3.公安審への「観察処分取消請求書」(2008年9月)
2010年03月19日
観察処分取消請求書
請 求 人 別紙当事者目録記載のとおり
請求人に対する別紙処分の表示記載の処分につき、団体規制法6条2項に基づき同処分の取消しを請求する。
2008年9月5日
請求人
ひ か り の 輪
代表役員 上 祐 史 浩
公安審査委員会
委員長 田 中 康 久 殿
目 次
請求の趣旨..........................................................................................5
請求の理由..........................................................................................6
第1 被処分団体(ひかりの輪)の概要...................................................6
第2 被処分団体の設立までの経緯.........................................................7
1 2003年の上祐主導のアーレフ教団改革..........................................7
2 2003年後半~2004年末、上祐の改革頓挫と「代表派」の発足へ.........8
(1)改革への抵抗――上祐の封じ込め
(2)改革が反発を招いた理由
(3)教団が「麻原回帰」へ
(4)教団幹部の間で疑問が出て、上祐復帰へ
(5)上祐派=代表派の形成へ
(6)反代表派による代表派への攻撃
3 2004年末~2005年末、代表派およびその思想の形成...........................11
(1)代表派の形成と反代表派の反発
(2)代表派の勉強会を繰り返す
(3)ブログ『真実を見る』を開設
(4)反代表派も盛んに会合を開く
(5)一歩一歩、増えていった代表派の活動拠点
(6)代表派と反代表派の話し合いが行われるも、歩み寄り見られず
(7)上祐を中心とした、代表派の宗教的な見解の変化・進化について
(8)一元の思想の強調の始まり
(9)神社仏閣・聖地を訪問し始める
(10)他の聖者の思想から学ぶ
(11)松本の初期の頃の教えを見る
(12)松本の一部の教えを架け橋として活用したこと
(13)反代表派の批判・攻撃に対して松本の説法等を使ったことの反省
(14)被処分団体の設立は松本の意思に基づくものでないこと
(15)被処分団体で重視している神仏の系統=ひかりの神
4 2006年初頭~夏、新団体構想の発表へ.............................................24
(1)聖徳太子ゆかりの寺を巡って
(2)広隆寺・弥勒菩薩像との出会い
(3)霊的な体験を絶対視しない原則を学んだこと
(4)オウムの霊的な体験は仮の体験であったと思われること
(5)弥勒菩薩像から学び取った真の救済者の姿勢
(6)反代表派が代表派を切り離し始める
(7)代表派の新団体の構想
(8)アーレフ教団と松本家の関係について
(9)代表派の新しい法具類を導入したセミナー
(10)夏のセミナーで、聖地巡礼を行なう
5 2006年秋~2007年、アーレフの脱会と新団体設立へ........................30
(1)新団体設立の公言
(2)松本に対する依存から脱却する上での葛藤
(3)松本の教材の一切(旧教材)を破棄する決定
(4)代表派の年末年始のセミナー
(5)新団体の象徴仏:釈迦・弥勒・観音について
(6)アーレフからの脱会
(7)脱会後の記者会見と地域住民への説明
第3 被処分団体の設立および現在までの活動内容....................................32
1 被処分団体の設立........................................................................32
2 被処分団体設立の各方面への報告...................................................32
3 被処分団体の諸活動.....................................................................33
4 オウム事件等の総括作業...............................................................33
(1)上祐個人としての総括
(2)団体としての総括
(3)役員はじめ会員各人としての総括
5 新しい教義.................................................................................36
6 聖地巡礼修行の実施とその意義......................................................38
(1)他宗教や日本文化、自然との融合による"脱麻原効果"
(2)「松本の手法と同じ」という公安調査庁の主張の誤解に対して
(3)これまでに巡礼した聖地
(4)聖地巡礼による賠償促進の効果
7 新しい教材や修行........................................................................41
(1)基本的な教本
(2)ヨーガと気功
(3)瞑想法『無色瞑想講義』
(4)密教の瞑想法の解説
(5)上祐の説法・講話のDVD/CD
(6)密教法具
(7)その他の法具関係
(8)瞑想音楽
8 インターネット上での開かれた団体づくり.......................................44
(1)開放型の団体(ネット上の道場・お寺)を目指した活動
(2)オウム問題の総括・教訓の公表や、相談受付
9 旧オウム教材の破棄作業...............................................................46
(1)専従会員による旧教材破棄作業
(2)非専従会員による旧教材破棄作業
10 オウム事件被害者への賠償支払いと財務状況.................................51
(1)これまでの賠償実績と本年の予定
(2)被処分団体の財務状況
(3)団体財務の情報開示努力
(4)経費削減努力(賠償資金を生み出すための努力)
(5)今般制定された賠償新法案について
11 社会に向けての情報公開等.........................................................54
(1)地域住民に対して
(2)公安調査庁等の当局へ
(3)一般市民へ
(4)報道各社へ
12 継続的な自浄努力(最新の改革努力)..........................................56
(1)公安調査庁への教材等の提供と指導要請の継続
(2)反省と総括作業の継続・深化
(3)内部調査(非専従会員へのアンケート)の実施
13 被処分団体の変化を証言する非専従会員等の声..............................61
第4 被処分団体は本件処分の対象団体には該当しないこと........................61
1 観察処分取消訴訟判決における解釈基準..........................................61
2 無差別大量殺人行為を行った団体に該当しないこと...........................62
(1)公安調査庁が主張する被処分団体とオウム・アーレフとの同一性の
根拠等
(2)形式的にオウム・アーレフと別団体であること
(3)オウム・アーレフの共同目的を有していないこと
(4)代表者が松本ではないこと
(5)オウム・アーレフの位階は用いていないこと
(6)オウム・アーレフの修行体系・形態を用いていないこと
(7)集団居住・出家生活様式に変化が見られること
(8)被処分団体構成員がアーレフからの移行者であるとの点について
3 本法5条1項1号要件に該当しないこと..........................................67
(1)公安調査庁の主張等
(2)松本の教義を使用していないこと
(3)聖地巡礼修行は"脱麻原"の修行であること
(4)旧教材破棄は完了していること
(5)被処分団体は松本の意思に基づき設立されたものでもないこと
4 本法5条1項2号要件に該当しないこと..........................................71
5 本法5条1項3号要件に該当しないこと..........................................71
(1)貴委員会の認定等
(2)本法の趣旨に基づく「役員」の正当な定義
(3)上祐を含む当時の弟子達は実質的に役員=団体の意思決定者ではな
かったこと
(4)上祐個人は両サリン事件当時に実質的に役員=団体の意思決定者で
はなかったこと
(5)松本以外を役員=団体の意思決定者と認定することは不公正な二重
基準となること
(6)上祐が代表役員として安全な団体づくりをしてきたこと
6 本法5条1項4号要件に該当しないこと..........................................76
7 本法5条1項5号要件に該当しないこと..........................................76
8 活動状況を継続して明らかにする必要がないこと..............................77
(1)施設等の閉鎖性はないこと
(2)立入検査に協力的なこと
(3)地域住民の反対運動はほとんどないこと
(4)インターネット上での欺瞞性はないこと
9 その他無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がないことを示す事実............78
(1)被処分団体には政治目的がないこと
(2)立入検査においても危険物は発見されていないこと
(3)何らの違法行為も行われていないこと
(4)オウム事件被害者への謝罪・賠償等に努めていること
(5)一部マスコミからも好意的に取り上げられていること
第5 結語..........................................................................................79
請 求 の 趣 旨
第1 貴委員会がした別紙記載の観察処分(以下、本件処分という)を取り消されるよう「無差別大量殺人を行った団体の規制に関する法律」(以下、本法という)第6条第2項に基づき請求する。
なお、請求人たる被処分団体としては、本件請求を受けて、貴委員会が被処分団体に対し、口頭による意見陳述の機会を付与されることを求める。
また、仮に、現時点において本件処分の取消しをしないとの結論であっても、その結果を文書にて請求人に連絡することを求める。
第2 仮に、現時点において被処分団体に対する観察処分が必要との結論であっても、被処分団体は本来本件処分に付されている宗教団体アーレフとは全く別個の団体であるから、被処分団体への規制手続の適正を担保するため、被処分団体に対する本件処分をいったん取り消した上で、被処分団体について新たに本法第12条第1項の請求を貴委員会に対して行うよう、公安調査庁長官に促すことを求める。
請 求 の 理 由
第1 被処分団体(ひかりの輪)の概要
被処分団体「ひかりの輪」は、宗教団体アーレフ(オウム真理教の後継団体・現Aleph)から2007年3月7日に脱会した者ら数十名が中心になって、同年5月5日から7日にかけて設立した団体である。
代表役員・上祐史浩をはじめとする12名の役員によって運営されており、専従(いわゆる出家)会員50名、非専従(いわゆる在家)会員120名から成る。
主な施設は、本部(東京都世田谷区)、仙台支部、船橋支部、横浜支部、小諸支部、名古屋支部、大阪支部である。
被処分団体は、オウム真理教及びその後継団体たる宗教団体アーレフ(以下「オウム・アーレフ」と記す)の在り方に重大な疑問を持った同教団の構成員が主となり、同教団を脱会して設立した。
すなわち、松本サリン事件や地下鉄サリン事件等の一連のオウム事件は、宗教的に見ても明らかに誤りであり、その原因は松本智津夫(以下「松本」と記す)への絶対的帰依や、自教団を善とし社会を悪とする極端な善悪二元論的思想にあったと考え、反省し、オウム・アーレフ内にあってその是正を訴えてきたにもかかわらず、事件を反省せず松本への絶対的帰依を堅持する同教団内において極度の反発にあったため、宗教者として独自の道を歩むことを決意した者らによって、被処分団体は設立されたのである。
被処分団体においては、松本への絶対的帰依は完全に誤りであったと認め、松本への依存を断ち切るため、松本の説法や松本作成に係る修行法、松本への帰依を培う修行法などは一切採用しておらず、オウム・アーレフの教材類も全く使用していない。同教材類については、専従会員はそのすべてを破棄し、非専従会員においても破棄が進行中である。
そして、独自の教材・修行法等を研究・開発しながら、団体の新たな運営方針を定めた「基本理念」(甲A1)に基づき、活動を行っている。「基本理念」の趣旨は以下の通りである。
1,人の心身の浄化を通じて、人々と社会への奉仕に努める
2,自己を絶対視せず、未完の求道者の心構えを持つ
3,特定の人物を盲信せず、全ての人々に神性を認める
4,善悪二元論の妄想を超えた、叡智・思想に基づく実践を行なう
5,他の宗教・思想を排除せず、特定の宗教・思想を強制しない
6,全ての存在から学ぶ
7,全ての調和のための奉仕をする
また、「会則」(甲A2)の第3条には、被処分団体の「目的」として、以下の通り定めている。
本団体は、別に定める本団体の基本理念に基づき、過去のオウム真理教
事件の反省に立ち、その教訓を生かしつつ、宗教・思想・哲学・科学及び
芸術等を幅広く研究・実践及び公開することによって、人々の心身の浄化、
癒し、人間と自然との調和に尽くし、もって宗教による悲劇が発生しない
精神的に豊かな社会づくりに奉仕することを目的とする。
そして、被処分団体では、松本およびオウム・アーレフに関する総括作業を進めた結果、松本は誇大妄想にとらわれ自己神格化を推し進めた一種の人格障害者であったこと、それに追随した信者らも、プライドや依存心等の精神的問題を抱えていたことを認めた上で、その再発を防止するための決意や提言を文書にして公表している(甲A3、A4、A5)。
被処分団体では、オウム事件の遺族・被害者に対する金銭的賠償・経済的贖罪を継続してきたことは当然のことながら、上記のような総括作業の継続・提示を通じて、二度と同じ過ちが社会に起きないよう、テロのない社会づくりへの貢献に努めることによって、精神的な贖罪をも継続していこうと考えている。
以上のことから、被処分団体は、公安調査庁が本件処分の対象団体と規定している「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め,これを実現することを目的とし,同人が主宰し,同人及び同教義に従う者によって構成される団体」に該当しないことは明らかであるので、本件処分の取消しを求める次第である。
第2 被処分団体の設立までの経緯
被処分団体の設立までの経緯を、さらに詳細に述べると、以下の通りである。
被処分団体の主要構成員が、宗教団体アーレフ(以下「アーレフ」と記す)から脱会したのは、上記の通り、オウム事件や松本への評価の違いが決定的になったからであるが、その発端をさかのぼると2003年のアーレフ内における上祐主導の教団改革に存するので、同改革に関する事項から以下に記すこととする。
1 2003年の上祐主導のアーレフ教団改革
2003年1月、アーレフに対する本件処分が更新された直後から、教団(以下、断りがない限り「教団」はアーレフを指す)では、上祐が主導する教団改革が開始された。教団内でも、この一連の動きは「改革」と称された。
その具体的内容は、在家信者を指導する支部道場から松本の教材を撤去したり、カバーを掛けたりするなどして、目立たないようにするというものであった。
それにより、道場に来訪する入信希望者等による松本への反発を和らげ、入信を促進し、教団を拡大しようという狙いがあった。
公安調査庁はこのことを「麻原隠し」と述べているが、真実は隠すというほどのものではなかった。現に、出家信者の施設では松本の教材はそのままであった。
一方、その後上祐を批判した者たちは「グル(=導師、松本のこと)外し」だったと述べているが、この程度のことでもグル外しというほど、許容できない動きに見えたということである。
この改革に際して、埼玉県草加市内の大型施設に、出家信者と在家信者のほぼ全員を集めて、上祐から話があった。
上記改革を実施するにあたって、いかに社会の人々が松本を恐怖し嫌悪しているかを信者に理解させるために、松本が事件に関与したことを、事件について記したプリントを配付して明確に説明した。
その上で、一連のオウム事件や、オウム事件を引き起こした松本は、自分たち信者の心の汚れの表れであり、潜在意識の投影なのだから、自分たちにも事件に対する宗教的責任があるという話が上祐から行われた。
この考え方は、言い換えるならば、松本の指示の中には、信者の心の汚れが投影されているものがあるのだから、松本の指示には必ずしも従わなくてもよいというものであった。
上祐がこの考え方を示したのには、それ相当の根拠があった。
1990年に松本の弟子達が熊本県警によって国土法違反事件で逮捕された際、松本は激怒して、警察にトラックで突っ込めという話をした際、上祐は大声を上げてそれに反対した。すると、松本は、しばらく沈黙した後、「そうだ、マイトレーヤ(上祐)の言うとおりだ」としきりに繰り返していた、という出来事があった。
こうした出来事を一つの根拠として、上祐は上記の話をしたのだが、この考え方は、松本の指示は絶対であり服従しなければならないという松本への絶対視を覆していくきっかけとなるものでもあった(それだけに、この後、徐々に反発を招いていくことになる)。
また、同時に上祐は、松本を観想(イメージ)しない修行法についても、皆に指導し始めた(当時の教団の修行の中心は、松本を観想するものであった)。
この草加市での会合の場では、上祐の打ち出す方針に皆が賛成した。ようやくこのような改革をしてくれるようになったかという喜びの声も上がっていたほどであり、やっとまともな組織になってきたと思った信者もいた。
2 2003年後半~2004年末、上祐の改革頓挫と「代表派」の発足へ
(1)改革への抵抗――上祐の封じ込め
しかし、全会一致で始動し始めた上記改革に対して、その直後の2003年4月には、早くも、松本の妻の知子、三女、二女が中心となり、松本崇拝の強い出家信者が一緒になって、ブレーキをかけ始めた。
具体的には、松本家の上記メンバーが、教団幹部を個別に呼び出したり、電話をかけたりして、上祐の方針はおかしい、彼に従うな、彼を修行に入れるから協力せよ等と説得を始めた。
松本家の者たち、特に三女や次女といった松本の子息は、松本によって、教団内では松本に次ぐ高い地位(つまり上祐よりも高位)を与えられていたから、その権威や影響力は絶大であった。
よって、大部分の幹部が松本家の指示を聞くことになり、上祐は6月から「長期修行入り」として、一般信者から隔離された(甲A6)。
その後も松本家のメンバーが、幹部会合に登場しては、上祐はおかしい、従うなと説得を続け、上祐は幹部一同の面前で、自分の改革は間違っていたとして、強制的に懺悔させられるという事態となった。
さらに10月には、幹部が集まって、上祐はグル化している、脱会・分派を考えている、松本に帰依していない等として、上祐不在の場で批判を展開するという会合を繰り返した。
そして上祐に対して「嘆願書」と題する文書を提出し、松本にきちんと帰依し、松本家の者たちを尊重すること、そうなれるよう、それまできちんと修行することを要求した。
上祐がこのときあえて抵抗せずに懺悔したり修行入りしたりしたのは、もしそこで抵抗すれば教団が分裂することになると松本家サイドから警告されていたのと、松本家への遠慮がまだあったからである。根本的には、まだ上祐の中の新しい宗教観が確固たるものとなっていなかったという事情もあった。
(2)改革が反発を招いた理由
上祐主導の改革がなぜ反発を招いたか、その理由は以下の通りである。
現在のAleph広報部は、そのホームページにおいて、上祐が信者拡大のために松本を隠す欺瞞的な路線を取ったことが信者の反発をかったとだけ表現しているが、これは、松本家などの見解に基づいて、全体の事実の中で同教団にとって問題がない部分について表面的に述べているにすぎない。
実際には、アーレフ内で上祐を批判し反対した者たち(以下「反上祐派」と記す)は、上祐の教団改革を「麻原隠し」ではなく、「グル=麻原外し」と呼んで強く批判した。すなわち反上祐派には、その時点の上祐の考え・方針でさえ、同派の松本信仰に反するもので、問題だったということである。
具体的には、上祐が、松本について、
①一連の事件に関与したことを明確に認めて、それを悪業=間違いであると位置づけたこと、
②その一連の事件を一例として、松本の言動が常に絶対的な善ではなく、信者の悪業を投影する面もあるとした点で、松本を従来のようには絶対に服従すべき善であるとは位置づけなかったこと(同様に、松本の家族の人たちも絶対視しなかったこと)、
③それに基づいて、一部の松本の書籍その他を改訂したこと、
が反発の原因となったと考えられる。
(3)教団が「麻原回帰」へ
こうして上祐は2003年10月以降、完全に「修行入り」となり、信者の前から姿を消した。
大部分の信者に対しては、松本家の動きを含む真相は知らされず、ただ上祐は調子が悪いので修行に入っているとのみ説明された。
上祐は、松本家から自室での修行を命じられ、世話役の信者らによって日常の動向や外部との交信を監視され、携帯電話の通話記録までチェックされた。
やがて上祐の修行入りと同時に、反上祐派の中心である広報部長・荒木浩が、「マイトレーヤ正大師(上祐)の改革は誤りで、許されないグル外しだった」と訴える「お話会」を、出家信者対象に何十回も連続して開催するようになった。これは、半ば教団の公式な会合として扱われ、出家信者は、この「お話会」を聞くように勧められた。
この頃、教団運営は、いわゆる「麻原回帰」の傾向が強まったと公安調査庁から指摘される状態となっていった。実際に、幹部が信者に行う説法も、松本を称賛する思い出話の類がメインとなっていった。
(4)教団幹部の間で疑問が出て、上祐復帰へ
しかし、松本家主導の運営に対しては、まず最高幹部の正悟師らから異論が出始めた。
2004年2月には、野田成人が、「松本家主導、上祐排斥の教団運営は、あたかも北朝鮮のような独裁体制でおかしい」と、幹部会合で公然と異論を唱えて、物議をかもした。
杉浦茂も、明確に松本家から距離を置き始めた。
9月頃には、村岡達子を除く正悟師全員(当時は二ノ宮耕一を含む)が、一方的な上祐批判には疑問を持つようになり、上祐と話し合いをするようになった。その結果、上祐は活動復帰の意思を固め、その旨を一部幹部らに宣言した。
すると、これに対して、反上祐の幹部らが、改革の誤りを反省しないまま勝手に修行を出て活動復帰するのは認められないと主張する書面を上祐代表に提出し、対立が始まった。
(5)上祐派=代表派の形成へ
11月末には、上祐を支持する信者らが集まり、改革は間違っていなかったと訴える会合を教団内で公然と開き、議論を巻き起こした
上祐支持を公然と大規模に訴えることは、最高権威である松本家への反旗を翻すことになるので、一般信者レベルではそれまで誰も行っていなかったが、この会合を発端として、上祐支持の信者らが少しずつ集まり始め、正式に上祐派が結成されていくことになった。上祐代表が主導する派ということで、これを「代表派」した。
それに対抗する形で、反上祐派もさらに強固に構成されていくが、代表派においては、これを「反代表派」と呼称した(よって、以下は「反上祐派」のことを「反代表派」と記す)。
こうした上祐派の支持を受けて、上祐は、2004年11月、約1年ぶりに、教団活動に事実上復帰した。
上祐が「修行」に入っている間に、松本に一審の死刑判決が下ったが、この状況下で、上祐自身や上祐に近い信者らは、今後の自分達の宗教的な方向性について、内面で葛藤していた。この当時においては、上祐をはじめとして、依然として、松本の影響を脱却できていなかった。
それに加えて、周囲からは、松本を絶対視して昔のような教団に戻るようにと、強い圧力がかかっていた。そうならなければ教団活動に戻れない、戻さない、という圧力であった。
なお、全面的な意味で、上祐やその支持者らが、松本の影響を脱却し始めたのは、脱却の定義にもよるが、2006年頃であり、厳密に言えば、2007年のアーレフ脱会の時であるということができる。
なぜならば、オウム・アーレフに所属し、在家信者の教化のために、松本の教材を一部でも使っていたのであるから、その限りにおいては、客観的に見れば、脱却できていない、依存していると言われても仕方がなかったからである。
(6)反代表派による代表派への攻撃
こうして活動を開始した上祐やその支持者については、荒木広報部長が再び、「かつてのマイトレーヤ正大師(上祐)の改革は、グル外しで誤っており、何の反省もない活動再開は決して許してはならない」等と批判する「お話会」を、出家信者対象に繰り返し開催した。
この「お話会」においては、上祐の社会融和方針や改革を否定し、上祐を指導部から排除することが「グルの意思」であると主張されました。
そして、教団運営の主導権を握っていた反代表派は、代表派に属する信者らに対して激しい批判を始めました。
具体的には、代表派に賛同する者、さらには、明確に代表派に反対しない中間的な立場をとる者(いわゆる「中間派」)について、「魔境である」「悪魔に取り憑かれている」と批判し、場合によっては、教団活動から排斥していった。
また、信者に対しては、代表派と接触しないように指示し、代表派の活動に参加・接触する信者に対して相当な精神的圧力をかけ、それでも参加・接触した場合は、どんどん批判・排斥していった。
このように、代表派の信者がアーレフを脱会して、被処分団体(ひかりの輪)として独立する以前から、代表派と反代表派との間では、過去の一連の事件、松本やその家族、そして上祐の思想に関して、重大な宗教的見解の相違があったことは、疑いの余地がない。
3 2004年末~2005年末、代表派およびその思想の形成
(1)代表派の形成と反代表派の反発
2005年3月、上祐や代表派のリーダー達が、修験道や山岳仏教の聖地として有名な長野県・戸隠神社一帯で修行をしたが、これが5月頃になって反代表派の知るところとなった。反代表派は、このような修行は、松本の教義に照らして、外道・魔境であると批判した(松本は、オウム真理教の施設以外の一般の寺院は、魔境の地であるとして教義において排斥していた)。
もともと戸隠神社は、明治以前は顕光寺という名の寺もある山岳仏教の聖地であったが、松本の説いた教え以外のものは「外道・魔境」と否定する面があったので、反代表派はこれを代表派に対する格好の攻撃材料として活用した。
反代表派はこの頃から、出家信者だけではなく在家信者に対しても、「神社で修行するような代表派は魔境だ」などと説明し始め、決して代表派と接してはいけないと圧力をかけていた。
これによって、教団内の対立は、ますます激しくなっていった。
(2)代表派の勉強会を繰り返す
この頃、代表派では、勉強会を繰り返し開いた。
勉強会の内容は、一連のオウム事件を直視するというものがメインであった。一連の事件を時系列で紹介し、判決や証言等に基づきながら、いかに松本が教団武装化を推進し、重大事件を引き起こし、どのような悲惨な被害を招いたのかを勉強していった(甲A7)。
事件や被害者を取り上げたテレビ番組や映画を鑑賞したり、被害者の手記を参照したりしながら、理解を深めていった。
さらに、事件に部分的に関与した代表派の信者が講師となって、自ら体験したことをリアルに皆に説明した。
最初はショックを受けた信者も多かったが、次第に、自分たちの教団が過去に犯した過ちを正面から直視して、過ちを認めて、乗り越えていこうという気運が高まっていった。
また、この会合は代表派の信者だけではなく、代表派の活動に少しでも興味がある信者も誘って行った。ただし、上記に記したように、代表派の活動に少しでも参加しようものなら、直ちに圧倒的多数の反代表派から批判され、冷遇されることになるので、みな密かに参加してきていた。
また、代表派の勉強会は、教団施設内で開くことによって反代表派の知れるところとなったり、妨害されたりする恐れもあったので、外の一般施設を借りて、繰り返し開き続けた。
こうして代表派の活動に加わる信者らも増えていった。
(3)ブログ『真実を見る』を開設
また、代表派の主張を教団内に訴えるために、代表派では『真実を見る』というブログを作成し、公開した。
一連のオウム事件についての説明はもとより、これは今となっては反省すべき事ではあるが、松本の説法を引用しながら、いかに代表派の主張が松本の説法に反するものではないかという点を訴えた。むろん、松本の説法の中でも、社会との対立を否定する方向に導く一元論的な説法(すなわち社会と教団は一体であるから対立してはならないという方向に導く説法)を引用したのだが、この点については後ほど詳説する。
(4)反代表派も盛んに会合を開く
これに激しく反発する形で、反代表派も会合を開いていった。荒木広報部長が開いてきた「お話会」をはるかに大規模にした集会を繰り返した。
2005年8月には、反代表派は、100名以上を集めた会合を開き、刑事裁判における検察の主張は信用できない等として、オウム事件(が教団によるものとは言えない面もあるとする)陰謀説をうかがわせる発表を行うなどした(甲A8)。
これは、代表派が上記のような一連の事件への反省・総括を進めていることに対抗したものと思われる。松本が事件への関与を否定している以上、自分たちも松本の事件関与を認めないことが、松本への帰依であるということになるし、何より松本の一連の事件を直視してしまうと、自分たちの帰依が揺らいでしまう信者が多くいるという問題もあるからとも思われた。
しかし、裁判記録からもわかるとおり、松本は起訴事実を全面的に否定しているのではなく、不規則発言ではあるものの、一部の重大事件への関与は認めているのであるから、反代表派はもっと現実を直視する必要があったのは明らかだと、代表派は考えた。
さらに反代表派は、代表派の上記ブログ『真実を見る』を見ないようにと信者に圧力をかけ、教団の公式な通達を発して、その閲覧を禁止する措置をとった(反代表派は教団における多数派・主流派であり、実権があったので、そのような措置が可能であった)。
(5)一歩一歩、増えていった代表派の活動拠点
反代表派は、引き続き、代表派の活動を否定し、信者たちが代表派の活動に参加しないように圧力をかけていたが、2005年の8月には、教団船橋支部長である細川美香(現ひかりの輪副代表)が、代表派に理解を示し、反代表派の教団運営方針に従わないことを理由に、支部長の解任を通告される、という事態に至った。
しかし、細川がそれを拒否したため、当時は反代表派であった村岡達子(その後、中間派に転身)をはじめとする反代表派の幹部が、大挙して船橋道場に来訪し、代表派のリーダー達と議論となった。
その際、反代表派は、船橋道場の在家信者に対しても、上祐や細川についての批判をしたが、在家信者が、細川と代表派を支持する姿勢を示したため、道場に長く居座るかに見えた反代表派は、結局は、その日のうちに退去するに至った。
このころ、仙台支部でも、代表派を支持する川口孝支部長(現ひかりの輪役員)が、反代表派から解任通告を受けるなど、船橋支部と同様の事態が発生した。しかし、川口は細川と同様に解任を拒否し、そのまま仙台支部を運営し続けた。
こうして、代表派のリーダー達は、反代表派が支配している教団活動や運営から排除されるようになり、代表派として独自の活動を行うようになっていった。
また、9月頃には、反代表派の一部では、上祐を教団の代表職から罷免することを考えたようだが、外部社会による批判が強まるといった理由で、それは取りやめになった模様である。
10月には、上祐に理解を示す出家信者と在家信者多数が、連名で、上祐の教団活動への正式復帰を求め、さらには、教団の活動が合法的・社会的に行なわれ、違法で反社会的なものとならないように要請する文書を教団執行部(反代表派)に提出するに至った。
そして、同じ10月には、当時の大阪支部(大阪市西成区)の家主が、社会融和に反する発言を繰り返す反代表派幹部の影響下にある道場をこのまま賃貸することはできないとして契約解除を通告したことから、道場内の反代表派信者が退去して、生野区へ移転した。その後、代表派が、その道場の使用を継続した。
(6)代表派と反代表派の話し合いが行われるも、歩み寄り見られず
この後、教団の経済が悪化しているために、中間派の教団副代表・杉浦実が議長となって、代表派と反代表派のリーダー達の話し合いが複数回行われることになった。
それまでは、反代表派は、代表派を正式なグループと認めていなかったため、両グループが参加した公の会議が開かれるのは、これが初めてであったが、両者の社会観、宗教観が違っているために、話し合いは平行線をたどった(反代表派の意向により上祐自身の出席は拒否された)。
その会合の席上で、反代表派は、代表派が要求しても(おそらくは松本が行ったものであるからという理由で)過去の一連の事件については、総括・反省をすることはできないと繰り返し、その点において、代表派との方針の明確な違いが生じた。
こうして、話し合いは平行線を辿り、一致点は見いだせなかったが、こういった公の会合が持たれたこと自体は、反代表派が、代表派を押さえ込むことができなくなり、方針を転換して、代表派を教団から切り離す(ある意味では追い出す)方向になったことを示していた。
(7)上祐を中心とした、代表派の宗教的な見解の変化・進化について
2003年までの上祐らの松本や事件に関する見解は、前に記したように、今から思えば、全く中途半端なものであり、松本から脱却したとは言えないものであった。
しかし、2004年末に上祐代表が復帰し、2005年以降、宗教的な探求を続けている間に、段階的にではあるが、それが変わっていった。その結果、代表派は、2006年ごろには、松本を完全に払拭した新団体を作ることを考えるに至った。とはいえ、真に払拭したと言えるのは、やはり2007年のアーレフからの脱会、新団体の設立の時であった。この過程は、非常に長いものであるから、以下に少しずつ記すこととする。
(8)一元の思想の強調の始まり
2004年の末に代表派を立ち上げると、上祐は一元論的な思想を強調した。上祐は「長期修行」からの復帰前にも、カルマ・ヨーガ(相手の中に自己の要素を見るヨーガ)、カルマの法則(他になしたことが自分に返ってくるという自業自得の考え方)を強調し、一元論的な思想の傾向があったが、それが、より明確になった。それは、上祐の内面の思索に加え、外部の思想の研究や交流などによって温められたものであった。
それは、従来の教団の世界観と大きく異なるもので、仏教的に表現するならば、釈迦牟尼が説いた「縁起の法」に基づいて、大乗仏教が発展させた仏教的な一元論の思想に近いということができる。
それに対して、オウム・アーレフでは、教団を善なる神の聖徒の集団であり、社会を悪魔(マーラ)の支配下にあるものとする、善悪二元論の世界観を持っていた。神の軍勢である教団が、最初は悪魔の軍勢に弾圧されるが、最後はハルマゲドン(最終戦争)が勃発するとともに、松本が救世主・キリストとして登場して勝利し、真理の国ができるという松本の予言(聖書の終末予言を松本が解釈したもの)に基づくものである。
しかし、1995年の事件以後、松本によって97年や99年に予言されたハルマゲドンが起きない中で、上祐は、徐々に、世界は教団と社会に二分されるものではなくて、やはり、教団は社会とつながっているものであること、教団が社会を批判していても、その批判の内容と同じ要素が教団の中にも存在していると考えるようになった。
そして、仏教的な一元論的な世界観とは、釈迦が「縁起の法」で説いたように、全ての事物は、他から独立した実体をもたず、相互に依存しあって存在しており、本質的には一体であるという意味である。
もちろん、オウム真理教の時代も、「縁起の法」や「因果の法」といった仏教の教えは学習されていたが、「論語読みの論語知らず」の状態であり、松本の善悪二元論的な世界が圧倒していた。しかし、その後、松本が教団を去り、ハルマゲドン予言が成就しない中で、一応は知っていた仏教の教えが、松本独自の教義から上祐や代表派の信者らを解放し始める形になった。
その結果、上祐や、その後代表派に合流することになる一部の信者らは、すでに2002年には、松本を自分たちと区別して絶対者であると考えるのではなく、松本も自分たちの潜在的な欲求=悪業が作り出した存在として、事件を否定する見方をし始めた。
仏教的な一元論の教えに基づいて考えていった結果、概ね2005年くらいまでの段階で、上祐を中心とした代表派は、次のような考え方に変わっていった。
①特定の人(だけ)を神にすべきではない
松本を含めた誰か特定の人間について、他の人間と区別して絶対者であると考えることは合理的ではない。人は、そもそも皆が互いに完全ではない存在であるという謙虚な認識に立ち戻るべきであること。実際に、釈迦自身が、信者が自分を崇めることを戒めている。
②松本の行為は、自分たちと関連している
松本のハルマゲドンとキリスト登場の予言や、それに基づく教団武装化や一連の事件は、松本が主導した行為のように見えるが、実際には、その時の幹部・信者その他の人々の潜在的な欲求とつながっており、松本だけの業・カルマではない。
そもそも、松本という人間と教祖は他から独立して現れたものではなく、松本も日本で生まれ育ち教育され、弟子・信者と共に大きくした教団が一連の事件を起こしたのであり、それを松本だけの責任にすることはできないこと。
③教団と社会もつながっている
教団と社会の関係も、松本が説いたように、教団が善で、社会が悪であるといったような善悪二元論で説明されるべきものではなく、両者は相互に関連して存在しており、そもそもが、教祖も信者も全ては日本人であり、どこまでが教団で、どこからが社会か、という境界が実在するわけではない。
④仏教的な悟りは一元論的な世界観の理解である
仏教的な悟りを考える場合でも、自分と他人は相互に依存しあって存在しているという「縁起の法」の理解に基づいて、自と他を区別して、自分を他より愛するエゴの心の働きを超越することが、その要の修行となること。
⑤全ての人に仏性がある
大乗仏教の教えに従えば、仏性(=将来仏陀になる可能性)とは、全ての人々・生命体が有しているものであり、松本元教祖のような特定の人物だけにあるものではない。それ故に、私たちの本質的・究極的な帰依の対象は、特定の人物に限定されるべきものではなく、仏性を有する全ての衆生に対して向けられるべきであること。
⑥他の悪業は、自己の反面教師である
他人と自分とが別個ではなく、自分とつながっているという認識に立てば、類は友を呼ぶという経験則が語るように、他人の悪行を見ても、怒ったり、批判したりする前に、それは自分にもある(ないしは潜在する)と考えて、反面教師として内省するべきである。
⑦全ての人が導き手であり、感謝・奉仕の対象である
こうして、全ての人々は、皆が仏性を有しており、自己の教師・反面教師として学ぶことのできる存在であるから、全ての人々を導き手と考えて感謝するように努め、その幸福のために奉仕するべきであること。
この考え方は、この時期に完全に固まっていたのではないが、少なくとも、この時期には気づいていた考え方であったといえる。
ただし、仏教の修行は、単に理論を理解するのではなく、それを体得することである。それは、頭の中だけでなく、感覚的・生理的な要素も含まれる。そして、この時点では、代表派の中で、仏教的な一元思想の理論が展開されたとはいえ、心身に浸透していたとは言えなかった。
その体得は一朝一夕にできるものではなく、一生努力し続けなければならないが、ここに、この2005年の時期から2007年に至るまで、アーレフからの脱会・独立が遅れた理由があるのではないかと考えられる。
(9)神社仏閣・聖地を訪問し始める
2005年から本格的に活動を始めた代表派は、他の思想家やその著作に触れるだけではなく、アーレフ教団施設の枠組みから離れて、一般に聖地といわれる場所を訪れていった。その中には、長野県の諏訪や戸隠等の古来の霊地・修行場があった。
諏訪は、諏訪大社、諏訪湖などで有名であるが、代表派のメンバーは、2005年初め、いまだ雪の降る季節の頃、諏訪を訪問した。
訪問の直前に、上祐は、とても神聖な意識状態を体験し、心身がエネルギーに満たされていくのを感じたが、その直前に、上祐は、善悪二元論的な考え方を否定するという内容を教学していたので、神聖な意識はこれと深い関係があると感じた。そして、代表派から新団体ひかりの輪となっていく中で、これは、非常に重要な教義の一部となった。
また、諏訪を訪問した際は、諏訪大社の各社、守矢山、小袋石(おふくろいし)、守矢資料館といった重要なスポットを訪れるとともに、諏訪湖の湖畔を歩く修行や、湖畔でキャンプをして瞑想する修行をした。
当時は、まだ相当に寒い時期だったので、多少の苦行のようになったが、上祐は、大きな意識の広がりを感じる体験をしたり、美しい虹の雲を見たりといった体験をした。その体験は、上祐以外の、他の代表派のメンバーも共有した。
また、代表派は、長野県の戸隠にもよく訪れた。戸隠は、戸隠神社と言われるが、歴史的には山岳仏教・修験道の聖地であり、戸隠山を聖山としている。上祐は、特に戸隠神社の奥社を訪れたが、そこは杉並木が続き、山に登る途中に社屋がある。
代表派は、昔の山岳仏教の修行者にならって、彼らが歩いた道を自分たちも歩いたり、瞑想したりした。また、雪が降る季節にも訪問し、雪が腰の高さまで積もっている中をかき分けて歩いたり、防寒服に身を包んで夜間もキャンプしたりした。
特に奥社と呼ばれるところは、代表派の多くのメンバーにとって、霊的なエネルギー・霊気が強い場所であり、心身の状態を改善するにはとても良いところだと感じられた。なお、ここでも美しい虹を見る体験があった。
こうして、アーレフ教団の外の神社仏閣・聖地、そして大自然との触れ合いは、代表派のメンバーの意識を徐々に、教団だけが神聖であるという価値観(すなわち松本および松本が認めたものだけが神聖であるという価値観)から解放していった。
とはいえ、少なからぬメンバーにとって、この変化は非常にゆっくりとしたものであり、オウム・アーレフの価値観と新しい思想・実践との間で、様々な葛藤を伴ってもいた。そのためもあり、新団体設立のためにオウム・アーレフを脱会するのが2007年になったことは、前記の通りである。
(10)他の聖者の思想から学ぶ
また代表派は、2005年くらいからは、外部の聖者・宗教家の思想からも学び始めた。
その中には、例えば、インド三大聖者の一人とされるラーマクリシュナや、その弟子であるヴィヴェーカーナンダらの思想がある。
特に、ラーマクリシュナが説いた、「他の人に哀れみを垂れるということさえ傲慢な心の現れで、愚かなことであり、全ての人々を神の現れと見て奉仕するべきである」という考え方は、代表派に大きな影響を与えた。松本といった特定の人物のみ絶対視して、教団外の人々には神性を認めなかったオウム・アーレフの教義とは大きく違ったものだったからである。
また、弟子のヴィヴェーカーナンダの思想や実践も参考になった。具体的には、彼が、
①ラーマクリシュナを崇める修行を中心としていた兄弟弟子に対して、一般の人々を神の現れと見て奉仕することが、真の悟りの道となると説いたこと、
②その結果として、ラーマクリシュナへの個人崇拝に執着する兄弟弟子から反発を受けつつも、それに屈せずに、修行実践の改革を行ったこと、
③インド哲学の中心であるヴェーダーンタの不二一元論を重視し、姿形のある対象に対する表面的な崇拝をなくした寺院を作ったこと、
などがあった。
また、明治期に発足した日本の新興宗教・大本(教)の聖師・出口王仁三郎の思想・実践も研究した。出口王仁三郎は、今でこそ大本の創始者とされているが、その過程においては、同教開祖であり義母である出口ナオを信奉する開祖派の幹部達と、激しい摩擦を経験した人物である。
開祖派の幹部は、出口ナオの受けた啓示に従って、大本だけが真理であり、大本以外は闇であると信じて、昼間でも(闇を照らすための)行灯を持って歩くこともあった。さらには、出口ナオの啓示には、いわゆるハルマゲドン・世紀末がすぐやってくるという予言があり、こういった点がオウムの信者とよく似ていた。
一方、王仁三郎は、大本だけが真理であるなどということはなく、このままでは、大本は世間から狂人扱いされると幹部達に諭した。開祖派の幹部には、王仁三郎が開祖・出口ナオを信じていないと見え、王仁三郎に改心を求めたり、王仁三郎には悪霊が憑いたとして批判し、王仁三郎の書籍を焚書にしたり、信者の前で批判したりした。
それが無くなるまで、王仁三郎は教団活動を停止し、教団外部でいろいろな事を学んだり、活動したりしたこともあったが、長年の間、耐える中で、徐々に王仁三郎の考え方を理解する幹部が増えていったとのことである。
こうして、この王仁三郎と開祖派の幹部の対立は、代表派と反代表派の主張の相違と通じるところがあり、古今東西、宗教というものは似たような問題を抱えているのではないかという認識も生まれた。
他にも色々あるが、こういった他の宗教家、教団、そして宗教や社会の歴史の勉強は、オウム・アーレフを唯一絶対の教団とする従来の見方から、代表派を解放していき、代表派と反代表派の摩擦も、歴史的に度々、宗教団体において経験されてきた問題であるという認識を与えてくれた。
(11)松本の初期の頃の教えを見る
前記の通り、代表派が立ち上がっても、しばらくは依然として松本に依存していたのは事実である。
しかし、それは、一連の事件を含めて、松本の全てを肯定するという意味ではなかった。それを一言で言えば、松本の中の正しい教えと間違った教えをより分けて、正しいと思われる教えを重視するという考え方であった。
ここで、間違った教えというのは、松本が、『ヨハネ黙示録』(新約聖書巻末の未来預言書)の預言の解釈をなして、自分たちの真理の教団が弾圧されるが、ハルマゲドンが起こり、キリストが登場し、真理の国ができるという予言をした、松本と教団の教えである。それは、くしくも一連のオウム事件(最初の事件は真島・田口事件)が始まった1988年~89年頃から、盛んになってきたものである。
一方、正しい教えというのは、主に教団の草創期頃の教えであり、その中には一般の人が聞けば意外と驚くような内容があった。
具体的には、「自分はカリスマにならない」、「自分も弟子達も同じ真我(ヨーガで言う本当の自分のこと)を持っている点で変わらない」、「傲慢にならないために、他人に仏性・神性を認めて、学んで奉仕すべきである」、「様々な生き物は、一つの生命体の中の細胞のような者で関係し合っている」、「(自分の教団だけが正しいという)選民思想はだめだ」といった内容の説法であった。
これらの内容は、前記のラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダの一元の思想とも一致するような内容であるが、こうした松本の説法も実際にあった。
松本が初期においては、このような謙虚な教えを説いていたにもかかわらず、なぜ後に変貌していったのかについては、以下の理由が推測された。すなわち、宗教家や予言者の中には、最初は良いが、多くの人間や金が周囲に集まる中で、仏教的に言えば集まった人間との業の交換によって、徐々に傲慢になったり、妄想的になったりするという事例があり、松本についても同様と考えられた。
(12)松本の一部の教えを架け橋として活用したこと
松本への依存から脱却するには至っていなかった当時の代表派にとっては、一連の事件に至った松本の教えとは違った松本の教えがあったことは、過渡的な架け橋として、活用することができるものであった。
すなわち、代表派はこの後2007年になると、アーレフを脱会して松本の教えや教材を全て破棄し、新団体ひかりの輪として完全に自立をするに至るが、それまでの架け橋であったということである。ただし、2007年の脱会に至るまでにも、松本への依存は段階的に減少していった。
この点に関しての上祐の考え方は、穏健な教えと過激な教えの2つの教えが松本にあることも、全てはつながっているという一元論的な考え方に基づいて、自分たちの中の二つの心が投影されたものだというものであった。
よって、代表派が、松本の教えの一部を活用したと言っても、それは、以前のように松本を自分たちとは別の特別な存在であると考えたのではなく、自分たちの善業や悪業の投影として、良い教えも間違った教えも説いた存在として、相対化したというものだった。
しかしながら、過渡期にあった当時の代表派においては、信者によって松本に対する依存の程度は違っており、相対的なものではあったが、依存が浅い者も深い者もいた。そして、その一部とはいえ松本の教え・教材を使い続けたことは、当時依然として松本に対する心理的依存を残していた証明であることは否定できない。
(13)反代表派の批判・攻撃に対して松本の説法等を使ったことの反省
さらに、代表派は、反代表派との摩擦の中で、反代表派による代表派に対する批判に対して反論する中で、代表派の考えなどを肯定するように解釈できる松本のメッセージ・説法などを活用したこともあった。
その趣旨は、反代表派が「代表派の教え・実践は、松本の教え・意思に全く反したもの」と主張して批判することに対して、反代表派が松本を絶対視して否定できないことを活用し、「松本にはいろいろな教え・見方があって、代表派の教え・実践を肯定するものもあり、反代表派の主張は、松本の教え・意思を一面的にとらえたものだ」という主張をすることであった。
よって、反代表派とは違って、「代表派の教えや実践こそが、松本の意思である」という主張をするのが目的ではなかったが、少なくとも、「代表派の教えや実践が、松本の教え・意思に反しているとは限らない」という主張をすることではあった。
その中には、前記のように、代表派の教え・思想と似たものが、特に初期の松本の説法・書籍にはあるということだけにとどまらなかった。その中には、松本の説法やメッセージとして、以下のように、上祐が松本(や松本家)から独立して独自の路線を進むことを肯定するように解釈できる内容のものもあった。
①松本が、上祐が独自路線を容認すると解釈できる説法・メッセージ
1)教団で(上祐などのように)「正大師(大乗のヨーガの成就者)」と呼ばれる高位のステージの者は、松本から独立して救済活動を行なうことができると解釈できる説法・書籍
2)上祐が(来世において)松本から独り立ちするといった内容の説法
②松本が、教団の多様化を容認すると解釈できるメッセージ
1)「正大師」らの話し合いによって、教団を「アーレフ」と「アー」と呼ばれる二つに分けることを示唆したもの。
2)松本が、1995年の事件当時、石井久子や上祐を含めた幹部信者に指示して、オウム真理教とは別に、シヴァ神や松本を信奉せずに、シヴァ神などを別名に言い換えて信奉する団体(定かではないが例えば大黒天など)を作ろうと考えたことがあったこと。
このような主張は、上祐に加えて、当時、反代表派から魔境と批判された上祐を積極的に弁護した広末晃敏(被処分団体副代表)らによって、『真実を見る』と題された代表派のブログによって広められた。その中には、今まで公開されなかった内容も色々と含まれており、それに対して、反代表派が、そのブログを見ないようにという指示を信者に出したことは前記の通りである。
このような主張の結果として、全体から見れば少数ではあるが、代表派のメンバーの一部で、反代表派の考え・実践・やり方には強く反発しつつも、松本への依存は依然として深い者たちの中で、「代表派の考え(こそ)が、松本の意思である」といった主張にまでエスカレートする場合もあった。
もちろん、このような松本のメッセージや説法に頼った活動は、今から見れば一時的・過渡的なものであって、人によって時期は違うものの、その後しばらくして、徐々になくなっていった。
この、なくなっていく過程として、2006年の末頃に、代表派の全メンバーを集めた会合で、松本に対する依存を本当に払拭するために、問題のある教えに限らず、問題のない教えも含めて、松本の教材を全て破棄することを決定した。そして、翌2007年3月に、教材を全て破棄し、アーレフを正式に脱会し、新団体を立ち上げるに至った。
こうして、一時的にせよ、2007年以前の時期において、松本の教え・メッセージに頼ったのは、代表派の宗教的な力量の不足であったことは明白であり、しっかり反省しなければならないことであると被処分団体は考えている(なお、これにつき具体的にどのような反省と総括をしたかについては、後記第4の3の(5)「被処分団体は松本の意思に基づき設立されたものでもないこと」(69ページ)に記載した通りである)。
しかしながら、松本から脱却していく過程にあった時点での代表派メンバーの力量・心理状態としては、現実として、やむを得ない流れだったようにも思われる。
(14)被処分団体の設立は松本の意思に基づくものでないこと
上記の松本の説法やメッセージ使用に関して、被処分団体との関係で、誤解がないように念のためにここで述べておくことがある。それは、被処分団体の創設自体が松本の意思に基づくものであり、究極的な麻原隠しではないかという誤解についてである。
①「正大師(大乗のヨーガの成就者)のステージの者は、(松本から)独立して救済活動を行なうことができる」と解釈できる松本の説法があることについて
これは、被処分団体のように松本とその教えを超えて新しい宗教・思想を広める活動をすることを肯定するものではなく、あくまでも物理的にだけ松本から独立した活動であり、松本を否定せずに、松本と同じ系統の教えを広めることを意味するものと解釈すべき内容のものである。
実際に、オウム真理教においては、分派が正式に認められるのは、「大乗のヨーガ」の成就者ではなく、その上の「報身のヨーガ」の成就者と規定されていた。その理由は、「報身のヨーガ」の成就者になれば、松本が信仰するシヴァ神からのデータを松本と同じように正確に受け取ることができるとされていたからである(松本著『マハーヤーナ・スートラ』)。
こうして、松本・オウム真理教の教えでは、「大乗のヨーガ」の成就者にすぎない上祐の脱会・独立は、認められる行為ではないのである。
よって、上記の松本の説法は、それを最大限に解釈したとしても、上祐が、アーレフ代表派を形成したことを正当化することがあったとしても、上祐が、松本・オウム真理教を否定して、シヴァ神信仰でさえない、全く別の宗教団体を設立するために、脱会・独立することを、松本への信仰の立場から正当化するものでは全くない。
②「上祐が、(来世において)松本から独り立ちする」といった内容の松本の説法があることについて
この説法を普通に理解すれば、明らかに来世に関するものであり、今生のことを意味しているわけではないことは明白である。
具体的には、松本は上祐に「50生か100生後」と語っており、来世のことでさえなく、ましてや今生のことではない。この点は、アーレフ教団内でも明確に理解されていたことである。
こうして、この松本の説法も、今生での上祐の脱会・独立を、松本への信仰の立場から正当化するものではないことは明らかである。
③「正大師らの話し合いによって、教団を「アーレフ」と「アー」と呼ばれる二つに分けることを(松本が)示唆したメッセージ」について
これも、被処分団体の行動を、松本への信仰の立場から正当化するものでは全くない。
まず、上祐の脱会独立については、この松本のメッセージの中にある「正大師らの間での話し合いによる分割」は全く行われていない。
他の正大師である松本の家族らは、上祐の脱会・独立どころか、アーレフ代表派の立ち上げでさえ、それに強く反対・妨害してきており、それ以来、両者の話し合いなどは全く行われていない。
さらに、被処分団体においては、アーレフとアーといった名称は、その団体名に限らず組織のどこにも用いてはいない。
最後に、この内容は、教団を二分割・二グループ化することを認めるものだとしても、松本を信仰しない全く教義の違った団体を作ることを正当化するものでは全くない。
その意味で、上記のメッセージは、上祐がアーレフ代表派を形成することを正当化する面が多少はあったとしても、脱会して、被処分団体のような教団を設立することを肯定するものでは全くない。
④「松本が、1995年の事件当時、石井久子や上祐を含めた幹部信者に指示して、オウム真理教とは別に、シヴァ神や松本を信奉せずに、シヴァ神などを別名に言い換えて信奉する団体(定かではないが例えば大黒天など)を作ろうと考えたことがあったこと」について、
これも、被処分団体の行動を、松本への信仰の立場から正当化するものでは全くない。
この松本の考えは、シヴァ神などを別名に言い換えて信奉する団体であり、実質的な教えは、オウム真理教と同じ教えのものを想定したものである。
繰り返し述べたが、被処分団体は、第1に、中心的な象徴仏として釈迦牟尼・弥勒菩薩・観音菩薩を立てており、シヴァ神やその別名の大黒天などは立てておらず、第2に、より重要なこととして、オウム真理教とはその教義体系が全く異なるものである。
より詳しく述べると、被処分団体では、最も中心的な象徴仏は釈迦牟尼であり、シヴァ神ではない。
しかも、その釈迦牟尼さえ象徴仏=シンボルとしているにすぎず、絶対者として崇拝しているのではない。釈迦牟尼自身を崇めるのではなく「自己と法を帰依処とせよ」と自ら説いた釈迦牟尼の教え・精神に対する敬意を表して、ひかりの輪の教えの象徴としているにすぎない。
なお、シヴァ神については、単にヨーガや仏教の教えを学習する中で、ヒンズーの最高神であるシヴァ・ビシュヌ・ブラフマンという三つの神の一人として位置づけている。当然だが、オウムと違って、「シヴァ大神」などと呼んで特別視してはいない。
むしろ、そのヒンズーの3神の中では、被処分団体が重視する一元論と縁の深いヴェーダーンタ哲学の中で重視されるブラフマンや、釈迦牟尼(やラーマクリシュナ) と同体と考えられているビシュヌ神が、被処分団体の中では、強調されてきた。
なお、シヴァは破壊の神とされ、ビシュヌ・ブラフマンは、それぞれ維持・創造の神とされており、その意味でも、事件・暴力を否定する被処分団体の特徴を表している。
また、シヴァ神が仏教に取り入れられた結果として生まれた大黒天(マハーカーラ、チベット密教では主たる守護神として有名)については、被処分団体では、仏教の教えを学習する中で言及し、排除することはないが、当然、崇拝対象ではない。
厳密に言えば、アーレフ代表派時代までは、松本が説いていた大黒天(マハーカーラ)の真言・瞑想が教えられたことがあったが、被処分団体になってからは、それは否定され、それに関連した教材も、すでに回収されている。
その際に、上祐らの研究の結果として、松本が大黒天の真言として教えていたものは、本場のチベット密教では、カーラチァクラの教えとされているものであったことがわかり、その意味で、松本の密教教義の解釈の過ちがまた一つ明らかになり、この事実も会員に報告されている。
こうして、今現在、被処分団体の道場・神殿においては、シヴァや大黒天といった神格の御尊像は取り下げられており、これと関連した真言・瞑想法といった修行法は、一連の教材破棄の流れの中で、回収・破棄の対象としている。
よって、上記の松本の指示は、上祐がアーレフ代表派を形成することはまだしも、このように信仰対象と教義が全く違った被処分団体のような団体を設立することを肯定するものではない。
最後に付け加えると、この際の松本の指示は、上祐や石井が脱会することを想定・肯定していない。実際に、当時の松本は、上祐ら幹部が脱会することについて、教団の求心力が弱まることを理由として、強く禁じていた事実がある。
⑤上祐に反対する松本の家族や現アーレフの主張を見れば、松本・オウムの教えの枠組みにおいて、上祐の行為が、認められないものであることは明白である。
松本が不在の中では、オウム・アーレフ教団の宗教的な最高権威は松本の家族であり、その家族が上祐を否定しその活動に反対しているということ自体が、松本・オウムの教えの枠組みにおいて、上祐の行為が認められるものではないということの明白な証拠である。
彼らの主張においては、上祐は魔境であり、すでに大乗のヨーガの成就者である「マイトレーヤ正大師」(上祐の宗教名)ではなく、松本の教団を分裂させ、地獄に堕ちる大悪業をなした者と位置づけられており、上祐と接触すれば松本との縁が切れるとされているようである。
⑥最後に、観察処分の適用・更新継続の是非の判断基準は、団体規制法の趣旨と公安調査庁の請求の趣旨からすれば、当団体の設立に対して、以前の松本の許可や予見があったか否かという過去の事実の有無とは関係はなく、被処分団体が松本・オウムの教えを流布しているか否かという現在の事実の有無に置かれるべきである。
公安調査庁の観察処分請求の趣旨において、松本を絶対視し松本・オウムの教えを流布する団体が観察処分の請求の対象であることは議論の余地がない。
よって、観察処分の適用は、上祐の独立前に、松本が上祐の独立を肯定していたか否定していたかという過去の事実の有無ではなく、今現在、被処分団体が実際に行っていることが松本・オウムの教えの流布であるかという現在の事実の有無によって判断されるべきであることは明白である。
また、この点に関連して、被処分団体が松本の支配下に戻ることもあり得ないことであり、この意味でも決して"麻原隠し"ではない。
まず、被処分団体は、松本の教え・教材を一切破棄して、それを内外に記者会見、公式HP、新団体の教材、説法会などで繰り返し明言し、過去の反省に基づいて、新しい会員や体験者と対応し、また、新たな教団施設の賃貸契約をとりつけるなどして、すでに1年半近く運営されてきている。
よって、被処分団体が、仮に再び松本の支配下に戻ろうとしても、様々な約束・契約の違反によって、団体の存続は全く不可能となる状況にある。もちろん、被処分団体にはそのようなことをする意思は全くないが、それに加えて、仮にあったとしても、団体の仕組みからして、それは不可能な状況を形成しているのである。
(以上の誤解を払拭・防止するために、被処分団体では、「オウム真理教元教祖・松本智津夫の位置付け等に関する規定」(甲A9)を制定し、被処分団体構成員に徹底している。詳細は後述する)
(15)被処分団体で重視している神仏の系統=ひかりの神
上祐の説法では、被処分団体に縁のある神格として、釈迦牟尼、大日如来、天照大神、ビシュヌなどが取り上がられ、それに対して、オウム真理教に縁のある神格として、シヴァ、マハーカーラ(大黒天)、スサノオ、大国主命が取り上げられた。
前者は、いずれも太陽に関する神の系統である。釈迦は、経典に太陽族の末裔と位置づけられ、大日如来や天照大神は、名前からして言わずとしれた太陽神である。これが、被処分団体=ひかりの輪の団体名やシンボルマークにある、光・太陽・虹といったものと通じている。
後者は、前者とある意味で対極的な位置づけがあり、それは、陽と陰、光と闇の両極ということもできる。シヴァは破壊の神であり、大黒天(マハーカーラ) は姿形が黒・闇のイメージであり、スサノオ・大国主命は、現世の王である天照大神とは違って、冥界の神の性質を持っている。
もちろん、これらの後者の神仏は、多くの宗教・宗派で尊ばれているから、被処分団体がオウム・アーレフとは正反対に、これらの神を悪神として排除しているのではない。しかし、被処分団体の力点が、その名のごとく、ひかりの神、太陽神の系統にあるということである。
そして、実際に、被処分団体の道場・神殿・祭壇においては、この系統の神の御尊像が飾られており、関連する真言・瞑想法などの修行法が指導されている。
このことからも、被処分団体の設立が、松本の意思を実現するものとか、松本の影響を受けたもの等といえないのは明らかなので、念のために以上に述べた。
4 2006年初頭~夏、新団体構想の発表へ
2006年1月、アーレフへの観察処分更新が決定されたが、これは、教団の中で反代表派を中心とした麻原回帰現象が進んでいたので、当然の結果であった。
経済状態の悪化を一因とした代表派と反代表派の話し合いは、結果として不調に終わり、教団の分裂が決定的となっていた。そして、反代表派は、代表派を組織的・経済的に切り離すために、世田谷烏山の居住物件を解約して、別の物件に移ることを検討したりしていた。
2006年の3月は、様々な意味で大きな変化が起こった時期であったが、まず上祐自身の宗教性に大きく影響を与えることが起きた。
(1)聖徳太子ゆかりの寺を巡って
上祐ら代表派のリーダーの一部は、以前から聖徳太子に関心があり、この時期に京都や奈良の太子ゆかりの仏閣を巡った。
最初は、聖徳太子の伝説で太子が空を駆ける馬に乗って行ったとされる所が、上祐らが訪れた聖地と偶然にもよく一致していたことなどから関心が高まったが、その後より深く調べる中で、太子の宗教・思想に共鳴していった。
それは、①太子が、神道が中心だった日本に仏教を重視して導入した立役者の一人であり、神仏習合という異宗教の融合が生まれる始まりとなったこと、②和をもって尊しとなすという教えを説いたことなどであった。
被処分団体ひかりの輪では、「和をもって尊しとなす」とは、単に、人々の和合を説くに限らず、釈迦の説いた悟りの道である中道に関係するものと解釈している。
和という言葉は、平和という意味に限らず、中庸という意味があるが、釈迦の中道とは、快楽にも苦行にも偏らない中道(中庸)の道を意味する。また、「和」は、(ひかりの輪の)「輪」にも通じ、全てが輪のようにつながり一体であるという仏教的な思想とも関連している。
他にも、太子の教えの中で共鳴したことは、「人を神として祭ってはいけない」と説いたことがある。 また、前記の戸隠の近くに位置する日本最古の秘仏を祭る善光寺にも、太子ゆかりの伝説があり、代表派が重視する神社仏閣には太子との縁がよく見られ、親近感を感じるようになっていった。
(2)広隆寺・弥勒菩薩像との出会い
この時期に代表派のリーダー達が奈良や京都の太子ゆかりの寺を訪ねたことは前記の通りだが、上祐をはじめとする代表派のリーダーの中で少なからぬ者たちが、京都の広隆寺に参拝した際、有名な国宝の弥勒菩薩像を見て、大きな感銘を受けるということがあった。
これは、精神世界に慣れていない一般人にはわかりにくい表現ではあるが、その仏像に、神聖なエネルギーを感じたということであった。
この体験は、上祐らにとって非常に重要なものとなった。というのも、オウム・アーレフの信者の多くは、精神世界や宗教の体験のない一般の人にはわかりにくいことかもしれないが、いわゆる「神聖な霊的エネルギー」というものに対するとらわれがあるからであった。
そのため、松本やオウム・アーレフ以外のものに神聖なエネルギーを体験するということがなければ、それらに対する依存から抜け出す上での障害となるからである。この霊的なエネルギーとは、理論ではなく一種の生理的な感覚であり、密教やヨーガの修行者になると、こういった神秘的な体験を重視する(悪く言えばこだわる)面がある。
そして、時には自分が神聖なエネルギーを感じると、それだけで、その対象を神聖なものだと思いこんでしまう場合もある。実際に、オウム・アーレフの信者の中には、一連の事件があっても松本のエネルギーは神聖であるから、松本は間違っていないと考える者が少なからずいる。
霊的な修行の体験・経験がない者からは、このような話は当惑されたり、ばかばかしく思われたりするかもしれない。確かに、冷静に考えてみれば、それは全く信者の個人的・主観的な体験にすぎないのであって、松本に神聖なエネルギーなど感じない人の方が、信者のように感じる人よりも、この世の中には多いのだが、オウム・アーレフにはそれを感じた(感じてしまった)者が多く集まっていたのであった。
(3)霊的な体験を絶対視しない原則を学んだこと
そうした個人的・主観的な体験に基づいて、殺人事件を起こした人物の善悪を判断してしまうことは、冷静に客観的に考えれば全く不合理なことである。しかし、人間は誰しも自分が第一という心理があるから、自分自身が、普通はなかなかできないとされる霊的な経験をしたことから、自己のプライドも相まって、教祖に関する霊的な体験を過大視・絶対視する傾向が生じたのではないかと考えられる。
そのようなタイプの者たちに重要なことは、松本やオウム・アーレフ以外において、この世の中には神聖なものが少なからず存在するという実体験である場合が多いのである。実際に、反代表派は、松本に対する帰依がなくなれば、彼らが信じるところの神聖なエネルギーのラインが断たれてしまうとよく主張していた。無智によるものとはいえ、こういった現実があるのである。
なお、ここで誤解がないように記しておくが、信者の中で松本に関連して霊的な体験をしたという事実を持ち出すことによって、松本を肯定する趣旨は全くない。ここでの主張の趣旨は、このような霊的な体験は世の中にままあるにもかかわらず、免疫がない人間が多いため、体験を過大視・絶対視してしまう傾向があるので注意するべきだというものである。
そして、この考えを世間に広く伝え、自分たちを含むオウム・アーレフの現信者・元信者のような過ちを犯す者が少なくなるように努力することが、真の贖罪につながるものと被処分団体は考えている。逆に、これらの事実を隠蔽してしまうと、一定の霊能力や超能力を発揮するタイプの者たちを過大視・絶対視してしまい、過ちを犯す者たちが後を絶たないのではないかと懸念している。
(4)オウムの霊的な体験は仮の体験であったと思われること
時系列的な総括からは脱線するが、ここで、松本とオウム・アーレフが得意とした、クンダリニーヨーガを中心とした、霊的な体験についても総括しておく。
代表派の総括のための調査・研究の中では、かつて松本の修行の指導をしたインドヨーガのグルに対しても、松本やオウム・アーレフについて質問することがあったが、同インド人グルによれば、松本は以下の通りであった。
①たとえ完全な解脱に至っていなくても、(ヨーガの専門用語でいう、アナハタ・チァクラのレベルであっても)、いわゆる超能力が身につくことがある。松本は、このレベルであった。
②ヨーガの身体操作の行法を実践した場合、たとえその人の精神が本質的には浄化されていなくても、一時的には浄化された状態となり、「サマディ」(三昧)を含めた深い瞑想体験が生じる場合がある。これによって傲慢になる恐れがある。松本は、この行法に非常に熱心であったが、その意味で行法に偏っていた。
実際に、オウム・アーレフにおいては、相当に激しいヨーガ行法を使って、信者に霊的な体験をさせていった経緯があるため、この指摘が当てはまる可能性はあると思われる。そして、実際に、そういった霊的な体験は、激しい行法を行なう集中修行の時が最高潮であり、それから離れると低減していくものであった。
そして、当時の日本の宗教界においては、松本とオウム真理教は、霊的な体験をさせる点において非常に目立っており、簡単に海外には行けない多くの者たちにとって、松本やオウム真理教以外は見えてこなかった面もあると思われる。ヨーガ・密教の本場であるチベットやインドならば違ったのであろうが、1980年代前後の日本では、霊的体験に免疫のない者たちが、松本とその霊的体験を過大視・絶対視し、松本を絶対神の化身として受け入れてしまったのだと思われる。
(5)弥勒菩薩像から学び取った真の救済者の姿勢
上祐らは、前記の弥勒菩薩像に接しながら、単に神聖なエネルギーだけではなく、重要な思想・教えを学び取った。
すなわち、弥勒菩薩像は、以下の通り、松本と様々な意味で対称的な性格を持っていた。
松本は人間であり、闘争的で、自己を神の化身、キリスト・王と位置づけ、武力によって20世紀のうちにも自分の真理の国を作ることを救済としていた。
一方、弥勒菩薩像は、人間ではなく、自然の木から作られたもので、1000年以上も何も語らず、静かに参拝する人を見守り、見た人に平和のイメージを与えている。そして、自己を未完(の菩薩)と自覚し、天界で修行しているという謙虚さや、56億7千万年という時を待って(釈迦没後56億7000万年後に地上に降誕するまで修行を続けるとされる)、人々を救済するといった忍耐を有したものであった。
そして、この対称性は、救済者とは何か、救済者とはどうあるべきかという重要な問題に関係しており、結論としては、かつて松本が自らを模して表現した弥勒菩薩(マイトレーヤ)=救世主像には、真実の救済者としては著しい偏りがあって、それを改めてバランスをとるものが、弥勒菩薩像が与えるマイトレーヤのイメージであるという考えを代表派にもたらした。
具体的には、以下の考えを代表派にもたらした。
①歴史を見ても、人が理想を掲げて世直しを目指す場合には、松本に限らず、自分が善であり世の中が悪と見えることがあるが、その考え方は、傲慢の罠に陥る危険があり、松本のように、(自分が社会に弾圧されているといった)被害妄想や、(自分は全くの正義であり救世主であるといった)誇大妄想に陥り、暴力・闘争を悪を正すための唯一の解決手段と誤って考える状態に至る可能性があり、その結果は、大きな破滅・自滅が待っている。
②そうではなく、たとえ他人や世の中が悪く見えたとしても、一元論的な思想に基づいて、その悪は自分にもあると考え、他人を反面教師として、まずは自己を改める努力をなすべきであり、こうして率先して自分を変える努力をしてこそ、自分と繋がっている他人を導くことができるようになり、こうした辛抱強い努力こそが暴力・武力に勝る大いなる力となる。
上記の考え方は、上祐らが、様々な聖者・宗教家の教えを検討した結果の部分もあるが、それだけでなく、弥勒菩薩像やその材料となった大自然について思索・瞑想しているうちに考えついたことでもあった。
弥勒菩薩像は、1300年もの間じっと動かず、辛抱強く衆生を見守り続けており、その仏像の材料となった木々を含めた大自然は、人類の営みをじっと見守り続け、その成長を見守っているとも解釈できると考えたのである。
(6)反代表派が代表派を切り離し始める
2006年3月から4月には、反代表派と代表派の代表者の間で、悪化が続く経済問題を話し合う会合が再度開かれた。この会合には上祐も出席が認められた。
反代表派は、代表派を教団内のグループとしては認める代わりに、代表派グループを経済的に切り離して(反代表派グループが支配する教団の経理から代表派を切り離して)、自らの経済状態の回復を図ろうとしていた。
また、これよりも前から反代表派の信者の一部には「魔境である代表派とは一緒の施設に住みたくない」「代表派が含まれている教団の活動のためには布施したくない」という要望もある、と反代表派の幹部は主張していた。
(7)代表派の新団体の構想
一方、代表派の方では、反代表派との接点が見いだせない中で、アーレフから離れて、松本から脱却した新たな団体を作り、独自の道を歩くことを考え始めていた。
その背景としては、代表派の宗教活動は、段階的にではあるが、松本から自立していく傾向のものとなっていたことがあった。また、代表派から見ると、一連の事件を総括・反省しないなど、相当に反社会的な面のある反代表派による教団運営方針が変わるためには、少なくとも相当な時間が必要だろうという認識が固まっていた。
このような反代表派と代表派の考えから、反代表派(中間派含む)と代表派の居住区域を分別し(住み分け)、さらには代表派の会計を独立させる(経済分離)を行うことで合意し、それを7月までに完了することになった。
そして、その合意と前後して、2006年5月半ばには、上祐が教団内の出家信者(反代表派含む)に対して、直接、新団体を設立する構想や趣旨について説明した。
(8)アーレフ教団と松本家の関係について
なお、この頃、上祐は、会議において、アーレフ教団による松本家に対する多額の金銭援助(松本知子の描いた宗教画に対する使用料の支払い名目)については、現在の状況を考えると、社会の理解を得られず、問題になるだろうと考えた。
そこで、反代表派に対して、繰り返し、その取りやめ、ないしは経済的な理由によって取りやめることができない場合には、松本家からその事情の説明を受けるように求めたが、松本とその家族に対する帰依を背景として、反代表派の理解は得られなかった。
しかし、7月には、警視庁が、松本家および周辺関係者を強制捜査する事態が発生し、それに伴う報道において、反代表派主導の教団から松本家に多額の金銭が流れていることが公に報道されて、批判される事態となった。
その中で、松本家への絵画使用料の支払いの問題も批判されたので、今度は、中間派の野田や村岡が、反代表派の執行部に再考を求めたが、それも受け入れられることはなく、依然として、反代表派は松本家への支払いを続けている状態にある模様である。
そうしているうちに、8月になると、松本家から家出をしていた四女・識華が、松本から正式に自立するためにジャーナリストの江川紹子を後見人とする裁判を提起し、「家族は教団と関係ないと嘘をついて、教団を支配しており、信者に貢がせて贅沢な生活をしている」等と述べるに至った。
(9)代表派の新しい法具類を導入したセミナー
代表派は、2006年のゴールデンウィークと夏休みの大型の連休に、恒例のセミナーを行った。こうしたセミナーを繰り返す中で、代表派は段階的に松本から自立するための諸条件を固めていった。
例えば、同年のゴールデンウィークのセミナーでは、オウム・アーレフが重視していた松本の唱えた真言(マントラ)や、松本のエネルギーが込められたとされる「甘露水」と呼ばれる水などに替わる、新しい真言や聖水を生み出した。
具体的には、チベット密教などの儀式などで伝統的に用いられている神聖な音を出す法具を大々的に使用し始めた。様々な法具があり、それぞれ違った音を奏でるが、聴いて心地よいもの、心を静めるもの、深い瞑想状態に導くものなどがある。被処分団体では、この神聖な音を出すとされる密教の法具を「聖音法具」と呼んで、様々な儀式や瞑想修行の際に用いている。
また、最近は、合計すると数十種類にも及ぶ法具の音や波動を用いて心身を浄化する「聖音波動」と呼ばれる儀式や、録音した聖音にエフェクターをかけたり、回転させたりして、それを聞く人の心身を浄化する「聖音法輪」と呼ばれる儀式も行ない始めた。このようにして密教の聖音法具を使って心身を浄化することを、被処分団体では「密教ヒーリング」と呼んでいる。
この結果として、松本の真言・マントラは全て破棄している。
さらに、密教の聖音法具の聖音によって浄化された水を「聖音水」と呼んで使用しており、オウム・アーレフにおける甘露水は一切破棄している。
(10)夏のセミナーで、聖地巡礼を行なう
同年の夏休みの代表派セミナーは、聖地巡礼ツァーと銘打って行われ、教団始まって以来初めて、日本の聖地や神社仏閣を巡る旅となった。代表派のリーダー達が、それまでの数年の間に訪れて、色々な体験や勉強をした縁のある聖地を選んだ。
最初は、長野の諏訪・戸隠・善光寺に行き、その後、乗鞍を経て、京都・奈良を回った。乗鞍では3000mの高地からご来光を見て、大自然に投影された如来の慈悲の光を感じ、京都では広隆寺・弥勒菩薩像を皆で参拝した。そして、最後に奈良・吉野山(修験道の総本山で有名)を参拝した。
被処分団体のシンボルマークには虹色が使われているように、代表派のメンバーは、聖地などで不思議と虹を見る機会が多くあった。
そして、上記の聖地巡礼でも、その最後に訪れた奈良・吉野においてセミナーを終了した直後に虹が現れるという体験をした。セミナー解散直後というタイミングの良さに、皆が大喜びでした一幕があった。
なお、前記の通り、被処分団体においては、いわゆる神秘的な体験や偶然の一致にしては不思議な体験をしたとしても、オウム・アーレフのように、それを安直に教祖の神格化や絶対視に結びつけることはしていない。それは、条件が整えば誰でも体験することがあり得る人間としての自然な現象の一部と位置づけているからである。
また、そのような体験が現実として存在するにもかかわらず、その存在自体を端から無視する傾向がある旧来的な物質主義、物心二元論、古典的な科学などにも賛成しないというスタンスを取っている。
虹のような現象は、今のところ、精神医学者であるカール・ユングなどが唱えた「シンクロニシティ」(意識と外界の出来事が共鳴する現象で、意味のある偶然の一致とも言われる)の範疇に属するものだと考えている。
5 2006年秋~2007年、アーレフの脱会と新団体設立へ
(1)新団体設立の公言
2006年夏が終わり秋になると、代表派は徐々にではあるが、新団体設立の準備に入っていった。それが加速したのは、同年9月に松本の死刑判決が確定した際、上祐がマスコミの取材に応じてテレビ生出演をした時であった。
その出演で、上祐は、松本と一連のオウム事件に関して総括し、松本を払拭した新団体を目指すことを明言した。
(2)松本に対する依存から脱却する上での葛藤
その前後にも、聖地・自然でのセミナーを出家信者や在家信者と繰り返しながら、その機運を徐々に形成していった。
この頃は、代表派幹部の合宿なども行った。その中には、深く根付いた松本への依存を脱却するうえで苦労している者がいたのも事実である。また、松本への依存は無くなる一方で、宗教的な実践自体に、やる気を失う者も出てきた。
実際に、2006年から2007年にかけて、このような意識転換における様々な問題は、一言では表現しがたいものがあった。
(3)松本の教材の一切(旧教材)を破棄する決定
2006年10月から11月にかけて、新団体に向けた、オウム・アーレフの教材破棄に関する話し合いがなされた。
話し合いの当初は、新団体での教材の使用において、たとえ松本が作成した教材であっても松本への個人崇拝に結びつくものでなければ維持しても問題ないのではないかとか、松本ではなく教団のスタッフが作成したものならば問題ないのではないかといった意見が出ていた。
しかし、話し合いが進むにつれて、自分たち自身の松本やオウム・アーレフへの依存を断ち切るという意味や、自分たちが変わったことを理解してもらうためには、松本をはじめとするオウム・アーレフが作成した教材は一切破棄するべきであるという考え方に、皆がまとまっていった。
そして、2007年2月末をもって従前の教材(以下「旧教材」と記す)を全面破棄する改革を実行することに決定した。
言い換えるならば、この時期より前においては、依然として松本の教え・教材に依存している面があったといえる。これは、「アーレフ代表派」と「ひかりの輪」との違いということができる。
(4)代表派の年末年始セミナー
そして、2006年末から代表派の年末年始セミナーが行われ、この際は、代表派に属する出家信者と在家信者が合同で参加した。
巡礼する聖地には、京都の弥勒菩薩・観音菩薩・釈迦如来などの仏像で有名な寺院と、天照大神をまつる伊勢神宮が選ばれた。前に、弥勒菩薩像について記したが、この参拝の際の観音菩薩像や釈迦如来像に対しても、代表派の信者の多くが、それぞれの良さを感じていた模様であった。
こと1000体もの観音菩薩像が立ち並ぶ三十三間堂は神聖で壮大なものであり、嵯峨・清涼寺の釈迦如来像にも透明感のある神聖なエネルギーを感じた信者が少なからずいた。
(5)新団体の象徴仏:釈迦・弥勒・観音について
なお、被処分団体では、釈迦牟尼を中心として、弥勒菩薩と観音菩薩を脇に置いた釈迦三尊像を祭壇に飾っているが、これは前記2006年夏と年末の聖地巡礼を通して、新団体の中心的な「象徴仏」として固まっていったものである。
象徴仏とは、すべての人間の中にある仏性(ぶっしょう=仏となる性質)や慈悲の心を引き出す象徴としての仏という意味である。その意味で、観音とか弥勒といった菩薩が実在しており、それを絶対として信仰しているという意味ではない(そもそも、それは科学的に証明できることではない)。
しかし、古来、仏教徒をはじめとする多くの人々にとって、この三仏というものは、人々の仏性・慈悲といった神聖な意識を引き出してきた象徴であるということは事実であり、それをそのまま受け止めたものである。
最初に、この三仏の概念が固まり始めたのは、奈良・吉野の修験道の総本山である金峯山寺を訪れる前後であった。金峯山寺の御本尊は、修験道開祖の感得した金剛蔵王権現と呼ばれる三体の仏像であるが、これは、釈迦・弥勒・観音の三仏の権現(化身)であって、その三仏は、現在・過去・未来の三世の仏陀として位置づけられている。
(6)アーレフからの脱会
その後、代表派においては、2007年3月頭にアーレフを脱会して、5月連休セミナーまでに新団体を立ち上げることにした。
教団全体を見れば万全の準備ができているわけではないものの、2月に旧教材の破棄を終えることになっていたこと、新団体の早期の立ちあげを待ち望む人が少なくないこと、その他様々な社会的な状況を勘案したものであった。
そして、2007年3月7日付で、代表派の出家信者が集団でアーレフに脱会届を提出し、脱会するに至った。
なお、脱会2日前の3月5日には、上祐らがオウム真理教破産管財人を訪れ、脱会予定であることと今後もオウム事件被害者賠償を続けることを通知し、また同日、公安調査庁を訪れ、脱会予定であることと観察処分に協力することを文書(甲A10)で通知している。
(7)脱会後の記者会見と地域住民への説明
脱会した元代表派信者らは、新団体設立に至るまでの暫定的組織として「上祐代表・新団体準備グループ」を結成するとともに、脱会翌日の3月8日、記者会見を開いて、脱会の事実と近日中に設立予定の新団体についての概要を発表した(甲A11)。
すなわち、新団体においては、
・オウム・アーレフにおける位階制度、ホーリーネームは当然使用しないこと、
・松本には何の位置付けも与えず、松本の教材は一切使用しないこと、
・新たな教材を作成すること、
・旧来の祭壇は使用せず、釈迦三尊像を採用すること、
・松本という特定個人を神の化身とした個人崇拝や、世界を聖なる教団と悪の外部社会の戦いと位置づける善悪二元論の教義を盲信したことが一連のオウム事件を惹起したとの反省に基づき、新団体では、このような教義・思想を完全に破棄し、仏教・ヨーガ・神道・自然宗教などに基づいて、全ての人々や存在の中に神の現れを見て、自己の教師・反面教師として学びの対象として尊重し、教団と社会を含めて、全ての存在は繋がっているという一元論的な教義を実践すること、
・オウム事件への被害者賠償を引き続き実施すること、
・公安調査庁による観察処分には引き続き任意で協力すること、
・地域住民の不安除去努力を続けること、
等を発表した。
また、3月9日には、公安調査庁に対して、上記の旨を報告した(甲A12)。
さらに、これに前後して、東京・世田谷本部周辺の地域住民・住民組織に対しても、同様の説明を行う会合を複数回開催した。
(以上、主に甲A4による)
第3 被処分団体の設立および現在までの活動内容
1 被処分団体の設立
「上祐代表・新団体準備グループ」では、オウム・アーレフ時代の総括についての議論を繰り返すとともに、新団体の在り方について話し合いを重ねた。
その概要が固まった後、新団体運営の基本的精神を定めた「基本理念」(いわゆる綱領にあたる)ならびに「会則」を、いずれも2007年5月5日に制定、同6日に公布、同7日に施行し、新団体「ひかりの輪」(被処分団体)を設立した。なお、「基本理念」については同8日さらに改正した(甲A1、A2)。
なお、新団体の発足にともない、いったんアーレフ代表派の資産を清算して構成員に分配し、構成員がさらにそれらを持ち寄って、新団体の資産を形成した。
また、アーレフ代表派時代から引き続き使用してきた被処分団体本部(東京・世田谷)施設については、ほどなくして賃貸借契約を家主と締結し直している。
2 被処分団体設立の各方面への報告
5月7日、公安調査庁に出頭して被処分団体設立の報告をし(甲A13)、5月9日には記者会見を開いて発表した(甲A14)。
それから数日以内には、東京・世田谷本部周辺の地域住民・住民組織に対して、新団体発足について説明する会合を複数回開催した(甲A15、A16)。
3 被処分団体の諸活動
被処分団体は発足後、現在に至るまで、次のような活動を展開してきた。
すなわち、まずオウム事件およびオウム・アーレフでの活動全般についての総括作業を団体全体で進め、総括文書を作成・公表してきた。また、その総括に基づいて、新しい教義・教材・修行法を開発した。それと同時に、松本の説法集等の旧教材の全面破棄を徹底していくとともに、オウム事件被害者への金銭的賠償を進め、社会に向けての情報公開にも努めてきた。
以下に、これらの取り組みの詳細を各別に述べる。
4 オウム事件等の総括作業
被処分団体は「会則」(甲A2)第3条(目的)において、
「過去のオウム真理教事件の反省に立ち、その教訓を生かしつつ、宗教・思想・哲学・科学及び芸術等を幅広く研究・実践及び公開することによって、人々の心身の浄化、癒し、人間と自然との調和に尽くし、もって宗教による悲劇が発生しない精神的に豊かな社会づくりに奉仕することを目的とする。」
としており、かつ第4条(活動)の①において
「本団体の基本理念に基づくオウム真理教事件の調査・研究及び総括」
を活動内容とすべく定めている。
これに基づき、被処分団体においては、オウム事件やオウム・アーレフ全般について、その誤っていた点を振り返り、反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないための総括作業を、団体ぐるみで行ってきた。
これら総括作業は、主に①上祐個人としての総括②団体としての総括③役員はじめ会員各人としての総括という3つのパートで実施してきた。
(1)上祐個人としての総括
オウム真理教時代に教団最高幹部であった上祐は、その立場から知り得たオウム・アーレフにおける数々の違法行為や過ちを明らかにして懺悔することによって、被処分団体の構成員のみならず、今もアーレフに残って松本への崇拝を続ける信者らを善導するためにも、自ら率先して総括を行い、文書で発表してきた。
上祐による総括は、次の3つの文書にまとめられている。
第一に、上祐は、1995年までにオウム真理教で経験した、いわゆる"ヴァジラヤーナ活動"と称する違法行為の事実と、なぜそのような違法行為に自分自身や周辺が加担していったかについての分析と総括を、『オウム真理教の違法行為・ヴァジラヤーナ活動について』という文書にまとめている(甲A17)。
第二に、今も松本に依存するがためにアーレフに残っている信者らに対して、松本への個人崇拝の誤りを説き、同様の総括を促すために、『上祐史浩からのメッセージ2007』と題する文書を作成して、公表している(甲A18)。
第三に、上祐が1999年末に出所して教団に復帰してから、2000年以降アーレフで行ってきた活動、アーレフ内での分裂騒動、アーレフから独立して「ひかりの輪」結成に至るまでの経緯を振り返り、その間のことを総括した『教団復帰からアーレフ脱会までの経緯について』を作成、公表している(甲A19)。
上祐は、これらの文書の中で、かつて宗教的無智によって松本を絶対視し、グルイズムの世界に入り込んでいったこと、松本の説く「教団は唯一の善、社会は悪」という極端な善悪二元論、選民思想的な教義を受け入れ、社会に対して傲慢で独善的な考えを増長させてしまったこと、その流れの中で松本や事件に疑問を抱きつつも、あえて絶対的な帰依を選択して教団武装化に加担し、社会に対して嘘をついたことを明らかにし、反省している。
そして、とりわけ2000年以降、松本の実態に考察を加える一方、自然や他宗教と交わる中で、グルイズム(グル絶対主義)や二元論的な考えの過ちに気づき、宇宙の全ての存在に神仏を見いだしていく一元論的な宗教・思想を作り出していく必要を感じるようになった旨の総括を展開している。
(2)団体としての総括
①団体としての総括作業と総括文書
上祐個人のみならず、もちろん団体としても以下の通り総括を進めてきた。
すなわち、アーレフ代表派時代から含めれば、これまで大小含めて数十回にわたって、専従(出家)会員が集まって、オウム真理教の歴史や、一連のオウム事件の経緯を振り返りつつ、自分はそのとき何をしていたのか、なぜ教団はあのように変貌していき、自分たちはそれを支えてしまったのかを発表、討議し、総括するミーティングを開いてきた。
これらのミーティングの結果、本年7月には、被処分団体の総意として、オウム真理教時代の総括と、総括に基づいて今後進んでいく方向性について文書にまとめることができた。それが『オウム真理教時代(1983~1999年)の総括と今後』である(甲A3)。
同文書では、まず、1983年から1999年までのオウム真理教の歴史を順に振り返り、その時々の重要な出来事や松本の説法、信者の動向や心情等を、逐一整理し総括していった。
次に、そのような全体の事実経過を踏まえて、松本の変遷をまとめ上げた。
すなわち、松本は自己中心的で誇大妄想的な性格であったところ、時を経るにつれて被害妄想的になり、社会と教団に著しい害悪を及ぼし、教団を破滅に導いていったと総括した。
さらに、事件の原因にあたる事項の分析・総括をしたが、具体的には、弟子である信者らが松本と教団を誤って神格化し個人崇拝した原因について探った。その結果、信者や信者を取り巻く状況にも以下の問題があったと総括した。
①キリスト(救世主)の弟子、世界救済の中心にいたいとい
うプライド、誇大妄想的な欲望があった
②自分で考え、努力するのではなく、誰か完全な人に従いた
いという依存心があった
③自分自身が松本・教団からもたらされた(と思った)霊
的な体験があった
④教団の宣伝や他の信者の体験による影響があった
⑤内外の有識者による松本への評価・権威付けを獲得する
教団の活動があった
⑥ハルマゲドン・救世主の登場を自然とした当時の社会状況
があった
⑦生まれてからの教育や生活で育んできた二元的世界観があ
った
その上で、犯罪を正当化する特殊な密教的な教義の解釈の過ちについて総括した。
そして、それらの総括・反省に基づき、これから被処分団体が二度と同じ過ちを繰り返さないために、どのような点に注意して歩んでいくべきかについて、今後の方針、教義、実践について記した。
さらに、今後どのようにして社会への「償い」を果たしていくべきかという点についても述べた。つまり、オウム事件の被害者への賠償は当然のことながら、それに加えて、テロによって社会に被害を与えた以上、「テロのない社会」という理想に向けて、微力ながら、できるだけの貢献をしたい考え、現在予定している活動内容を記している。
具体的には、①テロを起こさない新しい宗教・思想を提示すること、②テロ防止機関・専門家に対する協力をすること、③国際テロリズムの温床を緩和するための貢献等を行っていきたいと考えており、その一部はすでに実行している。
この総括は、まだまだ不十分であり、今後も、あらゆる角度から検討を加えて総括を深め続け、社会に有用なものを作り上げていく所存である。
②心理学の観点からの総括
また、団体としては、心理学に照らした総括も行ってきた。すなわち、オウム事件のような異常な事件を起こし、あるいはその教団を支えてきた信者の心理を、心理学の理論をもって分析し、総括する作業であり、集団心理学、社会心理学、「自由からの逃走」としての教団、集合無意識が作った教団等の観点から総括を進めている。その総括はまだ進行中ではあるが、現段階のものを一応の文書にまとめることができた。それが『心理学的視点からのオウム真理教の総括』(甲A5)である。
ここにおいて、松本は「空想虚言症」「誇大自己症候群」という人格障害者であったと総括し、それに追随した信者らにも同様の傾向があったと総括した。
被処分団体の役員会においては、この総括文書を承認し、この内容に沿ってさらに総括を進めていくことで意見が一致している。
③その他の視点からの総括
また、団体としては、他に以下のような角度からの総括も進めている。
◎有識者の分析に照らして(哲学者や思想家、宗教家、評論家などの有識者の中には、その高度な知見をもって、オウム事件の原因について論評している者もいるので、その見解を参考に、総括をしている)。
◎オウムを称賛したとされる聖者・宗派の真実の見解。
◎カルト教団としてのオウムの総括。
◎霊的体験が真に神聖な悟りの結果ではなく、身体技法によってもたらされたりするなど、心理学的・大脳生理学的な説明もできること。
◎実体験した松本の非絶対性。
など。
これら各専門分野からの総括は、被処分団体の専従会員の中で、それぞれの分野に詳しい幹部スタッフが中心になって行っており、完成次第、公表していく予定である。
(3)役員はじめ会員各人としての総括
団体の役員をはじめとする会員の一人一人が、自分自身のこれまでを振り返って総括し、文書にまとめる作業を進めている。うち役員や支部長等の指導員については、すでに、その全員が各人の視点からの総括文を完成させている(甲A20~A32)。
なお、役員の一部については、本年5月頃に被処分団体公式HPに、その時点での総括文を掲載したが、総括の内容がまだまだ不十分との外部識者等からの指摘もあったため、これを謙虚に反省し、さらに総括を深めた。
すなわち、例えば、外部ジャーナリストが執筆した松本の青少年期の問題点についての著書(『麻原彰晃の誕生』高山文彦著・文春文庫刊)などを各人で読み込み、その上、上記の心理学的な観点からの総括(甲A5)も徐々に深め、松本に対する見方をより厳しくしつつ、自らをも真剣に振り返り、以前よりもさらに総括を深化させ、今回提出の第二次の総括文書の作成に至ったのである。
今後、さらに総括・反省を含める予定であり、場合によっては、第三次の総括文書の作成と貴委員会等への提出も検討されている。
また、役員以外の一般の専従・非専従会員も、総括文の作成を進めているところである。
以上3つのパートで行ってきた総括のうち、完成したものについては、すでに被処分団体の公式HPで公開している(一部調整中のものを除く)。また、記者会見でも発表している。
5 新しい教義
被処分団体は、前記のオウム事件への反省と総括に基づいて、二度と同じ過ちを繰り返さず、また誰にも繰り返させないために、仏教・ヨーガのみならず神道や自然信仰、心理学等を幅広く研究し、宗教・社会・人間・自然の調和をもたらす新しい教義を構築してきた。
その結果、被処分団体の教義や瞑想等の修行法は、旧来のオウム真理教と比較して、以下の対照表に記したように変化している。
被処分団体(ひかりの輪) 旧来のオウム真理教
松本について 松本も、過ちを犯す一人の人間。松本が犯した過ちを認めるとともに、私たち自身も、人間たる同氏を神格化してしまった過ちを反省し、個人崇拝・依存から脱却して、自立していくべきである。 松本を人間ととらえてはならない。現世の常識を超越した神のような存在(生き神的存在)である。 松本の行動には、過ちのように見える不可解な点があっても、それには深い意味があるから、絶対的に帰依すべき。
グルイズムについて グルも人間である以上、絶対視してはならない。ひかりの輪においては、グルイズムは採用しない。 松本のようなグルに絶対的に帰依すること(グルイズムの実践)が、解脱の唯一の方法。
世界観 一元論的。全てはつながっており、相互に作用し合っている。自と他、善と悪、宗教と社会、人間と自然などは、画然と区別できるものではない。互いが互いを自分の要素と見て尊重し合うべき。 二元論的。自と他、善と悪を画然と区別する。 えてして自らを絶対善とし、相手を絶対悪として、攻撃的になりやすい。
宗教観 真理は、教団を包み込む宇宙全体にある。他の宗教や思想、自然などからも、良い面を謙虚に広く学び取るべき。 真理は、自分の教団の中にしかない。松本の説法の記憶修習だけをしていれば十分で、それ以外の宗教(外道)に触れると、真理から外れることになり危険。
崇拝の対象 全ての魂に仏性(仏としての性質)を認めて、等しく奉仕する。 崇拝の対象はひとえにグルまたはグルの後継指名を受けた者。
社会観 教団と社会との間には、本質的な差異など何もない。教団は社会の一部であり、互いが互いの投影ともいえる。社会と融和し、社会のために尽くす実践をすべき。 教団は善であり、社会は悪である。教団のためなら社会に多少の犠牲や辛抱を強いるのもやむをえない。
社会へのアプローチ かつての過ちを認めて、真摯に反省し、新しい思想をもって立ち直っていくことによって、同じ過ちを現に犯し、あるいは犯してきた世界の諸宗教等への範を示したい。それこそが私たちがこれから行うべき社会への奉仕。 松本が奇跡的に復活して世界を救済してくれる。または、松本の後継指名を受けた男性の子息が、いずれ教団を率いて、世界を救済してくれる。それまでは社会からの迫害に耐える。
瞑想法 諸現象や自分の心の内側を見つめて解析していく原始仏教的瞑想、または種字や密教法具を観想する伝統的な密教瞑想等を行い、真実の自分、宇宙に合一していく。 松本を頭上に観想し、松本に合一する瞑想を中心に行う。
修行に使用するイメージ 釈迦・観音・弥勒をはじめとする、仏陀や菩薩、種子や法具などの象徴、大自然などをイメージする。 松本の写真を見ながら、リアルにイメージする。
音に関する修行 密教法具が奏でる聖音や、自然からヒントを得たひかりの輪オリジナルの音楽を聴く。 松本のマントラや、松本作曲の音楽だけを聴く。
巡礼修行 日本の神社・仏閣や自然の中に神聖なものを見いだし、巡礼する。 松本が認めた場所しか巡礼しない(インドしか巡礼していない・詳細は次項)。
以上の教義等を裏付ける教材類の詳細は後述する。
6 聖地巡礼修行の実施とその意義
前記のように被処分団体においては、前身のアーレフ代表派時代から聖地巡礼修行を実施してきたが、これはオウム信仰から脱却するためにも重要なものととらえている。
実際、神社仏閣を含む聖地への巡礼は、上祐に反対する反代表派信者からは、「外道・魔境の実践であり、グル(=松本)の教えに外れた行為」とされ、激しい批判・排除の対象となった。
しかしながら、公安調査庁の主張を見る限り、今のところ、被処分団体の聖地巡礼が「麻原の手法と同じ」ものと解釈されている面があるので、速やかにその誤解がとけるように、以下のとおり記すことにする。
(1)他宗教や日本文化、自然との融合による"脱麻原効果"
①上祐の"脱麻原"のきっかけの原点は、聖地での体験
上祐は、自然豊かな聖地へ赴いた際、一連のオウム事件の原因ともなった善悪二元論的なものの考え方から脱却する一元論的な思索・瞑想を行い、その際に、珍しい虹の現象を見る体験をした。これが、後に、松本とオウム真理教の教義から脱却していく上で、非常に大きな影響を与えた。
②グルイズムからの脱却
松本という一人の人間を神の化身として絶対とし、松本とその教義や修行法を唯一絶対とする、いわゆる「絶対的グルイズム」と180度逆の方向性が、被処分団体における聖地巡礼の修行である。
その理由は、松本とその教義・修行施設を離れて、さまざまな聖地・自然、神社仏閣=他宗派、宗教家・土地の人々に接し、学ぶというところにある。
さらに根本的なこととして、松本等の人間を神として崇拝するのではなく、日本人の伝統である自然信仰、聖地信仰、仏像信仰を含めた神社仏閣の信仰などに、信仰の対象を変えていくプロセスとなっている。
これらのことは、オウム・アーレフの教義を超えて脱会し、被処分団体が独立する上で、大変大きな助けとなった。
(2)「松本の手法と同じ」という公安調査庁の主張の誤解に対して
①聖地巡礼は反代表派から魔境とされた
聖地巡礼修行は、アーレフ代表派時代において、松本を絶対視する反代表派から、松本の教えと矛盾する「外道への礼拝」「魔境的な行為」と批判される行為であった。もし仮に、「松本の手法と同じ」であれば、松本を絶対視する彼らから、むしろ賞賛・歓迎されているはずだということができる。
②松本が行った聖地巡礼は、「日本」は一切なく、「インド」だけだった
松本が行った聖地巡礼は、インドの釈迦牟尼ゆかりの聖地巡礼であり、しかも、1991年、1992年の2回だけに限られており、オウムにおける中心的な修行ではなかった。
さらに、松本とオウム教団は、日本社会と日本宗教を否定し、自己の権威をインドのヨーガやチベット密教の聖者に求めた面があり、そのため、国内の聖地巡礼は行われなかった。
それに対して、被処分団体の聖地修行は、もっぱら日本各地のさまざまな聖地とそれと結びついた日本宗教の拠点を巡るものであり、その点において明確に異なっている。
さらに、聖地巡礼によって日本社会や他宗教との融和を進めたいと考えており、実際に、多くの他宗教の神社仏閣に赴き、交流している。
③松本とオウム教団は、インド巡礼をやめてオウム事件を起こした
次に、普通に考えれば、オウム教団のインドでの聖地巡礼は、釈迦牟尼ゆかりの聖地を巡るものなので、松本個人を絶対視する類の信仰実践だったとは言えない。
さらに重要なこととして、松本の聖地巡礼は、オウム事件の原因になったのではなく、むしろその逆ではないかと分析できる。
すなわち、松本は、一連の事件に繋がった「ヴァジラヤーナ活動」を本格化するために、1992年を最後として1993年にはインド巡礼を行わない決定をしたという事実があるからである。よって、聖地巡礼と一連の事件は、方向性としてはむしろ逆のものであったと考えられる。
④聖地巡礼は宗教全般に見られる修行実践である
古来、求道者にとって、聖地に赴くこと、巡礼をすることが、非常に重要な修行とされてきたことは、日本においては伝統となっている。
修験道開祖の役行者、高野山の弘法大師・空海、比叡山の伝教大師・最澄など、聖地に籠もって修行を深めた宗教者たちが数多く存在してきた。
被処分団体においても、オウム時代の過ちから脱却するために、日本的なやり方に習い、大自然や聖地を師とする方向に転換し、聖地巡礼を修行として行っているのである。
(3)これまでに巡礼した聖地
上祐および被処分団体では、これまで実にさまざまな聖地を巡礼してきた。その場所や神社仏閣については、2008年9月現在、以下のようになっている。
また、それぞれの巡礼に関しては、その一部はすでにレポートとして被処分団体の公式サイト上に掲載されており、今後も掲載を続ける予定である。
◎2002年 日本各地の聖地、神社仏閣を巡り始めた年
(アーレフ時代の上祐が2003年に反代表派の反発を受けて「長期修行入り」させられる理由の1つともなった巡礼)
東北:青森県十和田湖、秋田大湯遺跡
諏訪:諏訪大社四社、諏訪湖、御頭御社宮司(ミシャグジ)総社
乗鞍:乗鞍、大黒岳
沖縄・久高島:御嶽(ウタキ)巡礼
出雲:出雲大社
奈良:飛鳥、斑鳩の多数の寺社(聖徳太子ゆかりの寺など)
日光:東照宮、中禅寺湖、二荒山神社
◎2005年 日本各地の聖地巡礼を本格的にはじめた年
(アーレフ時代の上祐が、活動復帰後、代表派のメンバーとともに実施し始めた巡礼で、反代表派から「尊師〔=松本〕の教えに反する」として激しい反発を受けた)
戸隠:戸隠神社五社
諏訪:諏訪大社四社、守矢山、ミシャグジ社
熊野三山:熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社
三輪山:大神神社とその近辺
◎2006年 聖地巡礼ツアーをはじめた年
(アーレフ代表派における本格的な聖地巡礼の開始)
熊野三山:熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社
伊勢:伊勢神宮内宮・外宮、瀧原宮
比叡山:比叡山延暦寺
高野山:高野山金剛峰寺
戸隠:戸隠神社五社
長野:善光寺
諏訪:諏訪大社四社、諏訪七石、ミシャグジ社、高遠、辰野
奈良:法隆寺、中宮寺、豊浦寺
奈良吉野:金峯山寺、桜本坊、天河大弁財天社、龍泉寺、みたらい渓谷
京都:清凉寺、広隆寺、三十三間堂
富士:浅間神社、富士五湖
◎2007年 聖地巡礼ツアーが定番となる
(アーレフ代表派から新団体〔被処分団体〕にかけて聖地巡礼を続行)
鹿児島:屋久島
三輪山:大神神社、桧原神社、山辺の道
奈良吉野:丹生川上神社、天河大弁財天社、龍泉寺、みたらい渓谷
奈良:東大寺、春日大社、興福寺
諏訪:諏訪大社
長野:善光寺
戸隠:戸隠五社、戸隠古道
日光:東照宮、中禅寺、二荒山神社、千手が浜、瀧尾神社
千葉:鹿島神宮、香取神宮、息栖神社、成田山
群馬:榛名神社、榛名山、水沢観音
◎2008年 聖地巡礼ツアー
(被処分団体における聖地巡礼)
平安京・江戸の都聖地巡り
比叡山:延暦寺、日吉大社
京都:下鴨神社、京都御所、東寺、広隆寺、松尾大社
江戸:日枝神社、増上寺、東叡山・寛永寺、浅草寺
福島:会津薬師巡礼
和歌山:南紀白浜、高野山金剛峯寺
鳥取:三徳山三佛寺
長野:上高地、穂高神社
(4)聖地巡礼による賠償促進の効果
なお、聖地巡礼は、上記のごとく、オウム信仰・松本崇拝からの脱却と、その延長上にある一元の思想に基づく宗教的実践を深めていくために必要なものである。それと同時に、被処分団体の現状において、オウム事件被害者への賠償金支払いの原資を得るにあたって、非専従会員からの布施収益を確保するためにも有効なものとなっている。
その背景には、聖地巡礼によって、一般的に言えば教化が深まるということと、その巡礼プログラムの参加費用による収益という二つの効果があるためである。非専従会員の間では聖地巡礼が人気で、それがなければセミナー等に参加しないという者も少なからずいるほどである。
こうして、聖地巡礼は、宗教的にオウムから脱却するためと、社会的に賠償金支払いを進めるという二つの目的を有しているが、今後は、よりいっそう、これらの重要な目的に合致するように、その方法等について最大限改善していく予定である。
7 新しい教材や修行
上記で述べた被処分団体の新しい教義や修行を実践するために、以下の教材を制作している。
(1)基本的な教本
被処分団体では、教義の基本や根幹を理解するための教本として、以下のものを制作している。
1. 基本用語集(甲B1)
2. 基本修行教本(甲B2)
3. 仏教・ヨーガ講義Ⅰ(甲B3)
4. ひかりの輪と法具について(甲B4)
5.2008年夏期お盆セミナー特別教本(甲B5)
(2)ヨーガと気功
被処分団体では、担当役員の藤本、山口、小宮らの指導員が、多様なヨーガ・気功の修行法を研究し、紹介し、DVDも作成している。
DVDを制作したもの
1. 「ヨーガ基礎編」(甲B7)
2. 「ナチュラル・ヨーガ」(甲B8)
3. 「エンライトメント・ヨーガ」(甲B9)
また、その他にも下記のような行法を研究・紹介している。
4. 呼吸のヨーガ(甲B10)
5. 大自然と一体になるヨーガ(甲B11)
6. 気功
7. 弥勒金剛法具エンパワーメントの準備コース(甲B12)
8. 密教ヒーリング講座
(3)瞑想法『無色瞑想講義』
被処分団体では、新しく無色瞑想講義と呼ばれる瞑想法の解説をシリーズで制作している。これは、仏教思想の深く高度な思索・瞑想について、現代人にも分かりやすい言葉・表現を用いて、解説したものである。
1. 無色瞑想講義 基礎編(甲B13)
2. 宇宙意識の瞑想(甲B16)
3. 自と他の区別を超える瞑想(甲B17)
4. 菩薩の智慧と慈悲(甲B18)
5. 縁起の法(甲B19)
6. 一元法則の秘儀〔縁起の法・一元思想の精髄〕(甲B20)
7.21世紀の仏教思想の瞑想法(甲B21)
(4)密教の瞑想法の解説
被処分団体においては、松本を観想する密教的瞑想などは当然使用しておらず、伝統的な密教宗派の瞑想を解説し、神聖文字(種字)や密教法具を観想する瞑想を提供し指導している。
1. 観音菩薩の瞑想(甲B22)
2. ヴァジュラサットヴァの教え(甲B23)
3. 密教瞑想講義(甲B24)
4. ターラー菩薩の教え(甲B25)
5. 大乗のマンダラ供養(甲B26)
6.聖音水修法(甲B27)
7.カーラチャクラ・タントラの真言(甲B28)
(5)上祐の説法・講話のDVD/CD
被処分団体においては、上祐の講話をDVD・CDなどの形で提供している。現在30本以上ある(甲B29~B64号証)。
また、そのうちの一部の反訳文をおって証拠として提出する予定である。
(6)密教法具
被処分団体では、その宗教的な儀式や瞑想修行において、次のような密教法具を使用するとともに、提供している。
すなわち、金剛杵(ヴァジュラ)・金剛鈴(ヴァジュラガンター)・ドニパトロ・曲刀(カルタリ)・独狐(プルパ)・水晶(クリスタル)・勝磨(十字金剛杵)・ティンシャー等である。
これらは上記「ひかりの輪と法具について」(甲B4)に、それぞれ写真付きで解説がある。
(7)その他の法具関係
被処分団体では、団体の象徴仏や、その修行に用いる仏陀・菩薩の絵画や仏像の写真、さらには、祭壇や修行空間のための法具を以下のように提供している。以下の法具類も、上記「ひかりの輪と法具について」(甲B4)に、それぞれ写真付きで解説がある。
1.仏画・仏像写真 (釈迦・弥勒・観音など)
2.法輪
3.結界
(8)瞑想音楽
被処分団体では、聖音や音楽を儀式や瞑想修行の時に用いるが、これについても以下のように提供している。
1.聖音CD(甲B65~B67)
(様々な密教法具の聖音を組み合わせて、録音したCD)
2.団体音楽班自作の瞑想音楽(甲B68~B73)
①虹の神 ②水の神 ③釈迦 ④弥勒 ⑤観音 ⑥ヴァジュラサットヴァ
3.団体音楽班自作のヒーリング音楽(甲B74~B76)
①新たなる出発 ②せせらぎの癒し ③聖なる山の調べ 戸隠
(9)定期刊行物
被処分団体では、被処分団体の教義や毎月の活動内容等をDVDにまとめて、会員や一般人に公開している。それは「月刊ひかりDVD」として、毎月刊行されている(甲B77~B87)。
8 インターネット上での開かれた団体づくり
被処分団体においては、以下の通り、インターネットを一つの活動の場としてきた。それは、オウム真理教時代の反省と総括の結果として生じた考え方であり、具体的には、①オウム教団の閉鎖性を超えて、開放型の団体活動を行うこと、②オウムの問題の実態・原因を明らかにし、その総括や教訓、そして解決法を公開することなどが目的である。
(1)開放型の団体(ネット上の道場・お寺)を目指した活動
オウムの問題点の一つとして、団体の閉鎖性があった。よって、被処分団体では、開放的な団体を目指して、HP(ホームページ)を通して、会員・非会員の区別なく、誰もが団体の活動や教理等を知ることができるように努力している(いわゆる「ネット道場」「ネットお寺」)。
これにより、被処分団体に対して一般社会が抱く不安を軽減するとともに、被処分団体の宗教活動に関心のある一般人が、外から自由に知ることのできる仕組みを作ろうと努力している。
①被処分団体が運営する各種のHPの詳細
A.被処分団体の公式HPならびに、各支部のHP
(http://www.joyus.jp/hikarinowa/)等参照
被処分団体は、団体本部のHPと、各8支部・地域が運営するHPがある。そこでは、各支部・本部のスタッフや道場内部の紹介、説かれているさまざまな教え・教材の公開(動画を含む)、さまざまな修行法の公開(動画を含む)、説法会・セミナー・聖地巡礼を含む団体のイベント・活動内容のレポートなどが掲示されている。
B.被処分団体の会員用HP
(http://www.joyus.jp/new-party/member/)参照
これは、被処分団体の会員用に向けられた内容のHPだが、たとえば、道場に来ることができない遠方の会員が、被処分団体の支部道場で説かれている教え・修行法、配付されている教材をHP上で学ぶことができるようにするためのものである。
具体的な内容として、会員用として配付・指導している教本、瞑想法テキスト、真言(マントラ)集の公開、会員向けの上祐の講話集、会員向け伝達事項の掲示、会員向けの速報記事などが含まれている。
このアクセスにはパスワードが必要であり、一般公開はされていないが、厳密に会員だけに限られたものではない。冷やかしや悪意ではなく、まじめな宗教的関心を持つ一般人にも利用いただいている。さらに、公安調査庁にも、これを情報開示している。
C.ネット道場
(http://net-dojo.hikarinowa.net/home.html)参照
上記のHPに付設して、本年7月に新たに開設したのが「ネット道場」である。これは、各支部道場において会員に提供している教え・修行法と同じものが、会員になったり道場に来たりしなくても、インターネット上で知ったり学んだりすることができるというものである。
ネット道場は、一般に公開されている部分と、ユーザー登録した者に限って提示している部分がある。ユーザー登録は、所定のアンケートに答えることによって、まじめな関心の持ち主であることが一定限度確認されることが条件となるが、氏名(本名)・住所といったいわゆる個人情報の提供は、必要としない(連絡用のメールアドレスは必要)。一般公開部分も登録者限定部分も、一部無料、一部有料である。
なお、公安調査庁にも情報開示する予定であり、マスコミ関係者も、上記の条件が満たされる限りは利用可能である(ただし、個人での利用に限定し、著作権を侵害する無断使用・無断転載の類はお断りしている)。
①無料提供のもの
1)教え
・上祐代表講話(動画)、
・基本的な法則の解説(テキストデータ)
・指導員の講義(動画)
・仏教心理学講座(テキストデータ)
2)行法
・ヨーガのアーサナ(体位法)
・ヨーガのプラーナーヤーマ(呼吸法)
・瞑想(マントラ瞑想)
②有料提供のもの
1)ストリーミング販売
・上祐代表の講話
・ヨーガ行法(各種)
2)物品販売
・DVD(講話、瞑想音楽、行法、聖地)
・法具各種
3)占星術鑑定
②今後の勧誘活動に関する理念・方針
上記のHPを通した活動に関連して、今後の被処分団体の勧誘活動に関する基本的な理念・方針は以下の通りである。
まず、基本的な精神としては、オウム時代のように、会員・出家者として人々を支配するのではなく、団体が、会員に限らず、一般の方を含めた多くの人々に奉仕するという精神を重視したいと考えている。
具体的には、まず、組織化を最優先せず、無理な勧誘はしないこと。逆に、一般人も見ることができるインターネットを活用し、できるだけの教えや修行法を公開し、それを見た者の中で自然な形で会員になり道場に通いたいと希望する者がいれば受け入れるという形を考えている。
次に、新しく関心を持つ者に、被処分団体の過去の素性を明らかにすることである。すなわち、新しく被処分団体に関心を持つ者について、被処分団体が事件を起こしたオウム真理教を脱会した元信者が主体となって作った団体であることを知った上で団体とのかかわりを形成するように、HP上に、オウムの総括やその後の改革の取り組みといったコーナーを設けている。
この方針に沿って、現在は、オウム・アーレフで行っていたような団体に関する一方的な宣伝となる不特定多数の住居への宣伝ビラを配布していない。
さらに、インターネット上はもちろん、現実の非会員との接触の場においても、当該非会員の勧誘を決した時点で、直ちに被処分団体構成員としての身分や、被処分団体がオウム真理教の後継団体たるアーレフの脱会者が中心になって構成された団体であること、一連のオウム事件を反省総括していること等を当該非会員に自ら明かすべきことを、内部規定により定めている(甲A33)。
(2)オウム問題の総括・教訓の公表や、相談受付
被処分団体では、オウム真理教時代の過ちの総括を掲示し、過ちの実情とその原因をできるだけ分析し、自分たちなりに考えたそれらの問題の解決方法をHPにおいて一般に公開し、二度とオウムのような過ちが起きないようにするための奉仕としたいと考えている。
前記の団体としての総括も、公式HPに掲示されている。また、今後は、他の役員・指導員の個人総括も掲示していく予定となっている。
これが、一連の事件に至ったオウム真理教の教義をいまだに信仰していたり、完全には抜けきれずに精神的な葛藤を引きずって苦しんだりしている、アーレフの現役信者や元信者が、そこから脱却していくための手助けとなればと考えている。
今現在もすでに、サイトを見た元信者などから、"オウム"から抜けるための相談などが来ることがあり、それに対応している。
9 旧オウム教材の破棄作業
これまで繰り返し述べてきたとおり、被処分団体では、松本による著作をはじめとする旧教材は、一切使用していない。
すでに当団体の前身であるアーレフ代表派時代の2006年11月以降、順次、旧教材の使用を停止するとともに、それらを回収・破棄して、現在、専従(出家)会員は、その一切を破棄し終えている。
そのため、現時点で、被処分団体施設内からは、旧教材はすべて除去されている。
また、自宅等で一般の生活を営む非専従(在家)会員に対しては、現在、その破棄を推奨・指導し、破棄が進行中である。
まず以下に、専従会員による破棄の経緯について述べる。
(1)専従会員による旧教材破棄作業
①破棄作業の経緯
◎2006年11月の専従会員の全体会合で、専従会員を対象として、以下の事項等を決定。
○松本の著作をはじめとするオウム・アーレフが作成した教材、写真そ
の他の修行用具は、その全てを破棄する(アーレフ代表派が、その理
念に基づいて独自に作成した教材は除く)。
○立位礼拝やマントラ等の旧来の修行法も廃止し、独自の新たなものに
改める。
○破棄決定した旧教材・修行を保持・実行するなどの規律違反を犯した
専従会員に対しては、事情に応じて、訓戒・降格・除名等の処分を行
う。
○これら旧教材の破棄は、2007年2月末までの完了を目標とする。
◎2007年2月末までをもって、専従会員全員が、それぞれの受け持ち範囲の旧教材を破棄完了した。
◎直後に、法務部門等の専従会員が、各施設を巡回して、旧教材の破棄漏れがないか検査した。
〔その後、2007年3月7日にアーレフ脱会、同年5月5~7日に被処分団体「ひかりの輪」設立〕
◎2007年5月10日の公安調査庁の立入検査の結果、各施設から破棄漏れ旧教材が確認される(被処分団体もアーレフと同じく麻原関連物件を「保管」していたと公安調査庁が発表、マスコミ報道される)。
◎それを受けて、専従会員各人が、再度、同年7月下旬までに、自分の受け持ち範囲を検査して、破棄漏れが残っていないかをチェックした。
◎広末法務部長を長とする数名からなる専門検査チームを結成して、7月22日から27日にかけて、全国施設を巡回し、個人の私物に至るまで詳細に、破棄漏れがないかチェックした(第1次巡回検査)。
◎破棄漏れ根絶のため、さらに、専門検査チームが、7月28日から8月8日にかけて、全国施設を巡回、検査した(第2次巡回検査)。
◎専従会員各人が、8月16日から19日にかけて、それぞれの受け持ち範囲を再チェックした。
◎上記専門検査チームが、さらに、9月以降から全国施設を巡回、検査した(第3次巡回検査)。
◎2007年12月18日の専従会員の会合で、これまで破棄除外されていたアーレフ代表派作成の教材も原則的に破棄する方針を決定した。
◎2008年3月上旬までに、アーレフ代表派の教材も、専従会員各人が破棄完了した。
専従会員に対しては、以上の通りの徹底的な破棄作業を進めてきた。
②立入検査での調査結果も破棄を証明
公安調査庁の立入検査によっても、旧教材の破棄が徹底してなされていることが客観的に証明されている。
上記の通り2007年5月の立入検査の際に、破棄漏れ旧教材が複数確認された。公安調査庁は、被処分団体が旧教材を「保管」していた旨を発表したが、調査の結果、すべて担当専従会員の見落としによる破棄漏れだったというのが実状である。
専従会員の多くは、オウム真理教以来、十数年間もの出家生活を送ってきており、その間、オウム・アーレフから配付された教材は膨大な量にのぼっており、細かいものを合わせれば、多い者で数百点程度所持していたものと見込まれる。
教材類の中には、すぐ目につく大きさの書籍だけではなく、手の中に収まってしまうような小さな写真やシール、バッジ、手のひらサイズのコンパクトで薄い冊子、1枚だけのペーパー等も多数あり、そうしたものが十数年間の生活の中で、あちこちに深く紛れ込んでしまっており、本人も失念しているパターンが多い状況であった。
同様のことが、パソコン上のデータにも当てはまり、本人も認識していないようなフォルダに入り込んでしまっているケースが全てであった。
これまで何点かの破棄漏れ教材が公安調査庁によって確認された背景には、そうした事情もあった。
そのため、上記2007年5月の立入検査以降、被処分団体では各施設での破棄漏れ排除作業をさらに強化・徹底していったが、公安調査庁はそれに歩調を合わせるかのように、同年7月以降現在に至るまで、被処分団体の施設等の全てを徹底して立入検査していった。
その検査は、施設の大きさに比して多人数で10時間以上にわたる大がかりなもので、しかも絨毯をはがしたり、衣装ケースの服を全部取り出したり、天井裏をのぞいたりしてチェックする等の、これまでにない極めて厳しいものとなった。
そのような厳しい検査の結果、次のことが明らかになった(それぞれ、以下の支部名の後の日付は、立入検査日)。
◎以下の6拠点では、旧教材は一切確認されなかった。
・福岡アパート〔九州地区担当のスタッフ居住場所〕(07/07/13)
・横浜支部(07/11/01)
・大阪支部(07/11/15)
・仙台支部(08/01/18)
・(新)横浜支部(08/07/23)
・(新)大阪支部(08/07/23)
◎残る以下の3拠点では、旧教材が確認された。
・小諸支部(07/10/19)
・船橋支部(07/11/29-30)
・本部(07/12/19-20)
ただし、上記3拠点で確認された旧教材については、
・計4名のスタッフが、ほぼ1点ずつ見落とし、破棄漏れ
・計2名のスタッフが、1点ずつ、破棄対象外の教材と誤解し残置して、結果として破棄漏れという状況であった。
以上により、公安調査庁の立入検査の結果、次のことが判明したといえる。
◎当初は五十数名の専従スタッフ全員が、各々、多くて約数百点ずつの旧教材を所有・管理していたが、上記の検査時までには、6名のスタッフがほぼ1点ずつ破棄漏れ教材を所有・管理しているにすぎない状態となっていた。
◎当初はコンテナ倉庫いっぱいになるほどの、軽く万単位となる膨大な量であった旧教材が、上記の検査時までには、少なくとも数点ほどとなるまでに破棄されていた。
このことから、被処分団体施設内における専従会員を対象とした旧教材破棄は全面的に完了しているといってもよい状態であることが、公安調査庁によって客観的に明らかにされたといえる。
なお、いつどこでどのような破棄漏れ旧教材が確認されたのか、公安調査庁がホームページで立入検査結果をどのように発表しているのかという点については、その詳細を『ひかりの輪公式サイト』の「改革の取り組み」のコーナーの中の「旧教材の破棄」で公開している。
③破棄漏れ責任者への処分の実施
これまで、上記の破棄漏れ旧教材を過失により所有または管理していたスタッフや、同スタッフを監督する立場にあった幹部スタッフ計18名に対しては、訓戒または減給の処分を行い、団体内にその事実を公表して、その過失を厳しく戒めてきた。
(2)非専従会員による旧教材破棄作業
次に、非専従会員による旧教材破棄作業について以下に記す。
①破棄作業の経緯
まず、昨年夏(2007年8月以降)から、非専従会員に対して旧教材破棄を呼びかけ始めた。
破棄作業は、会員が個人的に行っていますが、団体としても行っている。例えば、昨年9月と10月の被処分団体のセミナーにおいて、皆で、教材を焼却する儀式を行った。
その後は、再び、個別に非専従会員に対応して、破棄を推奨している。
本年3月に入ってアーレフ脱会1周年を機として、改めて、全国の非専従会員に教材破棄の推進を行い、団体として文書を作成して、会員用のHP等にも掲示している。
さらに本年4月からは、団体を挙げて破棄を奨励するために、破棄を行った会員には特別な法具の授与を開始した。
このような指導の中では、教材の全面破棄を推奨しつつも、直ちにそうできない場合は、部分的な破棄も推奨している。その場合、特別教材(松本個人崇拝に直結するもので、例えば、松本を拝むための松本の写真や、松本の「霊的エネルギー」を得ることができる等とされた瞑想法や物品)の破棄や、いわゆるヴァジラヤーナ関係の書籍について、そのリストを示すなどして、優先的に破棄する指導を行っている。
②非専従会員の破棄は、強制ではなく、自発的な意志を原則に行っていること
非専従会員の旧教材の破棄は、原則として、専従会員と違い、その自発的な意志によるものとしている(すなわち、団体としては、その入会の条件として破棄を強制・義務づけることはしていない)。
その理由としては、
①被処分団体の非専従会員は、在家信者的な立場ではあるが、同時に、通常の営利企業に例えれば、団体にとっては顧客のような立場でもあり、旧教材を含めたその財産は、全くの私有財産であり、価格が相当なものもあるという法律的な問題。
②仮に破棄を義務化しても、実際に破棄したかどうかを確認する方法がなく、本当に破棄した者と、虚偽に破棄を報告する者との間で、不公平が生じる恐れがあるという実行上の問題。
③アーレフから被処分団体に移る過程にある者(すなわち"脱麻原"のプロセスが進行中の者)については、最初から旧教材の破棄を義務づけるならば、アーレフに逆流させる恐れがあり、ひいては、オウム問題の解決に逆行するという問題。
などがあるので、ご理解を願っているところである。
③教材破棄の推奨状況
公安調査庁に報告している非専従会員の中で、教材破棄の進度は個々の会員によって違うため、進度別に分類すると以下の通りである(本年7月10日段階:非専従会員総数120名)。
◎すべての教材を破棄した者 58名
◎一部の教材を破棄した者 38名
(破棄した教材の割合〔平均値〕:58%)
◎全く破棄していない者 22名
◎その他連絡が取れない者 2名
こうして、非専従会員による旧教材破棄作業は着実に進展しているが、今後とも、いっそう努力していく所存である。(以上、甲A34)
10 オウム事件被害者への賠償支払いと財務状況
被処分団体では、オウム事件への経済的な償いとして、事件被害者への賠償に取り組んできたので、以下に述べる。
(1)これまでの賠償実績と本年の予定
被処分団体では、毎年最低でも800万円の賠償金を支払うことを目標に定め、オウム真理教破産管財人に約束し、努力してきた。宗教団体アーレフから会計が独立したアーレフ代表派時代以降、現在に至るまでの賠償金の支払い額は、以下の通りである。
・2006年 9月20日 400万円(アーレフ代表派として初)
・2007年 1月29日 200万円
・ 同年 3月 5日 200万円
(この間、5月に、ひかりの輪設立)
・ 同年 6月13日 200万円(ひかりの輪として初)
・ 同年 9月26日 200万円
・2008年 3月20日 200万円
・ 同年 7月 9日 200万円
――――――――――――――――――
計 1600万円
上記の通り、昨年は800万円を支払うことができたが、本年もその予定である。なお、800万円の年間目標値が決まった経緯は、以下の通りである。
すなわち、宗教団体アーレフは、2005年9月の賠償契約改定時に「1年間に最低4000万円を支払う」ことを破産管財人に約束したが、その後、前記の通りアーレフ代表派はアーレフ内から異端視されたため、アーレフの会計から切り離され、独自に賠償金の支払いをすることとなった。
そこで、賠償金の負担分担比率を決めるべく、アーレフを実質的に運営していた反代表派に話し合いを申し込んだものの、断られたため、やむなく自ら分担比率を決めることとした。
当時の代表派と反代表派の会計規模の比率を、資料に基づき1:5と推定した上で、代表派の支払い分担率の目標を上記比率よりも少し多めに見積もって1:4とし、つまり全体の20%を負担していく方針とした。
4000万円×20%=800万円 という目標値が定まったのは、このような経緯による。
もちろん、800万円を支払えばそれでよいというものではなく、できるだけそれを上回るだけの努力を重ねていく決意であることは、いうまでもない。
(2)被処分団体の財務状況
なお、以下に、賠償の基礎となる当団体の財務状況について述べておく。
①ひかりの輪とSPSC有限責任事業組合、ならびに専従会員の家計
ひかりの輪とその関連団体、および、それに所属する専従会員に関連した会計・家計は、経理上、以下のとおりに分類される。
①任意団体 ひかりの輪(法律上は人格なき社団)
経理上は、ひかりの輪に対する寄付・布施を処理するもの。
②SPSC有限責任事業組合
ひかりの輪の活動に付随する物品やサービスの販売(収益事業)を処理するもの。
これに加えて、その他の金の動きとして、専従会員の個人の収支を扱う家計がある。
②ひかりの輪とSPSC有限責任事業組合の資産状況
①ひ か り の 輪 2007年12月31日現在
総資産 20,162,567円
負債 9,044,787円
純資産 11,117,780円
(ひかりの輪の決算報告より作成)
②SPSC有限責任事業組合 2007年9月30日現在
総資産 13,607,973円
負債 4,521,337円
純資産 9,086,636円
(ひかりの輪の決算報告より作成)
③専従会員の個人の収支を扱う家計 2008年7月1日時点
総資産 7,510,470円
(家計の経理帳簿より)
③厳しい財務状況の実態
ひかりの輪、SPSC有限責任事業組合、および専従会員の家計を総合した収支状況については、記者会見でも概略図(甲A38の資料④)を添付して発表している。ここにおける収入は、ひかりの輪の宗教活動による一般会員の布施や支払いによる収益と、専従会員の外部就労による収益である。
一方、支出については、賠償支払いに加え、団体および個人の家賃や活動費、50人ほどの専従スタッフの生活費などが含まれている。
特に、支出の中で、家賃経費は4割近くに及ぶが、これは、被処分団体を取り巻く社会環境の厳しさのため、家賃が割高になる傾向があるからである。
このように、一定の収入はあるものの、相当の支出があり、団体の財務状況は非常に厳しい状態にあるが、被害者賠償は何としても継続していく所存である。
(3)団体財務の情報開示努力
ひかりの輪やSPSCは、その税務申告を適法に履行している。
また、公安調査庁には、その納税申告関係資料に加えて、団体の帳簿の写しを任意提出しており、観察処分を行う官庁に対する最大限の情報開示に努めている。
さらに、専従会員の(個人資産の)家計についても、情報開示を予定している。ひかりの輪の専従会員は、団体から受け取る給料、外でのアルバイトなどの個人所得によって、日常生活を営んでいる。そして、共同生活を営む関係上、いわゆる一般家庭でいう家計を共有しており、相互に生活の扶助をしている。今後は、この部分の金銭の動きについても、たとえば生活扶助組合の形に整えて、関係機関に情報開示する予定である。
(4)経費削減努力(賠償資金を生み出すための努力)
専従会員一同、毎週の全体会合などで、さまざまな経費削減の呼びかけを行い、継続的な努力をしている。
また、最大の経費支出が家賃経費であるため(全体経費の4割ほど)、その圧縮に全力で取り組んでおり、
①現在よりも安価な賃貸物件があれば移転すること(大阪道場が本年6月に移転)、
②家賃数年分に相当する廉価な物件があれば、非専従会員などの融資を受けて購入すること(昨年の仙台道場や本年3月の名古屋道場など。ただし団体に法人格がないため、専従会員個人が取得し、団体に賃貸)
などを行った。
今後とも、家賃以外の経費の節減を含め、最大限の努力をなし、賠償資力を確保したいと考えている。
なお、被処分団体の聖地巡礼セミナーについて賠償と逆行するのではという批判が一部にあるが、前記のとおり、①会員が支払う参加料金による収益は重要な賠償資力であり、②巡礼が会員のオウムの宗教観からの脱却に重要であり、③セミナーの運営経費の圧縮にも全力を尽くしているという事情を説明して、理解を求めているところである。
(5)今般制定された賠償新法案について
オウム事件の被害者救済については、本年6月に「オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律」(平成二十年六月十八日法律第八十号)が制定されたが、本法の施行により被処分団体の賠償金の支払対象が破産管財人から国に変わることがあっても、被処分団体としては引き続き支払いの努力を続けていく所存である。
11 社会に向けての情報公開等
被処分団体では、活動の透明化によって、社会の不安や不信を除去するため、以下のような情報公開等を各方面に対して実施してきた。
(1)地域住民に対して
被処分団体の施設および構成員の存在に強い関心を示している本部(東京・世田谷)と大阪支部(本年7月に大阪市西成区から同市中央区に移転)の近隣の地域住民に対しては、次のような情報公開を行ってきた。
①本部(東京・世田谷)
A.情報公開努力
昨年5月の被処分団体発足以降、本部建物の同居住民(GSハイム烏山管理組合)や、近隣の複数の住民組織(「 烏山地域オウム真理教(現アレフ)対策住民協議会」「世田谷区をオウムから守る会」)に対して、上祐はじめ幹部構成員が、本部等において、被処分団体に関する説明会や本部施設公開等を行うとともに(甲A15、A16)、団体の新しい教材や資料を逐一提供してきた。
また、本部建物の同居住民に対しては、日頃から、本部における主な団体行事等の活動状況について、定期刊行物のDVDや文書資料の提供または口頭をもって、継続的に情報提供し、理解を求めている(甲A35)。
B.生活規定による共存努力
本部建物の一般同居住民は被処分団体の上階に居住していることから、生活上の迷惑をかけず共存できるよう、被処分団体の構成員は日々努力している。
具体的には、「騒音・振動をたてない」「夜間の出入りを静かにする」「上階の廊下に立ち入らない」「本部で行事がある際は事前に住民の皆さまに連絡する」等の生活規定(甲A36)を被処分団体で自主的に制定し、本部に出入りする構成員に遵守させている。また、生活規定は、一般同居住民にも提供し、その説明会を開いた上で、遵守を公に約束している。
②大阪支部
大阪支部周辺の住民組織に対しては、団体の概要、および活動内容や過去の総括に関する詳細な資料を提供し、要望等に関しては、その都度文書や口頭で回答している(甲A37)。
また、ある住民関係者には、団体の行事等にいろいろと参加していただいている。
(2)公安調査庁等の当局へ
①観察処分への協力
団体規制法に基づき被処分団体を観察処分下においている公安調査庁に対しては、同法に基づく定期報告を3カ月ごとに実施するとともに、随時、立入検査を受け入れている。
もっとも、被処分団体は、後述するように、観察処分対象とされる「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め,これを実現することを目的とし,同人が主宰し,同人及び同教義に従う者によって構成される団体」には当たらないものと考えているが、被処分団体としては、観察処分の基盤にある国民の不安感の解消こそが最重要課題であると十分認識しており、また新団体として完全に変わりきるためには客観的な第三者の視点・評価を尊重すべきと考え、定期報告の実施と立入検査の受入れをしている。
定期報告については、法律に基づき、全会員の住所・氏名、当団体が活動に使用している土地・建物の住所、建物の内部見取り図、現金・預貯金・自動車等の資産、当団体の意思決定の内容などを正確に報告するよう心がけている。
②任意での協力
定期報告以外にも、旧教材破棄等の重要事項については、適宜進んで報告しているとともに、当団体の新しい教材も随時任意で提出してきた。
また、公安調査官から任意提出を求められた物件(経理帳簿等)の提供に応じるなど、協力をしている。
その他、役員をはじめとする幹部構成員は、日常的に、公安調査官からの調査要請に対して協力するよう努めてきた。
同様に、オウム事件の逃走被疑者追跡捜査等を行っている警視庁等の捜査機関に対しても、捜査協力要請があれば、適宜協力するなどして、必要な情報提供を続けてきた。
(3)一般市民へ
一般市民に対しては、前記で述べたインターネット上のサイトを用いて、広範な情報提供に普段から努めている。今後とも内容を充実させ、質量ともに情報提供を向上させていく所存である。
また、電話やメール等での問い合わせに対しても、適宜答えている。
(4)報道各社へ
報道各社に対しては、随時、広報部が、電話・メール・面会等で取材要請に応えてきた。
また、アーレフ脱会後から現在に至るまで計4回の記者会見を開き、上記に述べてきたような団体の方針や活動内容を仔細に報告してきた(甲A11、A14、A38、A39)。今後も記者会見を定期的に実施し、情報提供を強化していきたいと考えている。
12 継続的な自浄努力(最新の改革努力)
被処分団体では、上記に述べてきた一連の改革、すなわち、あらゆる面におけるオウム・アーレフからの脱却を継続的に実施し、常に自浄努力を行ってきたし、現在も進行中である。
それは以下の通りである。
(1)公安調査庁への教材等の提供と指導要請の継続
公安調査庁は被処分団体の教義に関して「麻原の説く教義を内包」しているとしており(『平成20年版 内外情勢の回顧と展望』)、アーレフ代表派時代からも同旨の発表をしてきた。
被処分団体としては、前記の通り旧教材破棄を自主的に進め、松本独自の教義の排除にも努めてきたところであるが、第三者の観点も参考に導入した上で、それらをより徹底して進めるべきと考えた。
そこで、これまで被処分団体は、公安調査庁に対して、被処分団体の教材を任意提出した上で、被処分団体の教義・教材・活動等において、とりわけ松本の影響力の排除という観点から必要な指導をいただけるよう重ねて要請してきた。その要請は、文書で5回にわたっており(甲A10、A13、A40、A41、A42)、被処分団体法務担当者が公安調査庁に出頭した際にも口頭で少なくとも1回行っている。
しかし、現在のところ公安調査庁からは全く何の回答も指導もない。
被処分団体実施の記者会見に出席した報道関係者によれば、当該報道関係者が公安調査庁担当者に対して「ひかりの輪は麻原の影響をどのように受けているのか」と質問した際、当該担当者は「それを明かすことはできない。それを明かすと、"手の内"を明かすことになるから」と述べたという。
もしこれが真実であるとすれば、公安調査庁は無差別大量殺人行為の再発を防止するという責務を果たさず、単に観察処分の継続を目的としているものといわざるをえず、すなわち巷間いわれる公安調査庁の"権益"の保全を優先しているとの謗りも免れず、大変遺憾であるというほかない。
こうして被処分団体は、公安調査庁の力も借りつつ自浄努力を進めようとしてきたが、それが事実上不可能な現状であるので、あえて今回、貴委員会に対して本件申立てを行ったという次第である。すなわち、貴委員会という準司法機関における公正な審査手続の中において、被処分団体の問題点が被処分団体に明らかにされれば、被処分団体はそれを参考に、さらなる改革、自浄努力を行うことができるからである。
この観点からも、貴委員会においては、被処分団体に対して必要な助言・指摘・指導等の措置をいただければ幸いである。
(2)反省と総括作業の継続・深化
すでに先にも述べたように、被処分団体では、オウム・アーレフ時代の総括作業を団体として、また各個人として行ってきたところである。各個人のうち役員や支部長等の指導員については、すでに、その全員が各人の視点からの総括文を完成させている(甲A20~A32)。
なお、役員の一部については、本年5月頃に被処分団体公式HPに、その時点での総括文を掲載したが、総括の内容がまだまだ不十分との外部識者等からの指摘もあったため、これを謙虚に反省し、さらに総括を深めた。具体的には、
①5月~8月にかけて、役員・指導員が集まっての総括会合を繰り返し実施した。
②7月までの団体の総括(甲A3、A4)の中で、宗教的な観点からの総括を深めた。
③8月までの団体の総括(甲A5)の中で、心理学的な観点からの総括を深めた。
④これと並行して、各人は、外部ジャーナリストが執筆した松本の青少年期の問題点についての著書(『麻原彰晃の誕生』高山文彦著・文春文庫刊)などを読み込み、宗教的・心理学的観点からの総括の参考とした。
⑤上記の作業を通じて、各人が宗教的・心理学的総括を深め、本件申立てに至るまでの間に、さらに各人の総括を深めて今回の提出に至った。
というプロセスを経た。
このように、被処分団体における総括は、現在に至るも進行中であり、今後もさらに深め続ける予定である。これも被処分団体における継続的な自浄努力の一環である。
よって、貴委員会におかれては、過去の一時点での総括等のみを判断材料とせず、こうした被処分団体の継続的努力を踏まえて判断されることを要望する。
(3)内部調査(非専従会員へのアンケート)の実施
被処分団体における改革努力において、その不足点等を客観的にチェックしながら進めていくために、非専従会員へのアンケート調査を行って改革に反映させていくという自浄努力を続けている。
以下は、本年3月中旬から4月頃にかけて、全国各支部で、非専従会員本人が記入する形で行ったアンケートの結果である。回答者総数は86名である。
①アンケートの内容と結果
質問① あなたが知る限りにおいて、ひかりの輪が昨年5月に設立されて以来、その指導員から、松本氏(オウム真理教の元教祖)の教材を用いた修行の指導を受けたことがありますか?
(昨年5月以前の旧団体アーレフでの指導については質問の対象外ですのでご注意ください)。
1,はい 0名
2,いいえ 86名 100パーセント
質問② あなたが知る限りにおいて、ひかりの輪が昨年5月に設立されて以来、その専従スタッフ(出家修行者)が松本氏の教材を用いた修行を行なっているのを見たことがありますか?
(旧団体アーレフの時代は質問の対象外ですのでご注意ください)。
1,はい 0名
2,いいえ 86名 100パーセント
質問③ あなたが知る限りにおいて、ひかりの輪が昨年5月に設立されて以来、その指導員から、松本氏を神格化・絶対化・崇拝の対象とするような修行の指導を受けたことがありますか?(旧団体アーレフの時代は質問の対象外ですのでご注意ください)。
1,はい 0名
2,いいえ 86名 100パーセント
質問④ あなたが知る限りにおいて、アーレフ代表派の時代から今日のひかりの輪に至るまでの間、上祐代表をはじめとするその指導員から、松本氏の絶対性を否定する(相対化する)講話・指導を受けたことがありますか?
1,複数回ある 86名 100パーセント
2,一度はある 0名
3,全くない 0名
質問⑤ あなたが知る限りにおいて、ひかりの輪が昨年5月に設立されて以来、その指導員から、松本氏らの関与が裁判で認定された一連の事件について、松本氏らの関与を明確には認めなかったり、関与を否定したり、ないしは関与は認めても事件自体を正当化したりするような指導を受けたことがありますか?
(旧団体アーレフの時代は質問の対象外ですのでご注意ください)。
1,はい 0名
2,いいえ 86名 100パーセント
質問⑥ あなたが知る限りにおいて、アーレフ代表派の時代から今日のひかりの輪に至るまでの間、上祐代表をはじめとするその指導員から、松本氏らが事件に関与したことを認めて、それを反省するべきである、といった内容の講話や指導を聞いたことがありますか。
1,複数回ある 83名 97パーセント
2,一度はある 3名 3パーセント
3,全くない 0名
質問⑦ あなたが知る限りにおいて、ひかりの輪が昨年5月に設立されて以来、その指導員から、上祐代表ないしは他のひかりの輪の指導員を、オウムの松本氏の場合のように神格化・絶対化・崇拝の対象とするような修行の指導を受けたことがありますか?
(旧団体アーレフの時代は質問の対象外ですのでご注意ください)。
1,はい 0名
2,いいえ 86名 100パーセント
質問⑧ あなたが知る限りにおいて、アーレフ代表派の時代から今日のひかりの輪に至るまでの間、上祐代表をはじめとするその指導員から、上祐代表や他のひかりの輪の指導員の絶対性を否定する(相対化する)講話・指導を受けたことがありますか?
1,複数回ある 5名 6パーセント
2,一度はある 81名 94パーセント
3,全くない 0名
質問⑨ あなたは、ひかりの輪の指導員から、もしオウム教団の教材を持っていれば、それを破棄するように勧められたことがありますか?
1,複数回ある 77名 90パーセント
2,一度はある 8名 9パーセント
3,全くない 1名 1パーセント
(※全くないとした1名は、いわゆる新人で、オウムの教材を所有していません)
質問⑩ あなたは、オウム教団の教材を破棄したことがありますか?
1,全て破棄した 31名 36パーセント
2,一部破棄した 39名 45パーセント
3,全く破棄していない 16名 19パーセント
質問⑪ あなたは、「ひかりの輪は"麻原隠し"の恐れがある」という公安調査庁の主張・疑惑についてどう思いますか(どれか一つではなく、矛盾しない限り、複数の回答に丸をつけていただいても結構です。ここで言う「麻原隠し」とは、団体が裏では以前の通り松本氏を絶対としつつ、表では松本氏を否定し、その教材を破棄している、といったような主張です)。
1,誤解であり、早期に、公安調査庁が実態を把握することを期待する
54名 63パーセント
2,誤解であるが、誤解が解けるように、団体側も改善努力をすべきである
65名 76パーセント
3,誤解であるが、一部には団体側に、誤解を与えるような行為もあるのではないか
11名 13パーセント
4,ほとんどは誤解であるが、一部は誤解とは思えない部分もある
0名
5,誤解ではなく、公安調査庁は正しいと思う
0名
(※3について、団体側に誤解を与えるような行為があるのではないか、という声については、当該会員が誤解している点は、それを説明し、一方、団体側に改善すべき点があると思われた件(2例)は、改善の措置をとった。詳細は後述する)
質問⑫ 全体的に見て、ひかりの輪の教えや修行は、オウムの教えや修行と変わったと思いますか。※どれか一つではなく、矛盾しない限り、複数の回答に丸をつけていただいても結構です。
1,オウムとは、全く違っている、と思う 31名 36パーセント
2,多くの点で、オウムとは違っている、と思う 55名 64パーセント
3,多くの点で、オウムとよく似ている、と思う 4名 5パーセント
4,オウムとほとんど変わらない、と思う。 0名
(※上記の3番を選択した4名については、その選択の具体的な理由は以下の通りなので、基本的に問題はないと判断した。
①伝統的なヨーガ・仏教の修行は変わらないから
②教義は違うが形は似ているから
③仏教の基本的な教えは同じだから、
④最近は改善されたが、以前多くの点でオウムとよく似ている点があった
と思った時があったから)
②アンケート結果に基づく改善措置
被処分団体においては、このアンケート結果をもとにして、さらに改善措置をとった。
すなわち、質問⑪「あなたは、『ひかりの輪は"麻原隠し"の恐れがある』という公安調査庁の主張・疑惑についてどう思いますか」との問いに対して、「誤解であるが、一部には団体側に、誤解を与えるような行為もあるのではないか」との回答を選択した非専従会員に対して、その根拠を尋ねてみたところ、ほとんどが会員側の誤解であり問題はなかったが、以下の2例については、団体側にも改めるべき事実があると判断した。
例① スタッフの一部に、現アーレフの幹部や松本氏の家族について、第三者から見ると、尊称を用いて呼んでいるように感じられるケースがある。
例② 役員の中に、過去に、被処分団体に至る流れは、「グル(松本)の意思」と受け取れる発言をする者がいた。
このうち例①について、当該発言をした者に事情を聴いたところ、アーレフにおいては日常的に、同団体が与える宗教名(例えば「ヴァジラティクシュナー正悟師」等)を使っていたため、彼らの本名を知らなかったり、思い出せなかったり、また、そうしなければ会話の相手も誰のことかわからないと考えたりしたため、以前の呼称を用いてしまったところ、尊称を用いて呼んでいるように思われたということがわかった。
これについては、代表役員から当該発言をした者を含め、非専従会員指導担当の全専従会員に取りやめるように注意を行うとともに、仮に同団体の宗教名を用いなければ会話の相手も誰のことかわからない場合があっても、「『ヴァジラティクシュナー正悟師』こと野田成人氏」といった具合に、本名を用いることを忘れず、尊称で呼んでいると思われないようにと助言した。
次に例②について調査したところ、すでに第2の3の(13)「反代表派の批判・攻撃に対して松本の説法等を使ったことの反省」(19ページ)で詳しく述べたように、アーレフ代表派時代の過去の発言であった。
それは、アーレフ代表派時代に中間派等を説得するために危険性のない松本の説法を引用しつつ、「代表派の活動は松本の教えに反するものではない」という趣旨の主張を展開した際、全体から見れば少数ではあるが、代表派のメンバーの一部において、反代表派の考え・実践・やり方には強く反発しつつも、松本への依存は依然として深い者たちの中で、「代表派の考え(こそ)が、松本の意思である」といった主張にまでエスカレートする場合もあったことから、こうした過去の発言に基づくものであった。
そこで被処分団体では、こうした誤解を与えかねない言動をしないよう、あらためて当該役員に注意し、役員同士で同旨申し合わせを行った上、最近では、団体として誤解を根絶する正式な見解と規定(オウム真理教元教祖・松本智津夫の位置付け等に関する規定)を採択し、念のために規定には違反者への罰則を設けた(甲A9)。
以上の通り、被処分団体では、公安調査庁や貴委員会の助言・指導、外部ジャーナリストの見解、非専従会員の声等を聞きながら、改革のための自浄努力を今現在も続けているのであり、貴委員会にはこの点を踏まえたご判断を切に要請したい。
13 被処分団体の変化を証言する非専従会員等の声
これまで述べたような諸々の改革を通じて、被処分団体がオウム・アーレフから大きな変貌を遂げて、より健全な団体になったということが、多くの非専従会員・一般人から寄せられている。その一例をまとめて、記者会見の際にも発表している(甲A38の資料②、甲A39の資料②)。また被処分団体の公式サイトでも公表している。
第4 被処分団体は本件処分の対象団体には該当しないこと
以上に述べた事実に照らせば、被処分団体は、本件処分の対象団体には該当しない。その詳細は以下に述べるとおりである。
1 観察処分取消訴訟判決における解釈基準
観察処分の適用を継続するに当たっては、現時点において、被処分団体に「具体的な危険」が存在するかどうかが検討されなければならない。
この点については、観察処分取消請求訴訟判決(甲A43)の中で、東京地裁が、「信教の自由等の制限が許されるためには、当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するという一般的、抽象的な危険があるというだけでは足りず、その具体的な危険があることが必要」であり、「当該団体が再び無差別大量殺人行為の準備行為を開始するとの点についての具体的危険すら存在しない場合には、観察処分を行うことは憲法に違反するといわざるを得ない」と述べているところである。
したがって、本法5条1項各号の解釈については、単に文言をそのまま解釈するのではなく、無差別大量殺人行為に及ぶ「具体的な危険」が存在するかどうかが検討されなければならない。
右観点から、東京地裁は、例えば本法5条1項1号乃至3号について、次のように解釈すべきだとしている。
すなわち、1号の「首謀者の影響力」については、純粋に宗教上の影響力だけでは足りず、「首謀者が、将来、再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力」を有していることが必要であるとしている。
2号については、当該無差別大量殺人行為に関与した者が、単に当該団体の役職員又は構成員であるというだけでは足りず、「松本の指示又は影響力により、又はそれとは無関係に、無差別大量殺人行為の準備行為に着手し得る権限ないし影響力を伴った地位」を有することが必要であるとしている。
3号については、当該無差別大量殺人行為が行われた時に当該団体の役員であった者が、単に現在も役員であるというだけでは足りず、「再び松本の指示により、又はその指示とは無関係に、無差別大量殺人行為に着手し得る権限ないし影響力を伴った地位」を有することが必要であるとしている。
2 無差別大量殺人行為を行った団体に該当しないこと
(1)公安調査庁が主張する被処分団体とオウム・アーレフとの同一性の根拠等
そもそも、被処分団体は、本法第5条本文にいう「その団体の役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」には該当しない。すなわち、被処分団体には、オウム・アーレフとの同一性は存在しない。
公安調査庁において、被処分団体がオウム・アーレフとの同一性を有すると主張する根拠は必ずしも明らかではないが、同庁刊行の『平成20年版 内外情勢の回顧と展望』には、以下の記載が認められる。
「"新団体"の信徒の大多数は『アーレフ』から移行したもので,出家信徒のほぼ全員,在家信徒の7割以上が『地下鉄サリン事件』以前に入信した信徒で占められている。また,従来の出家制度を維持したまま,集団居住を継続し、従前同様, 麻原の説く衆生救済を目的に,教学,瞑想,ヨーガ行法を中心とした修行を実践する......」
また、貴委員会による本件処分決定(平成12年2月1日)においては、アーレフがオウムと同一性を有するとの根拠について、以下の通り示されている。
「①松本の説く教義を広め、これを実現することを共同目的としている点に変わりはないこと、②代表者が一貫して松本であること、③現在の構成員のうち出家信徒約500人以上のほぼ全員と在家信徒1000人以上の半数以上が松本サリン事件以前の加入者であること、④位階、修行体系・形態、出家信徒の生活様式等に特段の変化がないことなどから、同一性を有するものと認められる。」
以上を踏まえた上で、被処分団体がオウム・アーレフとの同一性を有しないことを以下に述べる。
(2)形式的にオウム・アーレフと別団体であること
第一に、被処分団体の構成員は、アーレフを脱会した上で、被処分団体に入会している。
アーレフ代表派の資産については清算し、構成員に分配した上で、また持ち寄り、被処分団体の資産を形成している。
よって、被処分団体は形式的にオウム・アーレフと別団体であることは明らかであり、かつ実質的にも別団体であることは、以下のとおりである。
(3)オウム・アーレフの共同目的を有していないこと
①松本の説く教義を広め、これを実現することを共同目的としていないこと
すでに述べてきたように、被処分団体においては、オウム・アーレフの旧教材を一切使用しないことをアーレフ代表派時代の2006年11月に決定し、専従会員はその一切をすでに破棄している。
被処分団体においては、基本的にオウム・アーレフの教義を採用せず、一般的な仏教・ヨーガの法則を学び直して採用しており、かつ、それ以外にも「基本理念」(甲A1)に記しているように、神道、自然信仰といった伝統的宗教や、心理学や哲学、物理学、社会科学、芸術などを含めた、幅広い分野からたゆまず学び、研究し、盲信をこえた合理的な手段・方法を探し続けており、それを教義としている。
とりわけ、オウム・アーレフの過ちを反省・総括した上で、「(松本を含む)特定の人物を盲信せず、全ての人々に神性を認める」「善悪二元論の妄想を超えた、叡智・思想に基づく実践を行なう」ことを「基本理念」(同)として教義を構成しており、オウム・アーレフにおける危険な教義を積極的に排除している。
そして、新しい教義・教材・修行法を研究・実践しているのも、前記の通りである。
以上の通り、被処分団体には、松本の説く教義は存在しておらず、仮に存在するように見えても、それは一般的な仏教・ヨーガの法則であるからそのように誤認されるだけであり、さらに仮に松本のオリジナルの教義が過失により被処分団体の教義にわずかに混入しているとしても、松本の教義の危険性は被処分団体の教義全体において徹底的・積極的に排除されている(=個人崇拝の禁止等)のであるから、被処分団体が、形式的にも実質的にも松本の教義を広め、これを実現することを共同目的としていないことは明らかである。
②麻原(松本)の説く衆生救済を目的としていないこと
公安調査庁は、被処分団体においても「衆生救済」という趣旨の用語が使用されることがあるためか、同様の用語を使用していた松本との類似性を指摘し、被処分団体においても麻原(松本)の説く衆生救済を目的としているとして、あたかもオウム・アーレフと同様の共同目的を有しているかのように主張している模様である。
しかし、衆生救済(済度)という概念自体は、松本のオリジナルではなく、もともと仏教の伝統的な概念である。特に利他の実践を強調する大乗仏教のみならず、すでに原始仏教の時代から、他者救済は仏教徒が目指す重要な理念・目標・実践徳目とされてきた(甲A44)。
被処分団体においても仏教を重要な実践教義の一つとしているので、当然にこの衆生済度の重要性を述べているにすぎない。
そもそも、松本の説く救済とは、仏教的観点から見ても、極めて異常で、到底救済と呼べるものではなかった。松本は、1987年頃は、世界の全人類をオウムの信者にしてしまうという非現実的・妄想的ビジョンをもって救済とし、1990年代に入ってからは、松本に従わない大部分の人々を無差別にポワ(殺害)するという重大な違法行為をもって救済とするようになったのであり、これは誇大妄想的なプライド・権力欲・支配欲に取り憑かれての魔の所業としかいいようがない。そのような行為が本来の救済と呼べるものでないのは、いうまでもない。
被処分団体においては、仏教本来の衆生救済を志しているのであり、しかもオウム・アーレフ時代の反省に立ち、次のような救済観を有し、構成員に教育している。
すなわち、老子・道教の思想の中に、「衆生の教化は、無為自然の境地によって実現する(成功する)」といった教えがある。衆生済度も、この世界を支配する因果の法則に沿って実現するものだから、「自分たちが人々を救済する」というのではなく、「神仏としての大自然・大宇宙の流れの中で人々は救済される」と考え、被処分団体においては、その流れの「お手伝いをする」という心構えを持つべきである(甲B5の72ページ)。
以上のことから、被処分団体においては、たとえ用語は同じといえども麻原(松本)の説く衆生救済を目的としているとはいえない。
よって、被処分団体においては、オウム・アーレフの共同目的を有していないことは明らかである。
(4)代表者が松本ではないこと
被処分団体においては、当然に松本は形式的にも実質的にも代表者ではない。
すでに何度も述べてきたように、被処分団体においては、オウム・アーレフにおける松本個人崇拝の反省に立ち、松本を含む特定の人物を崇拝することを固く禁じ、松本に何らの特別な地位も与えていないことはむろん、松本の教義・教材も全く使用していない。
むしろ、松本の宗教的な過ちを様々な観点から総括(甲A3、A5)し、被処分団体の公式サイトや記者会見等で広く公表し、松本からの脱却を被処分団体の構成員およびオウム・アーレフの現信者に対して繰り返し教育し、積極的に呼びかけ続けているのである。
また、アーレフを原告とする観察処分取消訴訟の判決においては、東京地裁が2度にわたって、松本がアーレフの役職員または役員であることすら否定している(甲A43、A45)。
以上のことから、被処分団体においては、なおさら代表者が松本でないことも明らかである。
(5)オウム・アーレフの位階は用いていないこと
前記の通り、被処分団体においては、アーレフ脱会と同時に、当然のことながらオウム・アーレフの位階を全く使用していない(なお、宗教名・ホーリーネームも使用していない)。
ところで、オウム・アーレフにおいては、概ね以下の位階が用いられていた。
◎最終解脱者(松本)―――――――尊師
◎大乗ヨーガの成就者―――――――正大師
◎ジュニアーナヨーガの成就者―――正悟師
(マハームドラー)
◎クンダリニーヨーガの成就者―――師
◎ラージャヨーガの成就者―――――スワミまたは師補
◎師補未満の一般出家信者―――――サマナ長、サマナ
この位階は、各ヨーガを順番に成就していくという松本が定めたオウム・アーレフ独自の修行体系に基づく修行進度にともなって、与えられていた。
しかし、被処分団体では、そもそもこのようなオウム・アーレフにおける修行体系を採用しておらず、そのために、それに対応するような上記位階は使用していない。また、オウム・アーレフにおける上記修行の成就を必ずしも評価するものではない。
一方、被処分団体においては、会則上の役職である代表・副代表・役員等の地位、会則の規定はないが部長・副部長・部長補佐などの地位があるが、これらは事務遂行上の役職であって、宗教的位階ではない。本人の事務処理上の能力や人格、識見、精神的安定度等、被処分団体独自の基準で、その地位を与えているものである。
うち、役員や部長については、被処分団体における幹部的地位にあるが、これらを占めるのも、オウム・アーレフにおいて宗教上の幹部(「師」以上)であった者とは限らない。
まず、代表に次ぐ地位の副代表には、師未満だった者1名(広末晃敏)が含まれている。すなわち、師未満であった者が、その地位において、師であったものを逆転している。
次に、12名の役員のうち、オウム・アーレフにおいて「師」未満だった者が2名が含まれている(広末晃敏と山口雅彦)。また、逆に、オウム・アーレフにおいて「師」であった者1名が役員とはなっていない(丸山美智麿)。この点においても、逆転している。
さらに、役員に準じる指導的地位の地方支部長(指導員)として、オウム・アーレフにおいて「師」未満だった者が任命されている(田実恵理子と斉藤友希)。逆に、オウム・アーレフで「師」に次ぐステージ(師補など)であった者多数が、指導員に任命されていない。この点でも逆転している。
今後は、実力主義の自然な結果として、この逆転傾向は自ずと進むと思われる。
このように、被処分団体においては、形式的にも実質的にもオウム・アーレフの位階を使用していないことが明らかである。
(6)オウム・アーレフの修行体系・形態を用いていないこと
上記の通り、被処分団体においては、オウム・アーレフの教材は一切破棄し、その教義に依ることなく、独自の新たな教義に基づく新たな修行体系・形態を構築している。
すなわち、オウム・アーレフにおいては、上記のような各ヨーガを順番に成就していくことにより修行ステージを上げていく(それにともない上記の位階が上がる)という修行体系であったが、被処分団体においては、そのような体系をとっていない。
被処分団体においては、オウム・アーレフにおいて上記のような人間の霊的なエネルギーの強化や活性化のみに力点を置いた各ヨーガ修行が、かつての歪な教団を生み出したと反省・総括している。
オウム・アーレフでは、肉体を酷使する激しい修行を何時間も続けて行ったり、極限の断水断食をしたり、睡眠を限界まで減らして眠らないようにしたりして、深い意識(潜在意識)に一気に入れる修行を行っていた。その状態で、松本への帰依などを中心とした、同じデータを何度も何度も入れるという修行を行っていたが、これは、ある意味で、洗脳ともいえるテクニックだと考えられる。これは身心に悪影響を与えるものであった。
そこで被処分団体では、仏教の基本的な教理の深い理解によって精神的な悟りを得ることを重視した修行を中心的に行っている。むろん、オウム・アーレフのオリジナルではない一般的なヨーガ行法を部分的に採用してはいるが、それはあくまで補助的なものにすぎず、オウム・アーレフのものとは違って、身心に悪影響を及ぼさないように、自然に無理なく段階を追って進めていくものとしている。
しかも、その実践の場も、自然の場や、オウム・アーレフにおいては「外道・魔境」の地とされ忌み嫌われた他宗教の施設や地域でも行っているところが、オウム・アーレフの修行体系・形態と決定的に違う点だということもできる。
(7)集団居住・出家生活様式に変化が見られること
被処分団体において、いわゆる集団居住の出家生活が行われていることは事実である。
しかし、そもそも出家という修行形態は、松本のオリジナルではない。仏教的サンガ(出家修行者集団)の生活・仏教的価値観からすれば、世界的・歴史的に見ても当然の形態であって、同様の形態は、修道院など、キリスト教にも見ることができる。よって、そのことをもって、オウム・アーレフとの同一性の根拠とすることはできない。
また、被処分団体において出家生活をしている者は、全体でも50名と少なく、最大の人員を擁する本部施設(東京・世田谷)においても34名であり(しかも近日中に本部からはさらに10名近くが各地に転出する予定である)、あとは、それ以外の全国6カ所の支部施設に1~数名程度が分散居住しているだけという、オウム・アーレフと比較すれば実に小規模なものとなっている(甲A46)。
さらに、その本部も、オウムのものとは違って、通常のアパート施設に居住する形態となっている(上階には一般の住民が居住している)。しかも、そのうちの大半が外部企業等に就労しており、もはや出家生活というよりは、半分在家の共同生活体に近づいているというのが実情であり、一般的な「寮」に似た様相を呈している。
このように、被処分団体における集団生活とは、オウム・アーレフにおける集団居住・出家生活様式から質量ともに大きく変化しているといえる。
(8)被処分団体構成員がアーレフからの移行者であるとの点について
公安調査庁は「"新団体"の信徒の大多数は『アーレフ』から移行したもので,出家信徒のほぼ全員,在家信徒の7割以上が『地下鉄サリン事件』以前に入信した信徒で占められている」と主張しており、これは概ね事実である。
しかし、そもそも被処分団体構成員の中に両サリン事件に関与した者は多数どころか全くおらず、その大部分が両サリン事件の関与はもとより、一連のオウムの違法行為を知りすらしなかったのであるから、本法の立法趣旨、本条の趣旨に照らせば、上記の事実をもって被処分団体がオウム・アーレフと同一性を有すると主張するのは失当である。
また、被処分団体構成員は、これまで縷々述べてきたとおり、一連の事件への反省に基づき、たゆみない改革を通じて、身心ともにオウム・アーレフから脱却してきたのである。
とりわけ、その精神において松本から脱却してきたことは重視されるべきである。人間は懺悔に基づき改心するものであり、変わりうるものであり、その実質をもって判断されるべきであって、単に過去にオウムにいたからという外形的理由のみをもって過去と同一視することは、法律上はもとより人道上も好ましいものとはいえないというべきである。
以上のことから、被処分団体が「その団体の役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体」に該当しないことは、明らかである。
3 本法5条1項1号要件に該当しないこと
(1)公安調査庁の主張等
被処分団体は、本法5条1項1号要件には該当しない。すなわち、松本が被処分団体の活動に影響力を有しているという事実はない。
なお、前記の通り、ここにいう「影響力」については、純粋に宗教上の影響力だけでは足りず、「首謀者(松本)が、将来、再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力」と解すべきことを前提として、以下に述べる。
公安調査庁がいう、被処分団体の本号該当性についての根拠は必ずしも明らかではないが、前掲『内外情勢の回顧と展望』には、以下の記載が認められる。
「新教材として上祐の説法などを収録した教本やDVDを次々に作成・配付した......新教材にも麻原の説く教義を内包するなど,依然として麻原の影響下にあると認められる。」
「全国各地の神社仏閣など,上祐自ら"聖地"と認定した地を在家信徒と共に訪問し,修行のほか,歌や踊りのパフォーマンスを行う『聖地巡礼ツアー』を実施した。......上祐派は,対外的に"脱麻原"をアピールしたが,前記ツアーは,麻原の従来の修行や勧誘の方法を模倣したにすぎない。」
「(2007年)2月末までにすべての麻原関連物件を破棄したと主張していた上祐派の施設5か所においても,麻原の肖像写真やその説法映像を収録したビデオテープなどが保管されている事実が確認された。」
なお、公安調査庁は、松本の肖像写真が「上祐派の施設」から発見されたことをもって、「上祐派信徒についても,依然として,麻原の影響下にあることは否定できない」としている(2007年5月10日公安調査庁発表)。
これらの記載を踏まえて、以下に本号の不該当性について述べる。
(2)松本の教義を使用していないこと
①現行の教義に松本の教義は使用していないこと
前記の通り、被処分団体においては、オウム・アーレフの反省・総括に基づいて旧教材を一切破棄することを決定し、専従会員においてはそのすべてをすでに破棄し、松本独自の教義も用いていない。
公安調査庁が、被処分団体において「麻原の説く教義を内包」していると主張しているのは、前記の通り松本のオリジナルではなく、松本も説いていた一般的な仏教・ヨーガの法則を被処分団体においても採用しているからであると推測される。
仮に松本オリジナルの教義が被処分団体の教義に過失によりわずかに混入しているとしても、松本の教義の危険性は被処分団体の教義全体において徹底的・積極的に排除されている(=個人崇拝の禁止等)のであるから、そこに危険性は全くないのであって、少なくとも「首謀者(松本)が、将来、再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力」を有している根拠とすることまではできないのは明らかである。
②アーレフ代表派時代の松本の教義の使用について
なお、被処分団体の前身であるアーレフ代表派の時代(2004年末~2007年3月)に、松本から脱却していく過程において、アーレフ中間派等への説得のために、部分的に松本の説法を使用したことがあることは、先に詳細に述べた通りである(第2の3の(3)、(11)~(15))。
すなわち、松本が初期に行っていた危険性のない穏健な説法を引用しつつ、アーレフ代表派の考えが必ずしも松本の教えに反するものではないという趣旨で引用したことがあるが、こうした引用が、松本からの脱却を進めていた当時における代表派信者の宗教的未熟さによるものであることは、今から考えれば反省しなければならないことも、前記の通りである。
しかし、アーレフ脱会後から現在に至るまでの1年半以上にわたって、被処分団体が使用してきた教材・教義の中には、松本の説法は一切使用されておらず、松本オリジナルの考えは反映されていない。それとは全く正反対に、これまで述べてきたとおり、松本の絶対性を否定し、その過ちを明確にし、個人崇拝の愚を反省・総括した新たな教義を展開しているのであるから、「依然として麻原の影響下にある」とは到底いえず、それをもって「首謀者(松本)が、将来、再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力」を有している根拠とすることまではできないのも、また明らかだといえる。
③被処分団体の教義の問題点につき公安調査庁から具体的指摘・指導が一切ないこと
公安調査庁は被処分団体の教義に関して「麻原の説く教義を内包」しているというが、現在に至るまで、前記の通り、被処分団体からの度重なる指導要請にかかわらず、その具体的な指摘や指導は一切ない。
仮に、無差別大量殺人行為に及ばせるだけの松本の影響力の存在をうかがわせる危険な教義が被処分団体の教義に内包されているのであれば、すでに公安調査庁において一般への公表または被処分団体への指摘・指導があってしかるべきだが、現在のところ一切そのような事実はない。
このこと自体、実は被処分団体の教義の中には、かかる松本の危険な教義など内包されていないことを示す一つの証左といえる。
(3)聖地巡礼修行は"脱麻原"の修行であること
公安調査庁は「前記(聖地巡礼)ツアーは,麻原の従来の修行や勧誘の方法を模倣したにすぎない」という。
しかし、すでに第3の5「聖地巡礼修行の実施とその意義」(38ページ)でも詳説したように、むしろ聖地巡礼修行は、松本の教義に忠実なアーレフ反代表派から「魔境、外道の所業」と激しく批判されたように、被処分団体における松本からの脱却を示す何よりの証左なのであって、被処分団体が「麻原の影響下にある」という根拠とはいえず、少なくとも「首謀者(松本)が、将来、再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力」を有している根拠とすることまではできないのも、また明らかだといえる。
(4)旧教材破棄は完了していること
公安調査庁は、「上祐派の施設5か所においても,麻原の肖像写真やその説法映像を収録したビデオテープなどが保管されてい(た)」として、松本の影響をいうが、これらはいずれも破棄漏れの旧教材であり、その後、被処分団体が旧教材破棄漏れの徹底チェックを行い、現在に至るまでに旧教材の破棄が完了し、公安調査庁の立入検査においても客観的に証明されていることは、すでに第3の8「旧オウム教材の破棄作業」(46ページ)ならびに甲A34において詳説したとおりである。
よって、このことをもって松本の影響を論じることはできない。
(5)被処分団体は松本の意思に基づき設立されたものでもないこと
①代表派時代に誤解されかねない発言があったこと
なお、公安調査庁は、「被処分団体は松本の意思に基づき設立されたと被処分団体の構成員が供述している」旨の主張を行うかもしれない。というのも、被処分団体における独自の調査の結果、過去そのような誤解を与えかねない発言がごく一部に見られたからである。
しかし、すでに第2の3の(13)「反代表派の批判・攻撃に対して松本の説法等を使ったことの反省」(19ページ)で詳しく述べたように、それは、アーレフ代表派時代に中間派等を説得するために危険性のない松本の説法を引用しつつ、「代表派の活動は松本の教えに反するものではない」という趣旨の主張を展開した際、全体から見れば少数ではあるが、代表派のメンバーの一部において、反代表派の考え・実践・やり方には強く反発しつつも、松本への依存は依然として深い者たちの中で、「代表派の考え(こそ)が、松本の意思である」といった主張にまでエスカレートする場合もあったというのが真相である。
もちろん、このような松本のメッセージや説法に頼った活動は、今から見れば一時的・過渡的なものであって、人によって時期は違うものの、その後しばらくして、徐々になくなっていったのも、前記の通りである。
その過程では、団体として、この誤解・問題を根絶するために、以下のような積極的な努力を展開してきた。
②問題根絶のための根本的対処
第1に、根本的な対処として、この行動の背景にある松本への依存を断ち切るために、以下のような実践を繰り返してきたことがある。
まず、幹部らの指導、会員との話し合いである。上祐らをはじめとする指導員が、講話・説法・個別の話し合いにおいて、繰り返し、松本の相対化と依存からの脱却を呼びかけた。その成果は、前記で記したアンケート結果(57ページ)にも表れている。
次に、前記で述べた総括作業である。松本・オウムの問題点を分析・議論して、団体・個人として総括した。団体としては、総括のための会議を繰り返し、総括文書の作成・採択をし(甲A3~A5)、その中で松本の「人格障害」の認定にまで踏み込んだ分析を行った(甲A5)。また、団体に加え、各人が自分個人の松本信仰の過ちを分析・文書化した(甲A20~A32)。
さらに、旧教材破棄を徹底した。専従会員の破棄を徹底し、非専従会員の破棄も団体を挙げて推進していることは前記の通りである。
③問題根絶のための局部的対処
第2に、局部的な対処として、被処分団体の中で、新団体設立が松本の意思に基づくものと誤解されかねない主張をすることを禁じたことがある。
具体的には、被処分団体の指導員の中で、そのような申し合わせを繰り返し、その過程においては、誤解が続いていないかどうかを確かめるために、多くの会員を対象としたアンケート調査(57ページ)を実行し、その上で、必要な改善を指示した。
そして、最も最近では、団体として誤解を根絶する正式な見解と規定(オウム真理教元教祖・松本智津夫の位置付け等に関する規定)を採択し、念のために規定には違反者への罰則を設けた(甲A9)。
以上のことから、かかる誤解を与える発言が過去ごく一部にあったものの、その後の現在に至るまでの経緯を見れば、この問題は解消したことが明らかである。
特に、被処分団体においては、松本は「空想虚言症」「誇大自己症候群」という人格障害者であったとまで総括し(甲A5)、その過ちを徹底的に分析・批判し、かつ信者らが松本を崇拝したことも信者らの人格的な問題であったと認めた上で、松本からの脱却、個人崇拝からの脱却を強力に推し進めている。
よって、もはや「首謀者(松本)が、将来、再び無差別大量殺人行為の実行を命じ、団体の構成員らにその準備行為に着手させるに足りる影響力」を有しているとは言えないのである。
以上のことから、被処分団体は、本法5条1項1号要件には該当しないことが明らかである。
4 本法5条1項2号要件に該当しないこと
被処分団体は、本法5条1項2号要件には該当しない。すなわち、両サリン事件に関与した者の全部又は一部が被処分団体の役職員又は構成員であるという事実はない。
なお、前記の通り、松本については、アーレフの役職員または役員でないことが東京地裁の判決で認定されており(甲A43、A45)、被処分団体においても当然同様である。
また、被処分団体においては、松本を形式的にも実質的にも構成員として扱っていない。
よって被処分団体は本号要件に該当しないことが明らかである。
5 本法5条1項3号要件に該当しないこと
(1)貴委員会の認定等
被処分団体は、本法5条1項2号要件には該当しない。すなわち、両サリン事件が行われた時に当該団体の役員(団体の意思決定に関与し得る者であって、当該団体の事務に従事するものをいう。以下同じ。)であった者の全部又は一部が被処分団体の役員であるという事実はない。
松本については、被処分団体において何らの地位も与えておらず、形式的にも実質的にも被処分団体の役員でないのは前記の通りである。それは、前記観察処分取消請求訴訟でも、東京地裁によって認められている。
一方、上祐については、貴委員会の期間更新決定(2006年1月23日)において、両サリン事件が行われた時に当該団体(オウム真理教)の役員であったと認定されている。
すなわち、貴委員会は、同決定において、
「(ア)被請求団体は,無差別大量殺人行為を行う直前の平成6年6月ころ,団体の規模拡大に伴い,省庁制を導入し,各省庁大臣を任命するなどして,絶対者たる松本の有していた権限を一部分配し,各大臣は,その担当する省庁の人事権を掌握し,分掌事務に関わる運営の意思決定や執行に主体的に関与するようになった。
なお,無差別大量殺人行為当時,被請求団体においては,松本が絶対的地位を有し,被請求団体の重要事項に関する最終意思決定者であったことは疑いないが,各大臣が,松本の意思に反しない限度内において,自己の判断に基づいて人事権を行使するとともに,分掌事務を処理していたことが認められるから,各大臣は,法第5条第1項第3号に定める「役員」に該当することが明らかである。
(イ)上祐は,無差別大量殺人行為当時,宗教法人「オウム真理教」責任役員の立場にあり,松本に次ぐ正大師の位階に就いていたほか,「ロシア支部大臣」と呼称するかどうかはともかく,オウム真理教の教勢拡大,武装化のための重要拠点であったロシア支部における運営全般の統括責任者であった。
しかも,上祐は,無差別大量殺人行為以前から,被請求団体が,当時の同団体を取り巻く状況等を踏まえて一般社会と対決姿勢にあり,武装化しつつあったことを十分把握していたことが認められるから,近い将来,被請求団体が無差別大量殺人行為を敢行するに至る可能性があることは十分予想し得る立場にあった。
また,上祐は,無差別大量殺人行為後,間もなくして日本に呼び戻され,外報部長に就任し,平成7年5月ころには,緊急対策本部長に就任した。
したがって,上祐は,無差別大量殺人行為の前後を通じて,被請求団体の武装化に関する重要な情報を知り得る枢要な地位に立ち,被請求団体の事務に従事し,かつ,その意思決定に関与し得る立場にあった者と認められる。」
と認定している。
よって、公安調査庁においても同様の見解を有し主張をしてくる可能性が高いと思われるので、同認定が失当であることを以下に述べておくこととする。
(2)本法の趣旨に基づく「役員」の正当な定義
まず、「役員」とは「団体の意思決定に関与し得る者であって、当該団体の事務に従事するもの」と本法に定義されている。ここで、法は明確に「団体の意思決定」としている。
一方、貴委員会の上記認定では、「なお,無差別大量殺人行為当時,被請求団体においては,松本が絶対的地位を有し,被請求団体の重要事項に関する最終意思決定者であったことは疑いないが,各大臣が,松本の意思に反しない限度内において,自己の判断に基づいて人事権を行使するとともに,分掌事務を処理していたことが認められるから,各大臣は,法第5条第1項第3号に定める『役員』に該当することが明らかである。」としている。
しかし、本法は、その性質上拡張解釈を禁じており、役員が「団体の意思決定に関与し得る者」と明確に定義されている以上は、一般社会通念の字義通りに、役員会の一員として団体の重要事項に関する最終意思決定者を構成する集団の一員であり、議決権のある者を指すことは明らかである。
(3)上祐を含む当時の弟子達は実質的に役員=団体の意思決定者ではなかったこと
上祐は、両サリン事件当時、形式的には責任役員であったが、団体の意思決定に関与し得る者ではなく、すなわち実質的に役員ではなかった。
その第1の理由は、当時のオウム真理教においては、松本が単独で団体の意思決定をしており、実質的に役員とは松本のみだったからである。
この点については、観察処分取消訴訟において、東京地裁が、次のとおり同じ趣旨を判示し、上祐を含めた当時の松本の弟子達は役員とは認められないとの認定をしている(甲A43)。
「宗教法人オウム真理教の運営については、当初、責任役員会が開催されることもあったが、次第に形骸化し、松本が一人で教団の運営の意思決定をするようになった。......いわゆる『省庁制度』を発足させた。......松本が教団の運営及び意思決定を専行することに変わりはなかった。」
「松本は、遅くとも地下鉄サリン事件等が起きるころまでには、教団内部において、事実上、唯一絶対の帰依の対象であると理解されるようになり、松本は、信仰上の指導のみならず、教団運営の全般を自己の意思に基づいて専行していた。」
この認定のとおり、当時の団体の意思決定は松本が単独で専行していた。
上祐の経験では、確かに、例えば1980年代の初期の頃に大師会議等と称する幹部会合が開かれたことはあるが、1990年代になると会議と称する出来事さえ記憶になく、もっぱら松本が自分が必要と思う信者を呼び集めるにすぎなかった。これは、上記の東京地裁の認定にもあるとおりの事実関係である。
そのような会合では、形式的にオウム真理教の役員とされている者が含まれる場合も含まれない場合もあり、役員全員が含まれる場合は非常に稀であった。ましてや、役員会と称して正式な招集手続きがなされたことは一度もなかった。
また、会合の際に、何らかの意思決定がその参加者の議決によって行われることは、一度もなかった。一度だけ形上は議決に似通ったことが、1989年に選挙出馬の是非を話し合った時にあったが、その時でさえ、松本の意思に沿った結果が出るまで、話し合いと各自の賛否の意思確認が繰り返されたに過ぎなかった。
実際に、松本の意思に反する者は、役員はおろか団体の構成員の立場さえ保証されなかった。そもそも松本は、自分の考えに合わない者がいると、その者を「(松本への)帰依がない」という理由で会議に参加させなかったし、極端な場合は団体実務に関与できない「修行入り」を命じることもあった。
よって、弟子達が松本の意思決定の場に形の上では同席することがあっても、そういった場は、常に松本への帰依が試される場であって、松本の意思と無関係に自分の意思を決定することなどできなかった。そういった場に同席した弟子達は、純粋な意思決定に参加したのでなく、実質的に、「松本の意思決定を追認する修行」を実践したのである。
仮に、弟子が異論を言う場合があったとすれば、それは松本が単に初期的な提案をしただけの場合など、意思を固めていない場合であって、そういう場合でさえ、異論を言う者は極めて稀であった。ましてや、松本が意思を固めて指示する場合には、弟子が逆らうことはできないし、その場合はグルの意思=絶対神の意思に逆らう者とされてしまうことになる。
仮に、本気で松本の意思に逆らえば、「帰依がない」「魔境」と位置づけられ、団体から追い出されるか、場合によっては口封じのために何らかの危険が身に及ぶ可能性があったことは、裁判でも証言されている。
上祐自身、1990年代において、松本から「ヴァジラヤーナ活動(教団武装化等の違法行為)」に協力するように指示され、それに協力しないならば出家教団を辞めるように(在家に戻るように)と言われた。出家教団を辞めるということは、松本のヴァジラヤーナ活動によって、場合によっては将来において一般人と一緒に殺害される可能性があるということを意味していた。
当時松本に帰依していた上祐は、悩んだあげく松本への帰依を続けることにしたが、この事実は、当時の弟子が団体の役員として役員会などの団体の意思決定の場で、松本の意思に反して自分の意思を表して犯罪を防止するように行動できる立場では到底なかったことを示している。
このように、松本以外に、意思決定権限を有している者は、オウム真理教には存在していなかった。
この事実を証明するもう一つの明白な事例がある。それは、2003年に、上祐がアーレフの代表役員でありながら、団体における松本の色を薄めようとしたがために、松本の後継者である松本の家族の反対によって、アーレフの実務から完全に外され、「修行入り」とならざるを得なかったという事実である。
その後の上祐は、形の上では代表役員であるといっても、団体の意思決定はおろか経理・資産処理の状況さえ報告されなかった。当時の上祐に賛同した者達も、同様に団体実務から外された。
こうして、松本の弟子達は、松本の意思とは無関係には、役員としてはおろか団体の構成員としての立場さえ保証されていないのがオウム真理教である。その意味で、繰り返しになるが、松本以外には実質的な役員=意思決定者は存在していなかったのである。
(4)上祐個人は両サリン事件当時に実質的に役員=団体の意思決定者ではなかったこと
次に、上祐個人について述べると、両サリン事件当時はロシア共和国のモスクワに赴任していたため、上記松本と弟子の宗教的な力関係に加えて、物理的な理由によって、両サリン事件の実行に係る意思決定に関与し得る立場にはなかった。
仮に物理的に関与しうる立場であったとしても、上記の通り、防止できなかったと思われるが、上祐の場合は物理的に関与すること自体が不可能な状態であった。
さらに、上祐は、ロシアに赴任している間に、オウム真理教の関連会社であるマハーポーシャの役員から外されている。このマハーポーシャの役員は、当初はオウム真理教の役員と同様のメンバーが名を連ねていたが、その後役員の入れ替わりの手続きが行われた模様である。
この手続きにおいて、教団の方から上祐に対して了承を求める手続きなど一切なかった。全ては松本の指示を受けた信者が、上祐の了解なく手続きしたものと推察される。こうして、形式的に役員であるかないかということ自体が松本の意思一つで決まるものであり、本人達に知らされることさえない場合があったということである。
なお、上祐がマハーポーシャの役員を外れたのは、上祐がロシアに赴任し、日本の活動に実質的に関与していないために、マハーポーシャの役員であることが不都合であったことなどが推察されるが、これも、上祐がサリン事件当時の日本の教団活動に関与していなかったことを示す事実である。
(5)松本以外を役員=団体の意思決定者と認定することは不公正な二重基準となること
なお、これらの松本の絶対性と意思決定における専行の事実は、団体の危険性などの証明において、これまでに公安調査庁が主張し、貴委員会においても認定してきたことである。
しかし、こうして、団体の危険性などの証明においては、松本の絶対性・独裁性が認定される一方で、団体の意思決定者=役員の認定においては、当時の弟子達が松本とは別に役員として意思決定者であると認定されることが仮にあるとすれば、それは、明らかに矛盾であって、いわば二重基準であり、不公正であると考えざるをえない。
また、松本以外の役員の認定は、法の下の平等原則を侵害する面があるのではないかとも思われる。
まず、法の趣旨からすると、無差別大量殺人行為を行った当時の団体役員に関する規定がある理由は、役員と認定される者は当該行為を防止することが可能な立場にあったにもかかわらず、それをしなかったためであると解釈できる。
現に、本法の解説書である『オウム真理教の実態と「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」の解説』(治安制度研究会編著・立花書房/甲A47)には、以下の通り記載されている。
「無差別大量殺人行為が行われた時に役員であった者は、当該団体の意思決定に関与し得る立場にあり、当該団体が無差別大量殺人行為を行うことを防止することが可能な立場にあったにもかかわらず、それをしなかった以上、当該無差別大量殺人行為の実行に寄与した者であるといえる。したがって、団体の役員が当該団体の意思決定に関与し得る立場にあることをかんがみると、過去に、その役職員又は構成員が当該団体の活動として無差別大量殺人行為を行った団体が、当該無差別大量殺人行為が行われた時に当該団体の役員であった者の全部又は一部を現時点で役員としている場合、当該団体は、団体の属性として無差別大量殺人行為の実行に関連性を有する危険性を具有していると認められることから、観察処分の要件として規定したものである。」
しかし、前記のように、当時のオウム真理教においては、責任役員や大臣とされる者が、そうではない者と比較して、両サリン事件を防止する上で特別な力があったわけではない。
実際に、事件を防止するためには、まずは、その松本の指示を事前に知りうる立場にあったことが必要であるが、責任役員や大臣の中には、両サリン事件を起こすという重大な意思決定について知らされなかった者が、上祐を含めて、石井久子氏、松本知子氏など、複数存在している。
一方、責任役員や大臣ではなくとも知らされた者がいる。その者達は、法の規制の対象にならず、知らされなかった者が法の規制の対象になるというのは、不合理ではないかと思われる。
(6)上祐が代表役員として安全な団体づくりをしてきたこと
上記の通り上祐は実質的に両サリン事件当時の役員といえなかったことは明らかであるが、仮にそうだったとしても、上祐は被処分団体の代表役員として、その立場を生かして、団体の改革を強力に牽引し、被処分団体を安全な団体として形作ってきたのである。
すなわち上祐は自らの罪を悔い、率先してオウム・アーレフの総括を行い(甲A17、A19)、団体としての総括(甲A3~A5)を指揮し、一連のオウム事件の原因を探求し、その原因が松本に対する誤った個人崇拝や善悪二元論的思想にあったことを明らかにし、二度と事件を起こさず、また誰にも起こさせないための教義・修行体系を構築し、被処分団体の構成員を指導するとともに、オウム・アーレフの現信者らにも松本からの脱却を呼びかけてきたのである(甲A18)。
そして、個人崇拝の過ちを説くプロセスの中で、当然に上祐自身も自らの絶対性を否定し、自らに対する個人崇拝などが絶対に起きないよう十分な指導をしてきた。
これは、いうまでもなく、代表役員の立場を用いて無差別大量殺人行為の危険性を消失させ、安全な団体を形成する活動だといえる。よって、上祐が仮に両サリン事件当時オウム真理教の役員であったとしても、前記訴訟における東京地裁の解釈基準によれば、今現在は「再び松本の指示により、又はその指示とは無関係に、無差別大量殺人行為に着手し得る権限ないし影響力を伴った地位」を有するとはいえない。(以上、甲A48)
以上のことから、被処分団体は、本法5条1項3号要件には該当しないことが明らかである。
6 本法5条1項4号要件に該当しないこと
被処分団体は、本法5条1項4号要件には該当しない。すなわち、被処分団体は殺人を明示的に又は暗示的に勧める綱領を保持していない。
被処分団体における綱領は「基本理念」(甲A1)であり、それを体現するものとして前記で紹介した新しい教義や教材が存するが、いずれも殺人を明示的に又は暗示的に勧める内容ではなく、むしろオウム・アーレフの反省に立ち、すべての魂や自然との調和・共存を目指すものとなっている。
よって、被処分団体は本号要件に該当しないことが明らかである。
7 本法5条1項5号要件に該当しないこと
被処分団体は、本法5条1項5号要件には該当しない。すなわち、前各号に掲げるもののほかにも被処分団体には無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実はない。
この点に関する公安調査庁の主張は明らかではないが、従前アーレフに主張したもののうち被処分団体に対しても同様に主張すると考えられるものとして、「集団居住形態など従前と同質の組織構造を維持している。家族間との連絡を制限しており閉鎖的」との趣旨が考えられる。
しかし、そもそも出家の集団居住が仏教やキリスト教に見られる通常の居住形態であることや、出家生活というよりは半分在家の共同生活体に近づいているというのが実情であり、オウム・アーレフにおける集団居住・出家生活様式から質量ともに大きく変化していることは前記(66ページ)のとおりである。さらに、集団居住は、専従会員の生活費の節約につながり、被害者賠償の資力向上にも寄与している。なお、行き場のない老人や病人の構成員の面倒を見るためにも集団居住が必要とされている側面がある。
家族間との連絡については、全く制限していない。家族間との連絡は自由であって、身体の不調を訴えている母親の看護のために、専従(出家)会員を実家に長期間帰省させることも行っている。
外部との情報のやりとりについても、電話や手紙、電子メールの発受信に全く制限はなく、インターネット等を用いた外部情報の入手も容易である。
また「武装化を敢行して服役した構成員や、両サリン事件当時構成員であった者を多数構成員として擁している」との主張も推測されるが、これも(66ページの(8))のとおりであるから、いずれにせよ、これらの主張はいずれも、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性があると認めるに足りる事実とはなりえないのが明らかである。
8 活動状況を継続して明らかにする必要がないこと
(1)施設等の閉鎖性はないこと
被処分団体の活動状況を継続して明らかにする必要についての公安調査庁の主張は必ずしも明らかではないが、従前アーレフについては「閉鎖的」「欺瞞的」等であるとして、その必要性を主張してきた。すなわち、「施設の外部を遮蔽し、親族と接触させないなど、閉鎖的」等の主張である。
しかし、被処分団体の施設は通常のマンションや一軒家等であって、特別に閉鎖的な構造になっているわけではなく、その出入りは自由である。親族との接触や外部との情報のやりとりが自由であることも前記の通りである。
(2)立入検査に協力的なこと
また、公安調査庁はアーレフについて「立入検査に非協力的で、閉鎖的」と主張した。
しかし、被処分団体においては、公安調査庁の立入検査に協力的であり、求められた物件の任意提出にも応じるなど、検査は概して円滑に進行しているのであって、トラブルはほとんど発生していない。
現場の複数の調査官も「対応が昔とかなり変わった」「アーレフの方(の強硬な非協力的対応)とは全然違う」と肯定的に評価する言を述べている。
なお、施設内のパソコンを通じてインターネット上のデータの閲覧を求められる際に、見解の相違が一部の現場で見られることがあるが、被処分団体としては法の範囲内で施設内の物件の検査(=パソコン内のデータの検査)には全面的に協力しており、その範疇を超える検査については公安調査庁において正式な法的見解を被処分団体に文書で示していただければ対応を検討する旨、被処分団体の法務部から同庁に通知しているところである(甲A34)。
(3)地域住民の反対運動はほとんどないこと
また、公安調査庁はアーレフについて「活動状況を把握することが困難な実情にあり,これに起因して,全国各地で地域住民が被請求団体に対する恐怖感,不安感を抱いており,その結果,国に対して本件観察処分の期間の更新を要請してきた」旨の主張をしてきた。
しかし、そもそも被処分団体においては、活動状況の把握が困難ということはなく、地域住民の反対運動はほとんど起きていない。
具体的には、アーレフ時代からの流れで反対運動が継続している本部(東京・世田谷)と大阪支部以外の施設、すなわち仙台支部、船橋支部、横浜支部、小諸支部、名古屋支部の各施設においては、いずれも周辺住民が当該施設を被処分団体関連施設と知りつつも、反対運動を起こしたりしておらず、いたって平穏である。
本部と大阪支部については、前記(54ページ)の通り、引き続き周辺住民への情報公開や施設公開等を通じて、理解を求める努力を継続していく所存である。
(4)インターネット上での欺瞞性はないこと
公安調査庁は前掲『内外情勢の回顧と展望』において、被処分団体について、「インターネットを活用した布教・宣伝活動を活発化させることで,教団の実態を知らない若者らが取り込まれていく可能性もあり,同派の勢力拡大に向けた取組状況には注意を要する」と述べている。
これは、あたかも被処分団体がインターネット上で身分を隠した欺瞞的勧誘行為をしているかのような印象を与える主張であるが、前記(45~46ページ)で述べたとおり、被処分団体の公式サイトにおいては、オウム・アーレフの総括を掲載するなど、その身分を積極的に明らかにしている。また、個別具体的な勧誘の場面においても、勧誘の際には、必ずオウム・アーレフから脱退した者らによって構成されている団体としての身分等を明らかにするよう専従会員には求めており(甲A33)、欺瞞的な勧誘が決して生じないようにしている。
以上のことから、被処分団体においては閉鎖性も欺瞞性もなく、観察処分という手段によって活動状況を継続して明らかにする必要がないことは明らかである。
9 その他無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がないことを示す事実
すでに述べてきたことと一部重複するが、被処分団体が無差別大量殺人行為に及ぶ危険性のないことを以下に若干追加して述べる。
(1)被処分団体には政治目的がないこと
そもそも無差別大量殺人行為とは、「破壊活動防止法第四条第一項第二号 ヘに掲げる暴力主義的破壊活動であって、不特定かつ多数の者を殺害し、又はその実行に着手してこれを遂げないもの」とされており、「破壊活動防止法第四条第一項第二号 ヘに掲げる暴力主義的破壊活動」とは、「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって、刑法第199条(殺人)に規定する行為をすること」をいう。
オウム・アーレフにおいては、松本を独裁的主権者とする祭政一致の専制国家体制の樹立を目指すという政治目的が、オウム・アーレフにおける松本の教義に内包されているとの前提に立って、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がある旨認定されていた。
しかし、被処分団体においては、そのような政治目的は一切存在していない。すなわち、被処分団体において、松本の教義を使用していないことは前記の通りであるし、むろん被処分団体が新たに作成した教義の中にも政治目的をうかがわせるものは一切存在しないのであるから、被処分団体が政治目的を具有していることなど、そもそもありえないのである。
このことからしても、被処分団体が無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がないことは、明らかだといえる。
(2)立入検査においても危険物は発見されていないこと
被処分団体の発足以来現在に至るまでに、公安調査庁は被処分団体のすべての施設に対して立入検査を実施してきたが、いずれの立入検査においても、無差別大量殺人行為の計画をうかがわせるような危険物は一切発見されていない。最近は、旧教材すら発見されていないことは前記の通りである。
被処分団体の安全性は、公安調査庁自らによって客観的に証明されている。
(3)何らの違法行為も行われていないこと
被処分団体の発足以来、現在に至るまで、被処分団体またはその会員を対象とした警察当局による強制捜査は全く実施されていない。このことも、被処分団体が法令遵守に努めていることの証左である。
なお、被処分団体では、会員が違法行為を決して行わないよう「違法行為禁止規定」(甲A49)を定め、会員に指導している。
(4)オウム事件被害者への謝罪・賠償等に努めていること
オウム事件被害者への賠償支払いに努めてきたことは前記(51ページ)の通りだが、謝罪を受け入れてくださる被害者の方には、上祐自ら謝罪に訪れるなどしている(甲A50)。
また、両サリン事件被害者の健康上のサポートをしているNPOリカバリーサポートセンターに対して、被処分団体の前身であるアーレフ代表派時代から献金をしたり(甲A51)、同センターの事務局長に本部施設に来訪を願い被害者の話をしていただく等しており、一貫して被害者救済に努めている。
(5)一部マスコミからも好意的に取り上げられていること
これまで述べてきた上祐ならびに被処分団体の様々な改革努力については、マスコミ各社によって徐々に理解され始めており、一部マスコミからは比較的に好意的な報道がなされるようになってきている(甲A52~A54)。
第5 結語
以上から、すでに被処分団体に、無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がないことは明らかになっているのであり、活動状況を継続して明らかにする必要がないことは明白である。よって、早急に本件処分の取消しをすべく請求に及んだ次第である。
また、仮に現時点において被処分団体に対する観察処分が必要との結論であっても、被処分団体は本来本件処分に付されている宗教団体アーレフ(現Aleph)とは全く別個の団体であるから、被処分団体への規制手続の適正を担保するため、被処分団体に対する本件処分をいったん取り消した上で、被処分団体について新たに本法第12条第1項の請求を貴委員会に対して行うよう、公安調査庁長官に促すことを、あわせて求めるものである。
以 上
