では、同委員会の決定を参考に、今後さらなる努力を行っていく所存です。
当団体では、95年の地下鉄サリン事件を発端としたオウム事件の発覚以降、世の中に不可解な動機による無差別殺人が増大していることに、オウム事件の原因究明とその解決法が示されていないことが原因しているという責任も感じております。ですから、その原因の究明と解決法を示し、微力ながら自らを変革していくことで、二度と同じような過ちが繰り返されないための一助となることができればと、心から願っております。そして、それが、過去に対するせめてもの償いになればと考えております。
今後も、オウム事件を超えていくための分析や活動を続けてまいりますが、元オウム信者であるひかりの輪構成員の主観的視点で行うだけではなく、より客観的な視点に基づき、さまざまな外部の方々、識者や宗教者の皆さまのご助言・ご指導がいただければ幸いですので、この場を借りてよろしくお願い申し上げる次第です。
【1】「ひかりの輪」の意味について(2007年5月 団体発足時)
上祐史浩
新団体の名称は「ひかりの輪」とすることにしました。
ここでの「ひかり」とは、物理的な光ではなく、智慧の光、精神的な光を意味します。私たちは、光がなければ、物事を見ることが全く出来ませんが、智慧の「智」が、「知」と「日」から出来ているように、どのようにしたら幸福になるかを知るためには、肉体の目だけではだめで、智慧の光が必要です。これは、仏教でも、物事をありのままに見ることができず、不幸になってしまうことを「無明」・「無智」と表現し、この無明・無智の闇を払うものが仏陀、菩薩の智慧(智慧)の光であり、慈悲の光、と考えていることと同じです。
また、「輪」とは、この世界の全ては、本質的に、輪のように繋がっている、という考え方を現しています。オウム真理教が、教団と社会を分断し、社会と対立したことに対して、「ひかりの輪」では、教団と社会を含めて、全ての人々、生き物の間には、一つの輪のような繋がりがあり、皆が助け合って生きることが大切だ、という考え方を持っていることを「輪」という言葉で表現したのです。そして、それに加えて、この世の中に、智慧と慈悲の光の輪が広がって、多くの人が幸福になってほしい、という願いも込められています。仏教でも、仏法や、仏法が広まる様子の象徴として、ダルマチャクラ(法の輪)と呼んで、それは仏陀自身の象徴にもなっています。
こうして、「ひかりの輪」は、21世紀の社会で、個々人の智慧と慈悲が増大して、人と人の和合・助け合いが進み、そして、宗教・宗派・科学の間の対立が解消され、人類の叡智が融合して進化し、さらには、人類と大自然・地球との調和が深まることを願っています。
「ひかりの輪」 代表 上祐史浩
【2】基本理念(2007年5月 ひかりの輪発足時)
ここでは、ひかりの輪発足時に、団体として採択した、その基本理念(いわゆる綱領・憲章)の全文を紹介いたします。
■基本理念
私たち「ひかりの輪」会員は、以下の基本理念に従って行動し、全ての人々、生き物に対して、奉仕していくことを、ここに誓う。
1,人の心身の浄化を通じて、人々と社会への奉仕に努める
私たちは、人々の心身の浄化・癒し・人間と自然とを調和させていくための適切な方法を探究・実践し、広く公開していくことによって、人々、そして社会への奉仕に努めていく。
そのために、仏教・ヨーガ・神道・自然信仰といった伝統的な宗教的方法や、心理学や哲学、物理学、社会科学、芸術などを含めた、幅広い分野からたゆまず学び、研究し、盲信をこえた合理的な手段・方法を探し続けていく。
2,自己を絶対視せず、未完の求道者の心構えを持つ
その中で、自己の崇拝対象や教義を唯一絶対と考える従来型の宗教を超越し、一生涯にわたって、自己を"未完の求道者"と位置づけ、絶えず謙虚さを保って、道を求め続ける実践を行なう。
また、その求道の中で、個々人が、個々人にあった道を歩むことを認め合い、個々人に内在する神性を認め合う。
3,特定の人物を盲信せず、全ての人々に神性を認める
従来型の宗教において、特定の人物を神ないし神の化身と位置づけて、その教団を唯一絶対化することで、様々な闘争、宗教戦争が起こったことに対する反省に基づいて、全ての人々、生き物の内側に、神聖な本質を認める。
これは、いかなる特定の人物についても、他者と区別し絶対者と位置づけて、盲目的に信仰しないことを意味する。
4,善悪二元論の妄想を超えた、叡智・思想に基づく実践を行なう
従来型の宗教においては、教団と教団の外とを二分化する「善悪二元論」に陥ったことを反省し、全ての存在が相互に依存し合って、輪のように繋がっているという一元論的な思想から生まれる、智慧と慈悲の「ひかりの輪」が広がっていくように努める。
その中に、当然、教団と教団の外とを二分することなく、両者が共存関係にあることを認識し、教団と教団外との融和をはかり、全ての人々、社会に奉仕する。
5,他の宗教・思想を排除せず、特定の宗教・思想を強制しない
古今東西の宗教における崇拝対象や教義は、それを信じる信者にとって、先に述べた自己の内側の神性を引き出し、増大させる貴重なものとして尊重する。
言い換えるならば、全ての人々が従うべき唯一絶対の崇拝対象や教義があるという主張に基づいて、特定の信仰を強制することや、そのために争うことは認めない。
6,全ての存在から学ぶ
そして、私たちは、さまざまな宗教・思想・科学だけでなく、謙虚な心を持って、さまざまな人々、究極的には大自然を含めた全ての存在から人の神聖な意識を引き出し、人々の心身を浄化して、癒すための道を学び、伝えていく。
7,全ての調和のための奉仕をする
こうして、宗教のために人が争い、苦しんだり、人間の叡智の進歩が停滞したりすることなく、宗教宗派の間の融和や、宗教と科学との融合が進み、そして、人類社会と大自然・地球がよく調和して、全てが共存する世界の創造に向けて、貢献したいと考える。
■基本理念付帯文――オウム真理教の総括と反省
私たちは、地下鉄サリン事件・松本サリン事件・坂本弁護士事件をはじめとする、80年代末から95年にかけて発生した一連のオウム事件が、当時のオウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫の指示のもと行われた組織的犯罪であったことを、裁判所の判決や私たち自身の経験に基づいて、明確に認めるものである。
オウム真理教がもたらした一連の事件という悲劇的な結末は、物質主義・消費主義・金銭主義を超えた精神的な道の探究を通じて人々の苦しみをやわらげ、解決することで世の中に奉仕するという志を抱いた私たちが本来望んだあり方では、決してなかった。
にもかかわらず、長い間、私たちは、事件から目を背け、オウム真理教の宗教性に関する真剣な反省から逃げ、自分たちだけの世界に引きこもって、いたずらに社会と対立し、事件の被害者や地域住民の方々等を無視してきた。
私たちは、本来の志に立ち返り、事件を引き起こした過去の私たちの宗教的な過ちを次のように反省し、二度とそのような問題を起こさないことを決意し、新しい道を歩んでいくことに努める。
(1)人を神として盲信した過ち
一人の人間である当時の教祖を「神=キリスト」と見て、絶対化し、絶対善として、弟子たる自分は、それに絶対的に服従すべきものと考えた。
(2)架空の終末予言、善悪二元論の世界観を盲信した過ち
終末予言に基づいて、当時の教祖や教団を神の軍勢とし、外部社会については教団を弾圧する悪魔の軍勢と位置づけるという、誇大妄想と被害妄想を含んだ、神と悪魔の戦いという善悪二元論的な世界観に陥った。そして、自己が盲信する理想社会のために暴力手段を含めたあらゆる手段をも用いる、極めて傲慢な実践をなし、同時に、自ら起こした事件を隠蔽して、教団が弾圧されているという被害妄想的な主張をも繰り返した。
(3)仏教・密教の誤った解釈・実践をした過ち
この過程の中で、本来は、仏教・密教の方便・手段にすぎないと解釈すべき法則(グルを絶対と見る法則)を絶対化したり、文字通りに解釈すべきではない法則(五仏の法則)を文字通りに解釈したりするなどし、仏教・密教のバランスのとれた健全な実践を損ねてしまった。
(4)この過ちの宗教的な責任の一端は、私たちにもあること
この結果、オウム真理教は誤った方向に暴走し、教団は武装化し、一連の重大な犯罪を犯した。
その要因の一つは、当時の教団が教祖を「絶対神の化身」とし、信者を「絶対神の化身の弟子」と位置づけたことにあるが、私たちの多くが当時はそのような教団教義を受け入れていたからである。
(5)一般社会に対して
オウム事件のご遺族・被害者の方々に対しては、オウム真理教破産管財人による破産手続やその他の手続を通じて、全力で金銭的賠償に努めるとともに、謝罪の意を伝えていく。
私たちは、上記のように、かつての過ちに対する反省に基づき、新たな道を歩み出す決意である。しかし、かつての私たち自身の悪行により、一般社会は私たちに対して不安感・不信感を有している。
そこで私たちは、こうした不安感・不信感を払拭するために、一般社会との対話、交流、施設公開等に努める。
以 上
